車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県明石市

2023年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

明石市(あかしし)は近畿地方の中部、兵庫県南部に位置する市です。東と北は神戸市に、西は加古川市、稲美町、播磨町に、また明石海峡を挟んで淡路市に隣接。市域は東西に長く、瀬戸内海(播磨灘)に面しており、古代から阪神と播磨を結ぶ陸上交通、本州から淡路島を経て四国に通じる海上交通の重要な拠点として発展してきました。古くは万葉歌人柿本人麻呂によって多くの歌が詠まれた風光明媚な地として、また源氏物語の舞台地にも登場。明治期の子午線基準を受けて、日本標準時を決める東経135度線が通る事から「子午線のまち」として知られています。「市の木:金木犀」「市の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「ひと まち ゆたかに育つ 未来安心都市・明石

明治22年(1889)、 町村制の施行により明石郡明石町・林崎村・大久保村・魚住村、加古郡二見村が発足。

1919年、明石郡明石町が市制を施行、明石市となる。

1927年、二見村が町制を施行、加古郡二見町となる。

1938年、大久保村が 町制を施行、明石郡大久保町となる。

1942年、明石市が明石郡林崎村を編入

1951年、明石郡大久保町・魚住村・加古郡二見町を編入、現在に至ります。

マンホールには「しごせんのまち」の文字と、日本地図上に東経135度子午線、「明石市立天文科学館」が描かれています。

明石市立天文科学館内展示マンホール

お土産用マンホールコースター

第二神明:明石SAスタンプ

明石公園内:電気マンホール。明石城と桜がデザインされています。

明石城

「さらばポイ捨て」啓発用デザインストリーマーマンホール

明治44年3月30日制定の市章は「「明」の字を図案化したもので明石町章として制定されたものを市制施行後に継承しました。」

「明石市立天文科学館」と「明石海峡大橋」がデザインされた消火栓。

「明石市立天文科学館」と「明石海峡大橋」がデザインされた空気弁

ヒマワリがデザインされたCCB角蓋

「サクラ」

「ウメ」

明石警察署・交通安全協会青年部会の「かもしれない運動」啓発キャラクター『かもねくん』 。絶対大丈夫はありません。もしかしたら・・かもしれない・・歩行者も運転者も常に細心の注意をはらいましょう。

あかし玉子焼きひろめ隊マスコットキャラクター『ひろめちゃん』。ダシをつけていただく明石の玉子焼き(たこ焼き)、数少ない私の好物です(笑)

撮影日:2008年8月17日&2009年9月22日

2010年5月8日&2018年8月13日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「明石市」のマンホールカードは、「明石市立天文科学館」でいただけます。

1987年に設置開始されたマンホールには「天文科学館」と「しごせんのまち」、「日本地図」がデザインされています。

「明石市は東経135度(日本標準時子午線)が通るまちで、子午線上には天文科学館が建てられています。 本市の下水道は1911年に事業が始まり、100年以上の歴史があります。 明石のシンボル・子午線と天文科学館を図案化したデザイン蓋は1987年に採用され、中央に描かれている「子午線が北を向く」ように設置されています。 ちなみに、天文科学館は本デザイン蓋が作られた後、兵庫県南部地震(1995年)で被害を受けて改築されたため、昔の面影を伝える役割は路上の蓋に託されました。 本カードを手にされた方は是非、蓋に描かれた天文科学館を現在の天文科学館と見比べ、その違いを感じてみてください。」

訪問日:2018年8月13日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県三田市

2023年11月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

三田市(さんだし)は兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置する市です。神戸市、宝塚市、三木市、加東市、丹波篠山市、猪名川町に隣接。市内の標高最高地点は峰山の697m、最低標高地点は116mであり、市内の北部や東部は「有馬富士」を始め、兵庫50山に数えられる名山が連なっています。市名の由来は、旧:三田市史に「金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内に記された恩田・悲田・敬田の『三福田』に由来する」という説があります。「市の木:赤松」「市の花:サツキ」を制定。

1980年代からの大規模住宅団地の開発と、JR福知山線の複線電化の利便性向上により大阪・神戸の衛星都市として急激な発展を遂げ、農村と都市の二つの顔を併せ持つ田園都市として親しまれています。

キャッチフレーズは「明日(あした)の風がみえるまち 三田」

明治22年(1889)、町村制の施行により、有馬郡三田町・貴志村・中野村・三輪村・広野村・小野村・高平村・藍村・本庄村が発足。同、川辺郡高平村が発足。

1896年、郡制の施行のため、川辺郡から有馬郡に移る。

1927年、三輪村が町制を施行、有馬郡三輪町となる。

1943年、有馬郡三田町が、貴志村下深田・上深田・池尻・貴志を編入。それ以外の地域が中野村と合併し、広野村が発足。

1956年、有馬郡藍村・本庄村が合併して相野町となる。 

1956年、有馬郡三田町が三輪町・広野村・小野村・高平村と合併、改めて三田町が発足。

1957年、有馬郡三田町が相野町を編入。

1958年、有馬郡三田町が市制を施行、三田市となる。

マンホールには市のマスコット「キッピー」と、「市の花:サツキ」が描かれています。(三田駅&ウッディタウン付近に設置)

小型マンホールには、市のマスコット「キッピー」が描かれています。

三田市ウッディタウンのマンホールには、「C」の中に小さな木、中央に大きく「CENTURY MALL」と「WODDYTOWN」の文字がデザインされています。同じデザインですが、それぞれ下に「S」と「R」の文字があります。

中央に大きく「ホルン」、下に「CENTURY MALL」の文字がデザインされています。

ジャグリングをする三人の人のシルエット。 周りに「CENTURY MALL」の文字がデザインされています。

中央に「CENTURY MALL」の文字、周囲に三本の木がデザインされています。それぞれ下に「S」と「R」の文字があります。

上に「WODDY TOWN」、下に「CENTURY MALL」の文字。間にクロスした三角旗がデザインされています。

中央に大きく一本の木、下に「CENTURY MALL」の文字がデザインされた「散水栓」。

「CENTURY MALL」と書かれた大きな木。下に「センチュリーモール造形環境計画のご案内」が記載されています。

ウッディタウンは、北摂三田ニュータウンで2番目に開発が進められた地域です。開発面積はニュータウン最大で、昭和62年(1987)に街開きしました。センチュリーモール入り口のモニュメント、中々お洒落なデザインです。

昭和33年7月1日制定の市章は「三田の「サ」の字を図案化、融和と団結で新しい都市づくりに邁進する意味を持ちます。昭和31年12月7日に三田町章として制定されたものを市制施行時に市章としました。」公式HPより

仕切弁と空気弁には「市の花:サツキ」がデザインされています。

消火栓には、「市の花:サツキ」と消防車がデザインされています。

中央に市章、青空に虹と雲と気球。美しい田園地帯の上を飛ぶ女の子がデザインされた「CCB 道路用」の角蓋。

上記と同じデザインで「CCB 通信」の丸蓋。

三田駅前にあった「市の花:サツキ」がデザインされた角蓋。「道路」の文字があるので、電線共同溝(CCB)と思われます。

マンホールのデザインにも使われているマスコットキャラクター『キッピー』。名前は、キジの「キ」と緑の「木」、幸せを意味する「ハッピー」が一体になったもの。何と 2011年11月20日「三田市家族の日」にガールフレンドの『ハッピー』と結婚したそうです(^^;)

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県播磨町

2023年11月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加古郡播磨町(はりまちょう)は兵庫県の南、播磨地区南東部に位置する町です。加古川市、明石市に隣接。兵庫県下では最小の面積ですが、人口密度は全国でも有数の高さで知られ、また、町の面積の3割が海を埋め立てた人工島であり、そこでは一般機械器具製造、化学工業を中心とする約60数社が操業、その製造出荷額は県下でも上位にランクされています。大中地区には、弥生時代後期から古墳時代にかけて、当時としては兵庫県下最大の集落が形成されていた事が解明されています。町名は、旧国名である播磨国から命名。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「まちが いきいき きらめくはりま ~未来につなげる みんなのまちづくり~」

明治22年(1889)、町村制の施行により加古郡阿閇村(あえむら)が発足。

1962年、阿閇村が町制を施行、改名して加古郡播磨町となりました。

マンホールには、「オークランド号」を背景に、「新聞を手にするジョセフ・ヒコ」がデザインされています。

播磨町郷土資料館:展示マンホール

従来からのマンホールには、「大中遺跡」と「町の花:菊」がデザインされています。(個人的にはこのマンホールの方が断然良い!)

復元「大仲遺跡」

昭和37年4月1日制定の町章は「播磨町の「ハリマ」の文字を図案化したもの。下側の部分は港を表現し、港を中心に末永く栄えるようにとの願いを込めている。」公式HPより

消火栓

仕切弁

空気弁

浄水場の文字

播磨町郷土資料館キャラクター『いせきくん』『やよいちゃん』。大中遺跡の弥生時代の子どもたちをイメージして誕生しました。

広島県江田島市の越境蓋

撮影日:2008年5月2日&2019年8月12日

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2019年8月7日、第10弾として全国61自治体で61種類(累計455自治体539種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「播磨町」のマンホールカードは、「播磨町郷土資料館」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「オークランド号」と「ジョセフ・ヒコ」がデザインされています。

「本マンホール蓋は、播磨町出身の偉人である「ジョセフ・ヒコ」が日本初の新聞を発行してから150周年を記念して、2014年に募集したイラストをもとにデザインしたものです。 ヒコは幼少の頃に、乗っていた船が難破し漂流しているところをアメリカの商船オークランド号に救助されました。渡米したヒコは、リンカーン大統領と会う機会を得て民主主義に強く共感し、米国市民権を得た初めての日本人としても知られています。外国の実情を日本に伝えたいとの強い思いから発刊した「海外新聞」は、今日の新聞の土台を築いたものとして高く評価されており、「新聞の父」と称され親しまれています。」

訪問日:2019年8月12日

 

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ご当地マンホール とマンホールカードin 兵庫県市川町

2023年11月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

神崎郡市川町は兵庫県中央部に位置するハート型をした町です。姫路市、加西市、福崎町、神河町、多可町に隣接。町の中央部を市川が流れ、町の北東部には標高939mの「笠形山」がそびえ、別名「播磨富士」とも呼ばれる美しい稜線を描いています。産業としてゴルフクラブの製造が盛んで、特にアイアンヘッドは刀鍛冶の技術を応用した製造方法が用いられており、「国産ゴルフクラブ発祥の地」として知られています。「町の木:樫」「町の花:ヒマワリ」を制定。

キャッチフレーズは「きらめくまちへ・市川再発見」

明治22年(1889)、町村制の施行により、神東郡川辺村・瀬加(せか)村、神西郡甘地(あまじ)村・鶴居村が発足。

1896年、 郡制の施行のため、神東郡・神西郡の区域をもって神崎郡となる。

1955年、川辺村・瀬加村・甘地村・鶴居村が合併、神崎郡市川町が発足。

マンホールには市川の清流を背景に「町の花:ヒマワリ」が大きく一輪デザインされています。

昭和39年7月2日制定の町章は「「市」と「川」を図案化し、市は矢を表して飛躍を、川は丸く大和を象徴している。」公式HPより

ヒマワリの花をモチーフに誕生した、市川町イメージキャラクター『ひまりん』。温泉とゴルフと食べ歩きが趣味で、夢はハリウッドスター。

撮影日:2018年12月14日

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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「市川町」のマンホールカードは、「市川町役場下水道課(土日、祝日は当直室)」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「市川の流れ」と「町の花:ひまわり」がデザインされています。

「市川町の町花はひまわりです。 元気で明るいイメージのひまわりを中央に配し、背景には、清流市川の流れをイメージして3本の線で「市」を図案化して制作したマンホール蓋です。 夏になると町のあちこちで、ひまわりが元気に咲いています。 町のあるところには、かわいく色づけされたマンホールがありますので市川町にお越しの際には、ぜひ探索をされてはいかがでしょう。 市川町は、兵庫県のほぼ中央に位置するハート型をしたまちです。 町の中央部を清流市川がとうとうと流れ、豊かな山の緑から生まれる澄んだ空気とあふれる優しさでみなさなもお越しを心よりお待ちしています。」

配布時に頂いたパンフレットとマンホールマグネット

訪問日:2018年12月14日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県稲美町

2023年11月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

加古郡稲美町(いなみちょう)は兵庫県の中南部、県南部の加古川と明石川に挟まれた印南野台地に位置します。神戸市、明石市、加古川市、三木市に隣接。播磨国風土記では「入波(いりなみ)」、万葉集では「稲日・稲見」と呼ばれ、「印南(いなみの)」は古くからの歌枕として知られています。また、日本国内に約21万箇所のため池が現存する中で5万箇所弱を擁している事から、「稲美のため池群」として文化的景観に選定されました。「町の木:もちの木」「町の花:コスモス」を制定。

キャッチフレーズは「水と緑 風薫る 万葉のまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、加古郡加古新村・母里村・天満村が発足。

1948年、加古新村が改称し、加古郡加古村となる。

1955年、加古村、母里村、天満村が合併、加古郡稲美町が発足。

マンホールには、町章を中心に「町の花:コスモス」がデザインされています。

集落排水マンホール

昭和31年4月1日制定の町章は「稲美町の「い」を図案化し、「鍬」と「鎌」を表わし、また中央部を「稲の籾」を意味するもので本町の和と発展を象徴している。」公式HPより

稲美町イメージキャラクター『いなっち』は、町の特産品である「米」をイメージし、額には町花の「コスモス」、足元にはため池を配しています。

撮影日:2010年8月12日&2019年8月12日

 

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山崎の町歩き in 兵庫県宍粟市山崎町

2023年11月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

古来から山崎藩の城下町(のち陣屋町)、因幡街道を介した山陽と山陰の結節点、揖保川水運の中心として栄えてきた山崎町。町を歩けばそこかしこに、往時の繁栄を伺わせるモノに出会えます。

佇まいの美しさに惹かれて訊ねたのは、創業天保八年創業の「山陽盃酒造」。養父市大屋町の明延鉱山坑道内に、関西で唯一の鉱山貯蔵庫「明壽蔵(めいじゅぐら)」を持つ酒蔵だそうで、日本酒大好きのご亭主殿は興味津々。

代表の銘柄は太鼓暖簾にも染め抜かれた「播州一献」。超辛口のお酒という事で、ご亭主殿はもう買う気満々。「荷物になるから帰りにね」と言い聞かせて(笑)、やっとその場を離れる事が出来ました。

兵庫県指定文化財(天然記念物)「大歳(ださい)神社」の「千年藤」のタイルプレート。花の季節は圧巻だそうです。

山崎藩の城下町として栄えた市街ですが、往時の面影を伝えるものはごく僅かしか残されていません。いかにもな趣のこの場所も、復元された虎口石垣。

こちらの建物は宍粟市指定有形文化財の「山崎藩陣屋門」。別名「紙屋門」とも呼ばれ、東二の丸から本丸に通じる正面玄関前に位置する唯一の現存遺構。

門を入って真っ直ぐ、本多公園内に建立されていた「史跡 鹿澤城本丸跡」の碑。

碑の後方に見える建物は「山崎歴史民俗資料館」

建物は、明治22年(1889)に建てられた龍野治安裁判所山崎出張所で、その後一時期法務局の庁舎として利用されていたものを移築復元。

「山崎歴史郷土館」には、山崎町内から発掘された土器や石器などの考古資料や、江戸時代の山崎藩に関連した資料などが展示されています。

展示内容は多岐にわたっており、非常に珍しい者や興味深いものも多く、こちらに関しては予定外だったのですが、かなりの時間を費やしました。

大好きな(笑)留め蓋瓦の獅子もいます。

こちらの御仁は江戸前期の儒学者・神道家・思想家『 山崎闇斎先生』「崎門学(きもんがく)」の創始者として、また、神道の一派である「垂加神道(すいかしんとう)」の創始者として知られる人物です。

宍粟市山崎町西鹿沢に鎮座される「闇斎(あんさい )神社」。御祭神は『 山崎闇斎』

昭和15年に京都下御霊神社の「垂加霊社」から分霊。

そう、先ほど歴史郷土館で遭遇した「山崎闇斎先生」を奉る神社なのです。ここ山崎の地は、彼の祖父の出身地だそうですが、そのご縁での創建でしょうかね。。

「山崎闇斎先生祖孝之碑」

この後、山陽盃酒造に立ち寄って「播州一献」お買い上げ。ついでに量り売りの酒粕も購入で、御亭主殿、物凄く上機嫌(笑)

訪問日:2014年12月6日

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一口メモ

「垂加神道(すいかしんとうorしでますしんとう)」。江戸時代前期に山崎闇斎が提唱した儒家神道のひとつ。天照大御神に対する信仰をその子孫である天皇が統治する道を神道であると定義づけ、人間の「敬(正直)」を最も大切な徳分とし、敬を全うすれば天地と合一できる「天人唯一の理」を唱えた。

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山崎八幡神社 in 兵庫県宍粟市山崎町

2023年11月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

宍粟市山崎町門前に鎮座される「山崎八幡神社」。御祭神は『応神天皇皇』。配祀神『仲哀天皇・神功皇后』

由緒「創立年代不詳。元柏野庄篠丸山麓に鎮座せり。 大同2年(807)、柏尾村(加生)村民殿宇字狭小なるを恐み同村に遷祀せり棟札を蔵す。 応仁元年(1467)柏尾村全村民同夜同様の霊夢により現在地に遷祀せり。」兵庫神社庁HPより

参道を進んだ先に、比較的規模の大きい隋神門が見えてきました。

随身門の内より神域を守護される左右の随神様。「門守神(かどもりのかみ)・看督長(かどのおさ)」。また「矢大神・左大神」とも称されます。

なだらかな参道を進んだ先に、明るい日差しを一杯に浴びた拝殿。拝殿前には神域を守護される狛犬一対。

社殿向かって右手には、玉垣に守られてに高くそびえる樹齢700年のご神木「モッコク(兵庫県指定文化財:天然記念物)」。社伝に「本樹は応仁元年当社鎮座以来約500年間神木として保存された」と記されています。 

境内社「本多神社」。本多忠勝公を『映世霊神』とし、次男の忠朝公、叔父の忠真公を御祭神とします。元は山崎陣屋内にありましたが、山崎八幡宮の敷地内に還坐。同じ社内に祀られる「白鳩宮」。鳩は八幡神の神使いとされています。

社の前より神域を守護されるのは石の角を中心に顔立ちが造形された狛犬さん一対。見た目からするとそんなに古い年代ではないようですが、顔の感じがハリウッドの某大作に登場する宇宙人っぽくて可愛い(笑)。

「境内社:天照皇大神宮

社の前にて神域を守護されるのは阿吽でかなり印象の異なる狛犬さん一対。阿形さんは狛犬というよりも狛虎と言った方がしっくりくる顔立ち。基本的にこの一対、大いに気に入りました(笑)

拝殿内は大好きな絵馬の宝庫(⌒∇⌒)。 題材は八幡神社の御祭神に因んだ有名な一場面生まれたばかりの応神天皇を抱く武内宿禰と、それを見守る武者姿の神功皇后。

愛馬と共に海中に乗り入れる若武者、腰の箙(えびら)には十数本の矢・・と来ると「那須与一」くらいしか思いつきません(^^;)

月毛の馬に乗った武者が、床几の信玄に三太刀切りつけ、信玄は床几から立ち上がるとこれを軍配で受け止め・・、川中島の戦いでもっとも有名な場面。

黒馬を駆る红衣の武人。古代中国の逸話から採られた題材だと思いますが詳細は不明。かすかに奉納年代に「天保」の文字が見えます。

「不佛・・・」の文字が読み取れますが、題材は不明。

拝殿の前に建立されていた「教育勅語」の碑。明治23年(1890)に発表された明治天皇の御言葉(勅語)で、日本の道徳教育の根幹となった言葉が述べられています。で・・・頭のねじが左に曲がりすぎた人たちには、この内容が戦争賛美に読めるとか、何とも不思議な事です(笑)

境内の一画に「山崎消防組記念碑」、同じく向かって右手には『内務官僚:清野長太郎』氏揮毫による「山崎消防組記念碑」

「山崎消防組記念碑」「まといの碑」

参拝日:2014年12月6日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧山崎町(宍粟市)

2023年11月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧宍粟郡山崎町(やまさきちょう)は兵庫県中西部に位置した町です。千種町、波賀町、一宮町、安富町、新宮町、三日月町、南光町に隣接。古来から因幡街道を介した山陽と山陰の結節点として発展し、江戸時代には本多家山崎藩1万石の城下町として栄えてきました。また元和7年(1621)には、龍野屋孫兵衛による揖保川水運の開発で高瀬舟の就航が可能となり、郡内の物資の集積地としてより一層の発展が推進されました。「町の木:桧」「町の花:さつき」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、宍粟郡山崎町・菅野村・城下村・戸原村・河東村・蔦沢村・神野村・土万(ひじま)村が発足。

1939年、菅野村奥小屋地区が揖保郡西栗栖村に編入。

1954年、宍粟郡山崎町が菅野村を編入。

1955年、宍粟郡山崎町が城下村・戸原村・河東村・蔦沢村・神野村・土万村と合併、改めて山崎町が発足。

2005年、宍粟郡一宮町・千種町・波賀町と合併、宍粟市山崎町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:サツキ」と「揖保川の鮎」がデザインされています。

「町の花:サツキ」と「揖保川の鮎」がデザインされた仕切弁

「町の花:サツキ」と「揖保川の鮎」がデザインされた消火栓

「町の花:さつき」のモニュメント

昭和30年(1955)10月1日制定の町章は「「山崎」の「山」を丸く表したもの」

山崎管の文字があるプラ汚水枡

撮影日:2009年5月3日&2014年12月6日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧波賀町&旧千種町(宍粟市)

2023年11月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧宍粟郡波賀町(はがちょう)は兵庫県中西部に位置した町です。養父市、山崎町、一宮町、千種町、また県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。「波賀」の地名は、西谷村に位置する波賀城およびこの地域一帯の旧里名に由来。豊かな自然に囲まれた町域には日本の滝百選の「原不動滝」や、カエデ・ブナなどの原生林、樹齢200年以上の天然杉などが残された「音水渓谷」があり、ハイカーや自然愛好家に人気のスポットとなっています。「町の木:楓」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、宍粟郡西谷村・奥谷村が発足。

1956年、宍粟郡西谷村・奥谷村が合併、宍粟郡波賀町が発足。

2005年、宍粟郡一宮町・千種町・山崎町と合併。宍粟市波賀町となりました。

マンホールには周囲に「町の木:カエデ」。内側上下に「町の花:菊」と「引原川の鮎」がデザインされています。(画像提供:義姉)

 昭和34年9月1日制定の町章は「「波賀」を図案化したもの」

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宍粟郡千種町(ちくさちょう)は兵庫県中西部に位置した町です。山崎町、波賀町、佐用町、南光町、また県を跨いで岡山県美作市、西粟倉村、鳥取県若桜町に隣接。「播磨国風土記」に、古くは神々が腰を下ろす場を意味する「敷草村」と呼ばれ、また古来より千種鉄の生産地として発展し、古くから千種鉄(宍粟鉄)の産地として発展してきました。千種鉄は上質なことで名をはせており、今も町域にはたたら製鉄所跡が残されています。「町の木:杉」「町の花:ドウダンツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、宍粟郡千種村が発足。

1960年、千種村が町制を施行、宍粟郡千種町となる。

昭和39年1月1日制定の 町章は「全体で千種の「千」を表わし、下部の円形は町民の融和と協調性を表現し、上部の翼で町の飛躍発展を象徴しています。」旧公式HPより

(画像提供:義姉)

 

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ご当地マンホール in 兵庫県宍粟市&旧一宮町

2023年11月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

宍粟市(しそうし)は兵庫県の中西部、神戸市から約100km、姫路市から約30kmに位置する市です。2005年4月1日に、宍粟郡山崎町、一宮町、波賀町、千種町が合併して誕生しました。養父市、朝来市、たつの市、姫路市、神河町、佐用町、また県を跨いで西は岡山県美作市、西粟倉村、北は鳥取県若桜町に隣接。市域の大部分が山地である事から「宍粟50名山」を指定。県内最高峰:氷ノ山、第二峰:三室山、第三峰:後山を擁し、「しそう森林王国」を謳い、森林セラピー基地にも認定されています。「市の木:ブナ」「市の花:笹百合」を制定。

キャッチフレーズは「人と自然が輝き みんなで創る 夢のまち」

2005年4月1日制定の市章は「宍粟市の頭文字「宍」を図案化し、播磨の豊かな緑に包まれて、明るく輝き、元気に育っていく子どもの姿をイメージし、人と自然がともに響き合いながら発展していく新市の様子を表現しています。」公式HPより

宍粟市キャラクター『しーたん』は、宍粟の豊かな森林(もり)に住んでいる「ささゆり」の帽子をかぶった女の子です。

訪問日:2014年12月6日

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旧宍粟郡一宮町(いちのみやちょう)は兵庫県中西部、西播磨を南流する揖保川上流に位置し、宍粟郡の最も山深い地域にあった町です。養父市、安富町、朝来町、生野町、大河内町、夢前町に隣接。町名は播磨国一宮・伊和神社に由来します。「町の木:杉」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により宍粟郡神戸村・染河内村・下三方村・三方村・繁盛村(はんせむら)が発足。

1956年、神戸村・染河内村・下三方村が合併、宍粟郡一宮町が発足。

1956年、宍粟郡三方村・繁盛村と合併、改めて一宮町が発足。

マンホールには町章を中心に「町の木:スギ」「町の花:キク」、横山神社に奉納される「チャンチャコ踊り(神子踊り)」「福地渓谷」がデザインされています。(画像提供:義姉)

昭和41年9月4日制定の町章は「「一宮」を図案化したもの」

淡路市旧一宮町にあった宍粟市旧一宮町の越境蓋

 

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