車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

坂越のまち並み in 兵庫県赤穂市坂越

2023年09月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市東部の坂越湾に面する港町「坂越(さこし)」。国の天然記念物、瀬戸内海国立公園特別保護地区、ひょうごの森百選に指定された「生島」を包むように広がる美しい坂越湾の眺望と、伝統的建造物群による古い町並で知られています。

天然の良好であった坂越の港は、17世紀になって、瀬戸内海有数の廻船業の拠点として発展してきました。18世紀以降、北前船が停泊する日本海諸港の台頭によって内海の港町の多くが衰退するなか、坂越は「赤穂の塩」を運ぶ拠点として、明治時代まで栄えました。赤穂市を流れる千種川河畔の袂には、その時代を象徴するかのような、北前舟を象ったタイル画が展示されています。

坂越浦から、高瀬舟の発着場があった千種川まで続く「大道」。風格ある町並みは往時の坂越を今に伝えるものとして、都市景観大賞にも選ばれています。

町筋の一画に残る「大道井」は「井筒」とも呼ばれた古い井戸で、坂越の人たちの生活用水として利用され、「生島の船井」「海雲寺の寺井」とともに坂越の三井と言われた井戸です。昭和10年(1935)に水道が通り、その役目は終えましたが、大道井は今も道路の下に残っています。辻に残る石は、当時の大道井の井戸枠の一部だった事が、現地説明に明記されています。

街中でもひときわ目を引く「奥藤家」は、慶長6年(1601)以来酒造りのほか、大庄屋、船手庄屋を勤めた廻船業でも財をなし、金融・地主・製塩・電燈等の事業も興したという、坂越きっての豪商。

酒蔵は寛文年間(1661~1673)の建物で、高さ2m余りの石垣による半地下式の構造が今も保存され「奥藤酒造郷土館」として、酒造用具・廻船・漁業等の資料が無料公開されています。

酒蔵の並びには、旧奥藤銀行を改装した「坂越まちなみ資料館」があります。館内1階には、坂越の名所・旧跡、特産品に関する写真や資料が展示されているほか、この建物がかつて銀行であったことを示す、古いアメリカ製の大金庫も置かれています。

「坂越まちなみ資料館」のならび、茶臼山の南麓に、享禄5年(1532)に開基したと伝える浄土真宗本願寺派寺院「妙道寺」の山門(宝暦3年(1753)年に再建)があります。

山門彫刻の「三人の仙人と一対の獅子」がどれもこれも生き生きと彫られており、その見事さについ時間を忘れてデジカメを向けまくってしまいました。鶴に乗った仙人は「乗鶴仙人」、中国の「王子喬・黄鶴楼」などとも言われています。

鯉に乗っているのは「琴高仙人」、長寿の仙術を行って800年も生きたと言われています。ある時「龍の子を捕らえて見せる」と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れた故事から、黄河の竜門を登った鯉は龍になると伝えられています。

3尺もある亀に乗っているのは「黄安仙人」、別名「盧敖(ろごう)仙人」とも言います。この亀は三千年に一度だけ頭を出すと言われているそうで、頭が見られた私はラッキーかも😆

千尋の崖に立つ阿吽の獅子は、今まさに可愛いわが子を谷底に突き落としたところでしょうか?その猛々しい姿からは、聞くものを震え上がらせる咆哮が聞こえてきそうです。

山門彫刻が見事なら当然瓦の細工も期待できるはず!、の予想は裏切られず、力士や天女、留蓋の獅子など、どれもこれも期待を遥かに上回りました。これほど揃いもそろった逸品たちに出会えるなんて、本当にラッキー!!

今にもピョンと飛び降りてきそうに高く上げた足。阿吽共に人懐こそうな顔で興味深そうに、参拝者の様子を見下ろしています。

本堂には、寛永9年(1632)に高砂沖で漁網にかかった阿弥陀仏像が安置されます。享保19年(1734)の再建と言う事から、ここが非常に歴史のある寺院である事が伺えます。

寺院を後にもと来た道を引き返し、「大道」の港側端、坂越浦に面して建つ「旧坂越浦会所」にきました。建物は天保2~3年(1831~1832)に建築され、明治時代まで坂越村の会所として使用されたほか、昭和26年の赤穂市との合併までは「坂越公会堂」として使用されていました。

畳座敷から見る奥庭の緑が、真夏の日差しに痛めつけられた目にはとても優しく見えます。管理人の方が入れて下さった冷たい麦茶の味も、思いがけなく嬉しいおもてなしでした。

2階にある「観海楼」と名付けられた藩主専用の部屋に入り、当時の人たちに習って窓際に陣取ってみました。観海楼の名のとおり窓一面に坂越の海が広がり、その先には神の島である生島が見えます。 藩主が見た当時の海は、すぐ側まで波が迫っていたのだとか、きっと格別の眺めだったことでしょう。

訪問日:2010年8月

 

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伊和都比売(いわつひめ)神社 in 兵庫県赤穂市

2023年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市御崎に鎮座される式内社、「伊和都比売(いわつひめ)神社」。御祭神は『伊和都比売大神』。元々は豊受比売であるとも、また播磨国一宮である「伊和坐大名持御魂神社(現在の伊和神社)」の神『大穴牟遅神』の比売神とも言われ、いにしえより「御崎明神」と称せられていました。

海に面した鳥居額の文字は『東郷平八朗』。日露戦争開戦を前に、勝利祈願のために東郷元帥が訪れた事から帝国海軍関係者の信仰を集め、戦前までは連合艦隊司令長官が艦隊を率いて、海上より参拝を行ったとも言われています。

「もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にお祀りしてあったのを天和三年浅野内匠顕長矩が現在の地に還座。「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行 くぞ見る」と歌われるように奇岩の上に老松が舞う岩礁の地である。 かつては日本海々戦の勇将東郷平八郎元帥を始め 歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚く、しばゝ艦隊を 率いて帝国海軍の勇士が参拝し、現在でも船員漁師 など航海安全と大漁祈願はあとをたたず遠近からの信仰は盛んである。なお特に珍らしいのは古くから若き男女による姫神信仰が盛んで縁結び或は恋人を得るにご利益のある「姫守」をうける人が多く、御崎の景色と共に近時有名である。」案内板より

海を背にして石段を上がると境内が、更に石段を上がると拝殿が見えてきます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、思慮深そうな吽形さんと、賑やかな事が大好きといった感じの阿形さんの一対。どちらも短足ぽっちゃり体型で、私なんぞはとても親しみを覚えて😅 嬉しくなります。

拝殿の更に奥では、文化13年4月建立の狛犬さんが、若干険しいお顔で神域の守護を担っておられます。なにしろ市内では最も古い狛犬さん、守護される場所も本殿に近く、陽気に笑っていたりなぞ出来ないのでしょう😠

唐破風の拝殿屋根には、今まさに飛び立とうと羽を広げる「鳳凰」の姿。

向背の上段には、常緑の松を間に美しく羽を広げて互いを見守る夫婦鶴。下段には荒波を物ともせずに高く顔を持ち上げる龍が、繊細なタッチで彫刻されています。

絵馬は「伊和都比売神社」の拝殿が描かれたものです。最近は名のある大きな神社でも、既製品に朱印だけを押したものが多い中、こうした神社独自の絵馬を見ると好感度はアップ😊

境内に有る手水は、『浅野内匠頭』の刃傷事件があった年に氏子によって寄進されたものです。大きな事件に見舞われた領民たちは、その災禍を神への寄進によって拭い去ろうとしたのかも知れません。

参拝を終えて、小高い場所につくられた「一望の席」に腰をおろし、ゆったりとした気分で穏やかに凪ぐ海を見ていました。

神前に向って手を合わせ、勝利を祈願した連合艦隊が通過したのは、あの辺りだったのでしょうか? 真夏の日差しをあびてキラキラと輝く海は、遥か彼方で青い空と一つになりました。

参拝日:2010年8月9日

 

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赤穂(あこう)八幡宮 in 兵庫県赤穂市

2023年09月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市尾崎に鎮座される「赤穂(あこう)八幡宮」。主祭神は『応神天皇、神功皇后、仲哀天皇』『大石内蔵助』ゆかりの品々や、赤穂義士関係の書状などが数多く残されている事でも知られています。

鳥居の側にあって神域を守護されるのは、天保三年十二月建立の、巻き毛がとてもお洒落な狛犬さん一対。市内では二番目に古い狛犬さんだそうです。
口元の曲線も、見ようによってはとってもチャーミング・・って言ったら叱られそうですね(笑)

由緒に「赤穂の氏神さまとして、室町時代応永13年(1406)に、現在の鎮座地に赤穂市の西(銭戸島)から 応神天皇(八幡大神)を遷座。室町時代は播磨国守護赤松家の庇護のもと維持され、江戸時代は赤穂藩主池田家、浅野家、森家の信仰のもと発展しました。明治維新に神仏分離がなされ八幡神社と呼ばれましたが、昭和27年以降は江戸時代の社名である八幡宮へ戻し、現在に至っています。」公式HPより

境内に向かって右手、拝殿へと続く絵馬回廊には、幾つもの世代の絵馬が奉納されています。

長い年月が板上から色を奪い、そのために形も定かでは無くなってしまったものも多く、見ていても、それが何を願っての事なのか、何を記念してのものなのか、判然としません。それでもじっと見ていると、絵や文字にこめられた人々の声が聞こえてくる気がするのです。

絵馬殿の手挟(たばさみ)には渦巻く波の中に龍の姿が。研ぎ澄まされた爪を見せてその姿は雄雄しく獰猛です。

貫に施された像の目には玉が嵌め込まれており、それが何ともいえぬ迫力を見せて参拝者を見下ろします。

美しい佇まいを見せる拝殿には、その美しさに強さを与えるかの如く、面長な額の両脇から長く伸びた角を持つ鬼(瓦)が下界を見つめています。とはいえ、その表情は何故か優しく、人の切なさを見守っているようにも見えました。

瓦と言えば外せないのが、屋根の留蓋で楽しげに遊ぶ阿吽の獅子。幼子のような仕草と表情は細工瓦好きにはたまりません(*^^*)

参拝日:2010年8月9日

 

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赤穂市立民俗資料館&歴史博物館 in 兵庫県赤穂市

2023年09月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市加里屋、木造瓦葺一部2階建のこの建物は、1908年に建設された日本最古の「旧大蔵省赤穂塩務局庁舎」。現在は「赤穂市立民俗資料館」として活用されています。

館内には江戸時代から昭和期までの生活雑貨や祭事用具、美術工芸品や鉄兜などの戦時資料等、多種多数の民俗資料が展示されており、当時の人々の生活を垣間見ることが出来ます。

「赤穂は古くから製塩業が盛んで、明治38年(1905)の塩専売法施行に伴い、大蔵省塩務局の庁舎として、明治41年に国会議事堂を建設した大蔵省臨時建築部技師大熊喜邦の設計、施行は地元赤穂の棟梁である山本近治ほか11名によって建築されました。中央部に屋根窓を持つ主屋と、東に切妻造りの屋根と西に宝形造りの塔屋を大胆に組み合わせた変化のある建物の構造は、木造一部2階建てで屋根は黒色の日本瓦葺き、外壁は淡い白緑色塗装のドイツ下見杉板張りで、現存する日本最古の塩務局庁舎として、また明治の洋風建築として意匠・工法に優れた価値の高い建物として、昭和61年に兵庫県重要有形文化財の指定を受けています。」HPより

専用駐車場から見えたレンガ造平屋建の文書庫。オランダ積みのレンガ庫に黒色の日本瓦葺の屋根が重厚感を出しています。

赤穂城址の一画、かって城内の米蔵があった場所に建つのは「赤穂市立歴史博物館」。水路沿いに立つ西側外観は、かっての米蔵を再現した白壁土蔵の五連造りで、人目を引く外観となっています。

「赤穂の塩・城と城下町と赤穂義士・旧赤穂上水道」をテーマに、1989年に設立。愛称は「塩と義士の館」。今となってはあやふやな記憶ですが、館内は撮影禁止だったのでしょうか・・フォルダには鯱の画像が一枚だけでした。

最後に、これは2006年の画像で、おそらく赤穂城本丸表門の復元工事の風景だろうと思います。こういうのも今となっては楽しい思い出の一枚です。

訪問日:2006年7月16日&2010年8月9日

 

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忠臣蔵と大石神社 in 兵庫県赤穂市

2023年09月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

播州赤穂・・と言えば真っ先に思い浮かぶのが「忠臣蔵」。あれは私が小学生になったばかりの頃、市内に住んでいた叔父に連れられて一度だけ、「義士祭」を見に行った事があります。が・・なにしろ気の遠くなるような昔の話で、記憶にあるのは叔父の肩車だけ(^^;)。イメージとしてはこんな風だったかなと勝手に思い込んでいますが、実際は義士の扮装をした人の行列だったと思います。

「忠臣蔵」の詳細はネットでググって頂ければ容易に知れる内容なので省きますが、市内には日本100名城の一つで国の史跡にも指定された「赤穂城」が残されています。

とはいえ、廃城令を受けた城は、当初、石垣と堀を残すのみでしたが、昭和中期から平成にかけ、櫓・門・塀・庭園が徐々に復元・再建され、今は往時を忍ばせる美しい姿が観光客を出迎えてくれます。

市内各所には、城以外にも義士たちに関する史跡が残されており、代表的なところでは、討ち入りの主役的存在となった国家老『大石内蔵助』邸の長屋門(国指定史跡)。

主君刃傷の事を告げる早駕篭は江戸から四日半をかけて『早水藤左衛門・萱野三平』。第二報は、評定もなく罪人扱いのまま、即日切腹の沙汰が下った事を告げる『原惣右衛門・大石瀬左衛門』。この早駕籠のルートは今も赤穂市内に史跡として点在しています。

息も絶え絶えに城下に辿り着いた家臣たちが、主君の無念を伝える為に血反吐を吐きながら叩いた大石邸の門。

大石邸の向かいには、赤穂城を設計した『近藤三郎左衛門正純』の息子で、浅野家の軍師であった「近藤源八宅跡長屋門」があります。他にも細かく歩けば息継ぎの井戸をはじめ見所は色々あるので興味のある方は是非一度巡ってください。

義士に纏わる寺社は、義士たちが葬られている東京:泉岳寺、義士たちの墓がある赤穂:花岳寺。そして今回参拝した赤穂市上仮屋旧城内に鎮座される「大石神社」。

『大石良雄』赤穂義士四十七柱、および中途で自害した『萱野重実』、更に『浅野家三代・森家七将』を御祭神とします。

境内には忠臣蔵に関する絵馬や、藩民の崇敬を受けた摂末社が多く鎮座し、多くの参拝客が訪れています。討ち入りの様子を描いた大絵馬や顔出しなんかも有りました(^^;)

また境内の一隅には、大石内蔵助が所持していた備前長船清光・康光の大小刀、肖像掛軸など義士所縁の品々を展示する「義士宝物殿」も併設されています。

忠臣蔵とは無縁ですが、「境内社・合祀殿山」の一つ「国助稲荷」の前にて神域を守護されるのは備前焼の神狐さん一対。その姿があまりにも秀逸だったのかしっかりと画像に残していました。

最後は、境内に掲げられていた看板と同じく「本懐を遂げて泉岳寺に引き上げる四十七士」。じっと見ていると、それらの場面が映画やドラマの場面と重なり、民衆の喝采から細かな台詞まで聞こえてきそうです。

訪問・参拝日:2006年7月16日&2010年8月9日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県赤穂市

2023年09月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

赤穂市(あこうし)は兵庫県の西南端、岡山県との県境に位置する市です。相生市、上郡町、海上で姫路市に、更に県を跨いで岡山県備前市に隣接。播磨灘に注ぐ名水百選の「千種川」の河口に広がる平野地に、赤穂城を中心とした城下町の名残が残る市街地と、古い港町の町並みが美しく、牡蠣の養殖が盛んな坂越、瀬戸内海国立公園に一画を成す「御崎」などで知られます。古くから塩田(揚浜式塩田・入浜式塩田・流下式塩田)が栄え、生産された塩は「赤穂の塩」として全国に流通しました。東有年地区には、縄文時代後期(約3500年前)から室町時代(約600年前)にかけての遺構や遺物が数多く発見された「沖田遺跡歴史公園」があり、兵庫県指定文化財に指定されています。

市街地は「忠臣蔵」として有名な赤穂事件ゆかりの地であり、毎年12月14日には赤穂市最大の催しとして「赤穂義士祭」が催されます。「市の木:桜」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「人が輝き 自然と歴史・文化が薫るやさしいまち」

1889年、町村制の施行により、赤穂郡赤穂町・坂越村・塩屋村・尾崎村・新浜村・高雄村・有年村が発足。

1936年、坂越村が町制を施行、赤穂郡坂越町となる。

1937年、赤穂郡赤穂町が、塩屋村・尾崎村・新浜村を編入。

1951年、赤穂郡赤穂町が坂越町・高雄村と合併、赤穂市が発足。

1955年、赤穂郡有年村を編入。

1963年、岡山県日生町大字福浦を編入、現在に至っています。

マンホールには、雁木文(がんぎもん)の中に「市の花:ツツジ」と「市の木:桜」、それに千種川の清流がデザインされています。

雨水マンホール

上記と同じデザインですが、左下に「旧上水道」の文字があります。

元和3年(1616)に千種川から敷設された「赤穂藩上水道」は、城内だけでなく城下各戸に給水され、神田上水、福山上水と共に、日本三大上水道として、市内各所にその遺構が残されています。

消火栓に描かれているのは、仮名手本忠臣蔵の「大星由良之助」がモデルとなった『ゆらのすけ』。袖に雁木文(がんぎもん)の柄の羽織を着て、吉良家討ち入りの合図となる陣太鼓を叩く姿が可愛くデザインされています。

赤穂市駅前に立つ『大石内蔵助』。いざ討ち入りの采配を振るう姿で、駅に降り立つ人々を出迎えてくれます。

昭和26年9月1日 制定の市章は「「赤穂の赤」を図案化し、光芒は塩の結晶と躍進を表したものです」市HPより

市章はありませんが、上記に「AKO CITY」の文字が刻まれた消火栓。

市章付き側溝蓋

赤穂観光マスコットキャラクター『陣たくん』。大石内蔵助が鳴らした山鹿流の陣太鼓がモチーフ。衣装は勿論討ち入り時の火事装束です。

坂越の町中で見つけた「兵庫県高砂市」の越境側溝蓋、なぜか高砂市では見つけられなかった・・😅

撮影日:2010年8月9日&2010年8月17日

 

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浜坂みなとカニ祭り in 兵庫県新温泉町浜坂

2023年09月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

食べ物の好き嫌いが半端なく物凄い私。実際に好きなものをあげる方が早いくらい嫌いなものが多すぎて、その手の話題になるといつも呆れた顔をされてしまうのですが・・そんな私の数少ない好物の一つが「カニ」。「松葉ガニ・ズワイガニ・越前ガニ・間人ガニ・・」色々呼び名はありますが、とにかくカニの本場で本物のカニを食べる!長いこと憧れていた「カニ祭り」😆2014年11月15日に開催された「浜坂みなとカニ祭り」に、遂にやって来ました!!

漁港の駐車スペースにずらりと並んだ車のナンバーは、何と北海道から九州まで!これには本当にびっくり。どうやらみなさんここで夜を明かしたらしい・・そうか、その手があったのか!

何しろまるっきりの初心者。要領が分からないので、とにかく関係者らしき人に詳細を聞いて。で、まずは長い列に並んで、3サイズの生簀の中から、好みのカニを指定します。一人で食べるので遠慮してSサイズを選ぶあたりが小心者。足のタグを記念に頂いて持ち帰るあたりも初心者丸出し😆。

カニを選んだら再び別の列に並んで、今度はその場でカニを捌いてもらいます。どうですか!!この綺麗なカニ身、カニ味噌も滅茶苦茶美味しそう!!

その間、ご亭主殿は「浜坂麒麟獅子舞」を堪能しておりました。これは私も生で見たかったのですが、でも列に並んでいないとカニが買えない😓

生きた浜坂カニ、普通は皆さん生で食べるのですが、実は私・・生は苦手なので、カニ味噌も含めて全部焼きガニにしてもらいました(係りの方から、二度!確認されてしまった)。テントの下にお食事スペースが設けられていて、ここで皆さんと一緒に頂きます。

焼きたてのカニ味噌!も、カニ身!も絶品。「う~~~ん、生きてて良かった~~!!😍」 風が強くて物凄く寒かったけれど、でも美味しかった!!😍

食べ終わったら市場の見学。このお値段でブランドガニが買えるなんて、本当!!!に「カニ祭りバンザ~イ\(^o^)/」

漁協の屋台の焼きイカがこれまた絶品。お刺身にするイカを焼くなんて贅沢の極み。でもって、ものす~~~~ごく美味!!カニを遠慮してくれた(実はさして好物ではない)ご亭主殿は「当然でしょう」とのたまって、お代わりを所望しました(笑)

会場では『浜坂ダイちゃん』や、どこかの温泉から派遣された『湯桶君』も参加し、祭りを盛り上げています。

年甲斐もなく、『湯~たん』と一緒に記念写真も撮って貰いました。だって折角ここまで来たのに、何でも楽しまなきゃ😊。

楽しい雰囲気にすっかり飲まれて、ついつい色々と買ってしまって大荷物になりましたが、お支払い以上の満足感に顔はにやけっぱなし😊 最高の数時間でした。

来年もまた来ようねと約束して・・・気が付けば9年近くの歳月が過ぎていました。

訪問日:2014年11月15日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧浜坂町(新温泉町)

2023年09月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧美方郡浜坂町(はまさかちょう)は兵庫県の最北西端に位置した町です。温泉町、香美町、また県を跨いで鳥取県岩美町に隣接。海岸全域が山陰海岸国立公園であり、特に「但馬御火浦(たじまみほのうら)」は国の名勝及び天然記念物に指定されています。町内を流れる田君川では、全国的に絶滅の危機に瀕している梅花藻(キンボウケ科の水中性の多年草)の大群落地が広がる、涼やかな景色を見る事が出来ます。更にホタルイカの水揚げ日本一の浜坂漁港を有し、カニ解禁の11月には「かに祭り」が開催され、全国から多くの人が訪れます。「町の木:クロマツ」「町の花:ササユリ」を制定。

戦後に「但馬御火浦」に包括された「三尾大島」。浜坂駅前通りの交差点には、昭和5年(1931)3月に建てられた標柱「天然記念物 大島」が今も残されています。

また、浜坂温泉郷(七釜・二日市・浜坂)は、兵庫県で1番目、全国では79番目の国民保養温泉地として環境庁より指定されており、浜坂駅前には記念碑も建立。

明治22年(1889)、町村制の施行により、二方郡東浜村・大庭(おおば)村・西浜村が発足。

1891年、東浜村が町制を施行・改称して二方郡浜坂町となる。

1896年、郡制の施行により、七美郡・二方郡の区域をもって美方郡が発足。

1912年、 美方郡大庭村が、城崎郡長井村大字久斗山(くとやま)村を編入。

1954年、浜坂町が大庭村・西浜村と合併、改めて美方郡浜坂町が発足。

2005年、 美方郡温泉町と合併、新温泉町となりました。

マンホールには日本海を背景に、「松葉ガニ」「麒麟獅子」「町の木:クロマツ」「町の花:ササユリ」がデザインされています。

町無形民俗文化財「為世永(いよなが)神社:麒麟獅子舞」

昭和30年4月1日制定の町章は「仮名で(ハマ)を描き、意匠は波と海鳥の雄飛表し町勢、産業発展、和合を象徴したものである。」合併協議会資料より

浜坂駅前付近設置の、「温泉」「温」と書かれたマンホール。

浜坂の特産「ハマダイコン」をイメージしたマスコットキャラクター『ハマちゃん』。ハマダイコンを全国の人に知ってもらう為に日々頑張っています。

撮影日:2014年11月15日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県新温泉町&旧温泉町

2023年09月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

美方郡新温泉町(しんおんせんちょう)は兵庫県および近畿地方の最北西端に位置する町です。2005年10月1日、美方郡浜坂町、温泉町が合併して誕生。東と南は香美町、西は県を跨いで鳥取県鳥取市、岩岩美町、若桜町に隣接。世界ジオパーク加盟が認定された山陰海岸ジオパークの中央に位置し、山陰海岸国立公園、氷ノ山後山那岐山国定公園、但馬山岳県立自然公園などの自然公園指定区域を有しており、その面積は町全体の46.3%を占めています。「町の木:黒松・モミジ」「町の花:桜・笹百合」「町の鳥:イワツバメ・鶯」を制定。

今から約1150年前に慈覚大師により開湯されたと伝えられている「湯村温泉」をはじめ、浜坂温泉、七釜温泉、二日市温泉の浜坂温泉郷を有しており、『海・山・温泉』を包含する豊かな自然環境に恵まれています。ウエルカム顔出しは、水揚げ日本一のホタルイカとカニソムリエ厳選の松葉ガニ。キャッチフレーズは「海・山・温泉 人が輝く 夢と温もりの郷 新温泉町」

2005年10月1日制定の町章は「新温泉町の頭文字「し」をモチーフに、温泉と山と海をデザインし、住民が輝きながら未来に向けて飛躍する姿を表現したもので、ふれあい、創造、活力、飛躍を象徴しています。」公式HPより

温泉街のシンボルで日本屈指の高温源泉「荒湯」の精霊は、湯村温泉マスコットキャラクター『湯~たん』。温泉街に夜な夜な現れ、荒湯の源泉が入った湯たんぽを寝ている人の布団の中にそっとしのばせてくれるそうです。

2017年9月21日に開駅した「道の駅:山陰海岸ジオパーク浜坂の郷」にはこんなに立派な但馬牛のブロンズ像が😊

更に「ホタルイカ姫」「但馬キング」「浜坂カニナイト」の顔出し・・新たなご当地キャラクターの誕生なるのか、続報が待たれます・・って、誰も待ってないですよね😩

撮影日:2014年11月15日&2019年10月9日

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旧美方郡温泉町(おんせんちょう)は兵庫県の北西部に位置した町です。浜坂町、香美町に、また県を跨いで鳥取県鳥取市、岩美町、若桜町に隣接。「温泉」の地名は古くよりあり、奈良時代の文献にも見る事が出来ます。岸田川の支流、春来川のほとりには、夢千代日記で有名な湯村温泉があり、日本屈指の高熱温泉「荒湯」が湧く事で知られています。「町の木:モミジ」「町の花:桜」「町の鳥:鶯」を制定。

温泉街の旅館の前には立派な但馬牛😓  肉好きには最高に贅沢で美味しい但馬牛・・でもお金を貰ってもゴメンナサイの私には縁がない💦

明治22年(1889)、町村制の施行により二方(ふたかた)郡温泉村・照来(てらぎ)村・八田(はった)村が発足。

1896年、郡制の施行により、七美郡・二方郡の区域をもって美方郡が発足。

1927年、温泉村が町制を施行、美方郡温泉町となる。

1954年、美方郡照来村・八田村と合併、改めて温泉町となる。

2005年、浜坂町と合併、新温泉町となりました。

マンホールには町章を中心に三分割し、「町の鳥:ウグイス」「町の木:モミジ」「町の花:サクラ」が描かれています。

昭和39年10月1日制定の町章は「町名の頭文字オンの「オ」を中央で飛躍、発展の両翼と山岳自然美に象徴し、ンを円で団結、融和に象徴した図案」合併協議会資料より

撮影日:2014年11月15日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧美方町(香美町)

2023年09月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧美方郡美方町(みかたちょう)は兵庫県の北部、但馬地方に位置した町です。養父市、村岡町、温泉町に、また県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。四方を山に囲まれた非常に自然豊かな町で「日本で最も美しい村」連合に加盟。町の中央部を北流する矢田川の源流域をなすひとつの谷でひとつの町という珍しい地理的特徴を持っています。鉢伏山の南側山麓に開かれたハチ高原スキー場は、氷ノ山国際スキー場と共に、関西有数のスキー場として人気です。「町の木:トチ」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:鶯」を制定。

スキーで一日楽しんで、「山峡のいで湯」と称された温泉で寛ぐ・・多分、私には縁のない世界ですが😅 素敵なんだろうと思います。

明治22年(1889)、町村制の施行により七美郡小代村、二方群射添村(いそうそん)が発足。

1896年、 郡制の施行により、七美郡・二方郡の区域をもって美方郡が発足。

1955年、小代村・射添村が合併、美方郡美方町が発足。町名は郡名に因んで決められた。

1961年、 旧・射添村大字長板・和田・入江・川合・丸味・原・長瀬・高津・長須・味取・山田・境・柤岡・熊波地区が村岡町に編入。旧・小代村のみ美方町に残存。

2005年、美方郡村岡町・城崎郡香住町と合併して香美町となる。美方町の全域が旧・小代村域にあたることから、地域自治区名が香美町小代区となる。

マンホールには「町の木:とち」「町の花:シャクナゲ」、下に「町の鳥:うぐいす」がデザインされています。

昭和35年4月制定の町章は「美方町の頭文字「み」を躍動的に図案化し、融和と団結、飛躍発展を象徴する。」合併協議会資料より

但馬は和牛の故郷として有名で、各地域ごとに但馬牛のモニュメントが見られます。そのルーツともいえるのが、旧美方町小代区貫田の『田尻松蔵』宅で昭和14年(1939)に生まれた但馬牛:田尻号」。昭和29年(1954)まで生き、優秀な種牡牛として、和牛の大半を占める黒毛和種の系統作りに貢献しました。

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「道の駅:ハチ北」構内にあった小型マンホールの越境蓋。どこかで見た覚えがあるのですが、資料が膨大過ぎて・・😔

 

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