tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

自助、共助、公助、の問題を考える(5)

2020年11月02日 15時07分24秒 | 文化社会
「自助・共助」と「働き 方改革」
 菅政権が、「働き方改革」についてどんな政策を展開するのかまだ見えて来ませんが、もともと安倍路線の継承を言っているのですから、「働き方改革」についても安倍路線の継承になるのでしょう。

 安倍路線の「 働き方改革」はもともと欧米流の人事賃金制度が優れていて、日本の制度は時代遅れという見方が基本となっているものです。多分日本的経営が1990年代から長期の円高不況に突入、世界的にも影が薄くなってきているという時代の産物でしょう。
 
 同じようなことは戦後もありました、敗戦の廃墟の中で、欧米流がいいと年功給から職務給への動きが随分もありました。また占領軍は、労働組合作りを奨励しました。
 
 しかし日本の労使は、職務給は参考にしただけで、結局は職能資格給が開発され定着し、労働組合も一般化しましたが、欧米の産業別とは違った企業別が基本で、地域、産業が連携するという日本流の発展を遂げました。

 こうした導入の仕方は、アジアでは定着し、アジアの労使は「Look Japan」と言いながら、日本流を自国流に「咀嚼して導入」と言っています。

 今の政権が、日本流から欧米流へと言っているのは、平成長期不況が、世界第二の経済大国になった日本を追い落とすためのアメリカの「円高戦略」の結果ではなくて、日本的経営そのものが失敗だったのだと勘違いの反省をしているからでしょう。

 前置きが長くなりましたが、基本的に日本の企業活動は人間中心です。欧米のそれは資本中心です。これはそれぞれの伝統文化によるものでしょう。

 日本では企業は家族に例えられます。企業は人間集団です。就職する時は職務は決まっていません、企業という人間集団が望む「人間」を採用し、企業内で育成します。
 欧米では、職務が中心で、その職務が出来る人をその都度採用します。その職務が出来なければ、あるいは職務が無くなれば解雇します。基本的に人間は企業という大型機械の部品(職務採用)なのです。

 「自助、共助、公助」という視点から言いますと、日本の企業は、「自助」の力を育成しながら、「共助」の役割を大きく果たしてきました。
 端的な例が、結婚すれば、また、子供が生まれれば家族手当、習熟に従って賃金は上昇、退職する時には退職金や企業年金といった制度、更に一旦入社すれば、なるべく解雇はしない、仕事がなくなっても、再訓練で新しい仕事に配転するといったのが通例です。

 また、日本の賃金制度で欧米と大きく違うのは、一般社員と管理職、そして経営陣の給与の格差が小さい事です。
 かつての高度成長期でも、社長の給与は新入社員の給与の20倍が一般的と言われていました。欧米の何百倍と大違いです

 放置すれば欧米の様に賃金の格差が拡大するところを、企業内の知恵で、出来るだけ格差を少なくし、国で言えば、豊かな中間層を拡大する政策を、人間中心の企業経営の中で実現していたのです。

 これは企業を、いわば「共助」のシステムとして活用し、それの生み出す人間集団の凝集力で、社員のベクトルを合わせ、総合力を最大にして「社会に役立つ企業」という目的を達成するという日本的経営の理念の 実行で、その力で世界第二の経済大国まで頑張って上り詰めたという事でしょう。(その結果の プラザ合意

 こうした日本の伝統的システムを欧米型に変えていこうというのが「働き方改革」ですが、これは発想の原点に、何故か大きな誤りがあるという事になるようです。

 グローバル化は、日本的経営にも種々のインパクトを与えて来るでしょう。日本的経営の良さを生かしながら、それに対応する知恵は、多分政府からは出て来ません。
 これは日本の労使が、協力して真剣に考えていくべきことなのでしょう。