不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

여기저기 한국 ヨギチョギ韓国

韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国の近代化と経済発展は日本の影響によるというのは、国際的には常識である

2019-04-29 03:55:23 | 韓国旅行

 

韓国の近代化と経済発展は日本の影響によるというのは、国際的には常識である。

しかしこの“事実“については、韓国だけがひとりそれを認めない。


韓国が1945年8月15日の光復・解放の真相(?)を含め、こうした本当のところを認めたくないという心情はよく分かる。

それは理屈抜きの感情だからだ。

いずれも事実はともかく「しゃくにさわる」のだ。

しかし「認めたくない」「認めない」・・・・・・といっているうちに、しだいに本当のところについても「そんなはずはない」となり、やがて誰も知らなくなり、やがてそんなことは無かったことになってしまう。


韓国の場合、政府、マスコミ、政治家、学者・知識人など、相手が「日本」となると民族感情が先立ち情緒的になる。

「認めたくない」「しゃくにさわる」「イヤだ」という対日民族感情(反日国民情緒)のゆえに日本の影響を無視、否定する「日本隠し」に走ることになる。


知識人たちも私的には「世界中で最も日本の影響を受けながら最も日本をバカにしているのが韓国人だ」とよくいうが、公的には日本の影響・・・・・・日本のお陰を決して認めたがらないのだ。

それを民に対する善導、啓蒙と思っている。

しかし知っていて「日本隠し」をやるのだからタチが悪い。


朝鮮戦争でも鉄道、港湾などのインフラは残った。

そして日本統治時代のものを基盤に復興され、拡大した。

そしていわゆる「日帝の遺産」はモノだけでなく、人や制度、モノの考え方・・・なども残された。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後(韓国では解放後)も、多くの韓国人たちが日本に残留した・・・、いったん帰国しながらまた密航で日本に舞い戻るケースも多かった

2019-04-28 03:58:46 | 韓国旅行

 

戦後(韓国では解放後)も、多くの韓国人たちが日本に残留した。

 

いったん帰国しながらまた密航で日本に舞い戻るケースも多かった。

北朝鮮からの秘密往来も当然、ひんぱんだった。

彼ら在日韓国(朝鮮)人たちは日本と朝鮮半島に対する国境意識は弱い。

 

その在日同胞を利用した南北の政治対立が日本に持ち込まれた。

持ち込む側も日本および在日同胞を相手に国境意識は弱い。

 

これを「植民地支配のツケ」といえば語弊があるかもしれない。

結果的に金大中拉致事件や日本人拉致事件は日本にとって“自業自得“ということになり、犯罪者(韓国と北朝鮮)に免罪符を与えることにならないかという批判もあり得る。

 

しかし日本にとって隣国・・・・・・朝鮮半島との関係には、歴史的にそういうことがありうるのではないか、という話である。

あるいは隣国にはそんな国、そんな人たちが存在しているということだ。

それを踏まえた上での隣国理解であり、対応策でなければならないという話である。

 

韓国側は過去を理由に、日本に対しては国境意識が弱いのだ。

だから「内政干渉」といった意識はない。

 

つまり韓国は“日本離れ“ができていないのである。

これは政府や外交問題に限らず、多くの韓国人が日常的にそうなのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮は日本に対して、歴史に関わる贖罪意識を使えると思っているところがある

2019-04-26 03:44:11 | 韓国旅行

 

北朝鮮は日本に対して、歴史に関わる贖罪意識を使えると思っているところがある。

日本人拉致事件に対する最大の居直り論として、「日本は過去の加害者としての問題は忘れて自らのちょっとした被害には大騒ぎしている」としきりに日本非難を展開している。


この理屈は、日本側にまだこれに呼応する勢力(贖罪史観派)がかなり存在しているため、北朝鮮にとっては大いに利用価値がある。


この北朝鮮の“屁理屈“への対応策として・・・、

たとえばベトナムが、ある秘密の国家目的のためフランスの子女などを大量に拉致誘拐し、それがバレて大騒ぎになった際に「フランスは過去の植民地支配のことを忘れて騒いでいる、ケシカラン!」というようなものだ。

あるいは中国が英国市民を拉致誘拐し問題になったとき、「英国はアヘン戦争や香港植民地化など過去の侵略の歴史を忘れてなんだ!」と居直るようなものだ。


しかし世界の常識ではそんな屁理屈は通用しない。

国際的に笑いものになるだけだろう。


それよりも何よりも、北朝鮮の“屁理屈“に対しては「植民地支配という民族的受難を市民拉致という犯罪と等価で取引しようなんて、それは自らの荘重な歴史に対してあまりに失礼ではないでしょうか」と皮肉まじりに言えばいいのです。

北朝鮮による日本人拉致事件は、そうした日本の特殊に戦後的な北朝鮮観を背景にして引き起こされた。

そういう日本だったからこそ、北朝鮮は日本を舞台に平気(?)であのような事件を引き起こせた。


それは日本への“甘え“ということもできる。

そして日本は戦後的雰囲気の中で、その“甘え“を許してきた。

その限りでは日本にも責任があるのではないでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮からの工作員(スパイ)が日本に密かに潜入していることは、それなりに知られていた

2019-04-25 03:16:36 | 韓国旅行

横田めぐみさんら日本人大量拉致事件が表面化したのは1990年代以降だが、拉致そのものはほとんど1970年代後半に起きている。

二十年以上もその実態が明らかにされてこなかったことは驚きである。


北朝鮮からの工作員(スパイ)が日本に密かに潜入していることは、それなりに知られていた

日本の外事警察をはじめ治安当局は従来から北朝鮮スパイ事件の摘発は進めており、その一部はマスコミにも発表されてきた。


また日本海の沿岸地域を中心に、北朝鮮の工作員が海上ルートで密かに往来していることもその筋ではそれなりに知られていた。

その意味では、日本人拉致を察知できなかった(あるいは察知していても公表、警告しなかった)日本の治安当局の怠慢は責められるべきだろう。

肝心の国民の安全・保護には失敗したのだ。

このことは日本人拉致事件の原点にある問題のひとつだが、これまで意外に指摘されていない。


責任ということでは、ジャーナリズムの責任も大きい。

その最大の原因は、戦後日本のジャーナリズムに長く存在したある種の“北朝鮮タブー“である。


その結果、たとえば治安当局による北朝鮮スパイ摘発のニュースは、これまでマスコミにおいてはほとんど無視されるか扱いが小さかった。

数少ない例外が「産経新聞」で、日本人拉致事件も結果的に「産経新聞」によって初めて伝えられている。


産経新聞ファンになったのもこの頃からである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国で、「親日派ですね」は今でもタブーです

2019-04-24 02:39:00 | 韓国旅行

韓国は日本統治時代の遺産、つまり「過去の日本」を残し活用することで発展し、北朝鮮はそれを拒否・否定したため発展できなかった。


韓国では「過去清算」とか「日帝清算」などとよくいわれる。

あるいは「親日派」糾弾などといった話が今なお話題になっている。


「親日派」というのは日本統治時代に日本当局の朝鮮支配政策に協力した人たちという意味で、今でも韓国では、“悪の代名詞“になっている。


したがって韓国では、日本人と親しい人や日本に対して親近感を持っている人に「あなたは親日派ですね」などと決して言ってはならない。

「親日派」とは、いわば「民族的裏切り者」とか「売国奴」という意味であり、それは今も続いているからだ。


「親日」という言葉にそんな歴史的意味が込められている国は他にない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の「日本は叩きやすい」という甘え・・・

2019-04-23 03:41:52 | 韓国旅行

韓国ではよく日本メディアの報道が政治的問題になろことが多かった。


1980年代初めまでは軍政下で言論が統制されていたため、その影響が日本メディアにも及んだ。

支局閉鎖や特派員追放がしばしばあった。

記者派遣も制限されていた。

いわば共産圏みたいなもので、メディア活動は不自由だった。


当時の日本人ジャーナリスト逮捕事件としては「早川・太刀川事件」(1974年4月)が歴史に残っている。

韓国の反政府学生運動取材で訪れていた週刊誌のフリージャーナリスト、太刀川正樹氏と彼の取材に協力した留学生の早川嘉春氏が逮捕された事件だ。


韓国が朴正熙政権下で反政府運動を厳しく取り締まっていたいわゆる「維新体制」時代のことである。

朴政権は体制維持のため学生運動には苛酷だった。

その結果、この年、学生活動家や反政府知識人など多数が逮捕される「民青学連事件」が起きた。

「早川・太刀川事件」もその一環で、二人は体制批判を禁じた緊急処置法違反で逮捕され「内乱陰謀罪」などの罪名で懲役二十年の判決を受けた。


この強権処置に対し、二人の釈放問題が大きな外交問題になり、結果的には判決から八ヶ月後の1975年2月、釈放され帰国できた。

この事件はその後、1990年代以降の民主化の過程で無実とされたが、当時の厳しい国内政治状況下で「体制批判は外国人でも許されない!」という朴正熙政権の強硬姿勢を内外に誇示する、格好の政治的スケープゴー土(見せしめ)になった。


産経新聞名誉毀損裁判では、在宅起訴で被告となった加藤達也支局長に対する出国禁止処置が人道、人権問題として外交問題化し。

これもまた同じく八ヶ月後に出国が実現したが、何かの因縁かもしれない。


四十数年前の軍事政権時代も今も、これが日本人でなく欧米のジャーナリストだったらどうだったか。

逮捕もなかったはずだ。

韓国政府は当然、米国をはじめ国際社会の反発、非難を恐れるからだ。

国際的には外国人ジャーナリストへの制裁処置としては、裁判よりも国外追放が普通である。


韓国当局のこうした厳しい処置は「日本は叩きやすい」という意味で日本への“甘え“であると同時に、韓国の国内情勢への日本メディアの影響力の大きさのせいでもある。

ただ、日本に甘えて強行処置を取ったものの、いずれも結果的には日本をはじめ国際的な批判、反撥を受けて国家のイメージに傷がつくという「マイナス収支」もいつもの通りである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国での引っ越し業者は、日本とは大違いのようである

2019-04-22 02:41:26 | 韓国旅行

日本では、入学や入社で3月~4月頭は引っ越しのピークで引っ越し業者は人手不足のようである。

自身も転勤族だったので、10数回引っ越しを経験した。


韓国での引っ越し業者は、日本とは大違いのようである。


よくあるのは、最初の言い値から作業が進む内に、荷物がこんなに多いとは思わなかったとか、四階は階段の上がり下がりが大変だから、とか理屈をつけては料金の値上げを要求してくる業者が多いとのこと。

料金交渉がうまくいかないと、皿小鉢を割られてしまうこともよくあるらしく、かえって要求通りに払ってしまったほうが安くついたりするようだ。


日本の引っ越しはいろいろの引っ越し業者から見積もりを取ることから始まります。

料金は荷物の量や移動距離などから見積もりされるので、韓国のようにあとになって値上げされることはない。

総合的な判断から気に入ったところを選ぶ。

日本では引っ越し業者は、必ず玄関で靴を脱いで上がってきます。

荷物が多くても、運び出すたびに靴を履き直します。


ところが韓国は靴を履いたまま室内に入ってくる。

どうせ引っ越すんだから後で掃除をすればいいと考えているのだろうか、依頼者の立場からすれば気分が悪い。

他人の家に土足で入ってくるのは泥棒ぐらいなものであろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国には伝統的に職人の技を尊重する風土がない

2019-04-21 03:35:03 | 韓国旅行

日本には、三代続いた寿司屋はざらにあり、代々受け継がれた店には磨き抜かれた伝統と技があります。

その秘伝の技が強い競争力を支えています。

秘伝はある日急に霊感で得られるものではなく、長い歳月にわたる血のにじむような努力によって培われたものです。


しかし、韓国には代々受け継がれた店というものはなく、したがって秘伝を体得することが難しい。

たとえ当代が体得した秘伝があったとしても、それを次の世代まで伝えようとは思わない。

自分は人生に失敗したからこんな商売をしている、子供にだけはこんな商売をやらせたくない、と考えるのが一般的な韓国人の親ごころだからである。


韓国社会で親の仕事を継がせるのは、財閥の会長のように富や権力を独占する特権層だけである。

いまだに韓国には職業に対する貴賤意識が強く、職業には厳しいランクづけがなされている。

それだけに、だれもが自分の階層を乗り越えることだけに力をふりしぼるのだ。


韓国には伝統的に職人の技を尊重する風土がない。

儒教が労働を卑しんだので、汗をかいて仕事をすることを恥と考える風土ができてしまったのである。

そうした両班思想の弊害が近代産業にも影を落とし、どんな企業でも忍耐強い技術の積み重ねの努力があってあじめて成り立つのに、韓国ではじっくり技術開発に取り組むような姿勢はない。

なんでも日本から輸入すれば済むと考え、自分で技術を開発しようという企業が少ないのは深刻であります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国人は、額に汗する仕事そのものを蔑視し、そうした仕事をする人を露骨に軽蔑する

2019-04-20 03:42:20 | 韓国旅行

 

汗と油に塗れる仕事をする韓国人は、いじけている人が多い。

いじけていなくても、その職業で「プロ」、さらには「匠」と呼ばれる存在になろうとは微塵も考えていない。


中小メーカーの生産現場は、常に人手不足の状態だ。

人手不足でいながら、給与は安い。

いまや、日給制の非正規職か外国人労働者がほとんどを占めている。


「ちょっと気に入らないことがあった」「工場長が口うるさい」といった理由で、彼らはすぐに辞める。

同じぐらいの給与の職場なら、どこにでもあるからだ。

いささか古いデータだが、「入社一年以内に会社を辞めた“超短期退職者“の比率が30.1%に達していた。・・・また統計庁の『06年青年層経済活動人口追跡調査』でも、青年求職者の68.9%が二年以内に初めての職場を辞めていた。三年以上一つの職場に勤めた比率は18.3%に留まった」(朝鮮日報07年5月21日)

古い記事データだが、状況が急変しているわけではない。


これはホワイトカラーもブルーカラーも含めた数字であり、ブルーカラーの職場回転はさらに速い。

ノウハウを蓄積するどころか、工作機械のマニュアルも覚えきれないうちに次の職場に移るのだ。


額に汗する仕事そのものを蔑視し、そうした仕事をする人を露骨に軽蔑し、そしてそういう仕事に携わる人自身も、自分の職業に何らの誇りも持っていない・・・・・・これが、朝鮮半島の歴史が作り上げた産業文化の底流だ


彼らが作る半製品、部品が精度に欠けるのは、差別文化の帰結なのではなかろうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1970年代、韓国の大卒はまさにエリートだった

2019-04-19 02:59:59 | 韓国旅行

1970年代、韓国の大卒はまさにエリートだった。

社会構成員の一割にも達していなかった。


ところが、1980年代中盤から大学進学率は急騰した。

2008年には83.1%。

もう大学卒業者の半分しか、すぐには職に就けない。

めでたく就職できたとしても、その半分は非正規職だ。

290万ウォンの初任給を手にできる大卒者とは、大手財閥系に入社できたほんの一握りの存在なのだ。


五代財閥にしても、その従業員数は、韓国の勤労者数の2%に過ぎない。

状況は、李王朝の両班が科挙に合格しても、ほとんどが官職に就けなかったのと似ている。

両班は食べていけるだけの土地とを抱えていたが、今日の大卒浪人はそうではない。


ただ、「自分は大卒者、昔で言えば両班」といったプライドは高いから、がするような仕事・・・汗と油に塗れるような生産職には就こうとしない。

大卒浪人は、アルバイトをして一合70円ほどの焼酎を飲み、インスタントラーメンを食べながら。

いつまでも大卒者に相応しい仕事を探すのだ。


エリートは少数でなければ成立しない。

ところが、大卒者が同世代の大部分を占めるようになってしまった。

“ただの人“になった大卒者が、非エリートへの差別意識を高めるのは自然の流れかもしれない。


「朝鮮日報」の、「追い詰められる大学生」という特集には、大学進学率が七割を上回るというのに、大学を卒業しても半数は就職口がない現状をルポした内容だったが、本文の主見出しは「大卒以上でなければ人間扱いされない」だった。

つまり、今日の韓国で高卒以下は、収入の面でも社会的待遇の面でも彼ら自身の意識としても、「人間扱いされないみたいな存在」なのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする