車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

岸和田城と岸和田だんじり in 大阪府岸和田市岸城町

2022年12月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

伝承では、建武新政期に楠正成の一族であった和田高家が築いたといわれる「岸和田城」。天正13年(1585)、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、叔父小出秀政を城主としてこの城を与えます。その後、秀政によって城郭の整備がなされ、天守閣もこの時に築かれました。以後、小出吉政・吉英、松平康重・康映をへて、寛永17年(1640)に岡部宣勝が入城し、明治維新まで岡部氏が13代に渡って岸和田藩を統治しました。

別名、岸ノ和田城、滕(ちきり)城、千亀利(ちきり)城とも呼ばれ、江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれた岸和田城。天守閣は文政10年(1827)に落雷で焼失。明治の廃城令により櫓・門などの城郭施設を破壊したため、当時を物語るものは堀と石垣のみとなりました。

現在の3層3階の天守閣は、昭和29年に建造されたもので、本来は5 層天守であったことが絵図などで確認されています。別名の「縢(ちきり)城」とは、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く道具の「縢」に似ている事に由来し、後に縁起の良い「千亀利」の文字が当てられました。

城跡は昭和18年に大阪府指定史跡に、本丸庭園は国の名勝に指定されています。

堀に架かる橋を渡った先が本丸の復元された櫓門。当時は合計15棟の櫓があったと記録されています。

二の丸跡にある岸和田市民道場「心技館」

2015年10月8日に小休止した阪和自動車道下り線・岸和田SA。記念スタンプは、当然「岸和田城」ですが・・

他にも、岸和田城を連想させる建物が、小高い丘の上に建っています。単なるモニュメントにしてはよく出来過ぎていて・・気になる(笑)

さて、岸和田市と言えば関西でも有名な祭りの一つに数えられる「岸和田だんじり祭り」があります。岸和田市出身の友人によれば、祭りの当日は、日本国内に住んでいる地元出身者は、万難を排してでも祭りに参加するのが常識なんだそうで(^^;) 

だんじりの大屋根に乗り込む若衆は「大工方」と呼ばれており、友人曰く、滅茶苦茶、婦女子にモテて、その為の女同士のいざこざ何てしょっちゅうで・・と、はるか昔を懐かしんで語ってくれました(笑)二枚の画像はいずれも岸和田SAのタイル壁画、壮大さが伝わってきます。

残念ながら実際の祭りは見た事はありませんが、岸和田城西大手門跡の北側に立地する「岸和田だんじり会館」では、大迫力のマルチ画面で、岸和田だんじり祭りが体感できるそうです。

鉄柵の上の握り部分、だんじりに使われる法被がデザインされているのですが、中央には大きく「岸和田市の市章」なんかこういうのって好きかも(*^^*)

だんじり祭りでは、何と言っても豪快な「やりまわし」が一番の見せ場。それを見るための最適な場所も幾つかあるそうで、友人が教えてくれたのが蛸地蔵駅。浜地区の「やりまわし」を見る特等席なんだそうです。

元禄16年(1703)、時の岸和田藩主岡部長泰が、京都伏見稲荷大社を岸和田城内三の丸に勧請。五穀豊穣を祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられる「岸和田だんじり祭り」。約300年の歴史と伝統を支えてきた町衆の心意気、友人が身近にいた間に見ておきたかったな・・・。

訪問日:2009年6月13日

 

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