ハングルの禁止は、日本で仮名文字を禁じられたようなものである。
書き言葉を失った民には、自分の考えを表現する方法も自分の意思を他人に伝える手段もなかった。
文字を奪うことが、究極の愚民化政策で、両班が読み書きできない平民のために作られたハングルを封印したのは、漢字至上主義に陥っていたのにくわえ、平民に文字をあたえたくなかったからでもあろう。
考えは、文字化することによって、客観的に検討することができる。
韓国人が、妄想の中に住み、矛盾や論理破綻に気づかず、世界から相手にされない歴史捏造や韓国起源説、“恨千年“などの自己中心的な主張をくり出すのは、日韓併合で日本がハングル文字を普及させるまで、平民が読み書きできる文字を持たなかったからである。
ソウルの街を歩いていると、あちこちからどなり合うような声が聞こえてくる。
韓国人の会話が、荒々しく聞こえるのは、韓国語には奥行きのある複雑な表現がなく、したがって強調するには大声を出すほかないからである。
日本人は、韓国人に対して話せば分かるという甘い幻想を捨てるべきである。
なぜなら、彼らは話す内容ではなく、声の大きさで物事を理解しようとするからである。
韓国には「良心的日本人」という言葉があります。
それは自分たちの味方をしてくれる日本人を意味します。
元総理の鳩山由紀夫氏などは、典型的な「良心的日本人」といっていいでしょう。
彼らはしきりに韓国内で取り上げられ、一様に持ち上げられます。
元在韓国特命全権大使の武藤正敏氏によると、日韓国交正常化50周年にあたり韓国の某大手新聞社のインタビューを受け、日韓関係を改善したいとの思いを込めて、率直に意見を述べたそうですが、残念ながらその記事は掲載されなかったそうです。
一方で、かって在韓国大使を務めた武藤氏の先輩でもある元外交官の取材記事はしっかり掲載されていたそうです。
先輩の元外交官の発言は韓国に対してとても同情的だったからです。
武藤氏は、「その意見に私は異論をさしはさむつもりはまったくありませんが、少なくとも、その記事は現在の韓国に対する日本の雰囲気を代弁する内容ではありませんでした」と語っています。
残念なことに、韓国は自分たちに向かってストレートに意見を述べる日本人をことごとく排除します。
武藤氏もその一人になったというわけです。
それで、よいのでしょうか・・・と、思います。
毎日健康の為にと思って歩いている散歩ですが、本日1000万歩を超えました。
10数年前から続けている散歩ですが、1000万歩超えは初めての事です。
昨年12月に古稀を過ぎた今年(2023年)の目標値を、1000万歩にしましたが、達成するかどうか不安もありましたが4週間も早く達成しました。
雨など悪天候などが続けば散歩も中止にしています。
天候も味方になってくれたと思います。
猛暑で汗びっしょりの事もありました。
9月、10月を散歩強化月間と位置づけして、月に100万歩以上を歩きました。
高齢者になると、目標値を設定しそれに向かって日々積み重ねていくことも大切な事ではと思います。
小さなことをコツコツと…です。
好きな時間に好きな道をひたすら歩くことは、街並み観察・人間観察にもなります。
つまり、日々の動きが五感で体感できるわけです。
みなとみらいコース、横浜駅周辺コース、松原商店街方面コースなどを中心に散歩していますが、横浜の街並みにも感謝・感謝です。
地道な毎日の散歩が体力維持どころか脳の活性化にも繋がっているように思います。
歩きながら聴いている、ラジオのニッポン放送にも感謝です。
健康寿命100歳を目指します😊
韓国語と日本語の敬語の使い方
日本と韓国とでは、敬語の使い方が真逆です。
韓国は徹底した儒教社会ですので、他人よりも自分の身内を立てる言い方をしなければなりません。
例えば、自分の家族、お母さん、お父さんがとても大切。
ですから、外から電話がかかってきたときなどは、「うちのお父様におかれましては、今いらっしゃいません」という言い方をします。
日本をよく理解できていない、来日したばかりの韓国人は、敬語の使い方についてカルチャーショックを受けることがあるといいます。
ある会社に電話をかけ「鈴木社長様はいらっしゃいますか」と訊ねたところ、相手の女性が「鈴木は席を外しております」と答えました。
「鈴木」と呼び捨てなのです。
電話した来日したばかりの韓国人は「この鈴木社長は、社員の女性に舐められているに違いない」と思っていたそうです。
それからしばらくして、「日本人は身内のことを外の人に言うとき、敬語を使わない」ということを知り、社長がなめられているわけではない、と分かったそうです。
こうした違いは、日本と韓国の間にある小さな違いの一つに過ぎません。
しかし、こうした小さな違いからくる誤解が、反日感情にまで繋がっているということかも知れません。
韓国人にとっては、日本語の濁音の発音が難しいようです。
「濁音」とは、「テンテン」がついた言葉。
例えば、濁音のダ。
意識すればダと発音できるが、話に夢中になってくると、ダなのかタなのか、途中で分からなくなってしまう人が多いようです。
話をするときは、タク音なのか、濁音なのか分からない発音になることも多々あるようです。
日本は戦後絶え間なく韓国に協力してきたのにもかかわらず、韓国側は、そのありがたみをほとんど感じていません。
「助けてもらった」という気持ちもないのです。
言葉のあり方が違うものがあります。
それが「ありがとう」「感謝」です。
韓国語では「カムサハムニダ」「コマスムニダ」と訳します。
日本では頻繁に「ありがとう」と言いますが、韓国人にとってみれば、これは公の場や深くお礼を言う際に使う言葉です。
家族や友達などの親しい関係で頻繁に「カムサハムニダ」と言うことはありません。
ですから、身近な人に「カムサハムニダ」と頻繁に言われてしまうと、逆に「心がこもっていないな」と思うのです。
「親しき中にも礼儀あり」という言葉があるように、日本人は、親しい人にも「ありがとう」を言います。
かたや韓国人は、親しい人には礼儀正しくしないほうがもしろ良い、という価値観を持っています。
日本と韓国では、習慣からして大きく違います。
ご飯の食べ方もそうです。
韓国人は日本のご飯を食べて、「とてもおいしい」と喜びます。
韓国よりもお米がおいしく、もちもちした食感をおいしく感じるからです。
また、お味噌汁の種類がたくさんあるのも、韓国人が日本の食事を喜ぶポイントです。
ですが、徐々に、日本人の食べ方を「なんて品のない食べ方をするのだろう」と気になり始めます。
なぜなら、日本で「上品」とされている食べ方は、韓国では「下品」とされているからです。
一つ目は、手の使い方。
日本では基本的に、利き手でお箸を持ち、片方の手はお茶碗を持ち上げたり、お皿を持ったりするため「両手」を使うことがマナーです。
しかし、韓国で使うのは「片手」のみ。
利き手でお箸やスプーンを持ち、もう片手は膝の上に置いたままです。
日本のように、お茶碗を持ち上げるのは「下品」とされます。
またお箸を揃えるとき、日本人は両手を使って揃えますが、韓国人は片手しか使えないので、一旦テーブルにトンと落としてから揃えます。
おそらく日本人からは「下品」と思われているでしょう。
二つ目は、咀嚼音です。
日本では、嚙む音を鳴らすのはマナー違反だとされていますが、韓国では、クチャクチャと音をさせるのが普通。
下品どころか、むしろ「おいしく食べている」という印なのです。
韓国では「音を出して食べなければ、飢え死にしてしまう」と言われるくらいです。
日本人は場合によっては正座して食べます。
韓国で正座は、目下の者が目上の者から𠮟責を受ける時にとる姿勢であり、なおかつ刑務所で囚人がとらされる姿勢だという認識があります。
囚人は、正座をしているのでご飯茶碗が遠くなるから手にもって食べることになります。
そうなってくると、日本人の食べ方は韓国人からすれば、なんとも「はしたなくも卑しい」食べ方と映ることにもなるのです。
そして三つめは、混ぜること。
韓国人は、とにかく食材を混ぜます。
ビビンバもキムチも、混ぜることでおいしくなる料理です。
しかし日本では「素材そのものの味を味わう」ことが重要であるため、極力食材を混ぜることはしません。
その最たる例が、鍋料理。
日本では、鍋に白菜、魚、お肉、ときれいに具材を並べます。
そころが韓国人にとっては、それがぜんぜんおいしそうに見えないのです。
グツグツグツグツ煮え立っていて、知るは鍋の外にあふれている。
これが韓国人の「おいしく感じる鍋」なのです。
お鍋から取り皿に取って食べる食べ方も、韓国人はあまりしません。
なぜなら鍋を囲む人々がそれぞれ腕を伸ばし、直接鍋からスプーンですくって直接口に運ぶからです。
そして、そのスプーンで鍋の中をくねくねとかきまぜては、また口にほこんでくちゃくちゃと噛む。
日本人からすると、衛生観念を考えて、相当抵抗を感じてしまうのではないでしょうか。
しかし、韓国人は、こうした食べ方に食欲を感じ、自分も仲間に入っていっしょに食べたい、と思うのです。
인천 자유 공원(仁川自由公園) マッカーサー像
73年前の1950年6月25日に朝鮮戦争は始まりました。
いまだに、終戦にならず休戦状態が続いています・・・・・・
6.25戦争(朝鮮戦争の別名)
육이오동란(6.25動乱)ともいう。
육は6、이は2、오は5。
第2次世界大戦後、アメリカと旧ソ連間の冷戦体制によって、韓半島は1945年の解放と同時に北緯38度線を境に南北に分かれ、対立していました。
また、1948年、韓国政府樹立後、左翼と右翼が衝突し、社会は非常に不安定な状況でした。
韓国戦争は、こうした韓国の情勢、スターリンの世界共産化戦略、毛沢東の戦争支援を約束する進言などに刺激された金日成が、武力で赤化統一することを狙って奇襲攻撃をかけたことにより始まりました。
1950年6月25日早朝、軍事境界線近くで北韓軍による奇襲攻撃が発生しました。
これにより勃発した韓国戦争は1953年まで3年1ヶ月に及びます。
6.25戦争とも呼ばれる韓国戦争は、韓国が国連軍とともに共産勢力による赤化を防いだ「世界の自由を守る戦争」であり、「自由民主主義が勝利した戦い」でした。
いつ終戦になるのか・・・・・・、南北の統一はいつなのか!
平和な日本に住んでいると、平和であることが当たり前です。
平和を享受していることに感謝ですが、いつまでも平和が続くと思っているだけでは平和は続きません。
選挙で戦争反対と叫ぶだけでは、平和は維持できません。
見かけだけの平和主義者ほど信用できない者はいません。
来日した韓国人の日本の印象は、滞在年月によって変化があるようです
来日1年目の韓国人は、日本にとても良い印象を持ちます。
なぜなら、韓国では強烈な反日教育が行われていて、日本人イコール野蛮人・未開人として教えられているからです。
でも実際に付き合ってみると、みんな親切で思いやりがあって、とっても爽やかで、そして街並みはとても清潔です。
なんといっても、治安が良い。
韓国では、隣に北朝鮮があるので、いつも緊張状態に置かれていますが、日本は世界で最も安心できる良い環境です。
「平和な国、日本。なんと素晴らしい国なのか!楽しくて仕方がない!」
多くの韓国人が、そう思うようです。
そして来日2、3年目。
表面的な付き合いだけでなくて、内面的な付き合いをしていくことになります。
1年目は、日常会話さえできればよかったのですが、2年目、3年目ともなると、以前より一歩踏み込んだ付き合いに入っていくようになります。
このことから、日本人のことを知れば知るほど、日本人のことが分からなくなっていきます。
日本人の考え方や価値観が、韓国人とはまるで逆であるということに気が付くからです。
具体的にいえば、韓国の常識が通じないことを知るのです。
韓国では「白」されることが、日本では「黒」とされる。
習慣や美意識、人間関係の在り方、何もかもが韓国と違う。
そのため、多くの来日韓国人はひどく落ち込み、悪くすると「ウツ的」な状況に苦しんでしまいます。
問題は、この2、3年目の時期で立ち止まってしまう人、そこでぶつかった壁を乗り越えることを諦めてしまう人が多いということです。
そのことは、今の日本と韓国の間の大きなギャップを象徴していると思います。
日本の分からなさが誤解を生みだし、そのまま歴史認識の問題や竹島問題などにつながるかのように錯覚してしまうことがとても多いようです。
この時期を乗り越えて、5年以上日本にいますと、だいたいは日本が好きになっていくようです。
韓国では、男が小さなことにいちいち気を遣ったりするのはとてもみっともないです。
結婚すれば、夫の身の回りの細々としたことは妻が全責任を持って管理します。
それは妻の務めとされますが、女の側からの重要な愛情表現の一つでもあります。
出張する夫のカバンの中身を整えるのはもちろん、朝出勤する夫のバッグの中を丹念にチャックして、足りないものを補ったりするのも、財布を調べて小遣いを入れてあげるのも、みんな妻の仕事です。
昼間、夫のいない間に夫の机の引き出しを開けて掃除したり整理したりするのは、ごく自然な行為であり、夫あての手紙を開けて読んでみるのも当然のことです。
そもそも妻たるもの、夫のことは何でも知っておかなくてはならないのです。
夫としては、あらゆる自分の持ち物が事実上の点検を日々受けているわけですから、まちがっても、引き出しに中や財布の中に不審な女性の名刺などを入れておくわけにはいきません。
ところが韓国の男は、なにしろ小さいことは気にしないことをモットーとしているものですから、不用心このうえなく、たいていは不審物を発見されてしまいます。
だから韓国の夫は、まず浮気を隠しおおせることが出来ないのです。
どういう権利があって他人の手紙を開けたり他人の引き出しを開けたりするのか、などといったことは、韓国の夫婦の間では一切問題になりません。
夫のすべてを知らなくてなんの妻か、妻のすべてを知らなくてなんの夫か、というのが道理だからです。