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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国語は多くの固有語(韓語)を失っており、多数の言葉が漢語にとって代わられている

2018-08-30 03:37:31 | 韓国旅行


韓国語は多くの固有語(韓語)を失っており、多数の言葉が漢語にとって代わられている。


大売出⇒대매출・テメチュル

たとえば、韓国語で「대매출・テメチュル」といえば、ディスカウントセールを意味するが、この言葉が「大売出」という日本語を韓国式に漢字音読したものと気づいている韓国人はほとんどいない。


そのように、自分たちの言葉がどれだけ漢語や日本語の影響を受けているかの自覚も容易に生まれない。


これは単に言葉の上の問題だけではなく、文化のあり方に大きく関係している。

たとえば韓国人も「タクアン」をよく食べるが、多くの人は「タクアン」を韓国固有の食べ物だと思っている。


かっては「タクアン」と呼んでいたものを、いまでは「タンムジ」(甘い大根の漬け物)と固有語にいいかえているが、「タクアン」が日本から来たもので、「沢庵和尚」の名に由来するとは先ず知らない。


そのようなことを学校で教えないからだけではなく、日常的に外来のものと気づく手がかりが、言葉のシステムの中に無いのである。


水素⇒수소(スソ)

韓国語では化学元素Hのことを「수소・スソ」という。

これは漢字で書けば「水素」で日本人が作った和製英語なのだが、韓国の学校教育では、科学用語としてとにかく「수소・スソ」というのだと教えられただけで、それを漢字では「水素」と書くのだとは教えられていない。


だから「수소・スソ」は日常生活とはなんら関係することのない純学術用語以外のものではなくなる。


しかし日本語では、「水素(スイソ)」という言葉を教われば、誰の頭にも「みずのもと」という訓が浮かんでくる。

そのように、純粋な科学用語でも日常的な和語の世界に抵抗なく入ることができる。


そのため日本では、韓国のように、学術用語が専門的な教育を受けた者しかわからない。

日常世界から遊離した言葉になることもそれほど多くはないのである。


こうして、和語は漢語に取って代わられることなく、逆に漢語を包み込むようにして日本化していった。

この、漢語が日本に根を下ろしていったプロセスは、外来文化が日本に入って日本化されていく基本的なパターンをすぐれて物語っているように思う。


さらに、幕末から西欧の文化・思想が入ってくると、日本は漢字を駆使して日本にない西欧の概念語に対応する日本語を盛んに創造しはじめる。


科学、化学、哲学、数学、株式、銀行、利息、資本、民主主義、権利、市民・・・・・・。


こうして作られた膨大な日本製漢字語は、中国や朝鮮でもほとんどそのまま採用された。


したがって、日本は国内についてだけではなく、中国や韓国での西欧概念の普及・理解にも大きな役割を果たしたのである。

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韓国人は、日本語が上手になってもなかなかこの言葉が出てきません……「させていただきます」

2018-08-29 03:33:04 | 韓国旅行

「させていただきます」と「してさしあげます」


日本語の謙譲表現に、「させていただきます」があります。

「させて」は「仕事を辞めさせて下さい」というように、相手に許しを乞う意味の言葉です。


これが「下さい」ではなく「いただきます」となると、そこに感謝の心が入ってきます。


「させていただきます」といえば、具体的な相手としては「あなたに許可をお願いし、あなたが許可して下さったので、自分がこれこれをすることができます、そのことに感謝いたします」という、きわめて丁寧に感謝の気持ちを表す言葉となります。


「話させていただきます」「行かせていただきます」「助けさせていただきます」「(お金を)振り込まさせていただきます」など。


韓国人は、日本語が上手になってもなかなかこの言葉が出てきません。


それは単に、韓国語にはない言葉使いだから、韓国語の言い回しにはない表現だから、というだけではありません。

そういう気持ちになりたくないので、強い抵抗感が働くのです。


まず、話したり、行ったり、助けたり、振り込んだりするのに、わざわざ相手の許しを乞わなくてはならないことに強い抵抗感を覚えます。

そして、そんなことでなぜ自分を卑屈に貶めなくてはならないのかと感じます。


そのうえ、「頭を下げて目よりも高く捧げながら頂戴する(いただく)」ようにして感謝しなくてはならないとは、いったいどういうわけなのか、相手は神さまでもあるまいし、そんな気持ちになれるわけがないではないか、ということになのです。


たとえば、日本で講演の話し手が「話させていただきます」という場合、韓国ではどういうかというと、「話してさしあげます」となります。

韓国ではこれが最高の謙譲語となります。


「話してさしあげます」といわれると、日本ではかなり押しつけがましい感じを受けます。


「振り込んでさしあげます」となると、何を偉ぶっているのか、という感じになります。


そういう感じを相手に与えたくない、失礼だという感覚から、その場に応じて「話させて下さい」となり、さらには「話させていただきます」「教えさせていただきます」となるわけです。


韓国では日本とは逆に、押しつけがましく、居丈高に出ないと、自信の無い人、弱々しい人と見下されてしまいます。

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韓国語の「娘」には「アガシ・아가씨」と「チョニョ(処女)처녀」のふたつの言い方があります

2018-08-28 07:59:54 | 韓国旅行

「日本の処女か」と聞かれ「違います」


韓国語の「娘」には「アガシ・아가씨」と「チョニョ(処女)처녀」のふたつの言い方があります。


どちらもよく使われ、歌のタイトルにも「◯◯アガシ」と「◯◯チョニョ」が半々ぐらいあります。


アガシ・아가씨には漢字はありませんが、チョニョ・처녀は漢字で処女です。

未婚の女性という意味で普通に使われます。


ソウルのタプコル公園で老人が日本人観光客の女性に「日本の処女の方ですか?」と聞きました。

「日本の娘さんですか?」ぐらいの意味です。


ところがその女性、顔を真っ赤にして思わず「違います」と答えてしまったという・・・・・・これ有名な実話のようです(笑)。

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『脱亜論』、福沢諭吉は何も差別主義者であったというわけではありません…むしろ朝鮮の独立を支援していました

2018-08-27 02:53:09 | 韓国旅行

 

時代によって考え方は少しずつ変化するものです。

そんななかでも変わらない原理原則のようなものが存在します。

変わらない価値観と言うべきか、普遍的ものもあるのです。


たとえば福沢諭吉は誰でもご存じでしょう。

一万円札を見れば彼がいます。

その福沢諭吉が書いたとされるのが、いわゆる『脱亜論』です。


『脱亜論』は福沢諭吉が創刊した時事新報で、1885年(明治18年)3月16日に無署名の社説として掲載されました。

いまから130年ほど前に書かれたものですが、まるでいま書いたかのような錯覚に陥ります。


現代語訳された『脱亜論』の一部です。

日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。その一つはシナであり、もう一つは朝鮮である。この二つの国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国との精神的な隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去にこだわり続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

<中略>

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてのその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交する者である。

 

これ、130年前に書かれたものです。

福沢諭吉は何も差別主義者であったというわけではありません。

むしろ朝鮮の独立を支援していました。

慶應義塾では朝鮮人の留学生を受け入れ、朝鮮の近代化を目指す金玉均らと親交を深めます。

朝鮮の安定は日本の生命線でもあります。

ですから、朝鮮の近代化は日本の利益にもなると考え、多くの人が支援しました。


しかし近代化を目指した金玉均らが起こした閔氏政権打倒のクーデター(申申事変)は失敗に終わり、金玉均は逃亡しますが、のちに閔妃の放った刺客によって無残に殺害されることになります。


積極的な支援をしていた福沢もさすがに考えたのでしょう。

これはもう無理だと。



いま現在も国土は近くにあるとはいえ、何か大きな民族性の違いを感じます。

中国にしろ韓国にしろ、めちゃくちゃなことばかり日本に対して言います。


しかし「ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。

この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればいい」の精神で、日本は主体的に考え、行動すべきではないでしょうか。

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「アジア諸国から批判」の錯覚!……日本の歴史や靖国神社やらを批判してくるのは、中国と韓国しかありません

2018-08-26 02:46:43 | 韓国旅行

なぜか日本の新聞やテレビというのは日本に批判的です。

まるで中国や韓国の意見を代弁しているのかのようだと疑問に思うことがあります。

とくに日本の新聞だと、捏造してでも問題を起こして日本をおとしめる傾向にあります。

朝日新聞などが典型的ですが、ほかにも毎日新聞、東京新聞など、地方にもたくさんあります。

本当に日本の新聞かと疑ってしまいます。


こうした新聞は、総理大臣の靖国参拝や歴史認識を批判する際に、あるキーワードを使います。

それは「アジア諸国」という言葉です。


言葉の持つ力はとても大きいもので、たとえワンフレーズでも言葉が与える印象は変わってくるのです。

例を挙げると、弱い力で叩くことを表現する際に「暴力」と、「愛のムチ」だと、まるで印象が違います。

「暴力」だと恐ろしい感じになりますが、「愛のムチ」だと暴力ほどの恐ろしさは感じないでしょう。


具体的な数字を入れない言葉でも、暴力的な印象を左右する言葉がまさに「アジア諸国」という言葉です。

「アジア諸国が批判している」「中国と韓国が批判している」だと印象が違うことでしょう。


アジア諸国だと具体的な数字が出てきません。

ですから「諸国」の部分を読み手が脳内でイメージすることになるのですが、アジア自体は40を超える国々がありますから、その「諸国」から批判となると、多くの国から批判されているような感覚に陥ります。


もちろん、そのあとで自分で別の媒体で調べれば解決する話ではあるのですが、たいてい新聞は一紙しか読みませんし、テレビも同じ時間帯に同じようなニュース番組をやっていますから見比べられません。

そこで「アジア諸国から批判」とあれば、まるで多くの国々から批判されているような錯覚に陥るのです。

メデイアは正確に伝えるべきではないでしょうか。

日本の歴史や靖国神社やらを批判してくるのは、中国と韓国しかありません。

日本の集団的自衛権にしても、憲法改正にしても、反発してくるのは、いつも中国と韓国です。

中国は尖閣諸島を狙っていますから、日米の関係が強化されるとおもしろくありません。

韓国は・・・・持病の反日病が発生しています。

不治の病です。


アジア諸国の実態はたった2カ国。

40分の2とすると5%です。

5%だからこいつらの話は聞かなくていいなどというわけではありませんが、マスコミがよく使うアジア諸国の実態は2カ国(北朝鮮を入れると3カ国)なのです。


しかし、最近はネットでもかなり叩かれているからか、書き方を少し変えてきました。

それは「中国や韓国をはじめとするアジア諸国」という書き方です。

はじめも何も、そこで終わりなんですが、それは・・・・・。

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韓国人は、男も女も「日本にはあまりきれいな女性がいない」って言っています……ホント正直です

2018-08-25 03:39:46 | 韓国旅行

韓国人は、男も女も「日本にはあまりきれいな女性がいない」って言っています。

ホント正直です。


日本のテレビにブスが出ているのを見て、みんなビックするわけです。

たしかに自分らの若い頃に比べたらだいぶ様子が違います。

日本映画が全盛の頃銀幕のヒロインなんてのは、そりゃ今のタレントとはケタが違うわけです。

日活では裕次郎には誰、小林旭には誰、誰それには誰と、それぞれの相方になるような美人女優がいたわけです。

東映、松竹、大映、東宝にもそれぞれ、必ず美男美女が一組でその映画を一本作ると。


それが今は、スターがいなくなってタレントばかりになってしまった。

親近感とか時代の同時性みたいなものをお互いが求めるようになった結果ではないでしょうか。


要するに「らしくない」芸能人ばかりに日本ではなってしまった。

しかし韓国は本当に「らしく見える人」ばっかりです。

だからブサイクな人はコメディアンにしかなれません。

実にはっきりしています。


韓国のドラマを見ると、どんな役柄の女性もみんな美人です。

田舎の肝っ玉かあさんみたいな役とかも。

とにかく日本のテレビみたいにブサイクがイバリくさっているようなことは韓国のテレビにはありません。


韓国では、カボチャは『호박・ホバク』といって、ブスの代名詞になります。

日本語にしたらカボチャブスですね。


逆に美人はリンゴに例えられます。「사과・サグァ」と言います。

これは大邱というところが産地です。

ひょっとしたら政治的な圧力で、ミスコリアを全部そこの出身者にしたからじゃないかと思っちゃうくらいです。

まあ日本の秋田美人以上のステイタスがあります。


要するに「男は男らしく、女は女らしく」っていうことです。

そして男は金持ち、女は美人というのが基準なんです。

とても分かりやすい。


だから男は、きれいな女性をお嫁さんにもらうために学力と財力をつけなきゃいけないと頑張るわけです。

 

でも昔はそうでないこともありました。

大韓航空機に乗るとブサイクなキャビンアテンダントばっかりだったんです。

いま思うと信じられませんが。


つまりその頃は儒教の男の面である、

家柄がよくて入った女性ばかりでしたから。

だからすごく威張ってました。

最悪です。

ブサイクで威張るキャビンアテンダントなんて・・・。

だからコリアンエアーのキャビンアテンダントというのは世界一評判が悪かったんです。


ところが、国内便のライバル社が、家柄などいいから美人を入れろってことになったんです。

で、ライバル社が美人ばかりになっちゃった。

それで大韓航空もこりゃイカンというので美人を入れるようにしたようです。

めでたしめでたしです。


とにかく今の韓国のキャビンアテンダントは世界一美人ぞろいです。

これも韓国旅行の楽しみの一つです。

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韓国人はものすごい見栄っ張りの民族です……韓国人は、自分より下のものにカネなんか出させません…人に借りてでも奢ります

2018-08-24 03:01:36 | 韓国旅行

      



韓国人はものすごい見栄っ張りの民族です。


韓国人は、自分より下のものにカネなんか出させません。

人に借りてでも奢ります。

レジの前で俺が払う俺が払うと大喧嘩なんてしょっちゅうです。

相手に払われて顔をつぶされたと怒って、殴って本当に相手の顔をつぶしたりするくらいです。


だから、もう堂々と奢られちゃえばいい。


生年月日が同じだという場合は、何時に生まれたかで決めます。

俺の方が一分上だって言って奢る。

それくらいで、ワリカンはまずありません。


そこへいくと日本は、下手すると課長とか部長が割ってますからね、一人あたまいくら、とかいって若いのから取っている。

それで自分はちゃっかり「領収書ください。日付けと金額書かなくていいから」なんてやっている。

こんなのは韓国ではありえません。

このへんは日本の方がセコいです。


韓国人は「자존심(自尊心)」と言うんです、「プライド」と言わずに。

二言目には「자존심(自尊心)」。

こればっか。


「私の자존심(自尊心)をどうしてくれる」とか。

「私の자존심(自尊心)が傷ついた」とか。

「私の자존심(自尊心)が許さない」とか・・・。


あの자존심(自尊心)というのは、実は虚栄心なのではないでしょうか?でも、そんなことは言えません。

下なんだから、もう何でもハイハイです。

韓国人から자존심(自尊心)を取ったら何も残らないというくらいです。


日本人は、他人に向かって자존심(自尊心)なんて一生に一回言うか言わないかですよね。


もし言うとしても最後の最後までがまんしてから、ケツまくるっていうような一言です。


それをもう彼らは1日10回ぐらい言っています。

자존심(自尊心)が有り余ってるって感じです。

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韓国女性は、昔の両班じゃないけど、働かない金持ちの男を好きなんです……韓国では肉体労働を卑しむ

2018-08-23 03:38:53 | 韓国旅行

  

驚くべき地上最後の“男の楽園“


日本人の金持ちじゃない人、つまり貧乏人は、日本人と一緒になった方がいいし、韓国の貧乏人は韓国人と一緒になった方が幸せだと思います。


日本の貧乏人と韓国の貧乏人が一緒になるとえらい不幸、というより大変です。

こういう家族や一族に押しかけられたら、日本の貧乏人にはたまりませんからね。


それから、日本の貧乏人は韓国の金持ちとは絶対一緒になれません。

「カラスはカラス、カササギはカササギ」って諺があるくらいです。

カラスとカササギが一緒になることはないと。



ですから韓国人が日本人を見る目はやはり「お金」です。

家柄がいいかどうかなんて関係ありません。

第一、韓国人は日本人を目下と見ています。

家柄が良くってもそんなことは認めません。

お金持ちかどうかだけです。


でも、ほとんどの人にこんな心配はいりません。

お金がない男には韓国女性は惚れてくれませんから。



韓国女性は、昔の両班じゃないけど、働かない金持ちの男を好きなんです。

働かないということが貴族の証明なんです。

韓国では肉体労働を卑しむんです。

大学を出て、働かなくても食っていけるというような男が向こうではいい人間だと思われ、尊敬されます。


ところが日本の社長の息子なんか、一番下からやらされます。

まず現場を知れということで、建設現場でコンクリートを練ったりしてますけど、韓国ではそんなことやりませんし、またやらせません。

社長の息子に何てことをってことになっちゃう。

それくらい肉体労働はダメです。


田舎に行くとよく見る夫婦があります。

おじいさんが真っ白い肌で、きれいなヒゲで・・・。全然日に当たったことのないような、仙人みないな格好してるんです。

その隣のおばあさんがしわくちゃな顔で、色が真っ黒で、長年の労働量の差がモロに出てるんです。


ソウルの食堂に行ってもそうです。

店の親父はレジのところで新聞なんか読んでて、何もしません。

奥さんが一日中走り回って働いています。

それが普通です。



キムチを漬けるときでも、夫はボーッと立って見てるだけです。

一生懸命つくった奥さんが口に運んでやる。

夫はそれを手も使わずに食べて「今年のキムチはいいな」なんて言ってるわけです。


祭祀のときでも、男達は何もしません。

ただ食って飲んでるだけです。

女性は朝から晩までひっきりなしにずっと働いています。

男達は朝から晩まで酒を飲んでいます。


ご馳走食べて天下国家さえ論じていればいい。

今の政権はしょうがないなあとか、また日本をちょっと叱らんとイカンなあとかそういうことを言ってるだけです。

これが韓国の夫婦のパターンです。


世界を見ても男にとってこんな天国はないです。

だからそれにハマっちゃった男はもう帰ってきません。

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最初に韓国に行った1970年代の頃はこういう習慣を知らなかったので、なんで受話器がちゃんと電話にかかってないのだろうと不思議に思っていたものです

2018-08-22 03:47:18 | 韓国旅行


韓国の公衆電話は入れたお金が残っていれば、受話器をかけずに上に置いて置くことがあります。
そうすれば次に来た人が残金分通話する事ができるのです。


韓国で見る生活の知恵です。


今はカードや携帯になってしまいましたけど、公衆電話でコインの頃は、話し終わって電話をボタンで切って受話器を上に置いとけば、次の人が残った分をただで使えました。


受話器を上に置いている公衆電話は、テレカや携帯電話が普及する前の韓国でよく見ることがありました。


次の人が残った分をタダで使えたんです。

発信のボタンを押せばいいんです。


日本だと一秒しゃべっただけでも10円です。

あの無駄が韓国にはなかった。

あとから使った人はそのまま使って、料金が足りなくなるなればお金を入れる。

そして電話はボタンを押して切ってまた受話器の上に置くんです。


つまり、受話器が上に置いてある電話はタダでかけられますよという合図なんです。


そしてまた次の人は受話器を取って、発信ボタンを押してダイヤルをすれば使えるわけです。


最初に韓国に行った1970年代の頃はこういう習慣を知らなかったので、なんで受話器がちゃんと電話にかかってないのだろうと不思議に思っていたものです。


だらしねえな韓国人はちゃんと電話切れよって思っていました。

でも、その理由が分かって感心しました。


もし日本で、NTTになる電電公社でこれをやっていたらものすごいお金が浮いたと思います。

逆に言えばものすごいお金が無駄になっていたなという感じがします。


10円玉が足りなかったらしかたなしに100円玉入れちゃいましたもんね・・・。


どうしても電話しなきゃいけないときにはそうしましたよね。


それで切れればお釣りなんか出ないんだから、あれが全部電電公社の丸儲けになっていたわけです。


こんな感じで、韓国に行くと、韓国が嫌いでさえなければ、面白いことばっかり毎回必ず起きます。


釣りと似ているという人もいます。

釣りだって、何度も行って何がおもしろいんだって言う人がいますけど、釣れるものが毎回違うから面白いんですよね。

同じです。


韓国も、行ったら毎回違うことが起きますから。

前と同じことには同じように対処できるけど、必ず今までにないことが起きる。


それは韓国人にとったら普通のことだけど日本人にとったら「何じゃこりゃ?」っていうことですね。

それを不快に思うかおもしろく思うかで、韓国にハマるかどうか分かれてしまいます。


日本人はどちらかというと、韓国のそういうところをおもしろがるというより、気持ち悪がってしまいます。


これも似ているのに違うからだと思いますけども。

で、気持ち悪がったあとで腹を立てちゃう方が多い。

でもこれは損だと思います。


たいがいの日本人は彼らを下だと思ってきたし、その韓国人が「自分達は日本人よりも上だ」と思っていることを知りませんから。

でも、そういうことが分かっていればものすごく楽なんです。

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韓国人は、自分達が世界で一番礼儀正しい民族であると思っています

2018-08-21 08:17:04 | 韓国旅行

韓国人は、最も無遠慮な民族です。


韓国人ぐらい正直な民族って世界にいないようです。


まあ正直いろいろあるんですが、例えば日本人のところに遊びに来た韓国人に、日本人の奥さんが毎日食事を作ってあげました。

1週間もです。

それで帰るとき、その韓国人に「ああ、まずかった」って言われたそうです。


こんなのは日本では考えられません。

ケンカになるか、よほど問題のある人だとして相手にもされなくなるでしょう。

「いやあ、朝飯が一番つらかった」と言われたんです。

冗談なのかと思ったら、本気であると。

もう正直というか何というかです。


その女性の料理は、まずくなんてありません、友達の間では人気があります。

それなのにこれですからネ。

まあ、韓国人の好きな味付けではなかったのかもしれませんが、それにしても日本人だったら絶対に言わないセリフです。


レストランでも、まずいと思うと、これ作ったの誰だって言って厨房から呼んで「まずい」って言うんだそうです。

厨房から出てこないと自分が厨房まで行ってまずいと言う。


こんな正直、日本人で考えられますか?

日本人だったら、せいぜい「すみません、ボクの口にはちょっと合わないみたいで・・・」とかそういう表現になるでしょう。

ところが韓国人は、自分の舌がすべてなんです。

要するに自分本位制です。

この正直さというか遠慮のなさには本当に驚きます。

日本人だったら、「何か欲しいものありますか」って聞かれても「あ、何でも結構です」とか言って「おいしいです」と言いますよ。

たとえ本当はまずくてもしかたなしに・・・・。


もし店だったら文句は言わないまでも、二度と来るものかと腹の中で思うし、友達とか親戚の奥さんだったら、あとで「あいつえらい女房をもらったな、毎日あれ食ってるのかよ」なんてことは言いますけどね・・。

でも面と向かっては言いませんよ、絶対に。


こういう正直さ、自分が、韓国がすべての基準だという感覚を、日本へだけじゃない、アメリカだろうがヨーロッパだろうが、世界中どこにでも持っていってやっちゃうわけです。

韓国人はある意味でエライと思います。

いくらフランクと言われるアメリカ人だって、一週間食事を作ってくらた人に面と向かって「まずい」とは言わないですもんね。


だから「何だ!」ということに外国人もなるんです。

どこが礼儀を重んじる国なんだってことになる。

でも韓国人は、自分達が世界で一番礼儀正しい民族であると思っているんです。

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