車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県朝来市

2023年07月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

朝来市(あさごし)は兵庫県の北中部、中国山地に属し、山間部が多く出石糸井県立自然公園および朝来群山県立自然公園を擁する市です。2005年4月1日、朝来郡生野町・和田山町・山東町・朝来町が合併して朝来市が発足しました。豊岡市、養父市、丹波市、宍粟市、神河町、多可町、県を跨いで京都府福知山市に隣接。山陰地方の但馬と京阪神方面の間に位置し、古くより交通の要衝として栄えてきました。市域は古代の但馬国朝来郡の地で、近畿地方最大の円墳などの古墳が多く、発掘された副葬品などから、古代に巨大権力者がいたことが推測されています。和田山町竹田には「日本のマチュピチュ」と称される「竹田城」があり、雲海の見られる季節には多くの観光客で賑わいます。「市の木:けやき」「市の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「人と緑 心ふれあう 交流のまち 朝来市」

2005年4月1日制定の市章は「朝来市の頭文字であるカタカナの「ア」をモチーフとして、円は人々の交流を、太陽の光は4つの町を象徴し、緑豊かな山から朝日が昇ってくる様子を表現している。」公式HPより

朝来市マスコットキャラクター『ちゃすりん』。茶すり山古墳で生まれた推定1600歳の男の子。好物の岩津ねぎを食べ過ぎて、髪の毛が緑色になったという噂があり、イベント大好きなお調子者です。

ご当地マンホールと題していますが、朝来市のマンホールは訪問できた二つの旧自治体では見つける事が出来ず、何とも中途半端な内容となりました。

撮影日:2014年11月20日

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旧朝来郡朝来町(あさごちょう)は兵庫県北部の但馬地方の南部に位置した町です。町域は中国山地にあり、町の約9割が山林で占められています。「町の木:ケヤキ」「町の花:笹百合」「町の鳥:ヒバリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝来郡山口村・中川村が発足。

1954年、山口村・中川村が合併して朝来町が発足。

昭和30年3月16日制定の町章は「朝来の頭文字「ア」を意匠化したものです」

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旧朝来郡生野町(いくのちょう)は兵庫県のほぼ中央、但馬地方の南の玄関口に当たり、日本海と瀬戸内海の分水嶺(れい)に位置した町です。周囲を山々に囲まれた海抜約300mの盆地状の町には、大同2年(807)に開坑された生野銀山があり、今も銀山独特の町並みが残されています。「町の木:ドウダンツツジ」「町の花:りんどう」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、朝来郡生野町が発足。

1957年、神崎郡大河内町大字栃原・川尻を編入。

昭和27年12月2日制定の町章は「生野の頭文字「生」を図案化したものです」 

旧朝来町・旧生野町はいずれも未訪問。折を見てと思っていたのですが・・・流石にもう無理と諦めざるを得なくなりました(-_-;)。折角調べておいたのを無にするのも勿体ないので、簡単な紹介のみとしました。

 

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旧上久下村営上滝発電所記念館 in 兵庫県丹波市山南町

2023年07月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市山南町上滝字八ヶ坪、川代渓谷沿いにある「旧上久下村営上滝発電所記念館」。周囲を450メートル前後の山々に囲まれた篠山川沿いの一画に立つ赤レンガの建物は、存在そのものが灯りとなって私たちを導きます。

大正9年(1920)、当時ランプ生活であった氷上郡上久下村では、村長の平藤徳蔵氏たちの尽力により、同年12月に水力発電所の工事に着工。大正11年(1922)6月に上久下村営上滝発電所が竣工。翌大正12年1月8日から送電が開始され、山南町となった昭和38年までの40年間、地域の生活を支える重要な施設として稼働してきました。

ランプの明かりから白熱球の明かりに変わったその時、村人はどのような思いを抱いたのでしょうか。想像の域を超えない事は承知の上で、それは明日に続く希望そのものだったと思えるのです。

夜を昼にと変えた・・発電所祝い歌の一節が、深く胸に染み込みます。

「市南部を東西に流れる篠山川の右岸に築かれた旧水力発電所施設。桁行9.2m梁間6.5m、切妻造、煉瓦造2階建で、外装イギリス積とし、1階に長方形上下窓、2階には欠円アーチ形の窓を配する。村が独自で建設、運営した近代水力発電施設の一つである。2008年4月18日 登録有形文化財(建造物)とする。」文化遺産オンラインより

川代(かわしろ)渓谷は、篠山盆地より流れ出た篠山川の上流、東西4kmに渡って延び、篠山盆地より溢れ出た奔流により築かれた渓谷です。 

篠山川流域に分布する1億2千年前以上の白亜紀の 陸成の主として礫岩・砂岩・泥岩からなる地層で篠山層群とも呼ばれます。

「岩脈(がんみゃく)は、地層や岩石の割れ目にマグマが貫入して板状に固まった火成岩体。中心火道から放射状に伸びる岩脈がしばしば見られる。露頭で目にするのはその板状の岩体の断面のことが多いため、筋のようなものと思いがちである。」現地説明

断層(だんそう)とは、岩石または地層が断ち切られて、その面(断層面)を境に両側がずれている現象。 また、それによってできた割れ目。

渓谷の岩面についての説明があまりにも分かりやすかったので、ついつい、話がそれてしまいましたが(笑)、2006年8月、この川代渓谷にて恐竜の化石が発見されました。白いコンクリートの上にピンクの恐竜の絵がある部分が、丹波竜発見の地層群です。

丹波市のマスコットキャラクターにもなった「丹波竜」は、竜脚類である大型草食恐竜ティタノサウルスと同種のものといわれ、大きさは10m以上もあり、国内最大級と考えられています。

丹波市のHPなどを読んでいると、ついつい時間を忘れてしまいそうなほど、発掘作業の様子は壮大で緻密で、男子ならずとも胸がワクワク。この白いコンクリートの下に、もしかしたらその恐竜の欠片が残っているかもしれない・・そう思うだけで、胸がドキドキします(⌒∇⌒)

福知山線「下滝駅」。思い込みが強くなると、建物の全体像まで恐竜に見えてきます(笑)

下滝駅前の恐竜の親子

恐竜化石発見地の案内板と顔出し

丹波竜の里公園のモニュメント

見るもの聞くものすべてが興味深く、予想外に時間が過ぎてしまいました。あれこれと見たいものもあったのですが、時間切れ。あてにならない「またいつか」を願って、丹波市を後にします。

訪問日:2014年11月19日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧山南町(丹波市)

2023年07月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧氷上郡山南町は(さんなんちょう)は兵庫県中央東部、中国山地の東端に位置した町です。山地を主に河川が刻む谷底平野や盆地を有する町です。柏原町、加美町、黒田庄町、篠山市、中町、西脇市、氷上町に隣接。紅葉の名所として知られる山南町岩屋の「石龕寺(せきがんじ)」山門には、国重要文化財の「仁王像」があり、国道175号線沿い「であい公園」入口にはそれを模した仁王像が建立されています。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

山南町上久下地区は丹波竜の化石発見の地として知られ、恐竜化石発掘体験なども実地されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により氷上郡久下(くげ)村・上久下村・小川村が発足。

1955年、上久下村・久下村・小川村が合併、氷上郡山南町が発足。

2004年、 氷上郡柏原町・春日町・氷上町・青垣町・市島町と合併、丹波市となりました。

マンホールには幾何学風に図案化された「町の木:松」と「町の花:菊」がデザインされています。

昭和32年10月1日制定の町章は「「山南」を図案化したものです。」

撮影日:2014年11月19日

 

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青垣あちこちウォッチ in 兵庫県丹波市青垣町

2023年07月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

旧青垣町に入って最初の交差点「小倉」。運よく信号待ちで捉える事が出来た、東経135度を指し示す「子午線標識塔」

江戸時代、宿場町として栄えた佐治地区。今も往時の面影が町のそこかしこに残されています。

交通の要衝でもあった佐治地区に残された、市指定文化財の「佐治の道標」。「右 由し満(湯島:城崎)」「左京大坂」「天保六年(1835)」。画像には見えませんが 「左 いくの(生野)」と刻まれています。 

丹波市青垣町小倉にある浄土真宗本願寺派寺院「西往寺(さいおうじ)」。鐘楼門の佇まいに惹かれてちょっと寄り道。

木鼻彫刻は象眼が施された獏。もしかしたら象眼ではなく塗りの巧みさで象眼に見えたのかもしれませんが、真偽は不明。

境内に建立されていた銅像二体。ちゃんと確認しなかったので、何方の像なのか不明(^^;)

丹波市青垣町西芦田にある道の駅「あおがき」。お土産用に新鮮なお野菜をたくさん買い込みました。

この日は焼き立ての丹波栗も購入。おまけして頂いて7個で五百円(⌒∇⌒) 熱々の焼き栗の美味しい事と言ったら!!その時の写真の顔が全てを物語っています(笑)

道の駅にあったパラグライダーのモニュメント

訪問日:2014年11月20日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧青垣町(丹波市)

2023年07月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧氷上郡青垣町(あおがきちょう)は兵庫県中東部、丹波国西端を占めていた町です。北は県を跨いで京都府福知山市、夜久野町、東は市島町、南は氷上町・加美町、西は生野町・山東町と隣接。町名は、周囲を青い山が垣のように取り囲む様子からとも、島根県安来市周囲からの移住者が多かった為、その地に伝わる青垣山の説話から取ったという説もあります。町域には関西随一を誇るスカイスポーツ・パラグライダー練習場があり、パラグライダー体験も常時行こなわれています。「町の木:木犀」「町の花:春蘭」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により氷上郡佐治村・神楽(しぐ)村・遠阪村が発足。

1921年、佐治村が町制を施行し氷上郡佐治町となる。

1955年、氷上郡佐治町・芦田村・神楽村・遠阪村が合併、氷上郡青垣町が発足。

2004年、 氷上郡柏原町・氷上町・春日町・山南町・市島町と合併、丹波市となりました。

マンホールに独自のデザイン蓋は無く、上水道関連の物が数点見つかっただけ。

昭和31年6月制定の町章は「青垣のカタカナの頭文字「ア」を表している。」

撮影日:2014年11月20日

 

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清薗寺(せいおんじ) in 兵庫県丹波市市島

2023年07月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市市島町下竹田にある「高野山真言宗寺院 鎌倉山:清薗寺(せいおんじ)」丹波市西国霊場第三十二番。麻呂子親王御作の『薬師如来』を本尊とします。

大江山の鬼退治が伝わる「清薗寺」は、用明天皇の息子であり聖徳太子の弟である麻呂子親王により創建されたと伝えられます。

戦国時代には明智光秀による丹波攻略の際に全焼したとも伝えられ、仁王門や薬師堂(本堂)などに、僅かに往時の面影を残すのみとなりました。

寛政7年(1795)に再建された「仁王門」。寛政九年に落慶法要が成されたと伝えられます。

門の内より睨みをきかせるのは明和四年(1767)5月に造立された仁王像。長い年月を経ても残る鮮やかな朱がさらなる凄みを与え、見るものを圧倒させます。

仁王門の彫刻「波ウサギ」

仁王門の彫刻「虹梁を噛む獅噛鬼」

仁王門の中央真後ろに建つ総高2.73m、石英粗面岩で造られた県指定文化財:八角石燈籠。南北朝時代、貞和3年(1347)の銘があり、火袋に四仏の梵字、中台側面に散蓮華が彫りこまれています。

鮮やかに彩られた境内

旧市島町指定天然記念物「推定樹齢、五百年:清薗寺の大杉」。薬師堂の傍らにある事から、落雷から御堂を守ってくれる御神木とされています。

麻呂子親王御詠
【 雲はれて みどりに晴る 空みれば るりの光の 月ぞさやけき 】

参拝日:2014年11月19日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧市島町(丹波市)

2023年07月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧氷上郡市島町(いちじまちょう)は兵庫県中東部に位置した町です。
氷上町、青垣町、春日町に、また県を跨いで京都府福知山市、三和町に隣接。丹波の比叡と称される「神池寺(じんちじ)」や、市島町白毫寺に門を構える「白毫寺(びゃくごうじ)」の、120mの藤棚の「九尺藤」、2,000㎡の公園内に植栽した花菖蒲の「三ツ塚史跡公園」などが知られています。「町の木:カイズカイブキ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により氷上郡竹田村・前山村・吉見村・鴨庄村・美和村が発足。

1955年、竹田村・前山村・吉見村・鴨庄村・美和村が合併、氷上郡市島町が発足。

2004年、 氷上郡柏原町・春日町・氷上町・青垣町・山南町と合併、丹波市となりました。

マンホールには「町の花:サツキ」と、周囲に「町の木:カイヅカイブキ」がデザインされています。

昭和30年10月1日制定の町章は「市島の頭文字「市」を図案化したものです」

お酒なら何でもこいの御亭主殿ですが、特に日本酒はお気に入りの銘柄があって、その中の一つが丹波の銘酒「小鼓」。まさかこの場所でその製造元に遭遇するとは予想外の嬉しい驚きだったようです。もちろん・・買わされました(笑)

病を発症してアルコールは控えめにと医師から宣告され、ならばとすっぱり禁酒してもう三年。過去の思い出の中にたびたび登場する酒造関連の画像は、懐かしくも切ない思い出に変わってしまいました。

撮影日:2014年11月19日

 

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興禅寺(こうぜんじ) in 兵庫県丹波市春日

2023年07月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市春日町黒井にある曹洞宗別格地「大梅山:興禅寺(こうぜんじ)」。仏師:春日作による『釈迦如来』を本尊とします。

「戦国時代の山城「黒井城」の下館跡。戦国の城主は、合戦のとき山城にたてこもり、平時はふもとの下館で政務を行いました。水をたたえた七間濠、高石垣と白いぬり塀をめぐらせた興禅寺は、当時の館の風情をよく今に残しています。天正7年、明智光秀の重臣斉藤利三が城主となり、娘のお福(春日局)がここで生まれ3歳まで育ちました。」丹波市観光協会HPより

石垣の高さは約5m程度で、黒井城と同様の「野面積み」となっており、山上の黒井城とともに「黒井城跡」として国の史跡に指定。

七間濠に架かる石橋を渡った先に聳える、朱塗りの楼門

楼門は三間一戸の二層造で観音像が安置されています。宮津市にある智源寺からの移築で、創建年代は不明ですが元禄年間改修の記録が残されています。楼門の前には「春日局出生地」の碑が建立されています。

楼門内において『釈迦如来』を守護されるのは、「広目天」「毘沙門天(びしゃもんてん)」

興禅寺の前身は、丹波国で勢力を誇った豪族『赤井直正』が開基したとする「誓願寺」で、黒井城落城50年後の寛永3年1626)に、少し離れたこの場所へ移転。真言宗から曹洞宗に、寺号も興禅寺としました。

「心字池」を中心とした庭は、足利将軍の従兄弟である『近衛前久』の設計と云われています。

参拝日:2014年11月19日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧春日町(丹波市)

2023年07月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧氷上郡春日町(かすがちょう)は兵庫県の中東部に位置した町です。町名は、古代の「春部(かすかべ)」に由来。竹田川左岸の段丘面および後背山地からのびる扇状地上に立地する「七日市遺跡」は、旧石器時代の遺跡としては西日本最古にして最大規模と言われ、また、春日町黒井にある「国史跡:興禅寺」は、三代将軍家光の乳母「春日局生誕地」として知られています。篠山市、柏原町、氷上町、市島町、県を跨いで京都府三和町に隣接。「町の木:松」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、氷上郡春日部村・黒井村・大路村・国領村・船城村が発足。

1923年、黒井村が町制を施行、氷上郡黒井町となる。

1955年、氷上郡黒井町・春日部村・大路村・国領村・船城村が合併、春日町が発足。

2004年、 氷上郡柏原町・氷上町・青垣町・山南町・市島町と合併、丹波市となりました。

マンホールには、町章を中心に「町の花:サツキ」「町の木:松」がデザインされています。

昭和30年3月20日制定の町章は「「かすが」の頭文字「か」を基にし、円形と翼側に纏めたものです。」

撮影日:2014年11月19日

 

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𡶌部(いそべ)神社と石生の水分れ(いそうのみわかれ) in 兵庫県丹波市氷上町

2023年07月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市氷上町石生に鎮座される「𡶌部(いそべ)神社」。延喜式神名帳に記載されている式内社で、江戸時代には八幡宮と称していました。御祭神は事代主命活玉依姫の御子とされる『奇日方命(くしひかたのみこと)』『誉田別命・神功皇后・比売大神』を配祀します・

由緒「創立年不詳。和銅3年(710)の創立と伝う。式内社なり。現在の神殿は永禄年間(1558~1569)の再建。その後修復再三に及ぶ。 領主別所豊後守は、元亀・天正(1570~1591)の頃「軍神」として当社を崇敬し、燈明田高一石を寄進。 また、領主九鬼長門守は寛文6年(1666)、丹後宮津鎮撫の時、武運長久祈願のため当社に参拝。 境内に泉ありて、清水涌出せるを以て祈雨の神として、丹波地方のみならず一般の崇敬篤く、又比売大神を祀るが故に安産を祈るもの多し。」兵庫神社庁HPより

拝殿前左右より神域を守護されるのは浪花系の狛犬さん一対。阿形さんの左手の下には小さな玉が置かれています。

ご神木の夫婦檜

清らかな流れの水路に架かる神橋。鶴と亀の彫刻が参拝者を出迎えます。

標高約95メートルの「石生の水分れ(いそうのみわかれ)」は、日本列島の背骨をなす「中央分水界」のうち、本州で最も低い「分水界」です。この分水界に落ちた雨水は 北側に落ちると由良川を通って日本海へ、南側に落ちると加古川を通って瀬戸内海へと流れていきます。

「分水界」とは降った雨が異なる水系に流れる境界の事で、山岳地帯では特に分水嶺と呼ばれます。 水分れ公園内を流れる高谷川(加古川水系)の水路分岐点。直線に進む側は加古川水系で瀬戸内海へ向かい、写真右に分かれている用水路は由良川水系で日本海へ向かいます。

右の流れは由良川を経て日本海へ約70キロ。左の流れは加古川を経て瀬戸内海へ約70キロ。

水分れ公園の幸運の泉

鮮やかに色づく水分れ公園の紅葉

参拝&訪問日:2014年11月19日

 

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