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もう1つの「石舞台」/明日香村細川(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第20回)

2017年06月03日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
今回のタイトルは「Another 石舞台!」としたかった。NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が毎週木曜日、毎日新聞奈良版に寄稿している「ディスカバー!奈良」、今回(6/1付)は「もう一つの石舞台古墳 明日香村細川」、執筆者は「古墳マダム」こと道﨑美幸さん(同会理事)である。
※トップ写真は、明日香村細川の棚田

彼女は「ガイドブックに載らない古墳」を探し求めて、いろんなところを訪ねているが、今回の古墳は、いわゆる「細川谷古墳群」の中の1つである。このあたりの古墳群は、蘇我氏一族が葬られていたといわれる。「細川谷古墳群」を『日本歴史地名大系』から引用すると、

飛鳥川上流の冬野川に沿った両側の谷筋、細川谷には約200基の古墳が分布している。古墳は冬野川の左岸の尾根上にも散在するが、談山神社の鎮座する御破裂(ごはれつ)山より西方に延びる尾根の南斜面上に群集。いずれも径8~15メートル前後の小円墳で、前方後円墳は存在しない。石室が露出したり、崩壊したものも多いが、打上(うつあげ)古墳を除いてはいずれもあまり大きな石室ではない。

出土の遺物も伝えられたものはほとんどなく、わずかに大字上(かむら)の七廻(ななまわり)塚から大正5年(1916)頃出土したという剣一口が東京国立博物館の所蔵になっている。また、昭和49年(1974)大字上居(じょうご)にある一基の古墳が調査され、横穴式石室内に凝灰岩の家形石棺が納められていることを確認。石室の奥壁が一枚の切石に近いことから、6世紀末から7世紀初頭の築造と推定。このほかはほとんど未調査であるが、古墳群のすぐ下の平坦地に位置する石舞台古墳や飛鳥の諸遺跡とのかかわりを解明するためにも、調査の待たれる古墳群である。


写真は、明日香村・尾曽川橋付近の「もう1つの石舞台古墳」

では、今回の記事全文を紹介する。

懐かしい風景が残る明日香村では、緩やかな斜面に沿ってつくられた棚田がいくつか見られます。日本の棚田百選に選ばれた稲渕(いなぶち)地区の棚田が規模も大きく有名ですが、石舞台古墳の東、飛鳥川上流の冬野川に沿った深い谷筋にも細川の棚田が東西に広がります。

同じ飛鳥でもこのあたりでは観光客の姿は少なく、「細川谷古墳群」と呼ばれる小さな古墳の壊れた石が棚田の中からひょっこりと顔をのぞかせます。まるでもう一つの石舞台古墳のように思えます。

水を張ったばかりの初夏、夕暮れ時の棚田は特に美しく、空を映して赤く染まりだんだんと色を変えていきます。背後にそびえる二上山(にじょうざん)が視界に入ることで、棚田の風景はより大和らしさを感じさせてくれるでしょう。棚田に眠る古墳を探しながら歴史を感じてみてください。明日香の里はこれから緑が美しい季節を迎えます。

メモ 橿原神宮前東口よりバスで石舞台下車、県道155号を多武峰方面へ徒歩約20分。棚田は私有地なので見学時は注意が必要です(奈良まほろばソムリエの会理事 道﨑美幸)。

田植えの終わったこれからが、棚田の季節。ただし私有地ですので、ご注意して見学を!



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