城下町弘前市には、明治以降に建てられた洋館も多く残る。戦災を受けなかった影響もあるだろうが、秋田市と違って町の人々が大切に保存してきたことが大きいのだろう。
弘前大学は前身の旧制高校時代にいくつかの立派な建物があったようだが、現存しているのは1つだけ。外国人教員の宿舎だった大正14(1925)年築の洋館が「旧制官立弘前高等学校外国人教師館」として学内に移築して公開されている。
詳細は大学のサイトで
http://www.hirosaki-u.ac.jp/rft/hirosaki_highschool.htm
http://shisetsu.jm.hirosaki-u.ac.jp/out/works_itiku.html(事務局施設環境部による復元の模様)
元々は文京町キャンパスから300メートルほど離れた富田三丁目の裏通りにあったが、上の大学のページに写真が出ている通り、移築直前は蔦が絡まる茶色っぽい外観だった。在学中の僕はそれが大学と関係のある土地・建物だとは知らず、薄暗い場所にボロっちい建物がある思っていて、お化け屋敷のようで少し薄気味悪くも感じた。(戦後は一般教官の宿舎だったらしい)
しかし、その場所が道路拡張工事で撤去を余儀なくされたため、卒業生や教員の声を受けて、文京町キャンパス内、正門隣の富田大通りに面した場所への移築・修復が行われた。大学が独立行政法人化されたのと同年の2004年に移築記念式典を挙行、翌2005年には国指定登録有形文化財となった。
富田大通りから直接入れる小さな門ができた
正門右の大学本部事務局の脇を通っても行かれる。
移築・修復後は、新築当時の外観を再現したらしく、開放的な場所に建てられたこともあるが、以前と違って明るい印象になった。
屋根や壁の左右のバランスが非対称になっているが、これは元々は2棟の建物が並んで対になっていたため。復元時にそれぞれの状態の良い部分を組み合わせて1棟にしたとのこと。片方しか現存しないのは惜しいが、2つ並んだ状態を考慮してデザインされていたとはしゃれている。
こじんまりとしたかわいい建物
奥行きと幅が同じくらいではないだろうか。延べ床面積124平方mメートル。
外壁は1階は薄緑色の板張りで2階部分はモルタル仕上げ(はき付け)、屋根はえんじ色。移築当初は新しすぎて違和感があったが、馴染んで来たのか今回見たらいい感じになった。
内部も公開されている。(現在は土日も含む毎日9時~16時。年末年始除く)
数年前、熊本大学の旧校舎を見学した時は、警備員がいて都道府県名・氏名・大学との関係(卒業生かどうか)を書かされたのだけど、こちらは大学事務局の職員が事務室に常駐していて、特に記帳などなくそのまま通してくれた。この窓口は「弘前大学サイエンス・パーク」の総合案内所を兼ねている。
スリッパに履き替えて上がる。
中は狭いが、大正時代の住居と思えば広い
ドアはおそらく当時のものだが、壁や床は新しい感じがする。床は板張りなどでなく、ちょっと昔の学校か病室のようなリノリウム張り。つるつるの床に違和感を感じてしまったが、復元時にドイツから輸入したらしく、実際新築当時もリノリウムだったそうだ。大正時代の弘前では最新の建材だったかもしれない。
ほかに天井と壁は漆喰塗りで、内装も極力新築時に近づけようとしているようだ。外観同様もっと時間が経てば馴染むのかもしれない。
余談ですが、リノリウムはあまに油など天然素材が原料なので、近年、環境や人体への影響の低さから再評価されているそうだ。また、1919(大正8)年に「東洋リノリユーム」という国産メーカーが創業。それが現在の「東リ」、内装材全般を扱う「パネルクイズアタック25」のスポンサーだ。
階段で2階へ
部屋の仕切りは当時のままのようだが、用途は事務室、トイレ、展示室などになっていて、住居だった面影はほとんどない。
玄関真上の2階の窓
ガラスは当時のものなのだろうか、右上の青い「国立弘前病院」の看板がゆがんで見える。目立たないが白いロールカーテンが取り付けられていた。
富田大通りを見下ろす。何となく不思議な気分
1階と2階の常設の展示室(9畳)
この部屋には大理石の暖炉があり、数少ない住居だったことを偲ばせるものだ。現在は「疑似大理石仕上げ(漆喰)」でニセモノの火が着いており、暖房器具としてはFF式石油ファンヒーターが設置されていた。
展示されている資料は設計時の図面、当時の弘前高校や寮関連の文書など。
広い部屋(14畳)
会議室のようだが、この時は大学のねぷたの写真展が行われていた。この部屋だけは冷房(家庭用エアコン)設置。

館内にパンフレットなどがあったのでもらって来た。「清四郎」という人のスケッチ画の絵はがきまであった(写真左下)。
左上は大学のパンフ。読み応えのある立派なものだ。最後2ページは、学生生活紹介の一環として、弘前のお店の紹介まで出ていた。うち1ページは、
「ふだん着のなごみ町「西弘」編」
文中も含めて「西弘前」から「弘前学院大前」に駅名変更されたのが反映されていない。「2010」とあるから今年(来年度受験者向け)版のパンフだろうが、間に合わなかったのだろうか。
こういう風に、駅名を変えることで多方面に影響が出るのだから、数週間前に突然発表するのでは遅いのだ。改めて弘南鉄道のやり方に疑問を感じてしまう。
移築・復元時に周囲も整備された(昔は何があったんだっけ?)
手前左の石碑は今年設置された大学創立60周年、太宰治生誕100周年の文学碑。
次回は弘前のおみやげの話題をお送りします。
【2016年6月22日追記】
2016年6月19日に、この建物内を改装して「弘大カフェ」がオープン。
地元の「成田専蔵珈琲店」(運営企業名「弘前コーヒースクール」)が運営し、オープンテラスと合わせて50席。ランチメニューや学割も実施。
公式な情報がほとんどなくてよく分からないが、展示されていた資料はどうなって、コーヒーを飲まずに見学だけでもできるかなどは不明。
市役所敷地内のスタバも同じことだけど、歴史ある建物を身近に感じさせ、その有効活用としてのメリットは大きいのだけど、ただ見たいだけの人やコーヒーが苦手な人には、敷居が高くなってしまう。
弘前大学は前身の旧制高校時代にいくつかの立派な建物があったようだが、現存しているのは1つだけ。外国人教員の宿舎だった大正14(1925)年築の洋館が「旧制官立弘前高等学校外国人教師館」として学内に移築して公開されている。
詳細は大学のサイトで
http://www.hirosaki-u.ac.jp/rft/hirosaki_highschool.htm
http://shisetsu.jm.hirosaki-u.ac.jp/out/works_itiku.html(事務局施設環境部による復元の模様)
元々は文京町キャンパスから300メートルほど離れた富田三丁目の裏通りにあったが、上の大学のページに写真が出ている通り、移築直前は蔦が絡まる茶色っぽい外観だった。在学中の僕はそれが大学と関係のある土地・建物だとは知らず、薄暗い場所にボロっちい建物がある思っていて、お化け屋敷のようで少し薄気味悪くも感じた。(戦後は一般教官の宿舎だったらしい)
しかし、その場所が道路拡張工事で撤去を余儀なくされたため、卒業生や教員の声を受けて、文京町キャンパス内、正門隣の富田大通りに面した場所への移築・修復が行われた。大学が独立行政法人化されたのと同年の2004年に移築記念式典を挙行、翌2005年には国指定登録有形文化財となった。

正門右の大学本部事務局の脇を通っても行かれる。
移築・修復後は、新築当時の外観を再現したらしく、開放的な場所に建てられたこともあるが、以前と違って明るい印象になった。
屋根や壁の左右のバランスが非対称になっているが、これは元々は2棟の建物が並んで対になっていたため。復元時にそれぞれの状態の良い部分を組み合わせて1棟にしたとのこと。片方しか現存しないのは惜しいが、2つ並んだ状態を考慮してデザインされていたとはしゃれている。

奥行きと幅が同じくらいではないだろうか。延べ床面積124平方mメートル。
外壁は1階は薄緑色の板張りで2階部分はモルタル仕上げ(はき付け)、屋根はえんじ色。移築当初は新しすぎて違和感があったが、馴染んで来たのか今回見たらいい感じになった。
内部も公開されている。(現在は土日も含む毎日9時~16時。年末年始除く)
数年前、熊本大学の旧校舎を見学した時は、警備員がいて都道府県名・氏名・大学との関係(卒業生かどうか)を書かされたのだけど、こちらは大学事務局の職員が事務室に常駐していて、特に記帳などなくそのまま通してくれた。この窓口は「弘前大学サイエンス・パーク」の総合案内所を兼ねている。
スリッパに履き替えて上がる。

ドアはおそらく当時のものだが、壁や床は新しい感じがする。床は板張りなどでなく、ちょっと昔の学校か病室のようなリノリウム張り。つるつるの床に違和感を感じてしまったが、復元時にドイツから輸入したらしく、実際新築当時もリノリウムだったそうだ。大正時代の弘前では最新の建材だったかもしれない。
ほかに天井と壁は漆喰塗りで、内装も極力新築時に近づけようとしているようだ。外観同様もっと時間が経てば馴染むのかもしれない。
余談ですが、リノリウムはあまに油など天然素材が原料なので、近年、環境や人体への影響の低さから再評価されているそうだ。また、1919(大正8)年に「東洋リノリユーム」という国産メーカーが創業。それが現在の「東リ」、内装材全般を扱う「パネルクイズアタック25」のスポンサーだ。

部屋の仕切りは当時のままのようだが、用途は事務室、トイレ、展示室などになっていて、住居だった面影はほとんどない。

ガラスは当時のものなのだろうか、右上の青い「国立弘前病院」の看板がゆがんで見える。目立たないが白いロールカーテンが取り付けられていた。


この部屋には大理石の暖炉があり、数少ない住居だったことを偲ばせるものだ。現在は「疑似大理石仕上げ(漆喰)」でニセモノの火が着いており、暖房器具としてはFF式石油ファンヒーターが設置されていた。
展示されている資料は設計時の図面、当時の弘前高校や寮関連の文書など。

会議室のようだが、この時は大学のねぷたの写真展が行われていた。この部屋だけは冷房(家庭用エアコン)設置。

館内にパンフレットなどがあったのでもらって来た。「清四郎」という人のスケッチ画の絵はがきまであった(写真左下)。
左上は大学のパンフ。読み応えのある立派なものだ。最後2ページは、学生生活紹介の一環として、弘前のお店の紹介まで出ていた。うち1ページは、

文中も含めて「西弘前」から「弘前学院大前」に駅名変更されたのが反映されていない。「2010」とあるから今年(来年度受験者向け)版のパンフだろうが、間に合わなかったのだろうか。
こういう風に、駅名を変えることで多方面に影響が出るのだから、数週間前に突然発表するのでは遅いのだ。改めて弘南鉄道のやり方に疑問を感じてしまう。

手前左の石碑は今年設置された大学創立60周年、太宰治生誕100周年の文学碑。
次回は弘前のおみやげの話題をお送りします。
【2016年6月22日追記】
2016年6月19日に、この建物内を改装して「弘大カフェ」がオープン。
地元の「成田専蔵珈琲店」(運営企業名「弘前コーヒースクール」)が運営し、オープンテラスと合わせて50席。ランチメニューや学割も実施。
公式な情報がほとんどなくてよく分からないが、展示されていた資料はどうなって、コーヒーを飲まずに見学だけでもできるかなどは不明。
市役所敷地内のスタバも同じことだけど、歴史ある建物を身近に感じさせ、その有効活用としてのメリットは大きいのだけど、ただ見たいだけの人やコーヒーが苦手な人には、敷居が高くなってしまう。
周囲も写った最後の写真を見ると、ちょっとした観光名所かな?
秋田にも古い建物がたくさんありますが、代表的なものは是非残したいものですね。
弘前公園そばに東奥義塾高校の教師館が保存・公開されているのですが、それと比べても小さくてかわいらしい感じです。
整備されていますが、あまり観光客は来ないです。他の観光地とは離れているし、あまり知られていないので。学生の憩いの場といった感じでしょうか。