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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国では、法律・規則はあってないようなもの・・・

2019-05-31 02:41:24 | 韓国旅行

 

「法律があるのに法律にもとづかないで調整してしまう」「偉い人がまあまあで収めてしまう」、韓国はそういう感じの国です。


身近なところでは、銭湯の例を挙げることができます。

韓国の銭湯では、たいてい床屋を併設しており、安い料金で主人がカットしてくれるのですが、銭湯と理容師の両方の許可・届出をちゃんと取得しているのか気になります。

韓国に行ったとき、何度か銭湯でカットしてもらったことがあります。

裸で髪を切ってもらい、その後は風呂に入って流せば合理的ですが、違和感があります。

確認したことはないものの、銭湯の主人は理容師の免許を持っていないのではないかと思います。


また、露店の屋台は当然、違法営業です。

こちらは時々摘発されていますが、南大門市場にも学生街にもあちこちに屋台が残っており、また新しく出店しています。

なぜでしょうか?


このように、日韓の法律観はだいぶ異なるようですが、韓国人は日本の法律・規則事情をどのように見ているのでしょうか。

その一端を、ベストセラーにもなった田麗玉氏の『悲しい日本人』からうかがうことができます。

田麗玉さんは、韓国マスコミの東京特派員だった当時の日本体験を記述する中で、「日本で不動産を借りるにあたって、必要書類がたった一枚足りないことで鍵を渡してもらえなかった。日本人は何と冷酷なことか。私は担当者を怒鳴り、社長を呼びつけて謝らせて、鍵を受取った」というようなことを綴っています。


日本では「必要書類がたった一枚足りないこと」は当然ダメなことですが、韓国では「融通を利かせるべき程度」で、それに応じない人間は「情のない人間」となります。

まさに「つきあいきれない」です。


逆に言えば、韓国では担当者に懇願すると、日本では考えられないくらい融通を利かせてくれる場合が多くあります。

振込金額が10ウォン、100ウォン足りなくとも、銀行の窓口で「まあいいか」とハンコを押してくれるくらい融通が利くようです。

このように「融通が利く」という例は他にもあります。


韓国では食堂の予約人数を当日に変更したり、キャンセルしたりしても、怒られるようなことはなくキャンセル料もとられません(いい意味気楽に予約できますが、店側も軽く考えているので、場合によっては予約したのに席が埋まっている場合もあります)。

食堂の従業員に「タバコを買ってきて」というと、かなりの確率で買ってきてくれます。

ただコンビニや銀行できちんと並んでいると、中年女性が「外で車を待たせているから」とか言って横入りする場合があったりします。

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韓国では、見た目が信頼のあかし?

2019-05-30 03:40:01 | 韓国旅行

 

韓国人はどんな小さな会社の社長でも、服装や車を豪華にし、一流ホテルのロビーやレストランで交渉・打ち合わせをする傾向にあるようです。

会社をつくったらまず社長室をつくり、赤絨毯を敷き、黒塗りの車を買い、名刺に「代表」と印刷して、社長室の椅子でふんぞり返るのです。


韓国は人口比の割に大型車が多いといわれています。

そうしないと「信頼されない」という思いがあるようです。

「長期信用取引」の文化が定着していないために「見た目」で信用を取り付ける、ということなのかもしりません。


社長が住んでいる場所も、会社の権威付けに重要な役割があります。

社長が高級住宅地に住んでいると、やはり会社の信用も上がるようです。

この点を知らなかったある日系企業の方は失敗をしてしまいました。


すなわち、通勤に便利で価格も合理的なアパートに引っ越したところ、韓国の得意先から怪訝な目で見られるようになったので、その理由を良く聞いてみると、引っ越したところが貧しい人が多い(と言われる)地域だったというようなことがあったそうです。

また別の日系企業の話では、会社の事務所をソウルの江南地区に移したところ、従業員が急に(量的にも質的にも)集まってきたそうです。


このように外面に注意を払うのは、韓国人のプライドや交渉方法や歴史的背景、いろいろなことが関係していると思います。

高級ホテルのロビーで打ち合わせをしているところを「周りの人が見ている」というのが、韓国人のプライドをくすぐるのだとか。

ですから、韓国でレセプションがある時には、どんな小さな集まりでも高級ホテルで行われる場合が多いようです。

そしてレセプションを行っていることが外からちょっと見えるのがいいのだそうです。

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韓国では長期的な約束関係(事実の継続)は必ずしも重要視されない傾向があるようです

2019-05-29 03:39:49 | 韓国旅行

韓国では長期的な約束関係(事実の継続)は必ずしも重要視されない傾向があるようです。


「前にそんなことを言ったかどうか」ということを後からほじくり返されても、それはその時の判断にもとづいて感情や思考を込めた発言だから、いまは別の判断にもとづいて違った発言もしうるというわけです。


発言内容を長期継続的に変えないか否かという日韓の文化の違いかもしれません。


韓国人的には「前回と違うこと」を言っているわけではないのです。


その時の感情や思考を言葉として表現したことを、その後の時点で情報を総合的に判断して内容を変えても韓国人的には「前回と違うこと」ではないということのようです。


少なくとも、韓国では「その時の状況に合わせて即座に過去の判断を変えることが『優秀』とされている」のかもしれません。

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韓国人の短期的な視点として、「自分(身内)さえ良ければ他人はかまわない」というのがあります

2019-05-28 03:19:52 | 韓国旅行

 

韓国人の短期的な視点として、「自分(身内)さえ良ければ他人はかまわない」というのがあります。

列に並ばない(列を作らないで横入りする)というのも一つの例です。


韓国人が欧米で品のない行動をして、欧米人から冷たい目で見られると、日本人のふりをして「アイム・ジャパニーズ」と言うのだという、まことしやかな話があります。


実際にそう自慢する韓国人もいるようですが、欧米人から見たらどちらもただの「黄色人種」であり、日本も韓国もひっくるめて馬鹿にされているのを理解していない面があります(ただ逆に言えば、欧米では日本人の方が有名であることを、韓国人も認識・評価しているのだとは言えるかもしれません)。


韓国はある面「身内主義」ですから、仕方ないのかもしれません・・・・・・

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通常の日本人の感覚では、韓国人の思考・感情・行動をストレートには理解できない場合があります

2019-05-27 03:41:19 | 韓国旅行

 

日韓が国交正常化して50年以上も経つのに、どうも両国には理解しがたい溝があるようです。

通常の日本人の感覚では、韓国人の思考・感情・行動をストレートには理解できない場合があります


相手を理解しようとする温和な日本人であっても、韓国人はすぐには理解できません。

むしろ温和な「日本人」であればあるほど、表面的には「無神経」な韓国人に腹が立つかもしれません。


ご飯をご馳走されても、はっきりと「おいしくない」と言う韓国人、日本人を目の前にして堂々と「日本は嫌いだ」と言う韓国人、相手の批判は得意でも自分への批判は受け入れない韓国人、議論して論理的に論破されても相手の意見を受け入れない韓国人、自信満々に「大丈夫」と言っておきながら失敗しても謝らない韓国人、頼まれてもいないのに日本人観光客を「ここが虐殺の現場だ」と案内する韓国人ガイド、日本人観光客からぼったくっておいて「我が民族の憂さを晴らした」とのたまう韓国商人、客を「ありがとうございました」と見送ることのない韓国食堂の従業員・・・・・・。


ただ、忍耐強くよく学び、よく観察し、よくつきあうと、彼ら韓国人の人となりや考え方が見えてきます。

逆に言えば、よく学び、よくつきあわないと韓国人は見えてこない、とも言えるのではないでしょうか。

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韓国の日本非難は本来は日韓併合に伴ういわゆる植民地支配に対する糾弾だった

2019-05-26 03:41:31 | 韓国旅行

 

韓国の日本非難は本来は日韓併合に伴ういわゆる植民地支配に対する糾弾だった。


日本は韓国と戦争したわけではない。

日本は韓国に対する“植民地支配“で裁かれたわけでもない。

だから連合国によるいわゆる東京裁判で裁かれた戦犯問題は韓国とは関係ないのである。

したがって、いわゆるA級戦犯が合祀されているといって外交的に大騒ぎする靖国参拝問題も、本来なら韓国は関係ないのである。


韓国人に対しこれをいうと、彼らは「いや、われわれも日本軍国主義の犠牲者だ。日本の戦争に駆出され犠牲になった。慰安婦もその犠牲者だ。日本を戦犯国として非難する権利はある」と反論する。

その限りではそういえないこともないが、いわゆる植民地における戦時動員というのは、たとえば英国も植民地支配のインドやネパールからインド兵やグルカ兵を動員し戦地に送り込んでいる。

しかしそれが戦犯として問われたことはない。


当時の状況下では慰安婦と日本兵は決して敵対関係でなくむしろ“同士“だったのだ。

いわゆる植民地支配下で日本人と韓国人は一体化していたからだ。

日韓はともに連合国と戦ったのである。


しかしこれは現在の韓国人からすると決して受け入れられない。

そこで日本と韓国はあくまで対立、敵対関係であったと考えるためには植民地イメージを排除した「戦う関係」が都合がいい。


しかも韓国における歴史教育は、日本とは独立運動を戦ったと教科書で記述され、そう教えられてきた。

日本統治時代の経験が無く、強制と抵抗史観つまり独立戦争史観で教育された現在の多くの国民にとっては、日本との過去の歴史は、まさに反日の歴史である。

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韓国では、なぜ「日本隠し」が行われてきたのか、なぜそれが必要だったのか

2019-05-25 03:55:22 | 韓国旅行

 

韓国では、なぜ「日本隠し」が行われてきたのか、なぜそれが必要だったのか。

「そんなことは償いにならない」と思ったからだろうか。

韓国人からするとそうかもしれない。


しかし最大の理由は「償っていない!」と主張し続けることによる、韓国にとっての物心両面の利益とかプラスがあるせいだ。

たとえば物的には日本に対し「まだ償っていないじゃないか」ということで、さらなる利益をせしめることができる。

そういわれ続ければ、日本としても韓国に対するサジ加減が甘くならざるをえない。

とくに戦後的価値観というか情緒というか、韓国に対する贖罪意識が残る中でそれは有効だった。

だから日本の韓国に対する経済・技術・その他・・・・・・官民両方で各種の支援が続いた。

韓国は日本にとってはいつも特殊な国、特別な相手だったのだ。


しかし時間の経過とともに歴史がらみの贖罪意識は後退する。

日本側でも近年、韓国に対しては言いたいことは言うという雰囲気だ。

となると過去がらみの贖罪意識をあてにした“物取り“的な効果より、心理的な優越感の方がしだいに比重は大きくなる。


つまり「日本は(罪を)償っていない」と思うことによる日本に対する精神的優越感が、韓国人を大いに満足させるのだ。

韓国的な表現で言えば「道徳的優越感」である。

これが韓国人にとってはこのうえもない民族的快感なのだ。

そして1945年8月15日の“恨(ハン)“があるだけに、韓国人はこの「道徳的優越感」によってその“恨(ハン)“を癒そうとするのだ。


いわゆる従軍慰安婦で韓国があれだけ執拗なのは、日本に対する「道徳的優越感」を維持したいからだ。

問題が女性および性にかかわることであるため、この問題は日本を「道徳的低劣」と非難するには絶好のカードである。

慰安婦問題は彼らの日本に対する道徳的優越感をくすぐる。

だから“慰安婦カード“は、韓国としてはなかなか手放せないのではないでしょうか。

 

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こうした事実が韓国社会ではほとんど知られていない・・・いや、知らされていない・・・「日本隠し」とはこういうことを言う

2019-05-24 03:37:57 | 韓国旅行

日韓国交正常化交渉の過程では、補償問題について日本側がむしろ個人補償案を提案したのに対し、韓国側はこれを拒否し、政府による一括受け取りを主張し、結果的にそうなった。

日本としては朝鮮半島が南北に分断されている状況で、一方の韓国だけに国家間の“補償“をするのはまずいという考えだった。


しかし韓国政府は、補償・・・・・・請求権資金を個人補償として個人にばらまかれるより、国としてまとめて受取り、経済建設に使った方が長期的に国家、国民にはプラスだと判断したのだ。

この選択が正しかったことは、韓国のその後の目覚ましい経済発展が物語っている。

もしあの時、五億ドルを個人補償として国民に少しずつバラまいていたとすれば、いったいどうなっただろう。

おそらく何も残らなかったに違いない。


請求権資金は何に使われたのか。

『白書』によると、農林・水産・鉱工業・科学技術開発・社会間接資本・・・・・・とあらゆる分野に投入されたことが記されている。

主なところを挙げれば、農業用水開発、農業機械化、農事試験研究、漁船導入・建造、水産物加工処理、水産物増殖、漁港拡充、総合製鉄所建設、中小企業育成、各種学校実験実習施設拡充、気象台予報施設拡充、原子力研究施設拡充、昭陽江ダム建設、京釜高速道路建設、上下水道建設、水利干拓、南海大橋建設、漢江鉄橋復旧、鉄総改良、火力発電所・送配電拡充、市外電話拡張・・・。


まさに韓国の経済、社会発展のためのあらゆるインフラ事業に使われたのだ。

そのうち象徴的なプロジェクトと言えば、今や世界最大級の製鉄企業に発展している浦項製鉄所(現POSCO)、今なお韓国の陸上輸送の最大動脈である京釜高速道路、そしてソウル首都圏を水害から守る韓国最大の昭陽江ダムといったところがビッグスリーだろうか。


こうした各種プロジェクトに、過去補償的な意味の請求権資金が使われたということは、日本としてはそれなりに「償っている」ことになる。


ところがこうした事実が韓国社会ではほとんど知られていない。

いや、知らされていない。

「日本隠し」とはこういうことを言う。


浦項製鉄や京釜高速道路を知らない韓国人はいない。

春川にある昭陽江ダムもまたヒット演歌『昭陽江少女』で知られるように、風光明媚な韓国地にもなっていて韓国の国民にはおなじみだ。


しかしそこに「日本の償い」が入っていることを知っている国民はほとんどいない。

いや、意図的に知らされてこなかったのだ。

もしそれが知らされていたならばどうだっただろう。

歴史に「もし」は無意味というが、もしそうだったなら、韓国人の対日感情にもそれなりの変化はあったに違いない。

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当時、日本のジャーナリズムにおける朝鮮半島情勢はすべて朝鮮総連経由だったといっていいだろう

2019-05-23 03:21:15 | 韓国旅行

北朝鮮は、日本社会の贖罪意識・戦後的雰囲気を最大限に利用した。


治安当局の北朝鮮スパイ摘発を含め、北朝鮮に対する悪材料はすべて「反共謀略」であり、「民族差別」であり「民族差別」であり「政治的弾圧」だといって逆に日本を非難し続けた。


スパイ事件摘発をはじめ、北朝鮮や朝鮮総連にとって不都合な報道に対しては、彼らはいつもデモや記者会見、声明などで猛烈に非難、抗議を加えた。

こうした抗議や非難に対し、日本のジャーナリズムは歴史的な贖罪意識のため対処できず、頭を下げる一方だった。

「泣く子と朝鮮総連には勝てなかった」のだ。


北朝鮮の在日エージェントである朝鮮総連のマスコミや知識人に対する情報工作も当然、きわめて活発だった。

当時、日本のジャーナリズムにおける朝鮮半島情勢はすべて朝鮮総連経由だったといっていいだろう。

北朝鮮は戦後日本社会の対朝鮮贖罪意識と社会主義幻想下の革命的ロマンティシズムを刺激しながら、自らの“実体“は日本人の目から隠し続けてきた。


しかし、その後、日本社会では社会主義幻想は崩れる。

日本の経済発展、共産圏の停滞と崩壊、北朝鮮の疲弊と核の脅威・・・・・・。

もはや北朝鮮を「夢と理想の社会主義国家」などと思う日本人はいなくなった。

したがって北朝鮮としては、もう日本における社会主義幻想は利用できなくなってしまった。

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戦後日本において北朝鮮は、贖罪意識の格好の対象であるとともに社会主義国家として「正義と理想」の存在だったのだ

2019-05-22 03:31:00 | 韓国旅行

 

日本人拉致事件の背景には、日本のジャーナリズム、ひいては日本社会の“北朝鮮タブー“があった。


このタブーは近年、日本人拉致事件が明るみにおよんでほとんど崩れたが、ではなぜ、このタブーが日本社会に生まれたのか。


それは、日本の戦後社会における対朝鮮贖罪意識と社会主義幻想のせいである。

いずれも日本人の“戦後意識“といってもいいかもしれないが、とくに知識人やジャーナリズム、教育の世界で長く続いた。


対朝鮮贖罪意識というのは、周知のように日本が過去、朝鮮半島を植民地として支配し、かの地の人びとに苦痛を与えたとして「申し訳ない」「すみません」と頭を下げる心情である。

それを主導したのは、日本否定史観というべき左翼史観だったが、その結果、日本の朝鮮半島支配・統治は「悪い日本」の象徴となった。

そこでは「朝鮮」あるいは「朝鮮人」といえば無条件でだった。


その結果、北朝鮮や朝鮮総連に対しては何事につけ甘く、大目に見るという傾向があった。

そして北朝鮮をめぐっては、この贖罪意識に社会主義幻想が加わった。

戦後日本における社会主義幻想は、とくに知識人やマスコミに強かった。

政治的にはソ連や中国など共産主義国家が偶像視され、日本でも社会党や共産党の基盤は強かった。


したがって戦後日本において北朝鮮は、贖罪意識の格好の対象であるとともに社会主義国家として「正義と理想」の存在だったのだ。

そのため北朝鮮は、よくがんばっており、決して批判、非難などしてはならない存在だった。


後に「地獄への送還」として問題になるが、1959年に始まった在日朝鮮人に北朝鮮帰還も、日本のマスコミでは資本主義から社会主義への歴史的な「栄光への脱出」であり、帰還船は「人道の船」だったのだ。


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