Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母はイエズス様と一緒に罪を贖った方で「共贖者」と言われている。同時に私たちを超自然の命に生み出した方、霊的な母です。

2021年05月20日 | お説教・霊的講話

2021年5月2日(主日)御復活後第4主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、そして小さなお友達、5月の聖なるマリア様の聖母聖月が始まりました。ロザリオの祈りをたくさん唱えましょう。

そしてこの前のロザリオの十字軍には、大変多くのご協力をありがとうございました。約250万環集まりました。総長を始め私共も、皆さんのご協力に心から感謝申し上げます。

イエズス様の御復活の神秘の中に深く入りましょう。

「イエズス・キリストの神秘」というのはつまり、端的に一言で言うと、「私たちを永遠の命に生み出す為に、救う為に、地獄の火から救う為に、天主が人間となった」という事です。

ところで、昔からの、永遠の昔からの計画によると、このイエズス様の神秘には、イエズス様のこの、私たちの救いの為に天主が人となる、という事の為には、天主は特別の助け手を、同伴者を与えられました。

イエズス・キリストが、アダムの犯した罪を、アダムとエヴァが犯した罪を償って、そして超自然の命を私たちに与える為に、イエズス様が第2のアダムとなる為に、第2のエヴァが準備されました。それがマリア様です。

イエズス様の贖いの神秘、イエズス様の神秘を理解するには、マリア様がいなければ、マリア様の事を考えなければ、私たちは理解したとは言えません。

イエズス・キリストがなさった業は、「罪を贖う」という事、そして「私たちを超自然の命に生み出す」という事でした。聖金曜日と復活の主日です。

それと同じように、マリア様も、この2つの業に密接に関わる必要がありました。共にイエズス様と苦しみ、そして超自然の命に私たちを生み出す母となる事でした。

マリア様は、イエズス様と一緒に罪を贖った方で、「共贖者」と言われています。そして同時に、私たちを超自然の命に生み出した方で、私たちの霊的な母です。

「マリア様が私たちの霊的な母である」という事は、私たちにとって非常に大切な玄義です。私たちの母となる為にこそ、マリア様はこの天主の御母として、そしてその他の全ての特権を頂きました。

これは、ただお母さんのような存在というわけではなくて、本当に、マリア様から私たちは超自然の命に生まれたのです。ですから本当の意味で、マリア様は私たちの母親になっています。

この事を教父は昔から、アダムとエヴァの犯した罪を、イエズス様とマリア様が二人で償ったので、「イエズス様こそ新しいアダムだ。マリア様こそ新しいエヴァだ」と言っています。

この神秘を私たちが一番よく理解できる為に、マリア様は特別の手段を与えて下さいました。それがロザリオなのです。

なぜかというと、ロザリオのその御告げからまた御誕生、御潔め、そして苦しみの玄義、栄えの玄義、全て、イエズス様の贖いにマリア様が直接に密接に関わっている、という事を私たちが黙想する事ができるからです。

喜びの玄義では、イエズス様がマリア様と共に人間となった、マリア様が天主の御母となった事を黙想します。

苦しみの玄義では、イエズス様とマリア様が共に、私たちを贖って下さった事を黙想します。

栄えの玄義では、喜びの玄義と対となり、マリア様が「天主の御母」のみならず、「私たちの母となった」という事を教えています。

どういう事かというと、マリア様はこの地上から天に上げられた、それで地上の人生を終わられた、それでもうマリア様の役割は全て終わった、のではない、という事です。

「マリア様は天において、常に私たちの母親として、私たちを超自然の命に生み続けて下さっている」という事です、「今、その役割をしている」という事です。

これが、ロザリオの祈りを黙想する事によって深める事ができます。

ですから5月は、マリア様の特別な聖母の月ですから、愛する兄弟姉妹の皆様、それから愛する小さなお友達の皆さん、マリア様の為にたくさんロザリオを唱えて下さい。

そしてマリア様が私たちのお母さんとして、どれほど私たちの為になさって下さっているか、という事を、お母さんであるマリア様にお祈り下さい。

どうぞ聖なる聖母聖月を過ごすようになさって下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖ヨゼフの祝日は私たちに、3つの事を黙想を提案している

2021年05月20日 | お説教・霊的講話

2021年5月1日(初土)証聖者、童貞聖マリアの浄配、勤労者聖ヨゼフの大祝日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教(修道院にて)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は、勤労者聖ヨゼフの祝日です。この5月の最初の勤労者聖ヨゼフの日はちょうど、今年は初土曜日にも当たっています。

ですから、このミサの直後に、いつもやっていますように、御聖体降福式を行ないましょう。初土の信心を行ないましょう。どうぞ今日のミサ聖祭と、御聖体拝領を、マリア様の汚れなき御心を御慰めする為にも御捧げ下さい。

今日の聖ヨゼフの祝日は私たちに、3つの事を黙想を提案しているように思います。

1つは、聖ヨゼフの全生涯が、勤労者としての生涯が、もちろん素晴らしい職人としての技をした事でしょう。その素晴らしい作品、傑作の数々があったに違いありませんが、それは私たちには知られていません、残っていません。

しかし、聖ヨゼフがなぜこれほどまでに勤労者として素晴らしいかというと、それは、「イエズス・キリストとマリア様の為に」お仕事をなされたからです。

そこで聖ヨゼフは私たちに、「私たちの毎日の目立たない、あるいはこの世の人にとってはつまらないように思えるような仕事を、イエズス様とマリア様の為に御捧げする時に、それは偉大な価値を持つ。永遠の価値を持つ。全世界のあらゆる傑作や、芸術品に勝る栄光を受ける」という事を教えています。
ですから聖ヨゼフの模範に倣って、私たちの日常の生活を、イエズス様の為に、マリア様の為に、御捧げ致しましょう。

第2には、これは、イエズス様とマリア様を愛する為に、聖ヨゼフは全てを尽くした。このイエズス様とマリア様は、教会の神秘体のいわば頭と首ですから、イエズス様とマリア様の為に働く事によって、実は聖ヨゼフ様は、神秘体全ての為に働いていた事になります。

聖ヨゼフ様は今でも天国で、私たちの為に、私たちの命を守ろうと、私たちの為に、私たちが成長するように守っておられる、という事です。今でも心を配っておられる、という事です。

ですから今日、聖ヨゼフ様の特別の保護の元に参りましょう。

第3に最後に、今現代世界は、特にキリストの神秘体は、これから恐ろしい時代が始まるかのような事が、印があります。

日本ではまだそれほどではないのですけれども、アイルランドとかカナダとか、あるいはヨーロッパ、アメリカでは、教会が閉じられたり、「娯楽施設や他の所は、レクリエーションの所は別に問題はないのだけれども、しかし教会だけは開いてはいけない。疫病があるから」などと矛盾した政策や方針が、法律でますます酷くなっていると伝えられています。

教会がもしかしたら、このまま更なる迫害を受けるという事が感じられます。現代のヘロデがもう一度、教会の神秘体を狙おうとしているかのようです。

このような時代に、私たちがいつもイエズス様のミサに与り、秘跡に与り、そして私たちの健康や命が守られる為にも、聖ヨゼフ様に是非特別の保護をお祈り致しましょう。

私たちの未来の子供たちや、私たちの共同体が特別に守られますように、お祈り致しましょう。その為の力と、知恵と、特別の御恵みが、聖ヨゼフ様から与えられるようにお祈りしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

喜びの玄義 第5玄義黙想

2021年5月1日(初土)御聖体降福式
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父(修道院にて)

『喜びの玄義:第5玄義 この一連を捧げて、聖母が主を聖殿に見出し給いたるを黙想し、その御取り次ぎによりて、主を愛する徳を乞い願わん。』

御聖体の内に真に在し給うイエズスの聖心の御前で、初土の信心として15分間、ロザリオの玄義の1つを黙想致しましょう。

今日は、喜びの玄義の第5玄義、聖母が御子を神殿に見出し給いたるを、その神秘を黙想する事を提案します。

聖ヨゼフは確かに、イエズス様の御受難、十字架の道行と御死去、そして御復活の神秘を直接目の当たりにはしませんでしたけれども、そのリハーサルを、マリア様と共になさいました。

3日間、イエズス様を失い、マリア様と共に、イエズス様がもう一度現れるのを探されました。

イエズス様が12歳の時のこの3日間の苦しみ、聖家族の長が、その存在の目的であるイエズス・キリストを失ってしまった、その苦しみと悲しみ、その責任、ご自分の過失ではなかったのですけれども、イエズス様の、幼きイエズス様のこの苦しみや、あるいはその一人でおられた時の事を思った、聖ヨゼフの心配と同情、それを黙想致しましょう。

聖ヨゼフにとって、イエズス様を見失ったマリア様の苦悩を見るのは、自分の悲しみよりも更に苦しい事でした。マリア様を悲しませてしまった、辛い思いをさせてしまった、それこそが、聖ヨゼフにとって大きな苦しみでした。イエズス様を失い、マリア様をお悲しませしてしまった。

私は、罪を犯して、イエズス様を失い、成聖の状態を失い、マリア様を悲しませてしまいました。それにもかかわらず、どれほど平気でいた事でしょうか。

マリア様と共に聖ヨゼフは、3日間、イエズス様を呼び求めます。

マリア様は聖ヨゼフと共に、イエズス様を遂に、3日目に神殿で見出されます。

「我が子よ、一体なぜこんな事をしたのですか?あなたのお父さんと私は、あなたを探していたのですよ。」

「私が、聖父の仕事をしなければならないという事を知らなかったのですか?」

イエズス様は御生涯の最後に、聖父の仕事を、復活を以って達成されました。御受難によって。

聖ヨゼフとマリア様の御取次ぎによって、私たちも主の神秘に深く与る事ができますように。

 


永遠の命に行く為には秘跡が必要です。道しるべが必要です。地図が必要です。必要な助け、道しるべ、地図、全てそれはカトリック教会に委ねられました。

2021年05月20日 | お説教・霊的講話

2021年4月25日(主日)御復活後第3主日のミサ(名古屋)
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、聖伝のミサにようこそ。

今日からここ名古屋でも、月の最終の主日には、毎月、この聖伝のミサを捧げる事ができるようになって、非常に嬉しく思います。この御恵みを天主様に感謝致します。

皆さんがミサにいらっしゃればいらっしゃるほど、ますます、月に一回のみならず、月に2回、3回、毎週主日にも、ミサを捧げたいと思っています。ですから、どうぞ何もご心配なさらずに、ミサに与るようになさって下さい。そして、できるだけ皆さんの霊的な必要、霊的に助けがあればできるだけ、私たちがそのできる限りの奉仕をしたいと思っています。

なぜかというと、イエズス様は、特別に愛する兄弟姉妹の皆様を、愛しておられるからです。そしてその霊魂を祝福して、家族の皆様を祝福して、多くの恵みを与えたいと望んでおられるからです。そうでなければ、こうやって今、ミサが今ここにあるわけがありません。そのイエズス様の御望みを叶える為にも、できるだけ私たちの力を尽くしたいと思っています。

なぜかというと、私たちにとって必ず必要なものは、絶対必要なものは、緊急に必要なものは、イエズス様の御恵みであって、ミサ聖祭であって、イエズス様の十字架のいけにえであって、天主の祝福、秘跡が、私たちにどうしても必要であるからです。

これはどこの病院が、どこのスーパーマーケットが、あるいは最もどこの人間の生活にとって必要なものであると言われても、それよりももっと大切なものが、「ミサ聖祭」であって、「秘跡」であって、「御聖体」であって、そして「罪の赦し」であって、「特別の天からの御恵み」なのです。

ですから、このもしもこれが頂けなければ、私たちにとっては生きるか死ぬか、「永遠の命の問題」があります。その為に、どのような事があってもミサを、そして秘跡を与える為にこのようにできる事は、本当に御恵みだと考えています。

なぜかというと、今日まさに、その理由がミサの中に説明されています。聖ペトロが言っています。今日のミサのテキストをお持ちの方はご覧になって下さい。聖ペトロ、最初の初代教皇様は、私たちにこう最初の回勅で、その書簡で言っています。

「お前たちは、ここの今いる世界で、あたかも外国人であるかのように、旅人であるかのように考えよ。なぜかというと、私たちはここに、ずっと永久に留まっている事はできないから。ある日、この地上に『さらば』と言って、永遠の世界に旅立たなければならない。私たちが今ここにいるのは、ほんの束の間の間であって、私たちは今この地上に、ただ通り過ぎているだけである。本当の私たちの目的地は、天国である。」

私たちが、「いや、そんな事はない。」「いや、私は絶対この地上に長く居る」と、いくら張り切っても、踏ん張っても、そうする事はできません。皆さんが、たとえ科学が進歩して、ワクチンを打っても、薬を飲んでも、整形手術をしても、どんな薬を飲んでも、私たちはこの地上に、100年過ぎているかいないかです。

たとえ科学の技術が進歩したとして、皆さんが千年生きたとしても、その後は私たちは、「さらば」と言われなければなりません。

私たちはどこに向かっているのでしょうか?

「永遠」に向かっています。それはどうしても変える事ができない、私たちの目的地です。私たちはここに外国人として、旅人としてのみいるだけです。

この事を、聖ペトロが今日私たちに訴えています、「だからこの地上の事に愛着してはならない。この地上の事はすぐに過ぎ去ってしまう。だからこの時を利用して、天国に行く準備をしなさい。王に従いなさい。清く生きなさい。聖なる生活をしなさい」と勧めています。

今日イエズス様も、やっぱり同じ事を仰います、「束の間の間、ほんのちょっとだけの後に、お前たちは私を見ないだろう。しかしその少しの後には、私に会うだろう。」

この「ほんの少しの間」というのは、この地上での事です。聖アウグスティヌスは私たちにそう教えています。

この地上がいくら何千年何万年続いたとしても、この世が終わってしまった後には、永遠から見るとあっという間の事です。ほんのちょっとの間、イエズス様を見ないですけれども、全てが終わって天国に行けば、私たちはイエズス様を見る事ができます。

そして私たちは今、この地上では悲しい、辛い思いをするかもしれません。涙の谷に生きているからです。罪があるからです。嫌な事も、辛い事もたくさんあるからです。

でも、もしもそれを、イエズス様の為に捧げたら、イエズス様の為に忍耐すれば、イエズス様を愛するが為にそれを御捧げすれば、それは私たちにとって喜びに変わる、そしてこの喜びは誰も私たちから奪う事ができない、と教えています。

ですから今日、愛する兄妹の皆さん、イエズス様からのメッセージを、御言葉を、心にぜひ留めて下さい。「私たちはこの地上に、天国の為に、少しの間生きている」という事です。「いつも永遠の為に、永遠の事を考えていなければならない」という事です。

永遠の命に行く為にはどうしたら良いのかというと、秘跡が必要です。道しるべが必要です。地図が必要です。それは全て、イエズス様が教えてくれています。そしてできる限り、その必要な助け、道しるべ、地図、全てそれはカトリック教会に、イエズス様が委ねました。司祭に委ねました。

そして今日、ミサに与っている皆さんに、必要である限り全て提供するのは、私たちの喜びであり、私たちの義務であり、私たちの特別の幸福です。今日そのミサを捧げる事ができて、これから毎月、このミサが捧げられるという事を思うと、本当に嬉しく思います。

どうぞこのミサによく与って、そして毎日のお祈りを通して、天国に一直線に向かわれますように、聖なる生活を送られますように、マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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