車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岐阜県揖斐川町&旧揖斐川町

2020年05月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)は岐阜県の最西部に位置する町です。2005年1月31日、旧揖斐郡揖斐川町、谷汲村、久瀬村、春日村、坂内村、藤橋村と合併し、新たに揖斐川町として発足しました。南は不破郡垂井町、関ケ原町、揖斐郡大野町、池田町に、東は本巣市に。さらに県を跨いで西は滋賀県米原市、長浜市。北は福井県大野市、今立郡池田町、南条郡南越前町に隣接。町の南西部から北西部にかけては、標高1,100~1,300m前後の山々がそびえ、その山間を縫うように揖斐川、坂内川、日坂川、根尾川、粕川などが流れています。山間部を流れる河川は揖斐川に注ぎ、根尾川は大野町南部で揖斐川に合流。また町の南東部は、濃尾平野の最北端に位置する平坦地となっており、市街地および田園地帯となっています。町域の91.1%が森林で、徳山ダム、横山ダム、久瀬ダム、西平ダムがあり、水力発電による電力供給と治水の役割を果たすとともに、日本最大の総貯水量を誇る徳山ダムのダム湖が観光の場として期待されています。「町の木:けやき」「町の花:花桃」を制定。

キャッチフレーズは「自然と歴史が育む ふれあいと活力のある健康文化都市」

2005年7月1日制定の町章は「ひらがなの「い」をモチーフに揖斐川の流れと新町の将来像から人々のふれあいと大人も子供も安心できる健康文化都市を表しています。また、らせんを描くカーブは次世代につなぐ自然と歴史を表しています。」公式HPより

見つけたマンホールは、ASD加工の耐スリップマンホールのみですが、一応下部に「いびがわ」の文字が刻まれています。

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旧揖斐郡揖斐川町(いびがわちょう)は岐阜県西部に位置した町です。揖斐郡久瀬村、藤橋村、大野町、谷汲村、養基村、春日村、池田町に、また県を跨いで福井県南条郡今庄町に。さらに滋賀県伊香郡余呉町・木之本町、東浅井郡 浅井町、坂田郡伊吹町に隣接。城台山頂上には、かって土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした「揖斐城(いびじょう)」が有りましたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、稲葉良通によって城は陥落。現在は城台山公園として整備されています。町域を流れる揖斐川はあゆ釣り」が盛んで、揖斐川町三輪の桂川橋には、活きの良い鮎が飛び跳ねています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、揖斐郡揖斐町・大和村・養基村、大野郡清水村・極楽寺村・房島村・上南方村・若松村、池田郡小島村・上野村・岡村・和田村・上東野村・市場村・瑞岩寺村・白樫村・新宮村・黒田村・粕河原村・田中村・沓井村・脛永村が発足。

1897年、郡制の施行により、大野郡の一部と池田郡が合併、揖斐郡となる。

1897年、極楽寺村、房島村、上南方村、若松村が合併、揖斐郡北方村が発足。

1897年、小島村、上野村、岡村、和田村、上東野村、市場村、瑞岩寺村、白樫村、新宮村、黒田村が合併、揖斐郡小島村となる。

1897年、粕河原村、田中村、沓井村、脛永村が合併、揖斐郡養基村(やぎむら)となる。

1955年、揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村が合併、揖斐郡揖斐川町が発足。

1956年、揖斐川町が養基村脛永地区を編入、他地区は池田町に編入。

昭和30年(1955)7月1日制定の町章は「「川」を中心にし、五つの「ビ」を円形に配し、「いび」を表したもの」

ここまで何も見つけられないと、いっそ清々しい・・筈がない!!😡

撮影日:2012年5月22日

(※)旧揖斐郡久瀬村・坂内村・藤橋村の3村は未訪問の為、マンホールは未確認。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧真正町(本巣市)

2020年05月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧本巣郡真正町(しんせいちょう)は岐阜市と大垣市のほぼ中間に位置した町です。本巣郡糸貫町・北方町・穂積町・巣南町、揖斐郡大野町に隣接。町名は前身となった真桑村と弾正村から一文字ずつ取った合成地名。町域全体が濃尾平野に位置し、町の面積の約50%が農耕地で、古くから「マクワウリ」が生産され「真桑瓜発祥の地」としても知られています。 「町の木:マキ」「町の花: スイセン」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大野郡政田村・浅木村・温井村・海老村・下福島村・小柿村・軽海村・宗慶村・十四条村・上真桑村・下真桑村が発足。

1897年、郡制の施行により、大野郡が揖斐郡と本巣郡に分割。

1897年、本巣郡小柿村、軽海村、宗慶村、十四条村、上真桑村、下真桑村が合併、本巣郡真桑村が発足。

本巣郡政田村、浅木村、温井村、海老村、下福島村が合併、本巣郡弾正村が発足。

1955年、真桑村と弾正村が合併、本巣郡真正村が発足。

1964年、真正村が町制を施行、本巣郡真正町となる。

2004年、本巣郡本巣町、糸貫町、根尾村と合併、本巣市となりました。

マンホールには、「町の花: スイセン」が美しく描かれています。

 昭和50年(1975)7月1日制定の町章は「円満な町政の和と力強い町の躍進、繁栄を象徴し、「シ」を丸くデザインしたものです。」旧公式HPより

「まくわうり」は 旧真桑村が原産とされ、その名称は真桑村の名に由来します。天正三年(1575)、『織田信長』がこれを朝廷に献上したとの記録も残されています。

撮影日:2012年5月22日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧糸貫町(本巣市)

2020年05月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧本巣郡糸貫町(いとぬきちょう)は岐阜県の西部に位置した町です。岐阜市、揖斐郡大野町、本巣郡本巣町・真正町・北方町に隣接。ほぼ全域が濃尾平野に属し、農業は稲作のほか柿の栽培が盛ん。中でも明治43年(1910)頃から始まった富有柿の栽培は町の名産として力がいれられました。町域の各所で柿の木の栽培地を見ることができます。「町の木:柿」「町の花:菊」「町の魚:ヤリタナゴ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、本巣郡有里村・石神村・数屋村・上高屋村・随原村・長屋村・見延村・屋井村・七五三村・早野村。席田郡上保村・郡府村・北野村・春近村・石原村・三橋村・仏生寺村・芝原村・加茂村が発足。

1897年、郡制の施行により、席田郡、本巣郡、方県郡の一部、大野郡の一部と合併、本巣郡となる。

1897年、本巣郡有里村、石神村、数屋村、上高屋村、随原村、長屋村、見延村が合併、本巣郡一色村が発足。

屋井村、七五三村、早野村が合併、本巣郡土貴野村が発足。

1955年、 一色村と土貴野村が合併、本巣郡糸貫村が成立。

1956年、糸貫村が本巣郡席田村上保・郡府・北野・春近・石原・三橋・仏生寺地区を編入。

1960年、糸貫村が町制を施行、本巣郡糸貫町となります。

2004年、本巣郡本巣町、真正町、根尾村と合併、本巣市となりました。

集配のマンホールには、町の木:柿 に囲まれた糸貫町のキャラクター『かきちゃん』が描かれています。

規格マンホール、中央の知章の部分に『かきちゃん』

糸貫町のキャラクターとして誕生した『かきちゃん』、本巣市になった今でも、「道の駅:富有柿の里いとぬき」の直販所で元気に活躍しているようです。

中央に『かきちゃん』が描かれた側溝蓋、カラーとモノクロの両方が設置されています。

昭和44年(1969)7月制定の町章は「「イト」を図案化したものです。」

糸貫川に架かる「富有柿橋」。橋柵には美味しそうに熟れた富有柿が、たわわに実っています。

撮影日:2012年5月22日

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根尾の淡墨桜(うすずみざくら) in 岐阜県本巣市根尾

2020年05月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

本巣市の根尾谷・淡墨公園にある「淡墨桜」。樹齢1500年以上のエドヒガンの古木で、国の特別天然記念物。日本五大桜または三大巨桜のひとつとされています。珍しく満開の桜ですが、もちろん、某所で見かけたポスターからお借りしたもの😅

私達が延々車を走らせて見に行ったのは、例によって例の如く、岐阜県三大桜「臥龍桜・荘川桜」につぐ、見事な根尾薄墨桜:葉桜バージョン!😠😄

何かすっかり開き直ってますが、これでも意外と真面目に、薄墨桜を目指してここまで来たんですよ。で、見る位置を変えてみても、当然ですが見事な葉桜😊

蕾のときは薄いピンク、満開のときは白色、そして散りぎわには独特の淡い墨色になり、「淡墨桜」の名はこの散りぎわの花びらの色にちなんで名づけられた・・・第26代『継体天皇』お手植えという伝承の薄墨桜。

雄略天皇11年(467)頃、尾張一宮の「眞清田(ますみだ)神社」に生まれた『男大迹王(おおとのみこ)』は、皇位継承に絡み根尾村に逃れた。 生長して29歳となった『男大迹王(後の継体天皇)』が、都からの招きで根尾谷を去る時、『檜隈(ひのくま)高田皇子(後の宣化天皇)』の産殿を焼き払い、その跡に1本の桜の苗木を御手植えされ、身代の形見にしたと根尾谷に伝わっている。【身の代と 遺す桜は薄住よ 千代にその名を 栄盛(さかえ)へ止むる】

由来書の横に建立されていた歌碑。作者は、枯死寸前の淡墨桜に精魂を傾けて、根接術を施し回生させた七十八歳の『前田翁』。その言葉の激しさに胸を打たれました。

【我が命 ゆずるもなどか 厭うまじ 三千歳までも いきよ淡墨】

満開の桜が咲き誇る「根尾西谷川:歩道橋」、桜が見ごろの頃にはこんな写真なんて絶対に取れないだろうなと言うと、「いや、みなさん本物の桜を写すでしょう」とご亭主殿😣。

とりあえず・・綺麗な遊歩道を独り占め😅

薄墨公園の駐車場で見かけた「NEO桜交流ランド」の案内板には、写真と共に幾つかの施設が紹介されています。でもいくら素晴らしくても「花」のない桜には魅力が無いのか(当たり前)、公園内には私たち以外、猫の子一匹居ません😔

ここまで閑散としていると、いっそ清々しい気分になってしまうのが、いかにも私達らしい😄。で、ここでも後になって「薄墨観音」とか「薄墨大師」とかがあったと知って😱・・・こんな😭 泣きっ面になるのです。

訪問日:2012年5月21日

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「一言メモ」

日本三大巨桜・・「三春滝桜(福島県田村郡三春町)」「山高神代桜(山梨県北杜市)」「根尾谷の淡墨桜」

日本五大桜・・上記に「石戸蒲ザクラ(埼玉県北本市)」・「狩宿の下馬ザクラ(静岡県富士宮市)」を加えたもの。

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ご当地マンホール in 岐阜県旧根尾村(本巣市)

2020年05月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧本巣郡根尾村(ねおむら)は岐阜県の西部、福井県に隣接する山地に位置した村です。武儀郡板取村、山県郡美山町、本巣郡本巣町、揖斐郡谷汲村・久瀬村・藤橋村に。さらに県を跨いで福井県大野市に隣接。南北に長い村の中を、北から南に根尾川が流れ村役場付近で合流。根尾東谷川の上流には上大須ダムがあり、村の面積のほとんどは山林。根尾川沿いの僅かな平地に集落が点在します。根尾東谷の菊花石と共に、淡墨公園にある樹齢1500年の「淡墨桜」が有名で、花の季節には多くの観光客で賑わいます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、本巣郡小鹿村・松田村・上大須村・下大須村・板所村・板屋村・口谷村・奥谷村・宇津志村・高尾村・水鳥村・松田村・大井村・大河原村・能郷村・ 長嶺村・市場村・神所村(こうどころむら)・中村・越卒村(おっそむら)・門脇村・天神堂村・長島村・黒津村・越波村(おっぱむら)が発足。

1897年、小鹿村、松田村、上大須村、下大須村、板所村、板屋村、口谷村、奥谷村が合併、本巣郡東根尾村が発足。

 長嶺村、市場村、神所村、中村、越卒村、門脇村、天神堂村、長島村、黒津村、越波村が合併、本巣郡中根尾村が発足。

宇津志村、高尾村、水鳥村、松田村、大井村、大河原村、能郷村が合併、本巣郡西根尾村が発足。

1904年、東根尾村、中根尾村、西根尾村が合併、本巣郡根尾村が発足。

2004年、本巣郡本巣町、真正町、糸貫町と合併、本巣市となりました。

マンホールには、中央に「NEO」の文字、上下に樹齢1500年以上とされる「淡墨桜」と「菊花石」が描かれています。

昭和53年6月20日制定の村章は「基本的に「根」を中心にし、無限を表すために木(きへん)を左右の翼で力強く表し、未来の雄和を象徴して丸く図案化したもの」旧公式HPより

可愛い桜の妖精は、根尾村のキャラクター『ねおまる』との情報を頂きました。ひも爺さま、有難うございます🙏

撮影日:2012年5月21日

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ご当地マンホール in 岐阜県本巣市・旧本巣町

2020年05月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

本巣市(もとすし)は岐阜県の南西部に位置する市です。2004年2月1日に本巣町・真正町・糸貫町・根尾村が合併して発足。東は岐阜市、関市、山県市に、南は瑞穂市、本巣郡北方町、西は揖斐郡揖斐川町・大野町、に。また県を跨いで北は福井県大野市に隣接。市名は、旧町村が属していた本巣郡からとられました。市の西端を北部の山岳地帯からの大小河川のほとんどを合流する根尾川が南へ貫流。この河川を灌漑用水として利用し、南部の肥沃な耕地から各種の農産物を豊富に生産しています。「市の木:柿」「市の花:薄墨桜」「市の鳥:ウグイス」「市の魚:鮎」を制定。

キャッチフレーズは「自然と人が共生し、快適でこころふれあうまち」

2004年5月15日制定の市章は「外側の円は本巣市の「も」を図案化し、4つの小さな円は本巣町、真正町、糸貫町、根尾村を意味し、全体図は、4つの町村の人・土地・文化・歴史を優しく包み込み「未来に羽ばたく姿」を表しています。また、緑色を使うことで「いつまでも鮮やかな新緑のように、いきいきと活力みなぎる市」も表現しています」公式HPより

本巣市マスコットキャラクター『もとまるくん』。元気で目立ちたがり屋の男の子。桜ヘアー と、おでこの富有柿がチャームポイントです。

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旧本巣郡本巣町(もとすちょう)は岐阜県の南西部、濃尾平野の北端に位置した町です。岐阜市、本巣郡根尾村・糸貫町、山県郡美山町・伊自良村、揖斐郡大野町・谷汲村に隣接。北部は標高700メートルほどの山地、南部は根尾川の扇状地に位置し、町の西の境を北から南に流れ平地に出る辺りから、糸貫川が東側に分流。本巣町の西の境は糸貫川となります。糸貫川は席田(むしろだ)用水ともいい、6月上旬にゲンジボタルが見られる場所として有名です。また安土桃山時代に『織田信長・豊臣秀吉』に仕えた、武将で茶人『古田織部』の出生地としても知られています。「町の木:細葉樫」「町の花:ササユリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、本巣郡文殊村・山口村・曽井中島村・外山村が発足。

1897年、山口村と曽井中島村が合併、本巣郡山添村が発足。

1950年、山添村と文殊村が合併、本巣郡本巣村が発足。

1956年、本巣村が外山村と合併。

1960年、本巣村が町制を施行、本巣郡本巣町となる。

2004年、本巣郡根尾村、糸貫町、真正町と合併、本巣市となりました。

マンホールには、「町の花・ササユリ」と「席田(むしろだ)用水に生息する源氏ボタル」蛍の光の中に「町章」が描かれています。

昭和40年9月1日制定の町章は「本巣町の「本」を図案化したものです。」

撮影日:2012年5月22日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧伊自良村(山県市)

2020年05月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧山県郡伊自良村(いじらむら)は木曽川水系の一級河川、伊自良川上流に位置した村です。岐阜市、山県郡美山町・高富町、本巣郡本巣町に隣接。美濃三十三観音霊場第9番札所の「東光寺」や、伊自良湖湖畔にある第十三番札所の「甘南美寺」などの旧跡を擁します。甘南美寺境内のエドヒガン桜は、幹回り3.3m樹高23m、樹齢は約350年といわれ、「甘南美寺のサクラ」として県指定天然物に指定されています。「村の木:ドウダン」「村の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、山県郡上願村・松尾村・掛村・平井村、・長滝村・藤倉村・大森村・小倉村・洞田村が発足。

1897年、上願村、松尾村、掛村、平井村、長滝村が合併、山県郡上伊自良村が発足。藤倉村、大森村、小倉村、洞田村が合併、山県郡下伊自良村が発足。

1955年、上伊自良村と下伊自良村が合併、山県郡伊自良村が発足。

2003年、山県郡美山町、高富町と合併、山県市となりました。

マンホールには、「元気モリモリ天湖森」のキャッチフレーズと、波紋に浮かぶ「ナッチョルくん」が描かれています。

昭和48年1月1日制定の村章は「カタカナで「イジラ」を図案化したものです。」

撮影日:2012年5月21日

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ご当地マンホール in 岐阜県旧高富町(山県市)

2020年05月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧山県郡高富町(たかとみちょう)は岐阜県南部、濃尾平野の周辺部に位置した町です。岐阜市、山県郡伊自良村・美山町、武儀郡武芸川町に隣接。室町時代から戦国時代にかけて権勢を誇った、美濃国の守護土岐氏の山城「大桑城跡」や、また四季折々の香木やハーブが咲き、香りを楽しむことができる「四国山香りの森公園」などが人気です。「町の花 :キキョウ」「町の木 :アカマツ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、山県郡高富村・富岡村・梅原村・桜尾村・大桑村が発足。

1897年、高富村が町制を施行、山県郡高富町(初代)となる。

1955年、高富町が富岡村、梅原村、桜尾村、大桑村と合併、高富町(2代)となる。

2003年、山県郡美山町・伊自良村と合併、山県市となりました。

マンホールには「町の花 :キキョウ」を中心に、周囲に「町の木 :アカマツ」が描かれています。

昭和47年5月16日制定の町章は「頭文字の「高」を鳩の形に図案化したものです。」

高富町の自治体名が書かれた仕切弁。いずれこうした蓋も使用期限を迎えて消えていくのかもしれません。

撮影日:2012年5月21日

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ご当地マンホール in 岐阜県山県市

2020年05月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

山県市(やまがたし)は岐阜県の南部、旧美濃国の中央西寄りに位置する市です。2003年4月1日、山県郡高富町、伊自良村、美山町が合併し誕生しました。市名は市制施行前の山県郡から。岐阜市、関市、本巣市に隣接。市域は山地丘陵部が多く、北端の日永岳(1,216m)を最高峰として枝状の山地と、長良川支流の武儀川、鳥羽川、伊自良川沿いの平たん地で構成され、約84%が森林で占められています。「市の木:栗」「市の花:キキョウ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と活力ある都市が調和した『安らかで快適な21世紀の住みよいまちづくり』」

マンホールには、「市章」「市の木:栗」「市の花:桔梗」。下に「水辺とホタル」が描かれています。

小型タイプには蛍が描かれていません。

2004年1月28日制定の市章は「山の字をモチーフに、豊かな自然と活力ある都市が調和して、21世紀の未来へ飛翔する市民を鳥にイメージして、安らかで快適な山県市を意気高らかに謳うたいあげています。青は未来へと続く澄みきった空・調和と発展・緑は豊かな自然・活力と創造。」公式ページより

山県市観光協会の観光大使『ナッチョルくん』は、「伊自良湖に現れる愛嬌たっぷりの柿の怪(快)獣だそうです。伊自良村が山県市になるず~~と前から生息していました😊

撮影日:2012年5月21日

(※)旧山県郡美山町は未訪問のため、マンホール画像は有りません。

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美並あちこちウォッチ in 岐阜県郡上市美並町

2020年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

 円空街道の途次で見かけた「基幹集落センター」の案内板。「ここは、大正3年に創立され昭和45年まで使われた「高山小学校」があった場所」とあります。「石造りの門や石垣」、『二宮金次郎』の像が、今も当時の歴史を伝えています。

川千谷の入り口、岩盤をくり抜いた祠に祀られる「鯖大師:石像」。大正十三年三月に建てられたと記されています。この頃に、郡上新四国八十八カ所の石仏作りが盛んになったとか・・お大師様の縁とあれば、ここはきちんとお参りせねば🙏🙏

【大坂や 八坂 坂なか鯖一つ  大師にくれて馬の腹痛 くれて腹止む】右手に鯖をぶら下げた大師さんのお顔、なんだか笑っているように見えて、つい釣られ笑い😊 日本昔話の題材にそのまま使えそうな「鯖大師の逸話」、全国各地に残されています。

「菊間御殿跡(高光屋敷跡)」の看板を発見したので、ちょっと寄り道。「屋敷跡は粥川右岸に位置したと云い、『藤原高光』の長子『高森』が、『粥川』と姓を改めてここに住み、その子孫が代々受け継いできたと伝えられます」・・多分この石橋の向こうに見える広い場所が、その屋敷跡でしょうね。

『藤原高光』と言えば「猿虎蛇」。で、その妖怪退治に一役買ったのが「粥川のウナギ」。高光橋の柵にはこんなに立派なウナギのレリーフがあります。何しろ神様のお使いとされる「粥川のウナギ」。地域の方にとっては大切な大切な存在なのです。

郡上市美並町三戸山の中に鎮座される「鹿島神社」。御祭神は『武甕槌命』。境内案内に「養老年間(717~724)泰澄大師創建四九社の一社と伝えられる。」と記されています。

本殿へ上がる石段途中から神域を守護される狛犬さん。残念ながら私が行けるのはそこまで。ご本殿へと続く石段はとても急で、ご亭主殿からストップがかかってしまいました😔

最後の美並町一押し名所は「日本人口重心地」・・・はて?「人口重心(じんこうじゅうしん)」とは何ぞや?という事でWikiさんにお伺い。簡単に言うと、その地域に住んでいる全ての人が同じ体重を持つと仮定して、その地域を支えることができる重心となる場所・・だそうで、別名「日本のヘソ」とも呼ばれます。

20世紀最後の「人口重心地の記念碑」が建つのは、美並町大原に鎮座される「子安神社」の境内。もちろん、きちんと参拝もさせていただきました🙏🙏。ちなみに訪問はしていませんが、美並町白山には、1995年国勢調査の人口重心を記念して建てられた「日本まん真ん中センター」なるものも存在するそうです。

訪問日:2012年5月21日

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