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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

いつでも、どこでも日本が相手だと、何が何でも勝てねばならぬ・・・・・・応援、声援も当然、熱狂的だ

2020-04-29 02:39:04 | 韓国旅行

 
サッカー日韓戦をめぐる話で、韓国での試合となるとスタンドは韓国人で埋まる。


いつでも、どこでも日本が相手だと、何が何でも勝てねばならぬ。
応援、声援も当然、熱狂的だ。
 
その応援の時、スタンドの観衆がフィールドの選手に向かって叫んでいる言葉が、日本語に直訳すれば「殺せ!」「殺せ!」だ。
観衆は「チュギョ!」あるいは「チュギョラ!」といっているのだが、日本のサポーターが日本語を知っている韓国人に「あれ、何と叫んでいるの?」と聞くとそう教えてくれる。


日本人は驚く。
仲間に「おい、おい、連中は日本の選手を殺せ、殺せといってるそうだぞ!」といい、それが日本に伝わる。
日本では当然、「激しいねえ」「スポーツで殺せ、はないだろう」「なんてひどいやつらだ・・・・・・」となる。
 
応援もたしかに激しい。
しかし激しくもユーモアはある。
 
「殺せ」も実態はそんなに深刻なものではなくて、叫んでいる韓国人からすると「死ね!」「やっつけろ!」程度で、場合によっては「やれ、やれ!」「いけ、いけ!」といった感じかもしれない。


韓国人は演技もそうだが、言葉も実態以上に大げさなのです。

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関西の女性に韓国語は難しい・・・・・・それに比べると関東系は韓国語に向いている

2020-04-28 11:50:14 | 韓国旅行

 
関西の女性に韓国語は難しい
 
ツバを飛ばすような「激音」をもつ韓国語の発音は日本人には実に難しい。
とくに関西の日本人には合わないと思う。
京都、大阪に代表されるように西の方は物言いがソフトだ。
 
それに比べると関東系は韓国語に向いている。
端的にいって「あほやなあ」より「ばっかやろう」が語感としては明らかに韓国語である。
 
日本人で韓国語学習にいちばん向いていないのは関西の女性ではないだろうか・・・。
あんなソフトな物言いでは韓国語の正確な発音は難しい。
韓国語の「激音」については、しゃべると時は「激しく、激しく・・・」と頭のコンピューターが動く。
 
韓国語は発音が激しいと同時に、会話で使う単語も実は激しいのだ。
このことは韓国人論と深く関わっているように思う。

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韓国人は食事の際の会話で口からメシ粒が飛び出すことが多い

2020-04-27 03:15:01 | 韓国旅行

 
韓国人は食事の際の会話で口からメシ粒が飛び出すことが多い。
 
韓国語のせいかもしれない、韓国語には日本語にはない激しい発音がたくさんあるからだ。
専門的には「激音」といわれるが、カッ、キッ、クッ、ケッ、コッ、タッ、チッ、ツッ、テッ、トッ、パッ、ピッ、プッ、ペッ、ポッ・・・・・・といった感じの音である。
 
のどの奥から痰でも吐き出すような「カハーッ」といった音もあるから、メシ粒だって飛び出さざるをえない。
韓国人は焼酎を飲むとき、とくに一杯目を飲み干すとこれをやる。
「カハーッ、うまい!」という男ぶりパフォーマンスだ。
 
日本語にない発音なので、この「激音」を勉強させられる時は口の前にティッシュをぶらさげ、揺れると合格、揺れないと「もう一度!」となる。
韓国語初心者の日本人はなかなか揺れない。
 
こんな激しい音があるので、日常的にメシ粒はともかくとしてツバはしょっちゅう飛ぶし、飛んでくる。
韓国語の特性だから男女の違いはない。


男ぶりの誇示の一つとして韓国人は声が大きいので、政治事情などをしゃべらせると口からはまるで“しぶき“だ。
基本的にはオバちゃんも美女も同じだ。
 
歌も当然そうで、テレビの画面で絶唱する歌手の顔がクローズアップされるとよくわかる。
口からマイクに向かって霧のようなしぶきが盛んに噴出している。
女性歌手など歌唱力誇示タイプが多いのでよく飛んでいる。

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韓国では、人びとの会話を聞いていて父母のほかに「ヒョン(兄)」とか「オンニ(姉)」「トンセン(弟、妹)」など家族の呼称がよく登場する

2020-04-25 03:01:13 | 韓国旅行

 
韓国では、人びとの会話を聞いていて父母のほかに「ヒョン(兄)」とか「オンニ(姉)」「トンセン(弟、妹)」など家族の呼称がよく登場する。


日本では家族関係がかなり疎遠になっているので、家族ではない第三者との会話に家族のことが登場することはあまりない。
日本人は身内のことを第三者に語るのは失礼という感覚がある。
 
韓国人は日本人と比べると家族の話はたしかに多い。
しかし家族の呼称でいっているのは、実際の家族ではなく友人など周囲の親しい人たちのことである場合が多い。
 
つまり韓国人は他人に対して親しくなると家族呼称を使う。
それが親しさの表現なのだ。
身内並み・・・韓国人は家族呼称を使うことによって他人を疑似家族に仕立てて親しさを表しているのだ。
 
男だとヒョン、トンセン、女だとオンニ、トンセンがよくでるが、知り合いに「ヒョン(兄)」といわれると悪い気はしない。

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「ニム」の大安売り・・・・・・韓国社会は「ニムの時代」に入っている

2020-04-24 03:01:05 | 韓国旅行

 
韓国社会は「ニムの時代」に入っている。
他人尊重の一環として「シ(氏)」を格上げしてさらに「ニム(さま)」となっている。
 
このニムは北朝鮮でしきりに使われている「スリョンニム(首領さま)」「チャングンニム(将軍さま)」のニムと同じだが、韓国(朝鮮)では昔からかなりの尊称になっている。
いわば王さま並みともいっていいが、現代では企業の課長、部長、社長・・・・・・や国の大統領、大臣、局長・・・・・・などもみんな下にニムがつく。
 
どこか重々しい感じがするが、実際はそんな仰々しいものではない。
ただそれが韓国社会の秩序の型なのだ。
 
歴史的に「ニムの安売り」として話題になった呼称がある。
タクシーやバスの運転手のことをあるときから「キサニム(技士さま)」というようになったのだ。
この「キサニム」はしっかり定着して今にいたっている。
普通よくいう「アジョシ(おじさん)」よりずっと格調があって、運転手にも喜ばれている。
 
接客業では相手を喜ばせ、気分よくさせることがいちばんだ。
とたんにサービスがよくなる。
タクシーだと日ごろあまりいわない「カムサハムニダ!(ありがとうございます)」「アンニョンヒカセョ!(さようなら)」を元気よくいってくれる。
 
ところが最近この「ニム」が安売りされている。
百貨店などでお客のことを「顧客ニム」といっている。
お役所の窓口でも、電話で問い合わせをするとみんな「顧客ニム」という。
 
ただこれは「シ(氏)」と違って相手をたてまつった一方的な呼称で、お互いがニムで呼び合うことはない。
 

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昔は結婚するとお互い「あなた」にあたる「ヨボ」が正式呼称だった

2020-04-22 03:39:34 | 韓国旅行

 
韓国社会は民主化によって平等志向が強くなり、呼称でも当然、より水平的なものが必要になった。
ミス、ミスターに代わるものはないか?
 
そこで登場したのが「シ(氏)」である。
男女の区別無く「キムテヒ・シ」とか、「イビョンホン・シ」などと呼ぶようになった。
 
「シ(氏)」は昔からあったが日常的にはそんなに使わなかった。
どこか無機的でカタ苦しく、よそよそしい感じだ。
呼ばれた方も決してうれしいものではなかったが、民主化によって一気に定着してしまった。
今や恋人や夫婦の間でもお互いを「シ(氏)」で呼び合っている。
 
職場などで男女はお互い「シ(氏)」で呼び合っているのは、たしかに平等感、水平感がある。
とくに男女間ではそうだ。
上司と部下に「◯◯◯シ」とやるとやはり水平感が出るから、下の者も何となく気分がいい。
 
しかし70年代からのオールド・ウォッチャーには「シ」は味気ないことこのうえない。
たとえばテレビドラマのラブシーンで、韓流系の美形ふたりが見つめ合ったまま、言葉をつまらせ「キムテヒ・シ・・・・・・」「イビョンホン・シ・・・・・・」などといって抱き合うのだ。
恋人同士だけではない。
若夫婦などもお互い「◯◯◯シ」と名前をいい合っている。
韓国は夫婦別姓だからこれはまるで他人行儀である。
 
昔は結婚するとお互い「あなた」にあたる「ヨボ」が正式呼称だった。
これは古くさく年寄り風だといって人気がなく、代わって「シ」が大いに好まれているというわけだ。
ただ、子供ができると日本と同じで「お父ちゃん」「お母ちゃん」にあたる「アッパ」「オンマ」になって「シ」は後退する。
夫婦間の「シ」について高齢者の韓国人の感想は、「大いに気にくわない」ようだ。
 
 

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韓国では通りの人ごみで「キム・サジャン(金社長)!」と呼ぶとみんな振り向くという冗談がある

2020-04-21 02:42:12 | 韓国旅行

 
韓国で1960年代以降、ミス、ミスターの呼称は都市の職場から広がった。
 
ところがこのミス、ミスターがある時から消えてしまう。
時期的には1990年代以降だと思う。
これはいわゆる民主化時代に重なる。
水平的呼称で民主的だったはずのミス、ミスターが民主化時代に消えるとは・・・。
実はミス、ミスターは逆に差別的で人権無視だと否定されたのだ。
 
韓国の民主化とは、1960年代以来続いた朴正熙、全斗煥、盧泰愚といった軍人経験が終わった90年代以降にはじまる。
民主化とは政党活動や言論の自由化など政治的なもののほか、男女平等や人権拡大など社会的なものを伴う。
労働運動の解禁もそうだ。
表現の自由拡大で文化的な活動も広がった。
 
ミス、ミスター問題が差別的だとして拒否感が出たのは、これだとキムとかパクとか姓だけを呼んでいることになるからだ。
本来、下の名前までちゃんと呼ぶのが礼儀であり、そうしないミス・キムやミスター・パクは人件否定の人権侵害だというのだ。
 
たしかにこれには一理ある。
韓国の姓は金とか李とか朴とか限られている。
日本人の姓は三十万近くもあるが韓国では二百数十しかない。
とくに金・李・朴の三大姓で人口の半分以上になる。
となると姓だけではどこの誰だか分からない。
姓だけでは人を呼んだことにはならないのだ。


だから韓国では通りの人ごみで「キム・サジャン(金社長)!」と呼ぶとみんな振り向くという冗談がある。
ただこれは「韓国ではそんなに社長が多い」という皮肉でもあります。
 
日本では日常的に姓だけで十分だから、日本人は韓国でも「キムさん」とか「パクさん」といって平気だが、本来これは失礼なのだ。
できれば下の名前まできちんという方がいいし、相手も喜びます。

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トイレ改善は全国的にキャンペーンが展開され、ターミナルや公園などの公共トイレには“快適トイレ“が増えた

2020-04-19 03:41:45 | 韓国旅行

 
日本人などはとくにそうだが、知らない者同士が手を握り合うという肉体接触には相当な拒否感があった。
想像だが、これは衛生上の拒否感だと思う。
 
日本のような高温多湿の風土の中では、握手は禁物だ。
相手の手がそれまでどんな状況だったか分からないではないか。
ひょっとしてバイ菌がついているかもしれない!
だからあいさつでは肉体接触せず、一定の距離を置いて頭を下げるスタイルになったのではないだろうか。
 
日本人は韓国人がトイレに入って出てくるときに手を洗わないのが気になる。
とくに男はそうだ。
男だから「小」はまあいいとして「大」でも結構多いから困る。
これは何度も韓国を訪問していて目撃しているので自信がある。
 
韓国は感想風土だから許せるか?  と考えたいのだが、この実情を想像すれば、握手といって手を出されてもつい手が引っ込む日本人がいるかもしれない。
しかし郷に入っては郷に従えだ。
たしかに湿った多汗系の手に出くわすと気色悪いが、出されて手を断るわけにはいかない。
気にすると、韓国旅行もできない。
対策は「気にしない」しかない。
 
ただ、韓国では近年、健康ブームで清潔志向が強まっている。
とくにトイレ改善は全国的にキャンペーンが展開され、ターミナルや公園などの公共トイレには“快適トイレ“が増えた。
清潔プラス快適さも備わっているトイレが増えている。
 
用を足した後は手を洗いましょうというキャンペーンもやっている。
テレビの番組では、駅のトイレで用足しの後どれだけ手を洗うかを現場調査し、男女・大小合わせ60%未満という結果に警鐘を鳴らし、手洗い励行を訴えていた。

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日本人と韓国人は一見すると世界で最も似た者同士だ

2020-04-18 04:06:40 | 韓国旅行

 
韓国人は上の者から下の者まであいさつの際はみんな握手をする。
老若男女を問わず握手なのだ。
 
日本人と韓国人は一見すると世界で最も似た者同士だ


しかし日本人には日常のあいさつには握手はない。
したがって日本人は韓国人から初対面で握手の手を出されると一瞬、「えっ」となる。
戸惑いと違和感をおぼえると同時に、「あっ、韓国は外国なんだ」「韓国人は外国人なんだ」と思う。
 
これは意外に重要なことで、この出会いの後、日本人が韓国で経験するであろうさまざまな誤解やトラブルに対する心理的備えになるのだ。
日本と韓国あるいは日本人と韓国人の間の問題というのは、このお互いよく似ているということからきている。


お互い似ているようで違う、違うようで似ているという感じは、お互い実際は「似て非なるもの」なのだ。

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韓国におけるスポーツ史にこんなエピソードがあります

2020-04-16 03:25:21 | 韓国旅行

 
韓国におけるスポーツ史にこんなエピソードがあります。
 
わりと知られている話で、外国の文物が入り出したいわゆる開化期の19世紀のことであります。
韓国にやってきた西洋人がテニスをしているのを見た韓国のエリート知識人の両班が「なぜあの者はあんなシンドイことを下の者にやらせずに自分でやっているのか?」と疑問を呈したといいます。
 
スポーツという概念が存在せず、手足や体を動かすことは卑しいことと思われていた伝統的な価値観(儒教的!)を皮肉った話である。
だからスポーツとか学校教育における体育というのは近代化の産物である。
それが韓国社会に定着するのは日本統治下でだが、とくにスポーツの中でひたすら走り続けるだけというマラソンなどは、スポーツという近代的発想がなければ決して存在もしなかっただろうし、広がらなかっただろう。
 
その意味で、開化期から半世紀以上後になるが、1936年(昭和11年)のベルリン・オリンピックで、日本選手として出場した韓国人の孫基禎選手がマラソンで優勝したのは奇跡的で革命的だった。
マラソンなどは儒教的肉体観からは決してうまれないものだったからだ。
 
ちなみに韓国人は1992年バルセロナ五輪でもマラソンで優勝している。
韓国はマラソン強国になったのだが、これは儒教的価値観からの脱出であってこそ可能だったということもできます。

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