車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 山口県山陽小野田市

2024年02月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山陽小野田市(さんようおのだし)は山口県の南西部にあり、南北に長く瀬戸内海側に開けた扇状形の市です。2005年3月22日、小野田市と山陽町が合併して発足しました。宇部市、下関市、美祢市に隣接。市名は合併前の旧市町名を並べたもので、2020年現在、全てが漢字による5文字はこの自治体だけです。

市の中央部には北から厚狭川が、東部には北東から有帆川がそれぞれ南流して瀬戸内海(周防灘)へと至り、宇部都市圏に属するとともに福岡県北九州市との関係も深く、関門都市圏の一部を成しています。「市の木:クロガネモチ」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「活力と笑顔あふれるまち~スマイルシティ山陽小野田~」

市のランドマークで約10,000本の桜で知られる「龍王山公園」のマンホールには、「龍と桜」がデザインされています。

龍王山公園のモニュメント

2006年2月1日制定の市章は「山陽小野田市の「山」と「小」の融合で、全体が地球と人の和をかたどり、「心豊かで潤いと活力に満ち、自然と共生した住みよいまち」をめざし、未来への飛躍と安定、市民の一体感を象徴している。」公式HPより

メイン通りにあった・・これは方位盤の一種でしょうか?セメント造りに用いられた各種用具が「龍」を中心として八方向にデザインされています。

マスコットキャラクター『ねたろう君』は、寝太郎伝説から飛び出した元気なキャラクター。旧山陽町のキャラクターとして誕生し、今は山陽小野田市の文化財を紹介したりしています。

観光協会イメージキャラクタータルちゃん』。昔はセメントに詰められて出荷されていたんだよ。だからセメント樽の事を「せめんだる」って呼んでたんだ・・・だそうです。

山陽小野田市役所内のショーケースに展示されていた「西部石油(株)山口製油所」の・・・これは多分石油精製のサンプルと思われます。(2024年3月で石油精製を終える旨の発表がありました)

撮影日:2015年11月12日&2017年12月2日

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マンホールカード頂きました。

2020年6月1日、第12弾として全国53自治体で62種類(累計535自治体667種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「」のマンホールカードは、「きらら交流館 ※(2023年3月1日より歴史民俗資料館に移動)」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには「本山岬のくぐり岩」と「ひまわり」がデザインされています。

「山陽小野田市は平成17年3月、旧小野田市と旧山陽町が合併して誕生しました。 このマンホール蓋は合併後に初めて作られたデザイン蓋です。 モチーフは「くぐり岩」と「ひまわり」で、市のPRロゴマークも入っています。 くぐり岩は市の最南端の本山岬にあり、干潮時には大自然の壮観な景色を楽しむことができるほか、歩いてくぐり抜けることもできます。 また、西日本最大級のシステム農場「花の海」では、7月下旬から8月中旬にかけて大輪のひまわりが咲き誇りますので、訪れてみてはいかがでしょうか。 このマンホール蓋は色違いも設置してありますので、ぜひ探してみてください。」

 

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ふらっと宇部の名所訪問 in 山口県宇部市

2024年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市朝日町に所在する1937年の竣工の「渡辺翁記念館」

建築家『村野藤吾』設計の傑作として国内外に広く知られた昭和の名建築。1997年6月に国登録文化財、2005年12月に国重要文化財に指定されました。

宇部市発展の基礎を築いた『渡辺祐策翁』

アップで

「宇部市観光ガイド」のモデルコースの一つに「エヴァンゲリオン聖地巡りコース」があり、もの好きにも立ち寄ってみた宇部市上町の「宇部新川駅」。何がどうでエヴァンゲリオン聖地なのか全く不明😔❓

植え込みの陰には沢山の猫さんがいて・・どの仔も人懐こく私たちを見上げてくれる。願う事はたった一つ・・どうか無事に天寿を全うできますように!!🙏

宇部市中尾にある「福原史跡公園」

宇部の領主:福原家は毛利藩の永代家老として萩堀内の屋敷に暮らし、宇部の邸は御田屋(おたや:遠方の田地を経営するために設けた建物)と呼ばれていました。昭和51年(1976)に、市の史跡公園として開放された園内には、井戸跡、屋敷神、樹木が残存しています。

表門は、萩屋敷の正門を3分の2に縮小模造したもの。階段は、神原公園にあった福原越後公銅像の台座が使われています。

訪問日:2015年11月12日

🌸明日からは山口県山陽小野田市の紹介です。

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吉部八幡宮 奉納絵馬 in 山口県宇部市(旧楠町)

2024年02月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

昨日に続いての吉部八幡宮。二回目は拝殿内に奉納された絵馬の紹介・・・トップ画像は、御朱印を頂けなくてガッカリとしょげ込んでいるJさん😥と、ひたすら慰める私。 流石にここまで遠いと、又の機会なんて期待できないからね。😅

さて、親友の悲しみはさて置いて、拝殿内の奉納絵馬。一つ一つの詳細を説明できるほどの知識はありませんが、江戸期から明治に至るまでの絵馬の数々。題材としては「戦絵」や「武者絵」が多く見られます。

いずれもかなり大きなもの、大の男が5~6人でも容易に持ち上げる事が出来ないそうです。

これなどはイメージとして「川中島の合戦」みたいですが・・😐

鮮やかな色彩は柿の渋で色をつけたもの。そうすることで鮮やかな色彩が長く保たれるそうです。

某所で見た宮司様の説明によると、昔は伊勢神宮へのお参りが盛んに行われており、そのお土産としてこのような絵馬を買って奉納したとか。

いずれも見飽きない大作ばかり。実際にはまだまだ多くの絵馬が奉納されているのですが、一応正面から捉えられたものだけにしました。

石段下の一画に奉納された紙垂と綱。祭りの神事に用いられたものかなと・・これは単なる想像😐

境内下、道路を挟んだ広場に「旧吉部八幡宮楼門」

参拝日:2017年12月1日

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吉部(きべ)八幡宮 in 山口県宇部市(旧楠町)

2024年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市東吉部宮ノ馬場に鎮座される「吉部(きべ)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・媛大神』。合祀『素戔嗚命・天水分神・国水分神・倉稲魂神・猿田彦命・綿津見神・大歳ノ神』

由緒「弘長元年(1261)、長門領主・厚東武朝の弟、武村の命により、野村大炊介、野村佐ェ門尉の二人を派遣し宇佐八幡宮の御分霊を勧請し社を造営。後、毛利氏の代になり国守の祈願社とする。大内氏の代に及び崇敬益々篤く、天文九年(1540)大内義隆、楼門一宇を奉建、「八幡宮」の三字を自書して奉額。明治六年郷社に列せられる。」境内案内より

一の鳥居を経て二の鳥居、参道石段の先に〆鳥居、その斜め奥に拝殿の屋根が見えています。

石段の先、手水舎後方より神域を守護されるのは、上向きに大きく口を開いて威嚇する阿形さん、頑丈そうな四角い顎を噛み締める吽形さん。

御祭神の正中に失礼のないようにと、ほんの少しずらせた参道、その前に拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、前足の上に顎を乗せ高くお尻を上げた狛犬さん一対。年代的には比較的新しい奉納と思われます。でもって高くお尻を上げた狛犬さんの後姿は・・絶対に写してはいけません。無礼者😠!!と、お叱りをうけます・・ハイ(-"-)

拝殿向かって右手に「天満宮」

「吉部護国神社」『百八柱の御英霊』が祀られます。

「祖霊社」『神徒家の祖先』が祀られます。

画像では分かり難いのですが、向拝彫刻は迫力ある龍。

「地蔵大菩薩像:室町時代:大内氏の時代の作。かって神社一隅に堂があり長く祭祀されてきたものと思われる。鎮座730年の式年大祭記念事業として堂を建立し安置した。」境内案内より

拝殿左手社務所前に建立された「野村清風先生授与之碑」。浄階特級の身分を持たれる神主さんだそうです。気になって調べた所「神職の階位のうち最高位。明階を得た後、長年神道の研究に研鑽し大きな業績を挙げた者に与えられる希少な階位」とありました。

参拝日:2017年12月1日

吉部八幡宮の拝殿内には驚くほどの数の絵馬が奉納されています。いずれも時代を経たものばかりで、どれか一つを選ぶことが出来ませんでした(^^;)。明日は拝殿内奉納絵馬をまとめて紹介します。

 

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岡崎八幡宮 in 山口県宇部市船木岡の坂

2024年02月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市船木岡の坂に鎮座される「岡崎八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・仲哀天皇 』。配祀『玉依姫命・日女命・宗像三女神』

畑の中央を突っ切っる参道・正面に一の鳥居。石段を上がって玉垣と二の鳥居。向かって右手に「縣社」の碑。更に奥へと参道が続き、三の鳥居が見えています。

由緒「宝亀1年(770)、和気清麻呂が宇佐八幡宮の御分霊を勧請し、岡崎八幡宮と称したのが始まり。 応永3年(1396)大内義弘が再興し、神田を寄進。大内義隆も再建したが、その後陶春賢の防長大乱の兵火により歴代神宝共々炎上焼失。天正4年(1576)杉重良により再建。その後毛利家もたびたび修復し、毎年42石の酒米を献納したと云う。全国に御神酒を造ることが許可された神社は44社。その中で、清酒が造れる神社は4社しかなく(40社はドブ醸造)、その内の1社。現在も室町時代から続く製法で清酒を造る。」公式HP等より

二の鳥居左右より神域を守護されるのは爬虫類顔の狛犬さん一対。吽形さんはそんなにでも無いですが、阿形さんの口は、まんま大蛇の口です(-_-;)

神橋を渡った先に三の鳥居

参道左右より神域を守護されるのは「船山八幡宮」でお会いした狛犬さんととても良く似た、慶応3年(1867)9月建立の狛犬さん一対。船山と舟木・・40年の開きは同一人物なのかもしくは親子、師と弟子の関係なのか、石工の名が無いので確定は出来ませんが色々と妄想が膨らみます。大きな目+獅子顔の扁平頭・・よく見ると可愛い😄

社殿に近い参道左右より神域を守護されるのは文化8年(1811)7月吉日建立の浪花タイプの狛犬さん一対。随分と日焼けされて(違う!!)表情が今ひとつ読み取れません。

拝殿間左右には、手水舎と御神木の大楠(宇部市指定天然記念物)

拝殿貫の彫刻は「獅子」と

耳の穴が見えているので「獏」。それにしても何と可愛らしい貫彫刻。

貫が可愛いと、向拝の龍まで可愛らしい(笑)

「社前のクスノキ古樹、樹齢推定700~800年・樹高20m・幹周4.4m。この木に生息しているシーボルトコギセルという巻貝は潮の干満に合わせ上下する習性を持つことから航海の安全のお守りとされました。」公式HPより

境内社

境内社

庚申塔

当宮は、御神酒清酒醸造免許認可神社で酒醸免許認可を明治32年10月5日に受けています。全国で酒醸免許を認可されている神社は、伊勢神宮、出雲大社、千葉県莫越山神社と当宮の4社だけ。昭和9年(1934)に建立された御神酒醸造殿の前で宮司様と。宮司様から頂戴したお神酒を手に、ご亭主殿大感激。

旧山陽道沿いの大鳥居の前に「船木宰判御高札場跡」の標柱

神社由緒にある和気清麻呂が宇佐八幡宮に行った年は、前年の神護景雲3年(769)に宇佐八幡宮より称徳天皇に対し、「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けたと宣言し、弓削道鏡が天皇位を得ようとした道鏡事件が起こった年。翌年の770年に、清麻呂は宇佐八幡にて「臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ」との御神託を頂き称徳天皇に奏上。その為、左遷され名を貶められる罰を受けますが、称徳天皇が崩御すると道鏡は配流となり、和気清麻呂は名誉を回復。神社の由緒にある和気清麻呂の勧請は、宇佐神宮へのお礼参りの際に成されたと見るのが妥当でしょうか? 年代から手繰る歴史の糸を推測していくのはとても面白い作業です。

参拝日:2015年11月12日

 

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ご当地マンホール in 山口県旧楠町(宇部市)

2024年02月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧厚狭郡楠町(くすのきちょう)は山口県の南西部に位置した町です。宇部市、小野田市、美祢市、山陽町、秋芳町に隣接。有帆川中流域両岸の船木(ふなき)地区、有帆川上流域両岸の万倉(まぐら)地区、厚東川中流域の右岸に位置する吉部(きべ)地区の3地区に大分。町域の北及び西側は山地で囲まれ、東側は厚東川左岸の宇部市小野地区を挟んで山地となり、南側は有帆川に沿って平地が開けています。

船木地区は、江戸時代には山陽道の宿場町として栄え、慶安3年(1650)には船木宰判が設置。以後大正時代あたりまで旧厚狭郡の中心地となりました。

「船木宰判代官所跡」

「旅人荷付場跡」

「石炭と舟木:舟木地区では江戸時代の初期から石炭が採掘され家庭用の燃料として使われてきた。江戸時代に書かれた「毛吹草(けふきぐさ)」にも長門の名物として「船木の石炭(いしずみ)」が紹介されている~」現地案内より

「石炭発祥の地」碑。

町名の楠町・船木は「神功皇后が三韓征伐へ向かう際に立ち寄り、この地ので48艘の軍船を建造し、軍備を増強して出兵した事に由来します。「町の木:クスノキ」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により厚狭郡船木村・吉部村・万倉村が発足。

1955年、厚狭郡船木町・吉部村・万倉村が合併、厚狭郡楠町が発足。

2004年、宇部市に編入。

マンホールには町章を中心に大きく「町の木:クスノキ」、周囲に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和30年(1955)10月制定の町章は「く・す・の文字を図案化したもの。」

支所の前庭の一画に「徳基学舎跡:明治6年(1873)4月、勘場の東側にあった長谷川宅の長屋を校舎として、日本で三番目の女学校が誕生。厚狭毛利家10代毛利元美の妻・勅子(ときこ)を教師に迎えたが、明治12年(1879)2月・61歳で没する。同年4月、新築校舎が落成し、勅子女史の名にちなんで「徳基学舎」と改称。」

撮影日:2015年11月12日&2017年12月1日

 

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宇部護国神社 in 山口県宇部市中宇部小串東

2024年02月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市中宇部小串東に鎮座される「宇部護国神社」。御祭神は長州三家老の一人『元宇部領主福原越後公』。禁門の変で戦死された家臣、日清日露戦争から大東亜戦争で亡くなられた兵士の御英霊、公務に殉じられた消防士の御霊三千四百三十柱が祀られます。

『福原越後元僴公(ふくばらえちごもとたけこう)』像と辞世の句

【くるしさは 絶ゆるわが身の夕煙 空に立つ名は 捨てがてにする】

由緒「幕末、元宇部領主:福原越後元僴公が幕府との戦い「禁門の変」の敗退により、幕府より第一次長州征伐が下命され、第一次長州征伐回避、藩存続のために責任を負わされ、元治元年十一月十二日岩国の龍護寺に於いて自刃された。翌年慶応元年五月十六日幕府との戦いに於いて犠牲となられた越後公の招魂祭を初めて藩の許可を得て琴崎神社で斎行し合祀したのが創始とされる。慶応二年(1866)11月19日に崩し山(現:維新山)に社殿を建立、翌慶応三年(1867)12月5日琴崎神社より越後公の霊魂をご遷座し現在に至ります。藩の許可を得て招魂祭を斎行した歴史の延長線上に東京招魂社(現、靖国神社)が建立された事から、旧称:維新招魂社、現在の宇部護国神社が靖国神社の源流と言われる所以である。」公式HPより

「維新招魂社」跡に立った時の感覚は、何と表現すればよいのか言葉を持ちません。目を閉じ手を合わせていると、不意にふ~わりと何かに包まれたような心地になり、そのまま・・何故か画像に残す事を失念していました。

清々しい日の丸の旗が掲げられた拝殿。

「大東亜戦争忠霊塔」

「日露戦役紀念碑」揮毫:山縣有朋

私たちはこれまでに幾社もの社寺に参拝させて頂き、御朱印を頂きました。会話が可能な時は、お寺様であれば宗派を持たない事を告げたうえで、神社であれば、今生の別離れの時に共に旅立つ道連れとしたいのだと告げて。頂いた御朱印にはその時々の私たちの生きた証があります。だから御朱印の扱いが雑な社寺は、どれほど由緒があろうと、どれほど立派であろうと心からの崇敬の念が薄れてしまいます。こちらに参拝させて頂いた時、宮司様は所用で出かけておられ、奥様がわざわざ連絡して下さったのですが・・宮司様は私たちに多少時間が掛かりますがと断られたうえで・・白小袖:白袴に御着替えになり、墨を摺り朱印帳に向かって下さったのです。その姿勢にどれほど心打たれたか・・たった二人の参拝者の為に礼を尽くして下さったそのお姿は、今でも忘れる事はありません。このような宮司様に護られる御祭神の皆様方に改めて感謝の祈りを捧げてまいりました。

参拝日:2015年11月12日

 

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琴崎八幡宮~其の二 in 山口県宇部市上宇部 大小路

2024年02月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

昨日に引き続きで「琴碕八幡宮~其の二」は境内社、境内社を守護する狛犬さん、境内に建立された碑などの紹介です。

「琴﨑八幡宮碑  文政7年(1824)5月に紀藤純政が寄進した。「防長風土注進案(舟木宰判)に、長州琴﨑八幡宮碑」として転写されている。碑文は「応神天皇者皇室大宗功徳最高」の言葉で始まり、内容は貞観年中(859~875)の創建以後の歴史が刻まれている」案内より

稗型は亀趺(きふ)

昭和11年(1936)3月建立の「琴﨑八幡宮造営記念碑」

「皇太子殿下行啓記念碑(大正十年)」・「今上天皇陛下御在位60周年記念奉祝植樹」

横に並んだ私(145)より拳一つ高い「セメント扁額 昭和2年(1927)に神原小学校前の参宮道路に建立されたコンクリート製の大鳥居の扁額。昭和43年(1968)に大鳥居は撤去され忘れられていたが壱千七百年式年大祭記念事業の為に組織された調査委員会の調査の中で杜の中から扁額が42年ぶりに発見された。材料のコンクリートは宇部セメント会社の初期製品と考えられる。」

本殿横に鎮座される「琴崎稲荷神社」

吽形さんはどこかで見かけた人に似ている顔立ち・・阿形さんは、とつ国の神獣のようなエキゾチックな顔立ち。それぞれに特徴のある風貌です。

「宮地嶽神社」

赤い社殿の前より神域を守護される狛犬さん一対・・こちらも相当に個性的。

どっちが阿形さんで、どっちが吽形さんなのか見分けがつかない大口で、参拝者を迎えてくれます。

「琴崎薬神社」

「いぼ神社」

藤田義輔撰の漢詩が刻まれた「征清軍凱旋碑」明治29年(1896)5月建立

参拝日:2015年11月12日

 

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琴崎八幡宮~其の一 in 山口県宇部市上宇部 大小路

2024年02月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市上宇部 大小路に鎮座される「琴崎八幡宮」。御祭神は『品田和気命(応神天皇)・足仲津比古命(仲哀天皇)・気長足比女命(神功皇后)』。配祀『宗像三女神』。旧宇部市の総鎮守とされます。

由緒「貞観元年(859)、僧:行教が宇佐八幡宮より石清水八幡宮に御分霊を勧請の際、海上が荒れ、宇部郷琴芝の浦に寄航し、御分霊をこの地に留めた。里人は神徳を景仰して琴芝村八王子に祠を建立、城主:厚東氏からも城南の鎮守として代々尊崇された。寿永3年(1184)厚東氏七代目・武光が長門国守護職に任ぜられると、その地を訪れ、新たに社殿を建立、社地は西の宮に遷され社殿を造営し祭事を奉仕。大内弘世が長門国守護職となり、永和3年(1377)僧:性禅と祀職の豊住がご神託を受けて西の宮から琴崎の地に奉遷。永禄9年(1566)、毛利元就により社殿造営。元禄10年(1697)、領主:福原広頼が社殿を改造。明治6年に郷社に列し昭和11年、「三間社流造り」の現社殿が完成」公式HPより

三間社流造の御本殿

二の鳥居、石段側桁の左右に一体化して神域を守護されるのは巨大な玉を抱く狛犬さん一対。

顔立ちが相当以上に強面なので、大きな玉とのギャップがより楽しい😊

鳥居の内、左右より神域を守護されるのは安政五年(1858)建立の狛犬さん一対。傍らに「千五百五十年式年大祭狛犬」の案内があります。

彫は浅いですが扁平な顔に小さな耳、顎下の毛玉に滑らかな肌と比較的細い四肢、中々素敵な特徴がある狛犬さんです。

三の鳥居の先「御大典記念参道敷石 昭和天皇御即位(大典)を記念して、昭和三年(1926)に「徳山みかげ」で整備された参道126坪の敷石。」案内

手水鉢は安政五(1858)戌午年三月廿一奉納

真っ直ぐの参道には、ついつい横道に逸れたくなる沢山の碑などが建立されており、目移りが半端なく・・・😅 自重し、参道正面に拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和31年(1956)9月建立の青銅製の狛犬さん一対。見上げるようなという形容がぴったりの雄々しい姿で天を仰いでいます。

広大なご神域、まだまだ見所は沢山ですが、続きは明日のブログで

参拝日:2015年11月12日

 

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ご当地マンホール~其の三 in 山口県宇部市小野

2024年02月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

宇部市大字小野字大日原にある「宇部市アクトビレッジおの」。環境教育・レクリエーション・スポーツを基本コンセプトとし、また、宇部市北部地域の市民交流の拠点施設として整備されました。

宇部市アクトビレッジおの内に設置されたマンホールには、小野湖に遊ぶオシドリたちがデザインされています。

宇部市アクトビレッジおの内の「オシドリ」

「市の花:サルビア」と、中央に「厚東川ダム」「螢」がデザインされた集落排水マンホール。

「厚東川ダムカード」。「宇部市アクトビレッジおの」の職員の方に厚東川ダムの所在をお聞きし、訪問は無理と諦めたのですが、その際に「自分はまた行きますから差し上げます。」と言って頂戴したダムカード。心に残る嬉しい思い出に心から感謝します。

大正11年(1922)5月7日制定の市章は「宇部の「ウヘ」を上下に重ねて図案化したものです」公式HPより

ソフト弁

消火栓

汎用の防火水槽

撮影日:2015年11月12日&2017年12月1日

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