熊野の速玉大神が、ハロエリス。
(エジプトではオシリス・セトの兄弟とされた年長のホルス)
フスミ大神がハトホルになると思います。
ハヤタマは“ハヤブサの姿の魂”を意味し、ハヤブサ相のホルス。
フスミは“腑澄み”で、臍下丹田の和魂が澄んだ神であり、
澄ませるための守護神でもあるのでしょう。
大本でもそうだと思いますが、
わたしがイザナギ、イザナミだと思っていたのも
熊野のお二人だったわけです。
他の神社のお二人がどなたかは、
一応、それぞれに検討が必要かもしれません。
本宮がおそらく一番問題で、家津御子をスサノオとしているために、
ゲブ・セトが一緒に出てくる場合があるのではないかと。
一般に修験道の古い聖地は、国家権力とは距離をおいていて、
延喜式(平安時代の、官による神社リスト)などにも
入らなかったことが多いのです。
むしろ修験道の聖地としては、
在来の信仰を棄ててまで官に下らなかったことを誉れとすべきで、
熊野もまた、国家権力が介入できなかった、
代表的な修験の聖地でした。
ホルス、ハロエリスというのは古い英雄王としての神であり、
古事記・日本書紀以後、本来の神格としては抹殺されたのだと思います。
熊野は、神々を放棄することを拒否し、
祀り続けた聖地なのでしょう。
後に、この熊野の神々を抑えるために、
本宮を祀るようになったのでは? と思います。
(エジプトではオシリス・セトの兄弟とされた年長のホルス)
フスミ大神がハトホルになると思います。
ハヤタマは“ハヤブサの姿の魂”を意味し、ハヤブサ相のホルス。
フスミは“腑澄み”で、臍下丹田の和魂が澄んだ神であり、
澄ませるための守護神でもあるのでしょう。
大本でもそうだと思いますが、
わたしがイザナギ、イザナミだと思っていたのも
熊野のお二人だったわけです。
他の神社のお二人がどなたかは、
一応、それぞれに検討が必要かもしれません。
本宮がおそらく一番問題で、家津御子をスサノオとしているために、
ゲブ・セトが一緒に出てくる場合があるのではないかと。
一般に修験道の古い聖地は、国家権力とは距離をおいていて、
延喜式(平安時代の、官による神社リスト)などにも
入らなかったことが多いのです。
むしろ修験道の聖地としては、
在来の信仰を棄ててまで官に下らなかったことを誉れとすべきで、
熊野もまた、国家権力が介入できなかった、
代表的な修験の聖地でした。
ホルス、ハロエリスというのは古い英雄王としての神であり、
古事記・日本書紀以後、本来の神格としては抹殺されたのだと思います。
熊野は、神々を放棄することを拒否し、
祀り続けた聖地なのでしょう。
後に、この熊野の神々を抑えるために、
本宮を祀るようになったのでは? と思います。