車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 京都府笠置町

2023年04月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・京都府

相楽郡笠置町(かさぎちょう)は京都府の最南端に位置する町です。木津川市、和束町、南山城村に。また県を跨いで 奈良県奈良市に隣接。府内で一番小さな町で、全面積の八割が山林で占められています。町のシンボルでもある笠置山は古くから信仰の対象とされ、山頂の笠置寺には日本一といわれる弥勒大磨崖仏があり、また後醍醐天皇の行在所としても知られ、当時をしのぶ史跡も数多く残されています。「町の木:染井吉野」「町の花:美山つつじ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「わかさぎのはばたくまち  美しい自然と史跡に恵まれた心ふれあう町」

白砂川の大手橋に、千載和歌集を撰進した『藤原俊成』の和歌。
【 五月雨は  水上まさる いづみ川  笠置の山も  雲がくれつつ 】

明治22年(1889)、町村制の施行により、相楽郡笠置村が発足。

1934年、 笠置村が町制を施行、相楽郡笠置町となる。

マンホールには、デザイン系の物はなく上水道関連の規格蓋のみでそれにも自治体を表す知章は皆無。町役場から消防署と聞きまわってそれでも見つけられず、知人から頂いた「笠置消防の防火水槽」画像が唯一のご当地ものとなりました。

昭和45年(1970)3月18日制定の町章は「全体で笠置町の頭文字である「笠」を表しています。」

以下はいずれも完全な汎用規格蓋です。

2009年は笠置大橋のこちら側、国道163沿いから集落の中までかなりの時間を費やして探し回りましたが、完全な規格蓋しか見つけられず、2015年は橋の向こう、笠置駅から集落を歩いて蓋探し・・流石に諦めました😩

笠置の由来「天智天皇の皇子の大海人皇子がこの地で狩りを楽しんでいると一匹の鹿があらわれ、夢中になって追いかけ危うく馬ごと岸壁から落ちそうになってしまいました。困り果てた皇子は「山の神よ、お助けください。そうしてくだされば、岸壁に弥勒仏の像を彫りましょう。」と祈願し、窮地を脱することができました。皇子は、祈願した場所を忘れないために笠をそこに置いて帰り、あくる日に約束どおり弥勒仏を彫ろうと再び山を訪れました。笠を探していると、白鷺があらわれ皇子をその場所まで導きました。皇子が笠を置いた石を「笠置石」、山を「鹿鷺山(しかさぎさん)」と称し、それが今日の「かさぎ」の由来となりました。」公式HPより

撮影日:2009年4月11日&2015年9月5日

コメント (2)
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ご当地マンホールとマンホールカードA&B in 京都府舞鶴市

2021年05月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・京都府

舞鶴市(まいづるし)は京都府北東部、丹波高地北部に位置する市です。綾部市、宮津市、福知山市に、また県を跨いで福井県大飯郡高浜町東に隣接。若狭湾の支湾である舞鶴湾に面し、市街地はもと京極氏・牧野氏3万5000石・田辺藩の城下町として発展。海軍の軍港から発展した東舞鶴は、現在は海上自衛隊の基地港として総監部が置かれ、西舞鶴は北前船の時代から現在に至るまで商港として利用され、広島県呉市と共に肉じゃが発祥の地として知られます。「市の木:ケヤキ」「市の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「とびっきりやね。 これ! 舞鶴そだち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、加佐郡舞鶴町・倉梯村・志楽村・余内村・中舞鶴町・倉梯村・志楽村・与保呂村・池内村・四所村・高野村・中筋村・朝来村・東大浦村・西大浦村・岡田上村・岡田中村・岡田下村・八雲村・神崎村が発足。

1902年、余内村大字余部上・余部下・和田・長浜地区が分立、余部町が発足。

1906年、倉梯村大字北吸・浜・溝尻・森・行永、志楽村大字市場・泉源寺の一部合併、町制を施行し加佐郡新舞鶴町が発足。


1919年、余部町が改称して加佐郡中舞鶴町となる。

1936年、舞鶴町が、加佐郡余内村、池内村、四所村、高野村、中筋村を編入。

1938年、新舞鶴町、中舞鶴町、倉梯村、志楽村、与保呂村が合併、市制を施行し東舞鶴市が発足。加佐郡舞鶴町が市制を施行し舞鶴市が発足。

1942年、東舞鶴市が加佐郡朝来村、東大浦村、西大浦村を編入。

1943年、舞鶴市と東舞鶴市が合併、新たに舞鶴市が発足。

1955年、岡田上村、岡田中村、岡田下村、八雲村、神崎村が合併、加佐郡加佐町が発足。

1957年、舞鶴市が加佐郡加佐町を編入、現在に至ります。

マンホールには、五老ヶ岳公園から望む舞鶴湾と、「市の花:ツツジ」がデザインされています。

五老ヶ岳公園から望む舞鶴湾

「市の木:ケヤキ」がデザインされたマンホール。下に「まいづるし」の文字。

ハンドホールタイプの蓋には、「市の花:ツツジ」と「まいづるし」の文字が描かれています。

昭和19年(1944)1月20日制定の市章は「周囲の○が「マ」中のYは「イ」図全体「ツル」をあらわし、鶴が翼をひろげて舞う姿を表したもの。」公式HPより

舞鶴観光協会所属で「舞鶴かに」のPRキャラクター『チョキまる』。冬の味覚の王者「舞鶴かに」の良さをもっと多くの方に知ってもらう為に頑張っています。

「丹後ガス株式会社」の社章入りガス用角蓋。下は「W」のマーク付きハンドホール。

撮影日:2010年7月9日&10日&2019年10月9日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体76種類(計364自治体418種類)のマンホールカードの無料配布が開始されました。  「舞鶴市A」のマンホールカードは、「舞鶴赤れんがパーク」でいただけます。

1998年に設置開始されたマンホールには「五老ヶ岳からの眺め」がデザインされています。

「舞鶴市の中央に位置し、標高301mの高さを誇る「五老ヶ岳」から眺めた景色をデザインしたマンホール蓋で、1988年から設置が行われました。 デザインの中央には美しいリアス式海岸を持つ「舞鶴湾」と長年舞鶴と北海道を結んできた定期船「すずらん丸」、下部には咲き誇る舞鶴市の花「ツツジ」、また上部には京都府の鳥「オオミズナギドリ」が、優雅に空を飛ぶ姿が描かれています。 四季折々の顔を見せる大自然と歴史豊かな舞鶴の街並みが織りなす日本屈指の絶景は、旧郵政省が1985年に実施した観光地選定事業「近畿百景」で第1位に選出されました。」

訪問日:2019年10月9日

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マンホールカード、頂きました

2020年8月1日、第12弾として全国53自治体62種類(計535自治体667種類)のマンホールカードの無料配布が開始されました。  「舞鶴市B」のマンホールカードは「田辺城資料館」にて頂けます。

2019年に設置開始されたマンホールには、「田辺城城門」がデザインされています。

「舞鶴市の西市街地に位置する平成4年に再建された「田辺城」の城門を中央にデザインしたマンホール蓋で、下水道の『水洗化50周年』を記念して令和元年から設置が行われました。 織田信長や豊臣秀吉などに仕えた細川幽斎が隠居城として築いた田辺城は、別名「舞鶴城(ぶかくじょう)」と呼ばれ、「舞鶴」という地名の由来となりました。 「関ヶ原の合戦」の前哨戦では石田三成方の西軍一万五千人の軍勢が田辺城を包囲し、これをわずか五百人の軍勢で迎え撃った「田辺籠城戦」が有名です。 城の近くには城下町の風情が残る町並みや古い寺院、神社が数多く残っています。」

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