車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

富里市内~あちこちウォッチ in 千葉県富里市

2019年08月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

富里市御料「豊受神社」の敷地内に「大久保卿牧羊場選定の碑(市指定有形文化財)」があります。

明治8年(1875)、政府は日本で最初の牧羊場(下総牧羊場)を、富里市十倉・御料などに開設しました。 その当時、富里の選定地調査に同行していたのが『大久保利通』さん。何を思ったか唐突に土手に駆け上がり「ここに決めた!」と鶴の一声😅  その一言で、この地に牧羊場の開設が決定したと言われています。

何と言うか・・日本国中に派遣された「牧羊開業取調掛」の皆さん。日々、緻密な調査に頑張っていた筈だったと思うのですが、こんなに簡単に決めちゃうなんて・・それとも特殊能力をお持ちだったのでしょうか😲

かつて下総と呼ばれたこの地域には、広大な「牧(まき)」が形成され、野生の馬が放牧されていました。 古くは平安時代の官牧に始まり、徳川家康の入府以降は「佐倉七牧」として発展したと云います。 先の『大久保利通』が駆け上がった土手こそ、実は!野馬の放牧に利用されていた「野馬土手」だったのです。つまり彼は本能的にその地を察知したんでしょうか。 今回の旅では、残された野間土手を見る事はできませんでしたが、馬の存在は市内のあちこちに。 たとえばこの街灯、飛翔する馬の姿が見事に表現されていて、お気に入りの一枚。

馬の話はこれくらいで、全国でも有数のすいかの名産地「富里市」。思いがけない場所で色んな西瓜に出会えました。

市役所の玄関前には、いかにも美味しそうな六つ切りの西瓜のモニュメント。 スイカ好きの私の目から見ても、この富里スイカ、本当に甘くてジューシーな感じが良く出ています。

富里市中沢にある「千葉ガス富里供給所」には、スイカ柄の巨大ガスホルダーがあります。 ネットで見つけた時は???でしたが、富里がスイカの名産地と聞いてもの凄く納得しました。それにしても巨大😲

スイカ柄のガスホルダーは、熊本県合志市の西部ガス、岩手県の盛岡ガス滝沢工場内にもあるそうです。 でも、直径が33.8mの富里市のガスホルダーは、群を抜く国内最大級の大きさなんです。

で、実は私・・この時すぐ近くに「雉」を発見😲 速攻でデジカメを向け、見事に画像をGet。 たまに見つける事が有っても、カメラを取り出す前に逃げられるのに・・自分で言うのもなんですが、なんか凄いです😃

訪問日:2014年5月19日&2019年3月18日

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ご当地マンホール in 千葉県富里市

2019年08月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

富里市(とみさとし)は千葉県の北部中央、北総台地のほぼ中央に位置する市です。北は成田市、南は八街市・山武市、西は印旛郡:酒々井町、東は山武郡:芝山町に隣接。江戸時代は佐倉藩領に属し、中央部や東部に広がる原野は、内野牧・高野牧として馬が放牧され、毎年秋になると近隣の村人を使って馬を捕獲し販売していました。そのため、地元の大きな農家は「牧士」と称した士分の待遇が与えられ、馬の管理と捕獲を任されていました。市名は村域となった13の村を総称して「十三の里」と呼んだことから「十三里」-「富里」となりました。皇室献上品の富里スイカやスイカロードレース大会で知られるスイカの名産地[で、生産高、出荷量ともに熊本市に次いで、全国第2位を占めています。「市の木:山桜」「市の花:サルビア」を制定。

キャッチフレーズは「人と緑が調和し未来を拓く臨空都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により印旛郡の十三の村(里)の区域を以って、印旛郡富里村が発足。

1985年、富里村が町制を施行、印旛郡富里町が発足。

2002年、印旛郡富里町が市制を施行、富里市となりました。

マンホールには、「競走馬の親子と市の木・山桜」が描かれています(富里市七栄の「富里市水道事業所」内展示)

「競走馬のふるさと」として有名な富里市、市役所の玄関前には馬の親子像が置かれています。

昭和44年4月1日制定の市章は、【富里の「と」と、勝利の「Vサイン」の交錯によって、躍動と発展を表わし、周囲の丸は融和と郷土愛を象徴したものです。】公式HPより

「仕切弁2種」

「制水弁3種」

「消火栓3種」。

「印旛広域水道」と書かれたマンホール

富里市公式マスコットキャラクター『とみちゃん』。血液型は糖度が11度の果汁😅 マラソンが好きな永遠の13才で、毎年開催される「スイカロードレース」に出場しています。

撮影日:2014年5月19日&2019年3月18日

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銚子市内~あちこちウォッチ in 千葉県銚子市

2019年08月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市天王台、北総地域で最も高い標高73.6mの「愛宕山」の頂上に、「地球の丸く見える丘展望館」なるものがあります。 屋上の展望スペースから見える風景は、まさしく【地球が丸い】という事が実感できるとか。

折角ここまで来たのに、2014年のこの時は、私たちの時間が無くて展望館には入らず😓 それでも目の前に広がる太平洋は間違いなく雄大で、思い出に残るワンシーンとなりました。そして二度目の千葉では結局立ち寄れませんでした。

訪問日:2014年5月18日

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銚子市春日町にある浄土宗寺院「浄国寺」。ここに芭蕉の句碑があると聞きやって来ました。弘化2年(1845)に建立された句碑は、地元の豪商『大里庄次郎・野崎小平次』が、俳聖芭蕉を追慕してのもの。句碑の片隅には別の句も添えられています。

【枯枝に  からすのとまりけり 秋の暮】
     【あきの夕  誰が身のうへぞ 鐘が鳴る】

更に境内には『小林一茶』の句碑まであり、これはもう全く想定外。 一茶は文化14年(1817)に潮来から船で銚子に入り、俳友桂丸と李峰の三人でこの浄国寺を訪れています。一茶の日記には「一晴 南風 返田浄国寺登望西台 桂丸 李峰同」と記されているそうです。

此臺の清風たゝちに心涼しく西方仏土もかくあらんと
【本とゝす  爰をさること 遠からす】

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銚子市長崎町に鎮座される「長九郎(ちょぼくり)稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神』

鯛と鰯の鳥居をネットで見た時は、思わずフェイク画像かと思ったのですが、怖いもの見たさで来てみれば、やっぱり本物😲【江戸時代初め、紀州から銚子へ来た漁師:長九郎は、魚が大漁に獲れる銚子の海に惚れ込み、子孫繁栄や大漁満足などを願って、京都の伏見稲荷大社を勧請した】とあります。

突端近くの黄金の鳥居からは水平線が一望でき、また日本で最も早く日の出が見られる場所だそうです。とは言え、日の出が見られる時間にこの場所に来るというのは・・・ちょっと遠慮したいです😓

拝殿は、2002年に付近の女性たちの尽力で新築されたそうですが、2011年の東日本大震災で損壊。 現在は再建するべく浄財を募っているそうで、お賽銭はいつもよりほんの少し多めに・・

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銚子市名洗町から、隣接する旭市の刑部岬まで約10kにわたり、40~50mの断崖が続く「屏風ケ浦」

このあたりの岩は常に波浪の浸食を受けており、岩の組織に応じてさまざまな形の岩礁が生み出される事で知られています。

『源義経』が千騎の兵と共に立て篭もった事から「千騎ヶ岩(せんがいわ)」と名づけられた岩。 高さ18m、周囲約400mの巨大な岩体は、「利根川図誌:銚子磯めぐりの名勝地」にも登場しています。

その「千騎ケ岩」の直ぐ近くに、まるで犬の顔のような形の「犬岩」と呼ばれる岩があります。 その昔、頼朝の追っ手を逃れ奥州に向かった義経が、海岸に置き去りしてしまった「愛犬:若丸」。若丸は主人を慕って7日7晩鳴き続け・・そして鳴き声が消えた八日目の朝、犬の形をした大岩が現れました😭

それを見た人々は「若丸」の心根を哀れみ、この巨岩を「犬岩」と名付けたと云われています。 犬吠埼の「犬吠」とは、主人を慕って吠え続けた「犬が吠える」事からとも伝えられています。

余談ですが・・・この「犬岩」がある海岸まで来たとき、異様な臭いに思わず顔をしかめました。 臭いの元は、数日前に岩礁の間に打ち上げられた、体長18mの「マッコウ鯨」の腐敗臭。死んでからかなり日が経っているそうで、この岩場では2001年にも同様の事があったそうです。死んでから流れ着いたのなら仕方ないですが・・絶滅するからと保護を叫ぶ人は、こういうのを見て何とも思わないのだろうか😔

訪問日:2014年5月18日&2019年3月12日

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銚子電鉄:犬吠駅 in 千葉県銚子市

2019年08月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市犬吠埼にある銚子電気鉄道:銚子電気鉄道線「犬吠駅」。舌を噛みそうな名称はさて置き😅、初めてここの駅舎を見た時は、一瞬来る場所を間違えたかと思うほどビックリ。 色々と駅舎も見て来たけれど、流石に「ポルトガルの宮殿風建築」は・・で、何故ポルトガル??

でもって「ヨーロッパスタイルの白壁と絵タイルが美しい駅」として「関東の駅百選」に選定。 で・・その「絵タイル」は、2013年のリフォームの際、駅名標を除いて撤去されたって😅  で・・繰り返しますが、何故ポルトガル?

それはさて置き、駅舎の前には、桃太郎電鉄シリーズの協賛企画で「貧乏がイヌ(居ぬ)」像が2007年に設置。 ファミコンで遊んだ世代としては懐かしすぎる顔。当時のゲームは単純でしたが、理屈抜きで楽しめたように思います。

駅舎の内装も洒落ていて、時間的余裕があれば、あの改札を抜けて、電車の旅を楽しみたい気分。 でも乗車は無理なので、経営不振にも負けず頑張り続ける銚電の応援は「ぬれ煎餅」を少し多めに購入。ガンバレ!銚電😊

「ぬれ煎餅」の評判は上々、ところが収入の約7割を占めていた「ぬれ煎餅」が、売れ行き不振で経営そのものが赤字に転落! このままでは「まずい…」ということで、とっても美味しい「まずい棒」の販売を開始。 そのような事情により😅、2019年の犬吠駅のお土産は、場所をとるのがちょっと難点ですが、ウケ狙いにもピッタリの「まずい棒」。

「まずい棒」の販売に併せて、専属キャラクターも誕生。その名も『日野日出志』氏による『まずえもん(魔図衛門)』「まずい...」という言葉に反応して魔界からやって来る異星人、なんでも銚電の大ファンなんだそうです。

発売から4か月で50万本突破の「まずい棒」、それを記念して「まずえもん神社」が犬吠駅に誕生! 「棒納」と書かれた賽銭箱の後ろに立つ、白一色の車掌姿の彼が「まずえもん」の“ご神体”。

色々と良い意味で突っ込みどころ満載の「銚電」、今度は面白い駅弁を発見してしまいました! こちら「鯖 威張る」と書いて「サバいばる弁当」、このネーミングセンスが、銚電の銚電たる底力!

2013年の駅舎訪問の際には、ちょうど電車が入ってきたので、大急ぎでホームが見える場所に移動。グリーンの車体は「デハ2000形」、2009年に伊予鉄道から譲り受けたものだそうです。 京阪地区に住む私にとって緑の電車は「京阪電車:普通車両」ですが、銚電の緑はもっと優しい。 本当にいつかこんな電車に乗って、各駅停車で房総を旅してみたい・・でも、いつかって何時だろう😅

犬吠の名所がぎっしりと詰め込まれた素敵なエンブレムは、沖縄ツーリストの作成。これ・・・カラーマンホールにして銚電の主要駅に設置したら、絶対に訪問者倍増ですよ!! もちろん、設置に併せてマンホールカードの製作なんてしたら・・私、絶対に再々訪します!

訪問日:2014年5月18日&2019年3月12日

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犬吠埼(いぬぼうさき)灯台 in 千葉県銚子市

2019年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市の東突端、日本で一番早く初日の出が拝めるという関東最東端の突端にそそり立つ「犬吠埼(いぬぼうさき)灯台」。 地上から塔頂までの高さは31.3 m、煉瓦製の建造物としては、日本第2位の灯塔高だそうです。前回は指を咥えて見送りましたが、今回は念願かなっての訪問。

古くから交通の要所として、また魚介類の水揚げ場、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港した銚子。 しかし犬吠埼付近は岩礁・暗礁が多く海流が複雑な為、海の三大難所として海難事故が多発したと言います。慶応4年(1868)には、幕府の軍艦が暴風雨に遭い岩礁に乗り上げて沈没。乗組員13名が死亡という惨事となりました。

こうした状況の中で、日本に5つしかない第1等灯台が着工されたのは、明治5年(1872)の事。設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師『リチャード・ヘンリー・ブラントン』 使用された19万3000枚の白色煉瓦は、内務省の土木技師によって生産が試みられた初の日本製の煉瓦。

着工から二年の歳月をかけて美しい白亜の灯台は竣工。危険な海の道標となる初点灯がなされました。 140年以上の風雪に耐え太平洋を照らし続けてきた白亜の灯台。導かれる船舶の安堵、灯台を守り続けた人の想い、すべてを包み込み、今も銚子のシンボルとして人々に愛されています・・と、こんな風に書いていくだけで、壮大なドラマの筋書きが浮かんできそう😊

灯台は一般公開されていますが、99段もの螺旋階段を登れるような健脚ではないのでパス😓 展望台から一望できるという太平洋も、敷地内の遊歩道から見るのと、そんなに変わらない筈!・・・・と、思いたい😅

1998年に「世界の歴史的灯台100選」に、2010年には国登録有形文化財となった「犬吠埼灯台」。また海岸の白亜紀浅海堆積物は「日本の地質百選」に選定。灯台の入り口前には、2012年のホワイトデーに設置された「白いポスト」があります。 ホワイトデーに因んだ「白いポスト」、そのうち「恋人たちの聖地」認定も近いかも。 それは兎も角、ここで郵便物を投函すると、風景印が押されて発送されます。

灯台の周囲には遊歩道が設けられており、様々な角度から犬吠埼灯台の景観を愛でる事ができます。 たとえば直物群、「崖地植物群落」の看板を見て気になった「ソナレムグラ」「イソギク」は開花時期が秋から冬の為、影も形も無し。 このブラシのような植物、銚子を分布域の北限とする「ヒゲスゲ(カヤツリグサ科)」みたいだけど・・今ひとつ確信が😅 う~~~ぅ、こういう時、植物図鑑並に説明できたら、きっとカッコいいだろうな。

遊歩道上から間近に観察できる地層は、1億3000万年前から1億年前の恐竜時代の地層だそうです。 さすがにここまで桁外れの数字になると、全くピンときませんが・・・とりあえずスゴイのです😲

ちなみにこの近くには、東映映画のオープニングに登場する「荒磯に波」のロケ地があるんだそうです。 犬吠埼灯台下遊歩道からだとその岩が見られるそうですが、残念な事にこの日の遊歩道は途中から立ち入り禁止。その為「荒磯に波」のロケ地が見える場所には行けませんでしたが、似た風景を激写! どうかなぁ?😓

風光明媚な犬吠埼には昔から多くの文人墨客が訪れ、景勝地は「文豪の地」として親しまれています。 彼らが句や詩に詠んだ犬吠の風景は、今も変わらず白亜の灯台と共に多くの観光客に愛されています。

【犬吠の  今宵の朧 待つとせん】高浜虚子(昭和14年(1939)に銚子を訪れた際の作)

【ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ草花をつむ みづからの影踏むわれは 仰がねば 燈台の高さを 知らず 波のうねうね ふる里のそれには如かず ただ思ふ 荒磯に生ひて 松のいろ 錆びて 黝きを わが心 錆びて黝きを】佐藤春夫(明治44年(1911)に銚子を訪れた時の作)

【わかれても 故郷の海のあゐいろが  目にあり秋よ さびしくあるかな】尾張穂草22歳の作

【日の暮れ 海がすきです月見草】田原秀水(俳人協会:会員、昭和62年(1987)の作)

訪問日:2019年3月12日

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猿田(さるだ)神社~奥宮 in 千葉県銚子市

2019年08月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

「猿田(さるだ)神社」の参拝を終えて、東鳥居から裏参道を経て向かった「猿田神社:奥宮」。 実はこの奥宮の鳥居は、裏参道を登りきった先、私たちが車を停めた駐車場の向かい側にあります。

道は下に続き、やがて「御神砂(ごしんさ)受所」と記された、山肌があらわになった一画に出ます。 傍らの案内には「御神砂は貴重です。良識ある分量をお持ちください。」と記されています。 この無残な穴ぼこを見ると、こうした注意書きをされるような事が、ままあるのでしょう。「古い御神砂を置かないでください。」と注意書きは続きます。良識に任せてのご厚意。応えられないなんて恥ずかしい事ですよ。

そこから更に下に進むと、穏やかな空気が漂う「御神水」と書かれた一画に出ます。 小さな池の奥からはご神水が湧き、その近くには「水神」「龍神」の碑が祀られています。石垣の上に鎮座される赤っぽい石祠、いわゆる「奥宮」に該当されるものでしょうか。

ここからの湧き水はご本殿が鎮座される場所まで引かれており、そちらでもお水取りが出来ます。 側には「ご神水は湧き水です。水量に限りがありますので大切にお取りください」の注意書き。 神砂と言い、ご神水と言い・・・そんなにむやみに持ち帰って、一体どうするんだろうね😓

奥宮の片隅には「親鸞聖人霊場旧跡」碑、親鸞聖人はこの地に庵を建てて滞在したそうです。 浄土真宗の開祖『親鸞聖人』の旧跡は日本各地に残されており、私たちも色んな場所で遭遇しましたが、ここもその一つのようです。

次に向かったのは「猿田彦降臨地」。2013年に伝承の場所に整備完了された「元宮」

まだ新しい神域にこじんまりと整えられた社殿。まるで深い森の緑を従えるように静かに鎮まっておられます。

社殿の手前には「猿田彦大神 御降臨之地」と刻まれた碑。

『猿田彦大神』は、天孫降臨の際『瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)』を日向の高千穂に導いた国津神。ゆえに、事の最初に御出現になり、最も善い方へ“お導き”になる神とされます。導きの神は、また道開きの神でもあるのです。

参拝日:2019年3月12日

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猿田(さるだ)神社 in 千葉県銚子市

2019年08月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市猿田町に鎮座される「猿田(さるだ)神社」。御祭神は『猿田彦大神・天鈿女命(あまのうずめのみこと)・菊理媛命』

社伝に【垂仁天皇25年11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に「生田神社」の摂社になったという。大同2年(807)に社殿を造営、康平年間(1058~1065)には『源頼義』が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く『源頼朝』も寄進したと伝えられ、『足利晴氏』は金印を奉納。当時のものという印が現存する。】

ちなみにこちらの神社、神仏習合の名残なのか、仏滅(六曜・仏滅)の日は社務所がお休み。 さらに神職さんは遠方のお住まいなのか、受付は~午後3時まで。流石に早すぎるでしょう・・と思っても、下調べを怠った自己責任😅

拝殿の横には玉垣御門が設けられており、本来であれば玉垣の内側からの参拝もできます。 でも~午後3時までに間に合わなかった私たち、御門は閉じられており玉垣外からの拝礼。 姿の美しい本殿は延宝8年(1680)に改築されたもので、県有形文化財の指定。

玉垣の隙間から見えた鳳凰の彫刻、きっと他の彫刻も素晴らしいものがあった筈ですが・・残念。

御神紋は、三日月に三つの星の「月星紋」。この文様には道中の安全守護の霊験があるとされます。

樹齢数百年のうっそうとした「猿田神社の森(千葉県指定天然記念物)」を背景に鎮まる社殿。 その近くに鎮座していた石の社殿は、どなたが祀られているのかわからず、そのことが残念。

境内には、参拝前にお祓いをする「祓舎」があり、私たちも手水の後こちらで身を清めます🙏🙏。

「祓舎」の奥には沢山の「お稲荷さん」の「石祠」が並び、それぞれに神狐さんも奉納されています。

反対側にはやはり沢山の「石祠」が奉納されており、どれも綺麗に手入れされています。

ピカピカに磨かれた神輿庫のガラス戸の向こうには、漆と金の対比も鮮やかな神輿。

しっかりと閉ざされた😅社務所の前には、神社にはお約束の「力石」も奉納。

これは本来の表参道で、この石段を避けるために私たちは裏参道を経て、東鳥居から参拝しました。 足回りに関しては常に「非常に問題あり」の私、ご亭主殿は万難を排してリスクを避けてくれます🙏。

御朱印は頂けませんでしたが、まだ奥宮、元宮の参拝が残っています。続きは明日。

参拝日:2019年3月12日

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銚港(ちょうこう)神社 in 千葉県銚子市

2019年08月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市馬場、飯沼観音に隣接して鎮座される「銚港(ちょうこう)神社」。御祭神は『闇淤加美(くらおかみのかみ)神・級津彦(しなつひこのかみ)神・級津姫(しなつひめのかみ)神』。さらに『菅原道真公、火遇突智神(かぐつちのかみ)』の二神を配祀。

創建は不詳、観世音示現と共に海中より出現の「馬脳(めのう)石」を御神体とします。 奈良時代養老年間の創建と伝えられ、明治2年までは「竜蔵権現」と称し、飯沼観音の鎮守として奉斎されていました。

明治初期における神仏分離令により「飯沼観音」と分かれ、「銚港神社」として現在の地に鎮座。 現在では銚子の「産土様(うぶすなさま)」として、地元の方々の崇敬を広く集めています。

「産土様」の神域を守護されるのは、「ノッシ!ノッシ!」と足音が聞こえてきそうな歩き姿の狛犬さん一対。

不遜な輩の進入は決して許さないが、さて・・お前は何をしにきたのかな?とか、言ってそう😅

参道の先には堂々とした風格が美しい、文化4年(1807)建立の『石工:鈴木常三郎』の江戸流れ狛犬さん一対。

台座に刻まれた「本小田原」は、江戸の本小田原町に店を構えていた魚問屋からの奉納を記したもののようです。

手水舎では、御神体とされる「馬脳石(もちろんモドキです)を見せ付けるように掴んだ吐水龍が参拝者を迎えます。

創建当時の社殿は昭和20年(1945)の空襲で焼失。現在の社殿は昭和30年代に再建されたものです。 拝殿には、時の総理大臣であった『吉田茂』の揮毫による扁額が架けられています。2014年の参拝では調査不足の為その存在を知らず、両横の奉納額しか写真にとっていませんでしたが、今回は忘れずに😃

ずらっと並んだ奉納名は、いずれも漁業関係者か、もしくは水産加工に関わる方々の名簿的な感じですね。

奉納額も龍尽くしなら拝殿の彫刻も龍尽くし。唐破風屋根の懸魚から下界を見下ろす翼龍。

それを見上げる拝殿欄間の龍、いずれもかって「龍」の名を持っていた神社に相応しい彫刻。

社殿の横に置かれた幾つかの石柱の中に、「龍蔵権現」の文字が刻まれたものを見つけました。このお社が「飯沼観音の鎮守」であった名残でしょう。こうしたものが大切に残されているのを見ると、神社の歴史を垣間見せて頂いたようで嬉しくなります。

参拝日:2014年5月18日&2019年3月12日

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金毘羅神社 in 千葉県銚子市馬場町

2019年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市馬場町、飯沼観音に隣接して鎮座される「金毘羅神社」。御祭神は『大物主神』。 海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集めています。

社殿は鮮やかな朱で彩られており、おそらく飯沼の観音堂や仁王門と同じ時期の建立ではないかと思われます。

唐破風の懸魚には、金色の雲間に遊ぶ銀色の「翼竜」。その鋭い眼光も力強く広げられた翼も、見事に朱に映えて鮮やか。

金色の木鼻の獅子は、それぞれが満開と蕾の牡丹を口にくわえ、参拝者を出迎えてくれます。本来、派手に塗られた彫刻と言うのは好みでは有りませんが、ここはちょっと別😊

鮮やかな朱塗りの社殿を守護されるのは、金比羅様の御神宝を持った江戸流れの狛犬さん一対。 吽形さんの手の下にあるのは、風を自在に操る事ができるという「天狗の羽団扇」。「金刀比羅宮」と「天狗の羽団扇」・・何かの判じ物のようですが、意外とそうでもありません。

その昔、四国の「金刀比羅宮」には、時折天狗が現れるという言い伝えがありました。昔から海上交通にとって風は非常に重要なものであり、しかし、またこれ以上ない恐ろしいものでした。海上の守り神である「金刀比羅さん」には、風を自在に操る天狗の存在は必須だったのでしょう。

阿形さんの前足の下には・・これは多分天狗さんの持ち物の一つの「ほら貝」。 吽形さんが「天狗の羽団扇」なので、対の阿形さんには天狗の「ほら貝」を持たせたのかも😅

天狗さんはしばしば山伏の姿で人間界に姿を現しますが、山伏と言えば「ほら貝」は必須&テッパン😊

奉納された石灯籠には「馿(馬偏に丘かも)廻船」「漁業組合」の文字。 日本屈指の年間水揚量を誇る銚子。「金刀比羅さん」は漁業の神様の代名詞でもあるのです。

参拝日:2014年5月18日&2019年3月12日

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飯沼山 円福寺~其の三 in 千葉県銚子市

2019年08月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

昨日に続いての円福寺、今日は昭和46年(1971)に再建された朱塗りの「仁王門」から。

生憎と金網に邪魔されてしまって満足な写真は撮れませんが、仁王像のイメージは伝わるかな? 私の感想では随分と劇画チックな印象の仁王様ですが、もしかしたら塗りなおしの所為かな・・

仁王門の木鼻には阿吽の象がいますが、こちらも金網で保護されているので、表情は今一つ不鮮明。 でもこれから長い年月を経てゆく建造物なので、こうした保護も必要不可欠なこと。致し方ないですね。

奉納されていた二基の石灯籠は、奉納者も奉納された年代も見忘れましたが、台座には獅子の彫刻があります。 牡丹の花の下で遊ぶのは躍動感溢れる阿吽の獅子、取りあえず狛犬さんの変わり😃

全国の各霊場を巡拝する有縁の巡礼者によって建立された「二十三夜満願堂」。いわゆる月待信仰の一つで、毎月23日が縁日となります。

見上げる位置に建つ鐘楼、中央の梵鐘には「享徳十一年在銘」があり、県指定有形文化財となっています。

これは鐘楼の木鼻の獅子ですが、阿吽共に中々の顔立ち。個人的には仁王門の象よりも気に入ってます。というか・・・多分、獅子が好きなんです😊

参道入り口近くに建立されているのは「稲荷大明神堂」『正一位飯沼稲荷大明神』を奉安。江戸期には今の観音様の正面右側駐車場辺りに祀られていたそうで、のちに仁王門の並びに移設。 堂内には、嘉永5年(1852)6月、日本橋稲荷総本宮よりこの地に安鎮した旨の記録が残されています。

堂の前にて『飯沼稲荷大明神』を守護するのは、思わず頭を撫でたくなるような可愛いい狛犬さん一対。 しっかりと四肢を踏ん張る姿は「健気」「可愛い」「頑張ってる」そんな形容がぴったり。

「稲荷大明神堂」の隣には、神狐に守られた小さな「石祠(せきし)」。 祠の中に祀られているのは丸い石の様ですが・・それ以上の事はおっかなくて確認できませんでした😅

更にその隣にも、小さな「石祠」が一対の狛犬さんに守護されて鎮座しています。

実は「稲荷大明神堂」に並ぶ二つの「石祠」ですが、2014年の参拝時にはこんな状態でした。 この時の狛犬さんは台座の上にいますが、形が崩れ始めた感じなので、上のものとは明らかに別物と思えます。

五年前との違いと言えばもう一つ、実は仁王門の中の仁王像は、良い感じに色褪せていたんです。 これもまた個人的な見方ですが、私にはこの色褪せ具合がいかにも古刹の仁王像らしくて、好ましく思えました。

五年前、手水舎にいた私の足元に来てくれた綺麗な猫さん。驚く事に参拝を終えて帰る時にも側に来てくれたのです。 頭を撫でさせてくれて「有難うね」と声をかけると、一度振り向いて何処かに去って行きました。 色艶も良くとても綺麗な猫さんだったので、きっと誰かの飼い猫でしょう。もう一度会えればと秘かに願ったのですが、五年の歳月は猫さんには長い・・今はどうしているのか・・どうぞ元気で暮らしていますように!!

「飯沼観世音江九里」と刻まれた碑は、ここから「銚子飯沼観音」までの距離を現したもの。 こうした碑は「滑川観音」から「飯沼観音」を結ぶ「銚子街道」に十二基が存在するそうです。

御詠歌 【このほどは よろづのことをいひぬまに ききもならはぬ なみのおとかな】

参拝日:2014年5月18日&2019年3月12日

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