結局、万世一系というのは幻想に過ぎず、
現実には、いくつもの王朝の姻戚関係による混ぜこぜ王朝が、
系図を繕いながらなんとか統一王朝の形を作った、というのが正解だと、
わたしは考えている。
これを、至高の聖王に仕立ててしまったのは天武であり、
はっきり言って、伊勢の神の責任ではないと思うのである。
むしろ“お母たま(伊勢神)は僕たちのために搾取されて、
僕たちを幸せにしてくれるべき”
という、 . . . 本文を読む
ゲブは地殻の霊であり、
ヌトは(そういうものがあるとするなら)成層圏の霊であろう。
アポピスーアメンは物質霊ではないが、
地球の創造神として現れる場合は、地核を依代とする。
つまり、創造の場面で、
混沌の中に現れ出た最初の霊質の芯だからである。
しかし、盤古によって、地殻霊が地核の神に反旗を翻した場合、
アメンーアポピスは封じられてしまうか、あるいは、
ゲブと習合した形でしか出てこれなくなる . . . 本文を読む
記紀のアマテラスには、持統の姿が重ねられているという。
“偽書”と呼ばれる古代文書の一つである“九鬼文献”には、
スサノオの娘であるアマテラスが登場するが、
これが天武系のアマテラスであり、持統に重ねられたアマテラスである。
彼女はイシスの系統であり、ネフティスではない。
先代の熊野本宮社の九鬼宮司は、深見の支持者として知られるが、
そうした縁があるのである。
***
深見は、伊勢をダ . . . 本文を読む
新興宗教が一般的に、教祖の言葉を絶対視して、
後の検討や新たな見解、進歩を生まず、
硬直化してしまうのは何故だろう。
それは、刻々と進化・深化しようとする人間の存在の、
ありのままの本質にそぐわない。
教祖に疑問を抱いたものは、教団に残れず、
自ら教団を立ち上げることになり、
小粒のカルト系新新宗教は、雨後の筍のように数えきれず発生する。
この無数の団体の中の一体幾つが、
本当に人類の精神性 . . . 本文を読む
アポピスーアメンは、はじまりの混沌の中に生じた、
まだ光になる前の最初の霊質の芯である。
“精妙すぎて認識できない光明”とは、こうした存在による光であり、
光明というよりはむしろ、ほとんど暗闇のように感じられるのである。
皆神山の大日堂、善光寺などにも、こうした光明が感じられる。
(正確には、善光寺にはアメン以外のみ仏も多く祀られており、
光となった光明も感じられるが)
アメンの配偶神である . . . 本文を読む
本屋に行ったら、深見の“強運”は平積みになっているし、
深見のコーナーで立ち読みしている人はいるし、
ガクンと落ち込んでしまった。
去り際に、小声で憎まれ口まで叩いてしまった位である。
それでまた、自己嫌悪で落ち込むという具合。
深見の何がそんなにいいかな?
わたしは、深見のご利益を感じたことはないけど、
ご利益があったとしても、
深見の元での学びは、魂の成長には結び付かないと思う。
もっ . . . 本文を読む
沖縄の一宮、波上宮は、
熊野の神が海流に乗って漂着したものと考えられている。
祭神はイザナミ、ハヤタマ、コトサカオの三柱とされ、
これを祀れば、大漁がもたらされたという。
だが、このイザナミは、ハトホルではなくイシス、
コトサカオは、“こ”の止・戸の栄えを意味する神で、
やはり岩神系(ゲブ族)だと思う。
浜辺に流れ着いた不思議な石に宿っていた神であるだけでなく、
それを拾ったのが、南風原(は . . . 本文を読む
ギリシャ神話で“古い”神々とされていた、
ティターン神族が、古代エジプトのゲブ族にあたると思います。
ですから、ギリシャのオリンポスの神々は、
ゲブ族より更に新しく生まれた神々ということになります。
また、ギリシャ神話では、洪水により人類が滅ぼされた後、
新しく生まれた“英雄の時代”の人々も、
石から生まれたことになっています。
ギリシャの人々は石の神々以降しか知らない、
と考えた方が良さそ . . . 本文を読む
本当の保守の神は、少名彦ーツクヨミで、
革新の神は大国主ースサノオなのだと思う。
この二つの勢力が作用しあいながら、
国が動いて行くのだと思う。
アマテラスは中庸の神にあたる。
わたしが右翼も左翼も好きじゃないのは、
どちらにも正しい神の守護がないからだと思う。 . . . 本文を読む
アイヌの神には、動物の姿を取って現れるものが多い。
けれど、動物自体を神としているわけではなく、
本来、人の姿である神が、動物の体を“着て”、
人の世界に現れるのだと考えているのである。
これは、幼い考え方のように思えるかもしれないが、
“化身”という考え方のなかった人々に、それを分かりやすく教えるための、
インダス人による喩えから来ているのだと思う。
アイヌの神々は、基本的に、縄文の神その . . . 本文を読む
諏訪上社のモレヤの神は、本来、
高神産霊=シュウ=ブラフマーという、極めて根源神に近い神だと思う。
しかし、彼を祀る部族が中央での権力闘争に負けたために、
地方の一風神の地位に甘んじてきたのだろう。
深見は、諏訪大社上社本宮を信仰している。
シュウはおそらく、天武に下り、天武に従い、
天武とその子孫を守護することを告げたのだと思う。
そのため、天武は、
自分が根源神をも従えるだけの人間だと . . . 本文を読む
このブログに書いたか、忘れてしまったけど、
わたしは、
わたしの霊体の穴にヒルのように吸い付いて離れない深見の霊体に、
エネルギーを吸い上げられ続けているのである。
“ヒルにくらい吸わせてやれ”という人もいるかもしれないが、
深見の波動は非常に違和感があり、わたしの思考や感覚を邪魔するし、
わたしはエネルギーを吸われた状態で必死で生きているのである。
深見の霊力は、わたしから搾取したものであ . . . 本文を読む
ハトシェプストは、紀元前十五世紀頃のエジプト王室の女性で、
女の身でありながらファラオとなり、男装で自らを権威付けた
異色の存在である。
王の正室の娘であり、妾腹の異母兄の正室となったが、
残念ながら世継ぎを生むことができなかった。
しかし、正室であったことと、その血統の良さから、
妾腹の幼い新王の摂政となり、
その立場を利用して、自ら王位についたという。
***
深見によると、彼女が白山 . . . 本文を読む
岩霊、岩神という事をずっと書いているけれど、
まさか岩にこころがあるはずもない、
岩に霊なんてあるはずもない、というのが普通の感覚だと思う。
もちろん、わたしだってそう思っていた。
戸隠の岩山が、ペットのように好意を発散しながら、
わたしのところへやって来て、霊体に溶け込んでしまった、
という体験をするまでは。
***
何年か前から、体調が許す限りは、
戸隠に行くたび、鏡池から戸隠連峰の . . . 本文を読む
宇佐神宮のある大分は、
日本列島の“ぼんのくぼ”の位置にあたる。
ぼんのくぼは、アイヌの信仰において、
その人の憑き神(守護霊)の座と考えられている。
もし、アイヌと同じ考え方を、古代の日本人が持っていたとするなら、
ここにある宇佐神宮(宇佐八幡)は、
日本列島の守護神という位置付けになるだろう。
***
宇佐神宮は古墳の上に立つ神社で、
比売大神は、八幡神以前からここで祀られていた、古い . . . 本文を読む