車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 高知県宿毛市

2020年08月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

宿毛市(すくもし)は四国の最南端、高知県の南西部に位置する市です。土佐清水市、四万十市、幡多郡大月町・三原村に。また県を跨いで愛媛県宇和島市、南宇和郡愛南町に隣接。市域は全般的に山岳・丘陵地帯で構成され、篠山を主峰とした全域の約84%が森林地帯。 その間を松田川が宿毛湾に向かって流れます。高知県唯一の有人離島沖の島、鵜来(うぐる)島は日本有数の磯釣りのメッカとして多くの釣り客を魅了。冬には、気象条件が整えば、夕日が宿毛湾に沈むときにダルマのように見える「ダルマ夕日」を見ることが出来ます。「市の木:クスノキ」「市の花:寒蘭」「市の鳥:メジロ」「市の魚:イシダイ」を制定。

キャッチフレーズは、「さくらの里 だるま夕日が見える街 人が輝き、自然がほほえむ元気都市“すくも”」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡宿毛村、小筑紫村、橋上村、平田村、山奈村、沖ノ島村が発足。

1899年、宿毛村が町制を施行、幡多郡宿毛町が発足。

1942年、宿毛町が幡多郡和田村を編入。

1950年、小筑紫村が町制を施行、幡多郡小筑紫町が発足。

1954年、 幡多郡宿毛町、小筑紫町、橋上村、平田村、山奈村、沖ノ島村が合併、市制を施行。宿毛市が発足。

マンホールには「キャッチフレーズ:さくらの里」にちなんで、全体に桜がデザインされています。

昭和36年制定の市章は、「片仮名の「ス」を図案化したもので、丸は市民の平和と円満なる発展を象徴し、下部の両翼は力強い安定感を意味する。」公式HPより

上水道関連の「仕切弁・空気弁・消火栓」にはそれぞれに市章と桜がデザインされています。

「道の駅・すくも」の駐車場の一角にあった「へんろ小屋」。試しに昇ってみましたが思ったよりも快適でした。「へんろ小屋」は、歩き遍路のための休憩・仮眠施設として作られたもの。その存在とそれらが維持されている事に、お遍路さんへの深い思いやりが感じられて、何だか嬉しくなりました。

撮影日:2013年3月24日

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高地県のご当地マンホールは「宿毛市」で終了。明日からは徳島県のマンホール・神社仏閣・名所に旧跡&迷所の紹介です。

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ご当地マンホール in 高知県大月町

2020年08月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

幡多郡大月町(おおつきちょう)は高知県の南西部に位置する町です。北は宿毛市、東は土佐清水市に隣接。西側は豊後水道・宿毛湾、南側は太平洋に面し、海岸部を中心に足摺宇和海国立公園に指定されています。「町の木:ウバメガシ」「町の花:はまゆう」「町の鳥:オオミズナギドリ」を制定。

キャッチフレーズは「人と自然がふれあう町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡大内町・月灘村が発足。

1957年、大内町・月灘村が合併、幡多郡大月町が発足。

町名は二つの自治体からそれぞれ一字を取って命名されました。

昭和32年(1957)11月3日制定の町章は「丸い部分は三日月であり 雨の夜も、風の夜も休むことなく大月を めざして太り やがては満月となって 世界の夜を 明るく 美しく照らす。 この月の部分を 大月町の大の字の横一とし、 中央の三角部分は左右にはねた部分として 全体で大月町の大の字を形成したものであり、 この町章の全姿は、平和の使者 鳩である。 今 大月町と共に 世界の大空に翔び立とう としている姿である。」公式HPより

幡多郡大月町は公共下水道未整備地区の為、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。自治体章が無くても、汎用蓋でも良いからと探しても、無い時は無いのです😭

バス停としても使用されている「おへんろ小屋」、大月の町名や月山神社にちなんで、月のイメージでデザインされています。

撮影日:2013年3月24日

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ご当地マンホール in 高知県檮原町

2020年08月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

高岡郡檮原町(ゆすはらちょう)は高知県の西部、四国山地の西端に位置する町です。高岡郡津野町・四万十町に。また県を跨いで愛媛県西予市、上浮穴郡久万高原町、北宇和郡鬼北町に隣接。町面積の91%を森林が占め、そのうち国有林は88ヘクタール。標高1455mにもなる雄大な四国カルストに抱かれた自然豊かな山間の小さな町です。四国カルスト高原は、全国的にも珍しい高位高原カルスト地形になっており、晴れた日には太平洋から瀬戸内海まで一望できます。延喜13年(913)、津野経高公がこの地に入り、開拓によって津野荘を築いて以来687年間津野氏の所領となり、地域の政治、文化の中心地として発展。慶長5年(1600)に山内氏の所領となり、梼原6ケ村東津野3ケ村をあわせ「津野山郷」と称してきました。

キャッチフレーズは「雲の上の町、ゆすはら」

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡西津野村が発足。

1912年、西津野村が改称、高岡郡檮原村が発足。

1966年、檮原村が町制を施行、高岡郡檮原町となりました。

マンホールには、1994年に町保護有形文化財に指定された「木造芝居小屋:ゆすはら座」が描かれています。

「ゆすはら座」

昭和41年11月3日制定の町章は「外円を開祖津野公山の家紋からとり、町民の和合と円満を、内側にローマ字の「Y」、三角で森林を現し、町の限りない未来への躍進をあらわしています。」公式HPより

撮影日:2013年3月26日

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この日は「雲の上のホテル」に併設された温泉に入り、ここで車中泊をさせて頂きました。 お仲間無しですが、特に淋しすぎると言う事もなく、風呂上りも手伝って良く眠れました。
唯一つ問題は、駐車場が傾斜地だったので、寝返りを打つと元の位置に戻れない😅 朝の支度を終えて、梼原の町に入って気がついたのですが、ご亭主殿のサンダルがありません。ステップに置いてあったので、多分ドアを開けたときに滑り落ちたのでしょう😣
車中泊では、各地のいろんな道の駅を利用させて頂きますが、初めてのビックリ体験でした。

それはさて置き、車で旅をする私たちにとってこの様な道の駅は本当に有難く大切な場所です。

改めてその折には有難うございました🙏🙏

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ご当地マンホール in 高知県土佐清水市

2020年08月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

土佐清水市(とさしみずし)は高知県南西部、四国本島の西部南端に位置する市です。宿毛市、四万十市、幡多郡大月町・三原村に隣接。市名は土佐の三名水の一つ「清水の名水」が山側の道路脇に湧き流れ落ちている事からと云われています。太平洋に突きだした「足摺宇和海国立公園」の中に属し、四国霊場八十八ヶ所三十八番札所:金剛福寺や足摺温泉郷、竜串海中公園などの見どころがあり、雄大な自然を生かした一次産業と観光産業が中心。また、高知と言えば「鰹のたたき」と言われるほど全国的に知られる「鰹のたたき発祥の地」ともいわれています。他に宗田節の製造や「清水さば」が有名。「市の木:アコウ」「市の花:ツバキ」「市の鳥:イソヒヨドリ」「市の魚:メジカ」を制定。

キャッチフレーズは「愛と自然に満ちた活力あるまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡清松村・上灘村・伊豆田村・三崎村・下川口町が発足。

1924年、清松村が清水村に改称。町制を施行、幡多郡清水町が発足。

1941年、清水町が幡多郡上灘村を編入。

1947年、三崎村が町制を施行、幡多郡三崎町が発足。

1950年、伊豆田村が町制を施行、改称し幡多郡下ノ加江町が発足。

1954年、清水町、下ノ加江町、三崎町、下川口町が合併、市制を施行し土佐清水市が発足。

一般的なマンホールは見つけられませんが、「市の花:椿」がデザインされた仕切弁がありました。

昭和30年(1955)1月25日制定の市章は「外周は(シ)、中央は(水)を、白抜きの部分と中の棒で(土)を表わしています。」公式HPより

土佐清水市公式キャラクター『宗田ぶっしー君』。「ソウダガツオ」を使った日本一美味しい「宗田節」を、その身を削りながらPRしています。

土佐清水市大岐濱林の防風林内に、「土佐清水市指定天然記念物・カカツガユ」の自生地があるという事で行ってみました。基本的に「天然記念物」と名のつくものにはとんと造詣の無い二人ですが、それでも近くを通った以上やっぱり気になるのですが・・そうか・・これって珍しいのか・・・😲

さらに、本当かどうか知りませんが、大岐の浜はサーファーたちの聖地と言われているらしいです。うす曇の肌寒い日、灰色の海に見える黒い丸の中の点、実は全部サーファーなんです。

撮影日:2013年3月24日

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ご当地マンホール in 高知県黒潮町・旧大方町

2020年08月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

幡多郡黒潮町(くろしおちょう)は高知県西南部に位置する町です。2006年3月20日、幡多郡佐賀町と大方町が合併して誕生しました。四万十市、高岡郡四万十町に隣接。美しい砂浜や磯が続く海岸線と緑豊かな山々が広がり、自然資源を活かした「ホエールウォッチング」「天日塩づくり」「カツオのタタキづくり」などの体験型観光と、土佐西南大規模公園を活用したスポーツツーリズムの推進により、県内外から多数の方が訪れています。また「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」をコンセプトに、4kmの砂浜を「美術館」に見立て、「美しい松原」や沖に見える「くじら」、流れ着く「漂流物」など全てを作品とした「砂浜美術館」があります。「町の木:黒松・オガタマ」「町の花:ユリ・ヤブツバキ」「町の鳥:しろちどり・メジロ」を制定。

キャッチフレーズは「人が元気 自然が元気 地域が元気」

2006年9月6日制定の町章は「黒潮町の「黒」の文字を図案化したものである。グリーンは緑の大地を、ブルーは太平洋(黒潮)を、レッドは太陽を表している。豊かな自然に恵まれ、力強く元気いっぱいに、明るい未来を目指すイメージを表現している。」公式HPより

町の沖合いには体長12mもあるニタリクジラが1年を通して暮らしているそうで、町内のいろんな場所で「クジラ」を見かけます😄

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旧幡多郡大方町(おおがたちょう)は高知県南西部に位置した町です。四万十市、幡多郡佐賀町・大正町に隣接。北部仏ヶ森を頂点に南西部に太平洋(土佐湾)を望む扇形の町で、大半が山林で、農地は10%弱。南国特有の温暖な気候を活かして、早くから施設園芸や花卉、葉たばこ、水稲を中心に栽培が行われてきました。また「獲る漁業から、作り育てる漁業へ」として沿岸沖合海域を中心とした漁場の再開発や稚魚の放流などを推進し、水産資源の確保に努めています。「町の木:黒松」「町の花:ユリ」「町の鳥:しろちどり」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡田ノ口村・入野村・七郷村・白田川村が発足。

1943年、田ノ口村、入野村、七郷村が合併、幡多郡大方村が発足。

1943年、大方村が町制を施行、幡多郡大方町(第1次)が発足。

1956年、白田川村と合併、幡多郡大方町(第2次)が発足。

2006年、幡多郡佐賀町と合併、幡多郡黒潮町となりました。

農集排のマンホールには、中央に蛇行する「蜷川」と、川にすむ生き物たちがデザインされています。

昭和40年(1965)10月1日制定の町章は「「大方」を図案化したものです。」

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旧幡多郡佐賀町(さがちょう)は高知県南西部に位置した町です。高岡郡窪川町、幡多郡大正町・大方町に隣接。町の中央部を伊与木川が流れその流れを右手に見ながら国道56号線を南下すると太平洋が姿を見せます。町の中心部には日本一の鰹の漁獲量を誇る佐賀漁港があり、主な産業として、鰹漁を中心とした漁業と、きのこの栽培を中心とした農業がおこなわれています。「町の木:オガタマ」「町の花:ヤブツバキ」「町の鳥:メジロ」を制定。

旧キャッチフレーズは「くじらに会える町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡佐賀村が発足。

1940年、佐賀村が町制を施行、幡多郡佐賀町が発足。

1957年、幡多郡大方町大字白浜を編入。

2006年、幡多郡大方町と合併、幡多郡黒潮町となりました。

昭和45年10月1日制定の町章は「「さが」を同時に組み合わせ、抽象し、図案化したものです。」合併協議会資料より

(※)旧幡多郡佐賀町のマンホールは、見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月24日

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この日は「道の駅・ビオスおおがた」に隣接する「入野松原:駐車場」で車中泊をさせて頂きました。閉店間際の道の駅:売店で売られていたお赤飯を辛うじて購入。松原の駐車場は予想以上に沢山のお仲間がいたお陰で、潮騒を子守歌代わりに眠ることが出来ました。

翌朝、開館時間まで待てなくて、ガラス越しに写したニタリクジラの骨格標本。生で見たかったな・・・

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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ご当地マンホール in 高知県旧中村市(四万十市)

2020年08月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

旧中村市(なかむらし)は高知県の西部に位置した市です。宿毛市、土佐清水市、幡多郡大正町・大方町・十和村・西土佐村・三原村に隣接。三方を山に囲まれ、南東を黒潮踊る太平洋に面した自然と、温暖な気候に恵まれた町です。市の中心部には日本最後の清流といわれる大河四万十川が流れ、市街地は四万十川と支流の後川にはさまれた形でひらけています。 また、四万十川をはじめとするゆたかな自然環境にも恵まれ、アカメ、クサマルハチに代表される貴重な動植物などが数多く生息。今から約500余年前、前関白一条教房公が応仁の乱をさけてこの地に下向し、京都を模したまちづくりを行ったことが今日の繁栄の基礎となっています。京都風のまちづくりの基本である碁盤目状の街並みや祇園神社・東山・鴨川などの地名に小京都としての名残があり「土佐の小京都」とも呼ばれています。「市の木:柳」「市の花:藤」「市の鳥:鮎」を制定。

1889年、町村制施行に伴い幡多郡中村が誕生。
1898年、町制を施行、改称して幡多郡中村町が発足。
1954年、中村町・下田町・東山村・蕨岡村・後川村・八束村・具同村・東中筋村・富山村・大川筋村・中筋村が合併し、中村市が発足。
2005年、幡多郡西土佐村と合併し、四万十市中村となりました。

マンホールには市章を中心に、「市の花:フジ」と「市の魚「アユ」がデザインされています。

昭和30年(1955)3月2日制定の市章は「中村の「中」の文字をデザイン化したもので、大鵬の飛び立つ様を表し、市政の発展を意味しています。」旧公式HPより

「制水辨」の旧漢字が使われた市名入りの制水弁。

撮影日:2013年3月23日

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旧幡多郡西土佐村(にしとさむら)は県西部の山間に位置した町です。南は高知県宿毛市、中村市、東は幡多郡十和村、 さらに北から西は県を跨いで愛媛県宇和島市、北宇和郡松野町・津島町に隣接。村の中央を四万十川が南流。平地は川の流域にわずかに見られる程度で、峡谷型の純農村。村の面積の91%を森林が占め、良質の木材を産する事で知られています。「村の木:ヒメシャラ」「村の花:ツツジ」「村の鳥:カワセミ」を制定。

旧キャッチフレーズは「星の郷 森の郷 川の郷 西土佐村へようこそ」

明治22年(1889)、町村制の施行により幡多郡江川崎村(えかわさきむら)・津大村(つだいそん)が発足。

1958年、 江川崎村、津大村が合併し、幡多郡西土佐村が発足。

2005年、中村市と合併、四万十市となりました。

昭和38年(1963)4月1日制定の村章は「「西(West)」・「と」を図案化したものです。」

(※)旧幡多郡西土佐村では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

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ご当地マンホール in 高知県四万十市

2020年08月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

四万十市(しまんとし)は高知県の西南部に位置する市です。2005年4月10日、中村市・幡多郡西土佐村が合併して発足しました。宿毛市、土佐清水市、高岡郡四万十町、幡多郡三原村・黒潮町に。さらに県を跨いで愛媛県宇和島市、北宇和郡松野町に隣接。豊富な山林資源と日本最後の清流四万十川、南東部は太平洋に面しており自然環境に恵まれています。「市の木:柳」「市の花:藤」「市の鳥:カワセミ」「市の魚:鮎」を制定。四万十川の鮎漁は、毎年5月から6月に解禁となり、10月から11月に一時「止め川」と呼ばれる禁漁期間になりますが、その後「落ちアユ」漁が1月末まで続けられます。漁法は、刺し網を利用する火振り漁、投網(トアミ)、ナゲアミ、地曳網、オトリガケ、シャビキ、シャクリガケ、ピンガケなど非常に多くあります。モニュメントは「四万十川の冬の風物詩:落ちアユ漁」の様子です。

キャッチフレーズは「最後の清流四万十川 沈下橋を渡る風 ふるさとの原風景 いきいき遡上!四万十市~かがやく笑顔、ゆたかな自然、やすらぎ溢れるまち四万十~」

マンホールには、市章を中心に「鮎と四万十川橋の赤鉄橋」がデザインされています。

2005年11月29日制定の市章は、「「四」をモチーフに、四万十川の流れをイメージしてデザインされ、四万十市の輪の中に息づく中村市と西土佐村の流れ(歴史)を表現しています。」公式HPより

2013年8月13日、国内観測史上最高気温41・0度を記録した四万十市。そこで日本一暑いまちをアピールするアチチうなぎしまッチが誕生しました。そんな絶望的な暑さの四万十市・・・・ちょっと出かける根性が有りません😱

撮影日:2013年3月23日

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ご当地マンホールin旧大正町&旧十和村(四万十町)

2020年08月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

旧幡多郡大正町は高知県の西南部、幡多郡北幡地域に位置した町です。四万十市、幡多郡佐賀町・大方町・十和村、高岡郡窪川町・檮原町に。また県を跨いで愛媛県北宇和郡鬼北町に隣接。町域の平野部は四万十川、梼原川沿いにわずかに見られるものの、そのほとんどが山林で占められており、国道381号線沿い、道の駅四万十大正の向かいにある「轟(とどろき)公園」は、南北に広がるレジャーゾーンとして人気のスポット。公園内には、羽の重さが1.5トンもある大きな石の風車や野外ステージがある他、郷土資料館、ヤイロチョウの森ネイチャーセンター等が併設されています。「町の木:ヒノキ」「町の花:エビネ」「町の鳥:ヤイロチョウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「花とロマンの里 大正町にみんなでいっしょに暮らしましょう」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡東上山村が発足。

1914年、東上山村が改称し、幡多郡大正村となる。

1947年、大正村が町制を施行、幡多郡大正町が発足。

2006年、幡多郡十和村、高岡郡窪川町と合併、幡多郡四万十町となりました。

マンホールには「町章」を中心に、「轟公園の石の風車」がデザインされています。

昭和42年5月3日制定の町章は「「大」を抽象化表現したもので羽形と鋭角で、町の健全な発展を、曲線化した下部で、町の和を表現しています。」合併協議資料より

轟公園内には、国の重要文化財「旧竹内家住宅」が移築され、季節に応じた催しなどとあわせて、一般公開されています。

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旧幡多郡十和村(とおわそん)は高知県の西南部に位置した村です。四万十市、幡多郡大正町に。さらに県を跨いで愛媛県北宇和郡鬼北町・松野町に隣接。村名は、昭和村・十川村から一字ずつを取って命名。村の中心部を東から西に四万十川が蛇行して流れ、流域沿いに農地が点在し、総面積の約9割を山林が占めています。「町の木:コウヤマキ」「町の花:カワツツジ」「町の鳥:メジロ」を制定。

旧キャッチフレーズは「十和に生きる」

明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡西上山村、十川村が発足。

1928年、西上山村が改称し、幡多郡昭和村となる。

1957年、昭和村・十川村が合併、幡多郡十和村が発足。

2006年、幡多郡大正町・高岡郡窪川町と合併、高岡郡四万十町となりました。

昭和38年10月制定の村章は「TOWAの「T」と「W」の図案化 「W」で未来への飛躍を現す 円は和を現す」合併協議資料より

山が新緑に染まる4月~5月、四万十川で開催される「鯉のぼりの川渡し」をデザインした街灯、実物はもっと華やかで勇壮な眺めになる事でしょう。

(※)旧幡多郡十和村では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月23日

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ご当地マンホール in 高知県四万十町&旧窪川町

2020年08月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

高岡郡四万十町(しまんとちょう)は高知県の西南部に位置する町です。2006年3月20日、幡多郡大正町、十和村、高岡郡窪川町が合併して発足しました。四万十市、幡多郡黒潮町、高岡郡中土佐町・津野町・檮原町に。さらに県を跨いで愛媛県北宇和郡鬼北町・松野町に隣接。町域は東から西に流れる四万十川の中流域にあり、東南部は土佐湾に面しています。林野が87.1%を占め、田畑は6.0%、集落の多くは四万十川とその支流の河川沿いや台地上にあり、一部は土佐湾に面する海岸部にあります。町域には、四万十川に現存する沈下橋の中で最も国指定有名文化財の「一斗俵沈下橋」や、JRのフルムーンポスターに利用された「芽吹沈下橋」等々があり、人気のスポットとなっています。

キャッチフレーズは「日本最後の清流のまち 山・川・海 自然が 人が元気です 四万十町」

2006年3月20日制定の町章は「四万十町の「四」の文字に合併数を配して、四万十の川をイメージして図案化し、豊かな自然に育まれて共生する人々の、活力に満ちた安らぎの郷を表したものです。」公式HPより

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旧高岡郡窪川町(くぼかわちょう)は高知県の西南部、四万十川の中流に位置した町です。高岡郡中土佐町・津野町・檮原町、幡多郡大正町・佐賀町に隣接。中央部を南流する四万十流域の標高230mの高南台地に町域が開け、約2,000haの農地が広がっており、合併後はここに庁舎が置かれました。四国八十八箇所・三十七番札所「藤井山岩本寺」を擁し、日本の白砂青松100選の「小室の浜」は東西約2kmに及ぶ白砂青松の渚で、夏場には海水浴客でにぎわいます。「町の木:窪川ヒノキ」「町の花:エンコウツツジ」「町の鳥:キセキレイ」を制定。

旧キャッチフレーズは「世界に開かれた四万十緑林文化都市・くぼかわ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡窪川村・東又村・興津村・松葉川村・仁井田村が発足。

1926年、窪川村が町制を施行、高岡郡窪川町(第1次)が発足。

1948年、幡多郡大正町大字折合を編入。

1955年、東又村、興津村、松葉川村、仁井田村と合併、高岡郡窪川町(第2次)が発足。

2006年、幡多郡大正町、十和村と合併、高岡郡四万十町となりました。

昭和44年10月11日制定の町章は「窪川のクボを図案化したもので、両翼は 町の発展飛躍を表わし、円形は町の平和を 意味する。」合併協議資料より

この地域に限ったことではなく、私たちは何度もお遍路さんに遭遇し、追い越してきました。それは例えば雨の日であったり、冷たい風に身を切られそうなときであったり・・

茂串地区には、四国八十八箇所札所「岩本寺」があり、お遍路さんへの心配りの施設が幾つも見られました。「お遍路さん お疲れ様です」と書かれた、茅葺の小さな水車小屋。通りすがりでありながら、思わず手を合わせてしまいます🙏。

立ち寄った「道の駅・あぐり窪川」には黄金の店長像があるのですが、これが信じられないくらいご亭主殿の体形とソックリ!! いつの間にこんな所まで出張していたのかと考えていたら、何故か後ろから蹴りが!!

(※)旧高岡郡窪川町では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。

撮影日:2013年3月23日

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ご当地マンホール in 高知県中土佐町&旧中土佐町 &旧大野見村

2020年08月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・高知県

高岡郡中土佐町(なかとさちょう)は高知県の中西部に位置する町です。2006年1月1日、隣接する大野見村と合併、新たに中土佐町が発足しました。須崎市、高岡郡津野町・四万十町に隣接。高知市より国道56号を西へ47kの太平洋岸に面し、『青柳裕介』の漫画「土佐の一本釣り」の舞台となった事でも知られます。「町の木:オガタマ」「町の花:のじぎく」「町の鳥:イソヒヨドリ」を制定。

キャッチフレーズは「自然を「体感」できるまち・住みよさを「実感」できるまち・まちづくりを「共感」できるまち」

2006年1月1日制定の町章は「ローマ字のnをモチーフにさわやかな自然と吹く風のやさしさを表現、緑色は中土佐町の山々を、紺色は太平洋の大きな海と躍動する中土佐町を表現したものである。」公式HPより

漫画「土佐の一本釣り」の舞台となった久礼湾を見渡す海岸には、青柳裕介氏がデザインをてがけた「鰹感謝供養碑」と氏の石像が建立されています。

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旧高岡郡中土佐町(なかとさちょう)は高知県の中西部、土佐湾に展開するリアス式海岸に面していた町です。須崎市、高岡郡大野見村・窪川町・津野町に隣接。北西および西南には山嶺が連立、その尾根の先端は土佐湾に突出して岬となり壁状の海岸線を形成。これらの山嶺に源を発する数本の中小河川が土佐湾に注ぎ、河口域は漁港、河川流域には平野が散在し耕地をなしています。

町域で見つけた看板、オッ!新鮮 ここが黒潮の台所、四万十源流の里 中土佐町」とアピールに余念が有りません。

明治22年(1889)、町村制の施行により、高岡郡久礼村、上ノ加江村が発足。

1901年、久礼村が町制を施行、高岡郡久礼町が発足。

1915年、上ノ加江村が町制を施行、高岡郡上ノ加江町が発足。

1957年、久礼町、上ノ加江町が合併、高岡郡中土佐町が発足。

2006年、高岡郡大野見村と合併、(第二次)中土佐町となりました。

鎌田地区の集排マンホールには、町章を中心に、「カツオと波頭」がデザインされています。

笹場地区には推定樹齢800年と云われる「笹場の大銀杏」があり、その事から、マンホールには「コスモス」と周囲に「銀杏」がデザインされています。

消火栓と仕切弁には、旧町章と「鰹乃国 中土佐町」の文字、荒波に飛び跳ねる「鰹」がデザインされています。

昭和46年2月制定の町章は「「な」を図案化し、左半分で土佐の「と」を表現、円内は町民の融和と団結を、雄飛する鳥形は将来への限りなき飛躍と発展の象徴として表現しています合併協議会資料より

鰹供養碑前の広場には沢山の地域猫が居て、お弁当を広げた私たちの足元に擦り寄ってきます。 丁度餌と水を持ってきた方に声を掛けて、車内に常備している愛猫用の食べ物をあげたのですが、その懐こさに胸が痛み「元気で生き抜くんだよ」と願うしか出来ません。

撮影日:2013年3月23日&2018年6月15日

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旧高岡郡大野見村(おおのみむら)は高知県中西部の山間に位置した村です。須崎市、高岡郡中土佐町・窪川町・津野町に隣接。村域は四万十川上流域に開けた地区であり、地区内を蛇行する四万十川が地区をほぼ東西に二分し、その両岸に耕地が開け、集落が点在しています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、近隣十三ヶ村の区域をもって高岡郡大野見村が発足。

2006年、高岡郡中土佐町と合併、(第二次)中土佐町となりました。

昭和44年12月制定の村章は「大をデザインしたもので、平和の鳥が未来に向 かってはばたく進取の気性を表したものである。」合併協議会資料より

(※)旧大野見村には立ち寄らなかった為、マンホール画像はありません。

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