韓国初代大統領、李承晩は国家の大義として反日主義を強固に実践しました。
日本統治を全否定する反日教育を徹底させ、対馬は韓国の領土だと主張し、一方的に李承晩ラインを引いて竹島(独島)を実効支配しました。
しかしその一方で、親日派を排除することなく逆に重宝していくことで国家建設を進めたのです。
それがなぜだったかは明らかです。
戦後韓国を建設するに際して、彼らほど有能な人材はいなかったからです。
つまり、日本統治下に大きく発展した政治・経済・社会全般に渡る、人的・物的な近代化の土壌を基本的に受けつぎ、これを活かして新国家の建設を推進していこうとしたからです。
そうでありながら李承晩と保守勢力は、日本統治が韓国近代化に果たした功績を認める立場を表明することはありませんでした。
その逆に、「日本統治は苛酷な弾圧支配と容赦ない収奪だった」と全否定し、「我々はそれに対して果敢な独立闘争を戦った」とする、強固な反日主義をとり続けていったのです。
韓国はこうした根本的な矛盾を抱えたまま出発しました。
ここが、現在に至るまでの韓国保守派の「政治的な反日」姿勢を考えるのに、最も肝心なところです。
本来ならば、日本による近代化を正当に評価し、だからこそ親日派の人たちの力を得て、ともに新国家を建設していくのだという姿勢を明確に打ち出さなくてはならないはずでした。
しかしそうしなかったのは、そうすれば反日主義という国家の大義が根本から崩れてしまい、反日主義の主体が「反米・親ソ中・従北朝鮮」左派勢力の手に移ってしまう危険性があると考えたからです。
ようするに左派勢力から見た保守勢力は、「表の顔が反日で裏の顔が親日」「反日姿勢を徹底させることのない実質的な親日」にほかならないのです。
堂々と日本統治が果たした近代化の功績を評価し、その上に立って日本統治の功罪を真摯に明らかにしていくこと、日本に統治されるに至った自らの側の問題点を明らかにして深く反省していくこと。
李承晩と保守勢力は、こうした姿勢を徹底させながら、左派勢力と対峙すべきでした。
そこから出発しなかったことが、左派勢力に有効な保守勢力批判の根拠を与え、今日に至るまでの保守派と左派の激しい対立の歴史を生み出していったのです。