戦国~安土桃山時代、優れた武将は何人もいた。
だが、次代が続くかは、別の問題だ。
戦国乱世が続くなら、継いだ人間が淘汰に負け、
他の優れた人間にその座を奪われても問題はない。
だが、世襲が基本で、
他に安定した世代継承のシステムを持たない時代、
太平の世を作ろうとしたら、優れた跡継ぎにより、
安定した政権基盤が築かれることが必要だ。
継いだはいいが、諸国を従えることができず、
クーデターを . . . 本文を読む
戦国時代は、海外との交易の盛んな時代で、
織田信長が南蛮趣味であったのは勿論、
徳川家康も、関ヶ原に南蛮風の鎧で登場したりしている。
それが、二代将軍秀忠の時代に鎖国政策に転じ、
次の家光の時代に、体制として完成を見た。
徳川体制の間、鎖国が維持され続けたことが、
結果的に産業革命の輸入を遅らせ、
日本の近代化を遅らせたと批判する論者もいる。
だが、戦国乱世の傷の癒えきらぬ日本に、
勢力地図 . . . 本文を読む
千利休が切腹を申し付けられた理由とされる説の一つに、
安価な茶道具を法外な値で売った、というのがある。
本当かさえ分からないのだけど、
利休が目利きすれば、それだけの値を付けても、売れたのかな?
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もし、王仁三郎の言うとおりに利休が明智だったとしたら、
彼の家臣たちは太閤の世に、どうしていたんだろう、と思う。
もちろん、優秀な一人前の男である武人たちだけれど、
明智の家臣として顔が知 . . . 本文を読む
地位を得た人が、よく、
自分をエラく見せるために、部下や後輩を
ぞんざいに言ったりする事がある。
あいつはどうのこうのと、分かった風に言ってみたり、
自分はあれをしてやった、これをしてやった、と、
大袈裟に吹聴したり。
お市は、そういうのを鵜呑みにする人だった。
***
明智は信長の許で、参謀として成果をあげたし、
アイデア・マンで、情報通だった。
戦略に有利な新しい情報を有効に使うこと . . . 本文を読む
知っている人の方が多いかもしれないけど、
上野公園の東北に位置する両大師堂には、
元三大師と天海が、一緒に祀られている。
生きた時代の違う二人だけど、
天海は、元三大師をこの上なく崇敬していた。
***
元三大師は、平安末期の天台宗の僧侶で、
比叡山中興の祖といわれる。
魔物に取りつかれて、禅定によって
これを克服したという。
それ故に、
災厄を避けさせてくれる厄除大師としても尊敬された . . . 本文を読む
もちろん一般には、平家は
桓武天皇から分かれた氏族だと言われている。
ところが、(トンデモ説かも知れないけど)
平家というのはペルシア系だと
いう話もあるのだ。
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古代というのは
思っているよりずっとグローバルな世界で、
唐は、能力さえあれば民族を問わず官吏に登用する
多民族国家だった。
その都、長安には、
シルクロードを経てやって来たペルシア系の人々が
多数住んでいたという。
. . . 本文を読む
明智の旗は、水色桔梗。
濃い水色に、白く桔梗紋を抜き出した、
珍しい旗である。
丹波の亀山城は、五層の天守閣で、
これも珍しい洋風だったとか。
イヤな予感がする…
まさか城まで、水色に白じゃなかったろうな(笑)
有事の際に川を塞き止めると、周囲は一面湖となり、
亀山城は、湖水の中に、
難攻不落のその姿を浮かび上がらせたという。
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どうやら光秀は洋風趣味?
とすると、利休の趣味と . . . 本文を読む
今の人は、戦国武将という物に
幻想を抱きすぎだと思う。
武将たちを、ほとんどテレビゲームの主人公か、
神話の英雄みたいに思ってる。
もちろん、常に死と隣り合わせにある事から来る
判断力とか不思議な力はあったと思うけど、
別にみんな、普通の人間である。
立場が人を作っただけだと思う。
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基本的に、戦国の覇者は、
ごちゃごちゃした批判を浴びなかったろう。
今みたいに、自由な言論を保証 . . . 本文を読む
明智光秀を悩ませ続けたのは、
あらゆる行為について、
自分の動機を誤解され続ける事だったろう、と思う。
戦国時代というのは要するに、
大名たちが己の煩悩のために戦い続けた時代で、
それを非難する者もいなかったのである。
人は自分の動機で他人を推し量る、と言ったが、
そういう意味では、
光秀を正しく推し量れる人はいなかったろう、と思う。
日本に“ロジョン”は伝わっていなかった。
僧侶たちでさえ . . . 本文を読む
私観に過ぎないが、
昔は“やおい”と呼ばれ、
いまは“ボーイズラブ”と呼ばれる世界。
それを好む女性たちは、多くが、
前世に戦国時代に生まれ、
衆道を好んだ男性だった事がある、と思う。
衆道とは男色の事で、当時は一般的だった。
仏教が男尊女卑の教えと解釈されていた。
だから多分、女性を軽蔑もしていた。
その為に、女性に生まれたのだと思う。
女性である事を経験するために。
女性として愛す . . . 本文を読む
石田三成の理屈というのは要するに、
部下は飽くまで主君に従わなくてはイケナイ、
主君は部下をどうしようが自由、だと思う。
利休の切腹に三成が絡んでいれば、の話だけど。
藤堂高虎の理屈というのは、
部下には、自分を一番高く買ってくれる主君を選ぶ権利がある、である。
どんな物なんでしょうね? . . . 本文を読む
おねと秀吉が結ばれたのは、親の知らぬ間の恋愛による。
当時はとんでもない事だった。
秀吉よりやや身分が高かったというおね。
一説には、まだ十三だったとか。
ロリコン秀吉の面目躍如たるものがある(笑)
***
秀吉がおねをたらしこんだのかもしれないが、
おねもまた、秀吉を選んだのだと思う。
おねは愛嬌のある、サービス精神の旺盛な人で、
生まれながらに弁天さまの強い護りを受けていた、
と思う . . . 本文を読む
斎藤義龍の母親は、
美濃守護・土岐氏の愛妾で、道三に下げ渡された人だった。
もとは遊女だったとも言う。
下げ渡された、とは…
と思うが、
当時は良くあることだった。
女は幾らでもいて、代えがきくのか?
愛して抱いた女を、気に入った部下に与える。
それは誉れだった。
女性に人権などない時代。
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帰蝶の母は、おそらく道三に愛されたのだろう。
光秀の叔母にあたるのか。
精神的な美し . . . 本文を読む
お三は、秀吉に自殺に追いやられた。
千家に圧力をかけ、お三を力ずくでひれ伏せさせようとした。
お三はそれを悲しみ、自殺したのだろう。
それは、人間としての尊厳を貫くことだ。
思いは、力に従わない。
力に従う恋なら、娼婦と同じだし、
娼婦を求めているなら、
自分の中身を理解して愛してくれている訳じゃない。
もしも従うなら、それは魂の脱け殻としてだろう。
お三は誇り高い。
淀とは違う。
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明智一族が、まだ斎藤道三に仕えていた頃。
彼らが居を構えた明智城は、
美濃と信濃の国境近い、恵那の山あいに位置した。
美濃とは言っても、ごく辺境の小城だが、
美濃・三河・信濃三国国境の要地として重視された、岩村城にも程近い。
明智は謎の一族で、出自も明らかではない。
美濃守護だった土岐氏の支流とも言われるが、
わたしは別の事を考えている。
***
信濃の南端、美濃との境に、阿智という村が . . . 本文を読む