車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

辰野町内の道祖神:石仏~Ⅶ~ in 長野県辰野町

2022年09月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町伊那富宮所・上井の上、小横川橋南に「酒器祝言双体道祖神」「明治二十年二月吉日(1887) 山崎中」の刻。お二人の男女神はおそらく媒酌人なのでしょう。共に長い年月を過ごしてきた風格と互いへの信頼感がにじみ出ています。

辰野町伊那富 :宮木諏訪神社に「蚕神様」「蚕王大神:文字碑」各一基。

昭和27年、蚕種製造業者が業績拡大を祈念して蚕蛾の供養塔を建立。「蚕神様」には、蛾と繭と桑の枝葉が大きく彫られています。

辰野町伊那富宮木仲町、諏訪神社前に「双体道祖神」一基。「鳳凰永扇 国土安寧 仲町下町 氏子中」の刻。

女神は五十鈴を、男神は神剣を手にしています。幾年かを重ねた男女神が漂わせる張り詰めた結界の前には、何物も踏み込むことはできません。

「馬頭観世音」碑。「明治十四年九月二日」の刻

辰野町伊那富北大出鞍掛に「握手抱擁双体道祖神」「二三夜塔」「庚申仏塔」他、各一基。

「鞍掛中 帯代七両」の刻

とても若く初々しい男女神。固く結ばれた口元は緊張からでしょうか?互いに握り合う手につい力が籠められて・・それでも片時も離れたくない二人の姿が心に残ります。

辰野町伊那富北大出、明光寺の駐車場に「庚申塔」四基、「仏塔」他各一基。

「七子観音」

辰野町伊那富北大出宮下、神明宮下に「酒器祝言双体道祖神」一基。「庚子」二基。「石祠」一基。「文字碑」一基。

「昭和五十九年(1984)三月 宮下小路中  ㈲唐木屋石材工芸 唐木一平刻」の刻 。

この最良の日のために結い上げた女神の髪は匂うほど美しく、盃を持つ男神はその美しさに酔いしれ、今この時の幸せをかみしめているようです。一対の御殿雛を見ているような・・気高くも美しい道祖神です。

辰野町伊那富北大出・上垣外に「酒器祝言双体道祖神」「念仏供養塔」「馬頭観音」各一基。

「帯代拾五円 北大出上垣外」の刻。こちらも祝言を差配するお仲人役の男女神でしょう。恰幅の良い男神と、いかにもしっかり者の女神。すっかり似たもの夫婦になって、なんだかとても幸せそうですね。

撮影日:2016年4月26日

 

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辰野町内の道祖神:石仏~Ⅵ~ in 長野県辰野町

2022年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町の道祖神、文字碑、石仏も~Ⅵ~まで突入しました。この日の一押しは麗しい蚕神様。思いもかけない場所に隠れていた為、危うく見逃しかけましたが無事に遭遇できました。

辰野町横川 木曽沢バス停前に昭和11年(1936)建立の「蚕王神」一基。台石に「蚕王神」の刻。馬上姿で左手に「繭箱」、右手に「桑枝」、頭に「蚕種の皿」を載せています。

辻を挟んでビニールハウスの前に石仏群。中央に「双体道祖神」一基。「庚申塔」「文字碑」など八基。「仏塔」「仏像」など五基。

「酒器祝言双体道祖神」、若い二人は緊張のあまり笑顔を忘れてしまったようです。

「大師像」「菩薩像」

辰野町辰野、堀上竹原に「双体道祖神」一基。「元文五歳」刻から「昭和五十五年」刻の「庚申塔」四基。他「石仏」「石祠」など十基。

「石工:竹渕三郎平」「猿田彦命 天鈿女命」「竹原中 明治六癸酉(1873)二月八日 帯代十五両 」の刻。 見た瞬間・・今は亡き知人にとても良く似ている!と思わず二度見、三度見(笑)。特に男神の顔も体格も彼女にそっくり過ぎて、あまりにもよく似ていて・・・涙がこぼれました。

辰野町伊那富上辰野、堀上荒井に「双体道祖神」一基。左隣に「石祠」一基。石祠としては最古の「永禄七申子年(1564)」の刻あり。更に左に、寛政・大正・昭和の「庚申塔」三基。

「石工:竹渕三郎平」「猿田彦命 天鈿女命」の刻。裏「明治六癸酉(1873)二月八日 氏子中 帯代十五両 」の刻。男神のお顔がお相撲取りさんに似ている・・・でもって、女神のポッチャリした唇がとってもチャーミング。竹渕三郎平氏、はふくよかなスタイルがお好みだったのかも(⌒∇⌒)

近くに「明治五十五年二月」刻の「庚申塔」・「大師像」「念仏碑」など。

辰野町伊那富小横川・中村の「酒器祝言双体道祖神」一基。「庚申塔」二基。

「小横川 中村」 裏「石師平出村中谷仙司 帯代十五両」の刻

晴れの日を寿ぐ若い男女神。女神のお顔に浮かぶ微笑みは、愛する人との永遠の契りへの喜び。それを見守る男神の顔も嬉しそうです。

辰野町伊那富小横川・入村の「握手肩抱き双体道祖神」一基。「庚申」「庚子」各一基。

「小横川 上村中  帯代二十五両」の刻

幸せ過ぎて目じりが下がりっぱなしですか?(⌒∇⌒) 見る位置によって若くも老けても見える男女神。末永くお幸せでありますように。

辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅶ~に続きます。

撮影日:2016年4月26日

 

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辰野町内の道祖神:石仏~Ⅴ~ in 長野県辰野町

2022年09月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町平出に「双体道祖神」二基。「二十二夜様」「二十二夜塔」「甲子」他、石塔多数。

「天明六丙午(1786)二月八日」の刻。道祖神の上部には「御幣」。仏教系の道祖神なのか、男神が向かって左に立ち、寄り添うように立つ女神の手を握っています。顔立ちは判りませんが、きっととても雅な男女神だと思います。

こちらは摩耗が進み過ぎて、ともすれば道祖神である事に気付かずに通り過ぎてしまいそうな・・・それでも立ち止まる事が出来たなら「きっとそうなんだろう」と思わせる雰囲気があります。

「二十二夜様」

「二十二夜様は一生に一度しか願掛け出来ないから、大病の時東の空を向いて、何歳の男とか女とか唱えて願掛けをする。全快すると旧暦七月二十二日の晩、月の出を待って拝む。月の出まで立って待たねばならないから、これを御立待ちといった。また、お参りをしてお灯明のろうそくの燃えさしをいただいてきて、出産のときそれを立てると安産になるとも言われた。大正八年の道路改修の時、旭町の通りにあった二十二夜塔を宝性神社参道に移し、大正十一年に現在地に新しく建立した。~以下略」現地案内より

撮影日:2016年4月25日

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辰野町小野:小野駅から「小野宿」に向かう道すがらに見かけた「庚申塔」「二十三夜塔」「仏塔」 

小野公園山裾の広場らしき場所に「庚申塔」三基。「二十三夜塔」一基・・他

野町上島、渡戸上組本道三叉路に「握手双体道祖神」一基。「庚申塔」三基。「石仏」「石祠」など十六基。

「延享四丁卯(1847)二月日 道祖神 施主村中」の刻。中区一杯に身を寄せ合う男女神。二人の間に入り込める物はきっと何もありません。

辰野町飯沼、JA川島支所前に「はだか武兵衛碑」。他「仏塔」「仏像碑」など三十数基。

「はだか武兵衛碑」「はだか武兵衛」と刻まれた碑に大きな御幣が縛りつけられています。はだか武兵衛は常に裸でいた駕籠かきだったらしく、疾病の神として信仰されているそうです。

「聖観音菩薩」

「金精様」もありました・・・・・(/ω\)

辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅵ~に続きます。

撮影日:2016年4月26日

 

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辰野町内の道祖神:石仏~Ⅳ~ in 長野県辰野町

2022年09月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

「美しい日本」を取り戻すべく、孤軍奮闘された安倍元総理の国葬が「日本武道館」にて執り行われます。遠方の為、九段坂公園での献花は叶うべくも無く、知り人に思いを託しました。この国の行く末を憂いて戦ってこられた元総理の御霊に、心より感謝と哀悼の想いを捧げます。

(ー大和心ー 題字:安倍晋三氏 千葉県香取神宮内)

2022年9月27日

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辰野町沢底鴻之田、鴻之田川沿いの鴻之田公民館近くの山裾に、第九番と番号が振られた「握手肩抱き双体道祖神」一基。他「石仏群」数基。

山間に佇む道祖神らしく苔に覆われた碑見。中区の中央でしっかりと手を握り合って佇む男女神。

姿はおぼろですが、山里の若者を彷彿させる素朴な佇まいと、極上の笑顔に癒されます。

「石仏」

先の石仏群から少し離れた川沿いに「奉納 巡拝供養塔」一基。

辰野町平出、辰野町消防団第七分団屯所の前に「握手双体道祖神」二基、庚申塔他二基

固く結ばれた手、お揃いの袴にお揃いで結ばれた紐。首をかしげて前方を見る男神は満面の笑み。女神の頬もいつの間にか緩んでしまう・・熟年っぽい印象のお二人ですが、実はもっとお若いのかも。

かろうじて握手をしていると思われる男女神。向かって左の方が背が高く見る事から男神と思われますが実際の所は不明。シルエットだけの二人ですが仲睦まじさは伝わってきます。

第七分団屯所建物の横に「庚申塔:昭和五十五年三月 上平出村中」の刻。「頌徳碑 」。一段高い台座の上に「石祠」横に「庚申塔」一基

辰野町平出川端に「双体道祖神」四基。「青面金剛仏」、「霊神碑:石工 赤羽諦寛」「二十三夜:勢至菩薩像」、他。

大きな文字碑の足元に並ぶ四基の「双体道祖神」。左はおそらく「酒器祝言双体道祖神」で、向かって左に男神がいるように見えます。右は互いに差し出す手が結ばれているところから「握手双体道祖神」だろうと思います。

どちらが男神でどちらが女神なのか・・・それさえも曖昧になり・・やがて静かに朽ちていくのを待っているかのような。それでも確かにそこには慈しみ合う神の姿が刻まれています。

「二十三夜:勢至菩薩像」。「勢至菩薩」を本尊として旧暦二十三夜の月待を行う事で、他に「念三夜」や「月天子」と刻まれることもあります。

台座に紫雲と馬

辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅴ~に続きます。

撮影日:2016年4月25日

 

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辰野町内の道祖神:石仏~Ⅲ~ in 長野県辰野町

2022年09月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町沢底入村稲荷社下に「日本最古の道祖神」が存在するという事、資料で見ると、男女神の姿も確認できるようで期待が膨らみます。

「握手抱擁双体道祖神」一基。「蚕玉(こだま)大神社」「馬頭観音像」「庚申供養塔」「天照大神」「大神宮」「摩利支天」の神名碑など十六基。

「永正二年(1505) 入澤底中」の刻。女神の差し出す手をしっかりと握りしめ、肩にまわす手に力を籠める男神。ところで女神の足元が若干見え過ぎているようですが・・、もしかして着物の裾を引き上げてます?。

辰野町平出上野、県道50号線沿いの山際に「握手肩抱き双体道祖神」。二人の間には御幣が立てられています。女神の手首をつかんでグイと引き寄せる男神。さて・・互いの肩にまわした手が何処から出ているのか・・長い時の流れの悪戯なのですが、想像するとかなり怖いかも(^^;)

ブロック壁をくりぬいた祠に「文字碑」「馬頭観音」碑、各一基

辰野町平出、道路より一段高くに「蚕神(さんしん)様」一基。「仏塔」「石祠」二基。「庚申塔」「文字碑」各三基・・他

「明治二十四年(1891)九月造立」の刻。紫雲の中、馬にまたがり左手に繭箱、右手に桑の枝を持つ蚕神様。「馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)」「おしら様」とも呼ばれ、大切なお蚕が病気や災害に見舞われることなく無事に成長する事を願って建立されます。

「如意輪観音像」

辰野町沢底鴻之田、石室の手前に第七番と番号が振られた「酒器祝言双体道祖神」一基。

顔の判別はできませんが、長い黒髪を後ろで束ねた女神の手には大きな瓢。男神は少し俯き加減で照れたように笑っています。

道祖神の後ろに「如意輪観音像」

道祖神が置かれた場所は、山裾の草木に覆われた一画

「不動明王」「役行者」の石像も見えます

「大師像」や「宝篋印塔」などもあり、寺の境内の跡のようにも見えますが、近くには説明や案内も無く、全ては想像の域を超えません。

辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅳ~に続きます。

撮影日:2016年4月25日

 

 

 

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辰野町内の道祖神:石仏~Ⅱ~ in 長野県辰野町

2022年09月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町平出、法性神社近くに「庚申塔」「二十三夜塔」各二基

法性神社の手水舎横に「庚申塔」二基

法性神社参道脇に「握手抱擁双体道祖神」一基。「庚申塔」「文字碑」他五基。更に右に石造物群が並びます。

「享和四甲子年(1804)三月二日 平出下町中」の刻。表情はうかがい知れませんが、 顔を少しかしげて男神の手にそっと手を重ねる女神。その仕草はこの上なく可憐で愛に満ちています。

石碑の隣に「仏塔」十基、「文字碑」二基。ここにある仏像碑は石工:向山重左衛門の作品とされています。

「青面金剛と三猿」「愛染明王」には上部に「廾六夜」、裏に「石師当村住」の刻が有ります。

「馬頭観音」「勢至菩薩」

左の仏塔には「文政七甲牛(1824)一月日 古畑氏」の刻。右の仏塔には「文政二壬戌天(1819) 四月十二日 春日氏」の刻が有ります。

「如意輪観音」二基

「菩薩像」

辰野町沢底日向の土蔵横に「抱擁双体道祖神」一基。「青面金剛像と三猿」二基。「庚申塔」四基。

「天明三癸卯天(1783)二月吉日 施主」の刻。タンポポの綿毛の中にこっそりと隠れて頬寄せ合うのは、まだあどけなさの残る男女神。

二人の甘いささやきに、ふんわりと飛び去っていた綿毛たち。それでも二人だけの暖かな時間は何時までも続きます。

「青面金剛像と三猿」

辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅲ~に続きます。

撮影日:2016年4月25日

 

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辰野町内の道祖神:石仏~Ⅰ~ in 長野県辰野町

2022年09月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町羽場、火の見櫓の下に「酒器祝言双体道祖神」。他「文字碑道祖神」各一基。

『石工:竹渕三郎平』「明治三庚午年(1870)三月日 東京神□ □石末流 台□□ 年」の刻。双子のような顔立ちの男女神。女神は大きな提(ひさげ)を持ち、男神の盃もそれに負けない大きさ。どちらも袴を着用しており。男神は珍しい佩刀姿です。

辰野町伊那富に「酒器祝言双体道祖神」・「庚申塔」各一基

まだあどけなさの残る男女神、はんなりとしたお顔で善き日を迎えた二人の表情はこの上なく幸せに満ちています。

辰野町下田中屋、公民館前三叉路に「八衢比売(やちまたひめ):八衢毘古(やちまたひこ):岐(くなど)神」の文字碑。「帯代金百両 樋口西割 中屋中」の刻。三神は道を守る神とされ、道祖神とするところもあるようです。

辰野町樋口「須勢理比賣命 大国主大神」の文字碑。「酒器祝言双体道祖神」各一基

『石工:竹渕三郎平』「帯代金 百五十両  樋口西割 下村中」の刻

こんな風に並べると、男女神の名札のようでちょっと楽しい(〃∇〃)

辰野町樋口、山際宝蔵前に「酒器祝言双体道祖神」「仏塔」各一基。「庚申塔」四基。

『石工:竹渕三郎平』背丈も顔立ちもお揃いのような男女神。この先に続く未来へ、こんな風に肩を並べて歩いていけますように。

何方の御像かは不明ですが、裸足の足の指まできちんと彫り込まれているのが印象に残りました。

辰野町樋口「握手肩抱き双体道祖神」「仏塔」「二三夜塔」各一基。「庚申塔」五基。

幼さを感じさせる女神の手をしっかりと握りしめる男神。年若い男女神の未来が幸せでありますように。

「念仏碑」「石仏」等十七基。

辰野町赤羽、八島神社前の参道横に「巻物:双体道祖神」一基。

「赤羽村 看之人命」の刻。男神の顔が欠けているのがとても痛々しく見えるのですが、それでも幼さの残る二人は大切な誰かの延命を願う巻物を持ち、こうして立っているのです。

辰野町の道祖神・石仏巡り~Ⅱ~に続きます。

撮影日:2016年4月25日

 

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宮木諏訪神社 in 長野県辰野町宮木

2022年09月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野町伊那富宮木に鎮座される「宮木諏訪神社」。御祭神は『建御名命』。昨日で御柱祭は終わっているのですが、「祝・御柱祭」と書かれた門柱とか・・これが気になるのはやっぱり未練なのかな😔

「本殿は延宝二年(1674)に建てられたもので一間社流造、銅板葺き、棟梁は『藤原金三郎政次』。一部天正三年(1575)の部材を再利用したものや元禄期に改修されたされた時のものが見られます。諏訪神社本殿と棟札(2枚)は江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から1991年に辰野町指定有形文化財に指定されています。」

「棟札ハ本殿ニ還シ置ク 二〇一三年吉日」の立て札と碑

入母屋造り軒唐破風向拝付きの拝殿。

拝殿前の「一の御柱」「祝 御柱ご協力ありがとうございました」の垂れ幕がまだ残されています😔

本殿の横にあるので多分、三・もしくは四の御柱。

摂社群

「棟札ハ本殿ニ還シ置ク」の札と碑

「蚕神様」「蚕玉大神」

参拝日:2016年4月26日

 

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辰野三輪神社 in 長野県辰野町辰野

2022年09月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

辰野辰野に鎮座される「三輪神社」。御祭神は『大己貴命・建御名方命・少彦名命』

「上辰野の甘露井にあったが、天正年間に現在地へ移されたと伝えられている。当社は神社名からしても奈良県大三輪町の三輪神社(大神神社)に代表される三輪信仰に刺激されて祀られたものと思われる。本殿脇に「諏訪魂石」がある。三輪信仰が中心の神社であるが建御名方命を祀り、辰野郷の御柱祭の本宮となっている。」辰野町誌より

拝殿の左右には御柱が立てられ、拝所前には真っ白な大御幣。祭祀が行われた後の社殿は空気の色さえも変わったように感じられます。それはきっと、御祭神がお喜びになられているからだと・・私たちはいつもそんな風に思うのです。

拝殿前より神域を守護されるのは昭和六年十月建立の松本型狛犬さん一対。石工は、そうあの!『田近勝之、田近正一』

松本市以外でお目にかかれるなんて、なんだかすごく懐かしくて嬉しい。予定外の神社だったのに、御柱も含めて、もしかして呼んでくれたのかしら?😊

覆屋の内に鎮座する本殿は辰野町の有形文化財指定。文政11年(1828)建立で、棟梁は立川流二代目・立川和四郎富昌の弟子で諏訪の宮大工『小口直四郎代昌』。社殿彫刻の見事さが説明されていますが、覆い屋の中では見る事はできません。

拝殿と本殿の間にある「祝詞殿」。三殿が連なる形式はこの地方では珍しいとか。

三の御柱建ての際の画像ですが、本殿側から見るとこんな風に並んでいます。後方にも石祠などがあったのですが、さすがに皆様の作業の邪魔になりそうなので自粛😅

撮影日:2016年4月25日

 

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伊那の御柱~辰野:三輪神社~ in 長野県辰野町

2022年09月21日 08時00分00秒 | 日本の祭り

それはもう全くの偶然、マンホール撮影のために、その地域の大きな建物を写しておこうと思って立ち寄っただけだったのに、こんな幸運に遭遇するなんて!!

と、いきなりの御柱の画像ですが、「中央本線:辰野駅」の玄関口に歓迎 いっしょに伊那の御柱」の看板を見た時は、そうか御柱があるんだね。で、いつ?? 四月二十三日~二十四日・・・なんだ昨日までじゃん。朝方参拝した法性神社もやっぱり昨日が御柱祭だったんだよね・・😔

御柱って七年に一回。私たちの車泊旅の予定なんて何か月も前から出来上がっていて、お天気と体調に合わせての日程だから、祭り目当てでない限り、そうそう上手くいく筈は無い・・と、落胆しつつお弁当購入で立ち寄ったスーパーで遭遇した方達・・えっ!!25日なのにお祭り衣装!!

で、あつかましくもお声をかけさせて頂き、駅からさほど遠くない「三輪神社」では25日が建御柱祭で、既に一の御柱が立てられているとの事。今は二の御柱の筈。焦る気持ちを抑えて駅まで戻り、駐車場に車を入れて、取るものもとり合えず走る事数分。祭り幡が!鳥居が!男衆が!!

宮の四方に柱を立てる「建御柱」。Wikipediaによれば「冠落しが施された御柱(御柱の頭を三角錐に切り落とす)にワイヤを巻きつけ、車地という道具を使って巻きあげて御柱を建てていく。建御柱の際には御柱に多数の男たちが乗り、にぎやかに盛り上げる。御柱が建つと氏子によって穴埋めの儀が行われる。」

境内に走りこんだ私たちの目の前に最初に飛び込んできたこの光景!まさに言葉を無くすほどに圧倒的な凄さで・・・実際に形容すべき言葉が見つけられません。

少しずつ、少しずつ・・でも確実に御柱は角度を無くして天に向かって伸びていきます。ぎりぎりと動くたびに揺れる御幣。その場にいる誰もが、まさに手に汗握るという言葉がぴったりの面持ちでその様を見上げています。

拝殿の屋根よりも高く、境内の木々を圧倒して天を衝く御柱。

御柱の若衆たちにこぶしを振り上げて応える氏子の方々。熱気の渦の中で同じようにこぶしを振り上げる私。体中が熱に浮かされたように熱くほてり、知らず知らずに涙が・・

じりじりと、数センチ刻みで角度を増していく御柱

そうして・・・真っ直ぐに天を貫く「二の御柱」

柱の下では、「御柱穴埋めの儀」が始まっています。

その上では、御柱の男衆によって、手元の籠から菓子などの御ひねりが投げられます。「大人も拾って構わんよ」と言われて、一生の記念になるかもと厚かましくも輪の中に。

上手く拾えない私に、小さな男の子が「あげるよ」と言って手渡してくれた小さなフウセンガムの箱。色々とお話を聞かせてくれた杣(そま)衆のお一人方が、「縁起物だからね」と言って手渡してくれたお捻りには「稲銭」が。記念写真に応じて下さった杣衆の方が持たせてくれた金の御幣。あれから六年以上の歳月が流れてしまいましたが、写真を見返すたびに記憶は鮮やかに蘇り、今もなお目頭が熱くなります。

やがて御柱に色鮮やかな「くす玉」が届きました。

「平成二十八年 丙申」「感動をありがとう」「 御大祭 氏子の皆様に感謝

役目を終えた若衆たちは、御柱に繋がれた綱を伝って下界に下りてきます。

綱を引く方々

ひたすらカメラを向ける御亭主殿。

見事に立ち上がった御柱を見上げる若衆たちの背中には、晴れがましさと安堵が・・・

拝殿奥の本殿近く、三の御柱の上で気勢を上げる氏子の方々。

御柱は少しずつ高さを増し、やがて氏子の方々が飛び降りた後、真っ直ぐに天を衝いて立ち上がります。

穴に土がかけられ「三の御柱」の標識と共に穴埋めの儀が行なわれ、注連縄に垂らした紙垂が巻かれます。

境内の一画で出番を待つ「四の御柱」

氏子・若衆の方々の祝福を受けて

穴埋めの儀の準備に臨む氏子の方々

そうして無事に御建柱の儀が終わります。

御柱の曳行で使われたと思われる長持ち

御柱に建てられた四本の幣が納められた拝殿。礼服に身を包んだ方々が揃って出てこられました。多分神主による神事が終わったのでしょう。

拝殿前に置かれた菰樽も晴れがましそうです。緊張の中で繰り広げられた祭り絵巻の後は、多分、恒例の酒宴😊 社務所の方からは賑やかな笑い声が聞こえてきます。

思いがけない幸せな時間を頂き、本当に有難うございました。次の御柱にも来れたらいいねと言いながら、結局果たせない状況になってしまいましたが、私たちの中でこの日の思い出は決して色褪せることはありません。

訪問日:2016年4月25日

 

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