車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

天津(あまつ)神社 in 岡山県倉敷市尾原(旧児島地区)

2021年09月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市尾原に鎮座される「天津(あまつ)神社」。御祭神は『天之御中主(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産靈たかみむすびのかみ)・神産靈(かみむすびのかみ)』。三神合わせて「三台妙見」とも称されます。

由緒「創建年月日不詳。旧号を三台明現宮といったのを明治2年に天津神社と改称した。旧藩の記録に寛文7年(1667年)社僧の金蔵坊が還俗を命ぜられ本神社の神職となったとある。それ以前同坊は新熊野山所属の坊であったのだから、かなり古くから存在したものであろう。明治初年尾原天神社又は天神社と書いていたのが天満宮と紛らわしいので津の一字を加えたのだという。」岡山神社庁HPより

こんもりとした細い通路の奥、知ってて行かなければこの先に神社があるとは思えません。もちろん、入口から鳥居まではずっと長い石段が続いており、私は車の側で一人待機。

鳥居の左右より神域を守護されるのは、文久元年(1861)6月吉祥日建立の尾道型玉乗り狛犬さん一対。

意を決して鳥居まで行ったご亭主殿も、更に続く山中の石段参道を進む気にはなれなかった様で、狛犬さんだけを撮影して引き返してきました😅

立ち寄った順から行けばこちらが先になるのですが、由加神社参拝の帰路に立ち寄った「天津神社」の北参道。石段を登った先の入り口と思しき場所に建立された鳥居。鳥居額には「三台妙見宮」の文字が刻まれています。

鬱蒼とした藪のように見える参道を背景に、鳥居の左右より神域を守護されるのは出雲構えと思われる狛犬さん一対。まるでモノトーンのような画像ですが、普通に写したものです。

通行料の少ない場所とは言え、路肩に車を停めたままこの藪に分け入る根性はありません。狛犬さんだけを写して早々に退却したのですが、帰宅後の写真の整理の際に、ここが次に立ち寄った「天津神社」北参道だとわかった時には、何とも不思議な気分でした。

参拝日:2010年8月10日

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由加山:蓮台寺 in 岡山県倉敷市児島由加

2021年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市児島由加に境内を構える真言宗御室派寺院別格本山「由加山:蓮台寺」『十一面観音菩薩、瑜伽大権現』を本尊とし、中国三十三観音霊場第六番札所、百八観音霊場第八番札所として知られます。

由来「「此の山は無双の霊地にして、梵刹を開き、三密瑜伽の行を行い、我を瑜伽大権現として祀るべし」と夢のお告げを受けた行基が、天平5年に開山し、阿弥陀如来・薬師如来の二尊を祀ったのが瑜伽大権現信仰の始まりと伝わる。」「江戸時代には備前国岡山藩の保護を受けたが、明治初年の神仏分離に伴い蓮台寺境内から由加神社がつくられ、分けられた。その後の国家神道解体により、僧職が本殿で祈祷を行う等、事実上明治以前の形態に復し、蓮台寺により両者が一体的に運営されていた。1997年、由加神社が宗教法人としての独自活動を開始した事により両者は対立関係になり現在にいたっている。」Wikipediaより

由加神社本宮での厄払石段で殆どの体力を使い果たした二人の前に、新たな試練・・・何と権現堂奥の院までの八十八の石段。でもその先には、厄除けの霊験あらたかな『瑜伽大権現』が祀られているとの事。

奥の院石段参道前を守護されているのは大正5年(1916)6月建立の半構え狛犬さん一対。阿吽共に柔和な顔立ちで半身に構え、今からこの石段に挑戦する参拝者にエールを送っています。

さらに頑張る参拝者にエールを送るのは、権現堂奥の院石段脇の明治7年(1874)建立の浪花狛犬さん一対。阿吽いずれも本当に良い表情で、へたりこみそうな根性無しにも「ガンバレよ~」の声援。

石段参道の途中に見る廻廊は、蓮台寺客殿から奥の院へと平行に続き、それがこの上なく美しい機能美を見せています。

享保年間(1716~1736)に造営された「観音堂」。倉敷市に残る数少ない五間の規模をもつ本格的な本堂建築で、「十一面観世音菩薩」が祀られています。

宗祖弘法大師をお祀りする「大師堂」。文化14年(1817)増範住職のとき、名匠大塚安左衛門の手により、高野山の御影堂を由加山に再現したもの。

冒頭に掲載した岡山県指定重要文化財の客殿は、寛政年間(1700)に備前藩主池田侯の宿泊・休憩用として建てられた県下最大の木像建築。何が魅力かと聞かれれば二人揃って「飾瓦!」と答えます😍

唐破風の鬼も、左右に流れる龍も、留蓋の獅子も玄武もできればその為だけのページが欲しいくらい。何だろう・・この圧倒的な迫力

1998年に完成した総本殿(瑜伽殿)。一階の真王殿には権現様のお前立ちとして日本最大級の厄除け不動明王が祀られており、その御手からは参拝者を「救いとる」善の綱が伸びています。

実際には「由加神社本宮」と「蓮台寺」との間を行ったり来たりしながらでしたが、それでも一度に二箇所もの参拝ができた事に喜んでいました。こっちの七福神さんは皆さん同じ大きさだねとか・・

ところが駐車場まで出てあるものを見た瞬間、私達の楽しい気分は一気に消し飛び、そうそうに由加神社本宮の駐車場へと引き返したのです。

「瑜伽大権現蓮台寺の駐車場につき、由加神社への参拝お札をお受けの方の駐車はお断り致します。厄除け瑜伽大権現蓮台寺」

由来に記した双方の対立は帰宅してから知った事で、その時の私たちには全く知る由も無いこと。だからこそこんなものを見て、何も知らずに参拝した人はどんな思いで車を移動させるのだろう・・・私達のように両方に参拝する者は、どう折り合いをつけるのだろう・・・なんとも形容しがたい後味の悪さは結構長い時間私たちを苛立たせました。

左・蓮台寺奥の院扁額  右・由加神社本宮備前焼大鳥居社号額

参拝日:2010年8月10日

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由加(ゆが)神社本宮~其の三 in 岡山県倉敷市児島由加

2021年09月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

「金刀比羅宮から由加山へ」。又、「由加山から金毘羅宮へ」と往来した人々の船の玄関口であった「田の口港」

海岸沿いから見やる沖には竪場島が横たわり、もっと晴れた日には、はるか四国の山並みまでもが一望できます。

「新堀湛甫」から船に乗り「田の口港」に付いた人々は、南参道鳥居を潜り、この先およそ7k・・・時には賑やかな門前町を、時には鬱蒼と茂る山道を歩き、由加宮へと向かいます。

往来の人々を出迎え・見送るのは、明治7年(1874)11月建立の備前宮獅子さん一対。漁師の娘だった私にとって海風は、懐かしさと共に、身を削ぐ厳しさと、うだる暑さを思い起こさせるもの・・130年以上も海風にさらされていたとは思えない美しさです。

こうして交互に並べるとまるで禅問答でもしているみたい。

由加神社本宮の駐車場までは車で20分弱。参道入り口は62号線沿いにあり、ここに車を置いたら後は徒歩での参拝。目の前には最初の難関とも言える四十二段の「厄除石段」・・

左手に見える「太助茶屋」、看板を抱えているのは桃に夢中な様子のお猿さん。こちらでは「銘菓あんころ餅」が有名だそうです。7kの道程を歩いた人たちにとって、一服のお茶と甘いお餅は最高のご馳走だった事でしょう。

石段の先は、かっての門前町らしい佇まいが両側に僅かに残る緩やかな坂道。「へんろ」「児島八十八箇所」と刻まれた道標を横目に、二つ目の鳥居を潜ります。

日照りの夏には生い茂る木々が日差しを遮り、雨の日には僅かながらも傘となったであろう門前町の緑。神橋を渡り「三十三厄払石段」を登りきったらいよいよ境内に至ります。

何とも味わい深い手水舎で手を清め、しばし息を整えて次なるは・・

「六十一厄払石段」の前に聳えるのは「両神鳥居」。聞き慣れない鳥居だとスルーしていたのですが、帰宅後の調べで、鳥居額が上り道から見ると「瑜伽大権現」、下り道から見ると「金刀比羅宮」・・つまり「両神」の鳥居と言う意味だと・・無論そんな事とはつゆ知らず、画像に残し損ねた!😣

愚痴はさておき、次々と現れる石段の連続に、思わず「来るんじゃなかったかも・・」のため息を吹っ飛ばしてくれるのが「阿州藍屋奥村家(現徳島県藍住町)」によって奉納された寛政8年(1796)丙辰3月23日建立の狛犬さん一対。これまで本当にたくさんの狛犬さんたちに出会って来ましたが、こちらもまた記憶に残る一対です。

鋭い歯を見せつけながら大口で笑う阿形さん。鋭い歯を自慢そうに見せつける吽形さん。

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由加神社・蓮台寺への参拝を終えて帰路に向かった私たち、最後は倉敷市木見にある北参道へとむかいました。田の口同様、かっては由加大権現への参拝客で賑わっていた参道も、今はのどかな山里の風景がひろがるばかりです。

鳥居の両脇より神域を守護されるのは、慶応元年(1865)9月吉日建立の広島方玉乗り狛犬さん一対。参拝者の往来が珍しかったのか、それとも不審だったのか、微妙な顔つきでこちらを見ています。

参拝日:2010年8月10日

明日は「由加山蓮台寺」の紹介なのですが、なんだか色々と・・・とりあえず、色々と思うところ有りの参拝となりました😅

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由加(ゆが)神社本宮~其の二 in 岡山県倉敷市児島由加

2021年09月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

昨日に続いての「由加神社本宮」。まずは江戸は本所深川の在住、一心太助こと「塩原太助」が奉納した玉垣。講談に小説・ドラマの主役にもなった「一心太助」。誠実で実直な人柄で「炭団」を考案し、大商人となった後も道路改修や治水事業に私財を投じた凄い人!なのです。

説明文の最後にある「太助灯篭」は、3月17日の「玉積(たまづみ)神社in丸亀市」の冒頭に登場します。

ここまで来るのに目一杯頑張った私たち😄、とにもかくにも休憩所で一息。ついでに「撫で猿さん」の頭を撫でてボケ封じも祈願。

日本三大権現の一つとされ、県下での初詣の参拝者は岡山市の最上稲荷についで二番目と言われる「由加神社本宮」。県内に在住した当時は一度もその機会が無く、ご亭主殿と結婚し、子を成し、この年になってはじめて参拝が叶いました。この翌年の金比羅参りで、江戸時代から続く「ゆが・こんぴら両参り 」も達成しました。

それでは改めて由加神社本宮の参拝。「求め有れば必ず応ずる神」と称される「消痛の小槌」に思わず手が伸びるあたり・・ああ、年はとりたくないです😄

足の痛みを消していただいたら、拝殿の下に鎮座される縁結びの「境内社:素盞鳴神社」へ。ご祭神である『素盞嗚尊』が縁結びで知られるのは、多分日本で最初に『奇稲田姫』と結婚式をあげた神様だから。

拝殿下に鎮座される「縁結び獅子」。豪快に牙を見せて笑う阿は、女性の縁結びを叶えるとされる男獅子。

吽は男性の縁結びを叶える女獅子。阿吽いずれの獅子も、柔らかく親しみやすいお顔で参拝者の願いを応援しています。

さて・・縁を結ぶ事はとても喜ばしい事ですが、そうでない場合もあるのが現実。病魔・悪癖・因縁・・いわゆる「悪縁」を断ち切ることが出来なければ、幸せを掴む事はできません。縁切石に願いを賭けるのも有りだと思います。

阿吽の獅子の間に鎮座する「七十五匹白狐のレリーフ」。伝説によると、「児島にすむ鬼神を退治しようとした坂上田村麻呂は、鬼退治に苦心しましたが、瑜伽権現に祈り、無事に退治することができました。退治された鬼の魂は化して75匹の神狐となり、鬼の遺骸が埋められた上に、三社権現が造営されました。」・・つまりこれは「元・」なのですか!?

広大な境内には、昨日紹介した境内社以外にも様々な神々がお祀りされています。由加神社本宮のご本殿地下二百メートルより湧出する霊験あらたかなご霊水の側に佇まれる「銭洗い弁財天」。

財宝運の弁天さんに触れ、この霊水で金銭を洗い清めると清浄の福銭となり、洗銭が何倍にもなって帰ってくる・・との事。それならば、ここか硬貨でなくお札を洗い清めさせていただきました😄 このお札かなり長い間、お財布の中で偉そうにふんぞり返っていました。

「白○姫と○人の小人」みたいに並ぶ「弁天様と6人の福の神」 まるで私の心の声が聞こえたかのような笑顔につられて私も笑顔。

その昔、備前藩主池田候がこの木にお参りをし、御本殿で祈願したところ子どもを授かった・・という言い伝えから、「子授けのご神木」と呼ばれる楠の大樹。願う人の下に、新たな命が届きますように!

「栄かえる」のかえるさん。足元には家運繁栄を願う人々によって奉納された黄色い幟が隙間なく並べられています。

まだまだ続く「由加(ゆが)神社本宮」、明日のその~其の三は、参道から境内までのあれこれを紹介します。

参拝日:2010年8月10日

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由加(ゆが)神社本宮~其の一 in 岡山県倉敷市児島由加

2021年09月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市児島由加・由加山に鎮座される「由加(ゆが)神社本宮」。御祭神は『手置帆負命(たおきほおひのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)・神直日神(かむなおひのかみ)』。本地仏は『阿弥陀如来、薬師如来』。

由緒「日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。その昔、磐座信仰を唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後天平五年(733)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、拝殿には菊花ご紋章を拝受。江戸時代中期には備前藩主池田侯の祈願所として栄えて来ました。」公式HPより

拝殿の後方、由加山の社叢の一角に巨石を背にして鎮座されるのは、今から約370年前に建立された、県重要文化財指定の本殿。左手の下方には岡山藩主・池田斉政公が奉納された組石灯籠が見えます。

明治27年(1894)、伊部村(現:備前市)の窯元・『大饗千代松』によって焼かれた、高さ約5メートル、幅約5メートルの「日本一備前焼大鳥居」。焼き物でこれだけの規模の鳥居・・パンフレットなどで一応の知識はあった筈ですが、実際に見ると本当に圧倒されます。

その備前焼大鳥居の両脇より神域を守護されるのは、同じく備前焼で造られた子連れ獅子一対。こちらは文政12年に、当時の備前天城(びぜんあまき)池田氏によって奉納されました。

綺麗に崩した足にゆったりと前足を乗せた吽形さん。しっかりと渦巻く尾はまるで炎のように美しい・・そんな備前宮獅子さんの台座に刻まれているのは、岡山藩主:池田家の家紋「備前揚羽」

ところで、先ほど私は「子連れ獅子」と書きましたが、これで見る限り子獅子の姿は何所にも有りません。おそらくは吽形さんの膝の間に居たであろうと思われるも、空疎な空間があるのみ・・。いつの間にか子獅子が盗まれ、以来吽形さんはずっと膝を開けて、子獅子を待ち続けているのです😥 神を畏れぬ痴れ者に神罰が下っていますように・・

拝殿の向かって左手に建立された朱の鳥居。拝殿額には「天満宮 稲荷宮」。鳥居の傍らに鎮座されるのは「タコ神様」

海上安全・航海安全の神『大綿津見命』を祀ります。児島・下津井・鷲羽山は有数の漁地で特にタコが有名。地元の漁業組合・ホテル旅館・魚店・魚を扱う料理店などの方々が海の神をタコになどらえて、海上での安全、豊漁祈願、また魚供養を執り行う為にご奉納されました。」

ちなみにこのタコ神様・・・・ビックリするほど足の数が多いのです😅 便宜上、タコのお姿をされていますが、やっぱり神様だから普通ではないのです。

朱の鳥居の奥、本殿と並ぶ岩場の上に鎮座されるのは「境内社:稲荷宮」。御祭神は『倉稲魂命』

商売繁盛を願う人たちによって奉納された赤い幟、稲荷の神狐・・参道から拝殿までの数メートル。歩いていると、ちょうど焚き火の温風に当たったみたいな暖かい空気が流れています。

参道守護の神狐さんの中では最古参と思われる、明治26年建立の神狐さん。

稲荷宮と仲良く神域を分けるのは「境内社:由加天満宮」。御祭神は『菅原道真公』。伝承では、道真公が九州太宰府に配流される途中、倉敷市児島唐琴の浦に数日滞在した折に、心を通わせた姫にもう一度の再会を約束。道真公の死後、光明がさし瑞雲が現れたこの地に祀られたとされます。

鎮座される場所に相応しく、道真公のご神域を守護される大小の神牛さんも奉納されています。

由加(ゆが)神社本宮~其の一のラストは、拝殿下に作られた出口の狭い梁。ここを通り抜けると「難関突破」となり、学業成就の願いを叶えてくれる天神様へと続きます。

梁に刻まれた彫刻は羽衣をまとい楽を奏でる天女。西洋なら天使がラッパを吹き鳴らしてくれるようですが、ここでは天女が祝いの舞を披露してくれるのかもしれません。

まだまだ続く由加(ゆが)神社本宮案内、続きはその~其の二で!

参拝日:2010年8月10日

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塩生(しおなす)神社 in 岡山県倉敷市児島塩生

2021年09月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市児島塩生に鎮座される「塩生(しおなす)神社」。御祭神は『素盞烏命』と思われますが確証はありません。

塩生(しおなす)の名は、古来よりこの地が塩の生産地であった事に由来し、今でも地面を掘り下げていくと、古い塩田の跡が見つかる事があるそうです。

鳥居を潜り、真っ直ぐ石段参道を登った先に建つのは、唐破風屋根の拝殿。

〆柱の前より神域を守護されるのは昭和13年(1938)『石井豊二』建立の狛犬さん一対。全体的にすっきり整った端正な顔立ちです。

「しっかり前を向いて生きていきなさい」、そんな言葉が聞こえるような吽形さんと子狛さん。子狛連れの狛犬さんと言うのは、総じて穏やかで何ともいえない優しさがにじみ出ている様に感じるのですが・・作者の思いも同じなのでしょうか?

「境内社:疫神宮」。秋の大祭「べちゃ祭り」は、こちらに鎮座される御祭神が主役なのかもしれませんね。

知る人ぞ知る児島塩生(しおなす)の奇祭「べちゃ祭り」。通称「べちゃ」と呼ばれる『鼻高(はなたか)』が、笹で子どもたちを全力でたたくそうで😱、逃げ回る子供たち、それを見守りつつ笑う大人たちの構図は・・怖いけど見てみたい😅

参拝日:2017年7月3日

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天神宮 in 岡山県倉敷市児島

2021年09月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市児島味野、ジーンズストリートの一画に鎮座される「天神宮」。御祭神は『菅原神』。

由緒「当社の創建は応永14年(1407)といわれる。岩崎(巌崎)五郎左衛門なる者が阿波国三好郡より菅原道真公の神霊を奉戴し舟で尾首坂(字疫神上)というところに着いた。(舟が着いたところをこののち天神川というようになった)そこに神霊をお祀りしたが、その後文明4年(1472)に現在の鎮座地である柘榴浜(ざくろはま・磯辺)に移したという。」岡山神社庁HPより

鳥居から真っ直ぐの正面には、明治15年(1882)再建の、唐破風付き入母屋造りの拝殿。 懸魚には伸びやかに尾羽をくねらせる鳳凰の彫刻

拝殿〆柱の前より神域を守護されるのは、いわゆるお獅子顔の狛犬さん一対。台座に不釣合いの石の白さから、比較的新しく再建されたものと思われます。

一間社流れ造りのご本殿、玉垣前の左右より神域を守護される神牛さん一対。ゆったり優雅に・・そう言えば立っている神牛さんってみた事ないかも・・

「亀」を連想させる手水鉢。自然石が見せる吉祥の形は、こうして寺社などに奉納される事が多いようです。

境内には、寶暦年間の奉納と思われる立派な手水鉢もありますが、手水として使用できる水が見当たりません。

境内入り口近く、右手に祀られていた「地神様」。ここまで厳重に足場を固めないといけない何があったのでしょう?

参拝日:2017年4月5日

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旧野崎家住宅 in 岡山県倉敷市児島

2021年09月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市児島味野にある「国重要文化財:旧野崎家住宅」。児島半島の南側を中心に広大な塩田開発を行い、「塩田王」となった野﨑武左衛門。約3千坪の敷地内には、主が天保から嘉永年間に築いた約千坪にわたる主屋群と、それらを中心に6棟もの土蔵群が軒を連ねています。

広い芝生の中庭

表書院の前面に広がる枯山水の庭園

観曙亭・容膝亭・臨池亭と名づけられた茶室

鍾乳石をそのまま用いた手水台

2004年「犬神家の一族」ロケで使われた「中座敷」

明り取りの塔屋が設けられた台所

私設の上水道を備えた流し台を設置

非常に珍しい「石製冷蔵庫」

私設の上水道設備を備えた洗面所

山裾のなだらかな曲線を損なわないように造成された石垣。

石垣に組み込まれた扇面石は、卓越した技術を持つ石工の遊び心

裏山を刳り貫いて作られた「防空壕」

家人や雇い人たちの為に使う味噌を作っていた「味噌製造所」

主屋の右手には「商人のお城」と言われた土蔵群。右から岡蔵・新蔵・書類蔵、大蔵・内蔵と並び、さらに内蔵の後方には夜具蔵。

公開されている非常に高価な展示品の数々

何とも優雅な潮干狩りと海遊びの様子

そして

大金持ちの「お嬢様」を心底羨ましく感じた、子供用玩具

本場の備前焼などで作られた甕、茶器、食器、土瓶等々・・

本物の曲げ細工で作られたおひつ、水桶、たらい ・・・

百聞は一見にしかず、ため息の出る展示品の数々に圧倒されること請け合い!是非ご自身の目でお気に入りの展示品を見つけて下さい。

昭和49年に倉敷市重要文化財の指定を受けた「旧野﨑浜灯明台」

訪問日:2009年9月21日

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ご当地マンホールとマンホールカード第2弾 in 岡山県倉敷市児島

2021年09月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

倉敷市南東部に位置する児島地区。瀬戸内海に面した岡山県最南端に位置し、古くから海運業や製塩業、繊維業で栄え、1988年に完成した瀬戸大橋(児島・坂出ルート)の本州側の起点としても知られています。

また「日本産ジーンズ発祥の地」として、現在も学生服・ユニフォーム・ジーンズ等を代表とする繊維(アパレル)産業が盛ん。路地を歩けばそこかしこに、道行く人の足を止めさせる個性豊かなジーンズメーカーが軒を連ね、独自ブランドを生み出しています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、児島郡小田村・下津井村・本荘村・味野村・田ノ口村・鴻村・長浜村・郷内村・田ノ口村・木見村 ・鴻村が発足。

1896年、児島郡下津井村が町制を施行、児島郡下津井町となる。下津井町吹上地区が児島郡長浜村へ編入される。

1906年、味野村が町制を施行、児島郡味野町となる。児島郡木見村より山村(由加・白尾)を田ノ口村へ移管。

1907年、田ノ口村、鴻村が合併して児島郡琴浦村が発足。下津井町、長浜村が合併、改めて児島郡下津井町が発足。

1912年、児島湾干拓地第2区に藤田村が発足。

1915年、琴浦村が町制を施行、児島郡琴浦町となる。

1928年、小田村が町制施行・改称し児島郡児島町となる。

1948年、児島郡児島町、味野町、下津井町、本荘村が新設合併し市制を施行。児島市(初代)が発足。

1956年、児島市が児島郡琴浦町と対等合併、(二代目)児島市が発足。

1959年 - 児島市が児島郡郷内村を編入。

1967年、倉敷市・玉島市と合併、倉敷市児島となりました。

児島地区のマンホールには、ジーンズブルーの地色に「KOJIMA JEANS STREET」のロゴがデザインされています。

倉敷マンホールサミット展示蓋

「児島ジーンズストリート」と名づけられた400メートル程の通りは、商店街の方たちによって様々な工夫が凝らされ、道行く人たちの目を楽しませています。

詳細が不明な為確かな事はわかりませんが、おそらく二度めの児島市発足の昭和31年に制定されたと思われる市章。「「こ」の中心に「▲」を置き、児島を表わした」と思われます。

こうした古い自治体当時のマンホールが残っているのを見つけた時は、デザインマンホール発見とは別の嬉しさがあります。

児島商工会議所所属で、児島ジーンズストリートイメージキャラクターの『Gパンだ』。チャームポイントは、足元の赤い線。実はこれ、旧式織機で織った高級デニム製品の裾にみられる「セルビッチ」なのです。

「セルビッチ」が無い・・・・

明治38年(1905)に私設上水道が敷設された野﨑家敷地内にあった防火栓。右から左の旧文書体で「堅崎家水道 防火栓」。縦書きで「消火栓」と書かれた角蓋。

児島地区にある「野崎家住宅」

撮影日:2009年9月21日&2016年8月17日

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2016年8月1日、第2弾として全国40自治体で44種類(累計64自治体74種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「倉敷市B」のマンホールカードは、「倉敷市児島公民館」でいただけます。(現在は、児島駅観光案内所と児島商工会議所 に変更されています)

2016年に設置開始されたマンホールには「ジーンズストリートのロゴマーク」がデザインされています。

「日本ではじめて国産ジーンズを作った児島地区は「ジーンズの聖地」と呼ばれ、注目を集めています。国の重要文化財「旧野﨑家住宅」から南へ 続く商店街には、ジーンズメーカーのショップが連なる「児島ジーンズストリート」があり、一歩足を踏み入れると、色とりどりのジーンズで 飾られたアーチが出迎えてくれます。ジーンズストリートの盛り上げに一役買っているのがこのマンホール蓋で、ご覧のようにジーンズ生地と オレンジ色のステッチ(縫い目)をデザインするとともに、水の大切さを伝えるメッセージを添えています。ジーンズストリートに4か所設置してありますので、 探してみてください。」

訪問日:2017年4月3日
 
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廣田(ひろた)神社 in 岡山県倉敷市藤戸

2021年09月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市藤戸町天城に鎮座される「廣田(ひろた)神社」。御祭神は『天照皇大神・大國主命』

由緒「当社は瀬戸内海沿岸の漁師が篤く崇敬した。古来から脳病に特異な御利益があり、当時最も多く食していた「エイ」という魚を食することを断って祈願したということから今でも脳病平癒の祈願が多く、エイの額や紙に書いたものが奉納され続けている。 また、池田公の墓地につらなり、池田公が墓参に際して祈願し、休息された。」岡山神社庁HPより

参道〆柱の前より神域を守護されるのは、昭和9年(1934)6月吉日建立の、玉乗りと子連れの狛犬さん一対。阿形さんの玉は今にも落下しそうな危なっかしさ・・・真似しちゃダメですよと子狛の目を塞ぐ吽形さん。

参道の先に一の鳥居、その先に割拝殿の神門。そこから真っ直ぐに拝殿・本殿へと続きます。

根性はあるのですが体力が付いていかない私😓。〆柱の近くで待機することになり、ここから先はご亭主殿にお任せ。

唐破風の拝殿屋根においでになるのは、御祭神の『大國主命』と同一視される大黒様。大きな俵の上に立ち、打ち出の小槌を振るっておられます。

留蓋の上からその様子を見る海亀さん・・何となくちまっとした感じですが、顔つきは結構凶暴😆

社殿内には脳病平癒の祈願として、エイの額や紙に書いたものが奉納され続けていると言う事で、どんな風なんだろうと期待していたのですが・・。ご亭主殿曰くでは、それらしき物は見当たらなかったとの事。今はそうした風習も廃れてしまったのでしょうか。

参拝日:2010年8月10日

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