tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

経済成長の原動力 その3

2009年06月27日 12時16分41秒 | 経済
経済成長の原動力 その3
 太平洋戦争で日本の大都市、中都市はほとんど焼け野原になりました。もともと資源のない国で、その上、B29の爆撃で生産設備はほとんど破壊されていましたから、生産力はほとんど失われていたのでしょう。

 終戦直後のGDPが戦前に比べてどのくらい落ちたかについては正確な数字はないようです。しかし、実質賃金の推計を見ますと、戦後二年目の昭和22年(20,21年は統計がない)で、戦前(昭和9~11年平均)の約30パーセントですから、多分実質GDPは、戦前の4分の1近くまで落ちていたと考えられます。

 その日本経済が、昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれるまでに復興しました。実質賃金は同年、戦前比114パーセントに回復(物価の文化史事典:展望社)しています。

 石田一松(タレント国会議員第1号、1902~1956年)が寄席で、
   「男なら、男なら
    ひとつここらで褌締めて
    可愛い息子や娘や孫に
    元の日本にして渡せ
    男ならやってみな」
などとバイオリンを弾き弾き唄っていましたが、その頃すでに日本は、回復のプロセスとはいえ、戦後10年でGDPを3倍以上に引き上げ、さらにその後、1961年から10年間の所得倍増計画で、GDPを実質2倍に引き上げ、世界の高度成長国としてデビューしたわけです。

 東海道新幹線、東京オリンピック、大阪万博、3C、新3Cと、日本人はいろいろな新しいものを求めてエネルギッシュに進み、その結果、日本経済の力強さは二度のオイルショック、さらにニクソンショックも乗り越え、成熟化の中で安定志向を強めながらも1980年代前半の「ジャパンアズナンバーワン」の時期まで続きました。

 あの頃の日本と、今の日本との違いは何でしょうか。少子化問題、高齢化問題、社会保障問題、雇用問題、教育現場の混乱、登校・出社拒否、メンタルヘルス問題の増加・・・。
 因果関係の分析は難しいと思います。しかし、日本人自身の経験の中で、日本人の考え方と、社会の様相と、経済成長がどう関係するのかしないのか、考えてみることも必要なのではないでしょうか。


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