力道山は大相撲の力士として、関脇まで昇進した。
1950年に角界を去った後、渡米してプロレス修行。
帰国後、必殺「空手チョップ」を武器にプロレスブームを巻き起こした。
54年には世界タッグ王者のシャープ兄弟と対戦。
柔道家・木村政彦との決戦を制して伝説になった。
だが63年12月8日、 東京・赤坂のナイトクラブで暴力団員の男と口論になり、 刃物で刺された。
1週間後の12月15日、都内の病院で死去。享年39歳だった。
力道山の未亡人、田中敬子さんの著書によると・・・・・
力道山がレスラーとして大活躍した昭和30年代は、プロレスの興行を地元の組関係者が仕切る慣例が残っていた。
西は山口組の三代目田岡一雄組長、東は東声会の町井久之会長(本名鄭建永・정건영)が興行をまとめていたといわれている。
力道山と懇意にしていた在日韓国人の町井会長は、力道山にボディガード役として若い衆を付けるなどして彼の身の危険を案じていたとされている。
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