tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

景気回復策あれこれ  その2

2008年09月12日 21時28分36秒 | 経済
景気回復策あれこれ  その2
 前回取り上げました昭和40年不況は、当時、戦後最大の不況と言われたものですが、日本が高度成長の勢いを持っている中での不況でした。その後長く続いた「いざなぎ景気」の中で、日本経済は、次第に成熟期に入ってきます。

 戦後のイデオロギー闘争から脱皮した日本の労働組合運動は、今度は経済闘争に極めて熱心で、打ち続く好況の中で、毎年「前年より高い賃上げ」を目指し、賃上げ率は2桁になり、経済成長率を追い越して、「賃金コストプッシュインフレ」が進むことになりました。

 こうした有頂天の時期に突如として起こったのが、第1次オイルショックでした。実を言えばその前に、1970年のドルショック(ニクソンショック)があって、ドルは金と切り離されて、アメリカの経済力(政治、軍事力も含むか?)への信用だけに支えられた「ペーパーマネー」となってしまっていました。そんなことで、原油をドルで決済する産油国は不安を感じたのかも知れません。
 
 1973年秋、OPEC(産油国機構)の決定で、原油価格が4倍になり、石油の99.8パーセントを輸入に頼る日本では、有名なトイレットペーパーや洗剤のパニックが起こり、1974年の経済成長率は、名目値はインフレのため19.4パーセントもあったのですが、実質値は、戦後はじめて(戦後2年は統計がありませんが)マイナスに転落しました(‐1.2パーセント)。国民経済の縮小です。
 
 原油中心に 輸入インフレは激化(ピークで22%)し、物価上昇を賃上げで取り返そうとする労働組合の賃上げ攻勢で、1974年の春闘賃上率は、32,9パーセントになりました。一方、企業の方は原材料高と賃金コスト上昇に直撃されて利益どころではなくなり、日本経済は大変な不況になりました。

 この回復には、足掛け4年かかりますが、実は、1975年の12月、政府は特例国債の発行を決めます。特例国債というのは、いわゆる赤字国債で、経常費の補填に使われます。家庭で言えば、住宅ローン(建設国債)ではなく生活費のための借金です。
 国債発行額は1974年の2.8兆円から75年には5.7兆円、78年には11兆円を超えて増え続け、これではサラ金財政になると「土光行革」(1982年)につながります。

 赤字国債の発行は、建設国債発行の時のように劇的ではないにしても、その景気回復効果は大きかったと言えます。その後は、赤字国債発行は恒例となり、行革推進が叫ばれる一方で、財界は財政出動による景気の維持回復を、常に政府に要求するようになります。

 建設国債、赤字国債と来て、借金過多の財政になると、もうその後は、財政出動(ケインズ政策)の新手はありません。その次の大不況、「失われた10年」では政府は何をしたのでしょうか。


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