韓国では何か国家的イベントがあるとすぐ「すべての国民が一つ(韓国語でハナ)になって」という呼びかけが登場する。
そしてマスコミは「すべての国民がついに“ハナ“になりました!」といって喜ぶ。
とくにオリンピックやW杯サッカーなどがそうだ。
なぜそんなに一つになりたがるのだろう。
日本人からすれば、韓国人はあの見事かつ執拗な反日ぶりから明らかなように、いつも“ハナ“になっており、あらためて“ハナ“になる必要などないように思うのだが、どうもそうではないようなのだ。
とすると彼らには実際は心のどこかに「自分たちはいつもハナになっていない」という思いがあるのではないか。
ちょっと先走っていえば、ひょっとするとあの反日も、韓国人の強迫観念としての「一つになりたい病」みたいな、いわば“ハナ症候群“かもしれない。
いつも反日をやっていないと、あるいは叫んでいないと、どこか不安で落ち着かないという、ある種の社会的、心理的な“病“である。
だからあの反日も日本がどうということより、深層心理としては自分たちのために必要な“癒し“の道具なのかもしれない。
日本にとっては迷惑な話だが、そう考えれば日本の実情や日韓関係、国際情勢をまったく無視したあの過剰な反日ぶりも腑に落ちるというものだ。