Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

十月六日は、京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日

2008年10月09日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

 十月六日は、今年の十一月に列福される京都の元和(げんな)の殉教者たちの殉教の日(1619年10月6日)です。この日には間に合いませんでしたが、愛する兄弟姉妹の皆様に、この殉教を想起することを提案致します。そこで、今回は、親愛なる日本の老いたる僕かつ宣教師であるヴィリヨン神父様(Reverend Pere A. Villion M.E.P.)の「日本聖人鮮血遺書(ヤマト ヒジリ チシオ ノ カキオキ)」(1911年)の517ページに記されている第九十三次殉教者の記事をご紹介します。

Among the 55 Martyrs is this heroic family of John Hashimoto Tahyôe, his wife Thecla and their five children, Catharina 13, Thomas 12, Franciscus 8, Petrus 6 and Ludovica 3. During the execution, the fire actually freed Catharina who was tied to a separate cross at a short distance from the cross where her mother and the 3 youngest children were tied together. She ran to her mother saying, ‘Mother, I can’t see!’ Her mother replied, ‘pray to Jesus and Mary’. The last thing bystanders saw of the mother was that she was drying tears from her 3 year old baby who was in her arms. After the flames and the smoke abided, the mother was still seen holding her youngest, tight in her arms, both dead.
当時テクラ橋本は身籠もっていた。
娘のカタリナが母に向かって
「お母さん、お母さん、もう目が見えませぬ」と叫びければ、気丈の母はこれに答えて
「さらば早くイエズス、マリアの聖名を唱えよ」と励ましつつ、
自分は幼子をしかと懐き、天を仰ぎながら処分を受けた。


第九十三次殉教者(1619年 元和5年10月6日)

 京都伏見街道大仏前と加茂川との間に、四十五間(けん)づつ別々に離して、十字架を立てたる刑場を設け、五十二人の信者を十字架に縛(ばく)し、火あぶりに処す。

六条河原と呼ばれる鴨の河原にある元和のキリシタン殉教碑

1619年10月6日の夕暮れに、
京都六条河原で火あぶりの刑にて殉教した
五十二名の殉教者を記念する殉教碑。
1994年7月26日に建立された。
元和の殉教の時、二十七本の十字架が立てられ、
下に積み上げられた巻きに火が付けられたとき、
大きな炎はしばらくの間夕暮れの京都を照らし、
後にその光が日本全土にまで広がったと記録にある。
願わくは、元和の殉教者のカトリック信仰の光が
日本全土を輝きだし照らしだし広がりますように!

In The Christian century in Japan (1951), one can read of an Englishman who was there, on that very day of October 6, 1619, and who describes how he saw ‘fifty-five persons of all ages and both sexes burnt alive on the dry bed of the Kamo River, and among them little children of five or six years old in their mothers’ arms, crying out, ‘Jesus, receive their souls!’ ” Here is the description of one of these executions:“The ordeal was witnessed by 150,000, according to some writers, or 30,000 according to other and in all probability more reliable chroniclers. When the fagots were kindled, the martyrs said sayonara (farewell) to the onlookers who then began to entone the Magnificat, followed by the psalms Laudate pueri Dominum and Laudate Dominum omnes gentes, while the Japanese judges sat on one side ‘in affected majesty and gravity, as in their favorite posture’. Since it had rained heavily the night before, the faggots were wet and the wood burnt slowly; but as long as the martyrdom lasted, the spectators continued to sing hymns and canticles. When death put an end to the victims’ suffering, the crowd intoned the Te Deum.” (C.R. Boxer, The Christian Century in Japan, University of California Press, 1951, pp.342,343, 349)



 十一両の車に彼らを乗せ、市中を引き回しながら、一人の者をして大声に呼ばしめて曰く
「この者どもはキリスト信者たる故をもって、将軍の厳命に由り火あぶりに処するものなり」と。

 然るに一人の信者またこれに答えて
「我らはいかにもキリスト信者なれば、今イエズスの聖名に由りて死せん、願わくは主に光栄あらんことを」と言われた。

元和の殉教の時、二十七本の十字架が立てられ、下に積み上げられた巻きに火が付けられたとき、大きな炎はしばらくの間夕暮れの京都を照らし、後にその光が日本全土にまで広がったと記録にある。
焼かれる殉教者の絵 キリスト教文化資料館フランシスコの家の所蔵



 既にして刑場に至り、二人づつ背中合わせに縛され、母は子を抱きながら縛せられて処刑せられし者の姓名は左のごとし。【括弧の中は、日本188殉教者名簿による名前】

豊後の人、トマス・ヂァン【喜庵】。
北国の生まれなるトマス池上。
中国の生まれなるリノ治兵衛【利兵衛】。
その妻、マリア。(但し、リノはイエズス会の世話人)
コスマ某【コスメ】。
ドミニコ某【ルフィナ?】
アントニオ某【どみ】
ヨアキム小川。
モニカ某女(以上は大和の人)。
ヨハネ忠作【久作】。
その妻マダレナ【マグダレナ】。
その子レジナ、及びオイダク【シクスト?】
トマス仁治郎【こしましんしろう】
その妻マリア。
他のマリア、その子なる四才のモニカを抱く(以上は山城の人)。
河内の生まれなるマリア【マルタ】、その子なる三【二】才のベネディクトを抱く。
美濃の国のモニカ某女。
トマス籐右衛門。
その妻ルシア【ルチア】。
盲目の娘なる八【七】才のマルタ。
レオ久助【きゅうすけ】。
その妻マルタ、この夫婦は或る大名の家来なりしが、教会のために尽くさんと欲して永の暇を乞い殊更に自ら貧困に陥りし者。
ガブリエル某。
マダレナ【マグダレナ】某女。(以上八人、尾張の者。)
近江のモニカ某女、
アガタ某女、
ソンシャ【メンシア】某女、三才のルシヤ【ルチア】を抱く。
マヌエル黒三郎【インマヌエル小三郎】。
トマス與右衛門。
その老母アンナ【アンナかじや】。
マリア千代。
他のマリア某女。
ペトロ某(以上は丹波の者)【マリアちゅうぞう?】。
筑前のエロニモ四郎【ヒエロニモそうろく】。
その妻マリア【ルチア】。
ヤコボ櫻井【ヨハネ桜井如庵】。
その妻【ヨハネ桜井の息子の妻】ウルスラ(この二人豊後の者)。
マレチヨ千次郎【マンショ九次郎】。
ルドヴィコ又五郎【ルイス(ルドビコ)又五郎】。
イエズス組の宿主ヨハネ橋本太兵衛。
その妻テクラ【テクラ橋本】。
その子カタリナ(十三才)。
トマス(十二才)。
フランシスコ(八才)。
ペトロ(六才)。
ルシア【ルイサ】(三才)。

 かくて橋本の親子が車より降りるとき、父は礼服の肩衣(スカプラリオ)を着けて、祝日の出で立ちしたり。子供は柱に縛り付けられ、母が幼子を胸に懐く、一人歩きする子は母の両脇にくくられながら、火あぶりに処せらるる時、娘のカタリナが母に向かって
「お母さん、お母さん、もう目が見えませぬ」と叫びければ、気丈の母はこれに答えて
「さらば早くイエズス、マリアの聖名を唱えよ」と励ましつつ、
自分は幼子をしかと懐き、天を仰ぎながら処分を受けた。

次にヤコボ都子【ディエゴ辻】。
フランシスコ長作【フランシスコ庄三郎】。
その子フランシスコ、一同と共に火あぶりに処せられた。

同日伏見において、
イグナシヨ土右衛門もまた火あぶりに処せられる。彼は近江の人なり。

中山正美作「都の大殉教」より テクラ橋本(バチカン美術館蔵)



【参考資料】
聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第385号)
聖ピオ十世会だより: マニラの eそよ風 (第387号)
京都の大殉教
日本188殉教者名簿

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。