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亡くなっていた小野崎孝輔氏

2019-05-08 23:48:46 | 秋田のいろいろ
小野崎孝輔氏が、2017年11月11日に、86歳で亡くなっていた。※亡くなった日付についてはWikipedia以外に情報源が見当たらない。
小野崎氏は、1931(昭和6)年、秋田市出身の作曲家・編曲家。(おそらく秋田高校から【11日補足】1950年前後の一時期に「秋田南」高校と称していていた頃の、現在の秋田高校=現在の秋田南高校とは無関係=を卒業)東京藝術大学卒業後、平成初期~中期頃(?)まで、クラシックから歌謡曲やテレビ番組など全国区で幅広く活躍した。
ちなみに、同業者(ジャンルはやや異なる?)である弘前出身・菊池俊輔氏は同年生まれ(菊池氏が早生まれ)、故 越部信義氏は2つ下で大学が同じ。

他の作曲家の作品の編曲(アレンジ)も多く手がけたようで、松崎しげるの「愛のメモリー」、1986年のアニメ「ドリモグだァ!!」のオープニング「ドリモグ・ロード(「ドリモグ部隊」が出てくる歌詞)」なども編曲。

平成元年だったそうだが、NHKが「あなたが選ぶ日本のうた・ふるさとのうた」として、視聴者投票で日本の童謡・叙情歌のランキングを作る企画を行った。
その結果発表の番組は、NHKホール(?)でコンサート形式で行ったが、そのバンドの指揮(おそらく番組用編曲も)を小野崎氏がしていた。

孝輔氏の父は、秋田大学教授で、秋田県内の学校の校歌を多数作曲した小野崎晋三氏。
孝輔氏もそれほど多くはないが、秋田市立泉中学校、同桜中学校、男鹿市立男鹿南中学校などを手がけている。※校歌作者について以前の記事
旧「象潟町町民歌」、「にかほ市民歌」も作曲【9日補足】にかほ市は2005年に合併でできたから、市民歌は小野崎氏晩期の作品となるだろう。
さらに、1980年に秋田市の秋田酒類製造株式会社が、清酒のブランドにちなむ「高清水音頭」なるものを作っていて、その作曲だけでなく作詞も。(http://www.takashimizu.co.jp/blog/2015/01/post-184.html)

作曲家というのはタレント兼業の人以外はたいていそうであるように、小野崎氏もさほど一般人には知名度がなく、秋田の人でも知らないことだろう。
うちのばあさんは、上記NHKの番組で指揮をしている場面を見て「小野崎さんだ」と反応した(顔でなく名前の字幕にだと思う)。直接ではないが、ご両親辺りと多少の面識というかつながりがあったのかもしれない。僕は、それで、小野崎氏の存在と秋田市出身であることを知った。


お歳のせいもあり、近年は積極的な活動はしていなかったようだし、亡くなったことも大々的には公表しなかったのだろうか。新聞の死亡記事も見た記憶はないし、ネット上にも情報は少ない。
亡くなって1年近く経った頃には、服部克久氏を代表とする有志による「小野ちゃんを偲ぶ会」が東京で開催され、服部氏のほかにも著名な作曲家も参加したようで、業界の人たちには、小野崎氏が亡くなったことは知られているようだ。

一方、秋田ではどうだろうか。マスコミとか、作品を作ってもらった自治体・学校・企業は知らないかもしれない。
曲を作ってもらって「納品」されたら、つながりは切れてしまうのだろうか。亡くなったら、香典のひとつでも贈るようなことはしなくていいのだろうか。本件の場合“今さら感”が強くなるけど。
それに、博物館のようなところで「郷土の偉人」的コーナーにいてもいい方だと思う。
ご本人の遺志やご遺族の意向もあるだろうけど。

【12日追記】小野崎氏は、NHK教育テレビの小学校3年生向け音楽の学校放送「ふえはうたう」の「音楽」担当=番組内使う歌の編曲をしていたこともあったそうだ。同番組の音楽は上柴はじめ氏の印象が強いが、「ピッピロだれかが」から「耳をすまして風の歌が聞こえてくるよ」に変わった直後、難波圭一氏が出演していた頃(1986年)が小野崎氏だったようだ。
ちなみに、上柴氏も「~偲ぶ会」に参列したらしい。

【10月28日追記】NHK「みんなのうた」でも、1960年代から1990年代にかけて20曲以上を手がけて(編曲)いる。個人的になじみがある曲は、1980年初回放送のさとう宗幸が歌った「土湯讃歌」、1981年の小椋佳「まだ遅くは」。
コメント (8)
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