車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう) in 交野市星田

2022年12月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

交野市には星にまつわる地名や伝説が多く、たとえば市街地の中心部を流れる天野川などはその代表とも言えます。「稲作が始まった頃に、この地を讃えてあまの(甘野)といい、川水を甘野川と言った事を由来とし、それを平安時代、交野が原へ遊猟に訪れた宮廷人が、歌合わせの際に夜の大空に星の連なる「天の川」になぞらえた事から、この名が定着したと伝える」と、市の公式HPには紹介されています。
天野川と織姫・彦星の物語、八丁三所の降星の伝説、今回は星にまつわる寺社の一つを訪ねてみました。

交野市星田に鎮座される「小松神社」、別名を「星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)」と称します。御祭神は別天津神・造化三神の『天之御中主大神・高皇産霊(たかみむすひ)大神・神皇産霊(かんみむすひ)大神』。仏教界では『北辰(ほくしん)妙見大菩薩』、陰陽道では『太上神仙鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)』と称されます。

社頭の説明を簡単にはしょると「当霊山は平安時代の弘仁年間(810~824)に弘法大師空海上人が私市の獅子窟寺で修法をされた時、天上より七曜の星(北斗七星)が降星し三ケ所に落ちました。星田妙見宮はその内の一つを御神体として祀る、生駒山系に残る数少ない岩座信仰の霊場です。」

鳥居の傍らには『祥苑』の揮毫で、万葉歌人として名高い『大伴家持』の歌碑。
【 織女(たなばた)し 船乗りすらし まそ鏡 清き月夜(つくよ)に 雲立ち渡る 】

ー旅の中、馬の手綱を取り、夕日に包まれた花と言うものはーと題した『如願法師(藤原秀能)』歌碑。

 【 名付く日 暮るる 交野の 桜狩り 花に宿借る 天の川風 】

星田妙見宮 境内図・・はてさて二度目の挑戦となった今回、本宮まで行き着けるだろうか(^^;)

うっそうと茂る木立の参道を歩いていると、木漏れ日がちらちらと降り注ぎ呼吸する息さえも磨かれてゆく感覚は前回と変わりません。

前は鳥居の前で拝礼をして回れ右でしたが、今回はご亭主殿が率先して石段を登り始めたので、根性無しの私も覚悟を決めて後を追います。

境内、石段参道の処々に祀られる七星如意輪観音菩薩像。こちらは表参道石段の最初に出会う『貪狼星(とんろうしょう)』、子年生まれの方の本命星とされています。

軽く眩暈のしそうな石段ですが、今の御亭主殿を一人で行かせるくらいなら、眩暈の一つや二つ(^^;) でも・・・以前なら絶対に手を引いてくれたのに・・。ふっとそんな事を思い出してしまう私、まだまだ修行が足りませんね。

神門形式の絵馬堂まで来ました。医師からきつい運動は避けて下さいと止められているご亭主殿。もうここまでで充分と言う私に「ここまで来たのだから」と思いつめたような口調で答え、更に石段を登って行きます。

神門の先、左手に祀られる「烏枢沙摩(うすさま)明王」。密教守護の神。烈火をもって不浄を浄化する明王として知られており、俗にトイレの神様としても有名です。

社務所の先、拝殿石段下の左右より神域を守護されるのは、何とも不思議な雰囲気を漂わせる陶器製の狛犬さん一対。備前でもなく信楽でもない・・この地独自の焼き物だとしたら、もしかして他にもどこかに存在しているのだろうか?? 久々に狛犬の撮影を喜ぶご亭主殿・・来てよかった・・・。

阿形の狛犬さんの足元から下に続く道を入った先に祀られる「青龍社」。御祭神は『青龍大明神』。四神(四獣)の一つで東方の守護をされます。

この先にも「稲荷社」が祀られているようでしたが、帰路の事を考えて自粛。

やっと拝殿です。何というか・・・2015年9月29日の最初の参拝から実に六年余の歳月が流れていた事に、改めてショックにも似た軽い驚きを感じずにはいられません。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、出雲構えの狛犬さん一対。まさかこのような場所で来待石の出雲構えに出会えるとは予想もしていませんでした。この姿勢に紅白の前垂れは、いささか場違いにも見えます(^^;)

拝殿の後方に鎮座されるのは妙見山の御神体「織女石(たなばたせき)」。御神体の間に建つ結界の手前に二枚の駒札は妙見の祠 妙見にあり、土人(土着の人)織女石と呼ぶー河内名所図会より」「谷の奥に、星の森あり。星の社あり。その神は牽牛織女なりー南遊紀行より」

どのような思いで本殿までの参拝を強行したのか・・後で本人に聞いても「どうしても行こうと思ったから」としか答えてくれませんでした。きっと言葉にできない沢山のものを抱えて、ここまで登ったのだろうと思います。

拝殿の向かって左手に並んで鎮座される「鎮宅社」。御祭神は『太上神仙鎮宅霊符神』。道教の北辰、北斗を神格化したものとされます。

「三宝荒神社」御祭神は『三宝荒神』。三法( 仏、法、僧)を守る守護神であり、屋敷、竈の神様として知られます。

拝殿より望む、交野市街・・こんな上まで来たんだ・・

無事に参拝を終え、神門まで帰ってきました。御亭主殿が写してくれた記念の一枚・・これから先の人生にも、少しずつ、本当に一歩ずつ、こんな風に思い出が積み上げられてゆきますように(願)

石段参道を下りきった後は、隕石が落下した地と伝えられる「登龍の滝」へ。滝とありますがそれらしい水音も聞こえず、随分と静かです。

今はすっかり枯れてしまい、定期的に上の水路からわずかに水が落ちるだけとなった「登龍の滝」。中央の滝壺が隕石の落下地点と伝えられているのですが、正面から見る岩壁の印象がまるで登り龍の姿に見えたのは・・そう、多分気のせいでしょう。傍らには「不動明王(大日如来の化身)」が祀られています。

「登龍の滝」の入り口近くに祀られる「竜王社」。御祭神は『豊玉龍王・豊正龍王』

親子杉参道

「親子杉」に願いをかければ、神はこの親子杉に降りてきて願いを聞いてくれると伝えられています。それは親子の事でなくても良いのでしょうか!!

御本殿への鳥居と向かい合うように建立される境内社。

『延命地蔵』・『祖霊社』・『庚申社』

本殿石段参道向かって左手に鎮座される「下社稲荷社」。御祭神は『倉稲魂大神』

前回に見つけて感動した案内「交野が原と余呉湖の羽衣伝説。そして交野七夕伝説へ。「ひとり仙女あり。この渓水に浴し逍する所、少年の戯れにその衣を密す。ゆえに帰る事能ず。遂に夫婦となりて後三年を経て飛び去る。ゆえに天川と号す。」「織姫子孫、河内天の川にあり」『藤原顕昭』の著書「袖中抄(しゅうちゅうしょう)」は、余呉海と題して七夕伝説を詠い、斯く結んでいる。」 余呉の羽衣伝説と、交野の天の川伝説がこんな所で繋がっているなんて・・・ なんだろうこの不思議な感じ。

そうそう、駐車場を出る時、道を間違えて公園内に入り込んだのですが、そこでこんな看板を見つけました。最近ネットで知った交野の新迷所「伝 家康ひそみの藪」

まるで頑張ったご褒美みたいだと笑って喜ぶ私に、ご亭主殿もちょっと嬉しそう。

参拝日:2015年9月29日&2021年11月24日

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御祭神一口メモ

『造化(ぞうか)三神』、天地開闢の際、高天原に「独神(夫婦神ではなく単独でなった神)」として出現した三柱の神。

『別天津神(ことあまつかみ)』国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時、二柱の「独神」が出現。造化三神とあわせ五柱の神を、特別な存在としてこう呼ぶ。

コメント (2)
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