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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

浜街道

2017-04-17 21:02:15 | 秋田市営バス
秋田駅(西口)と秋田市南西部・新屋(あらや)地区を結ぶ路線バスが、いずれも秋田市営バスの路線であった新屋線と新屋西線。
うち新屋西線は、駅から県庁、市立病院西口(正面でなく)、川尻地区を経て、秋田運河を渡って勝平地区を貫き、雄物新橋で雄物川放水路を渡って、(勝平を含まない狭義の)新屋地区へ至る。(臨海経由新屋西線もありますが、本数が少ないので割愛します)

雄物新橋から先は、経路が二手に分かれる。
(再掲・2009年撮影)勝平側から雄物新橋を見下ろす。突き当りで道が左右へ
橋の突き当りを左折し、すぐに右折して新屋の商店街がある表町の旧道を抜けるものと、突き当りを右折して川沿いの坂を上り、県立栗田支援学校前、県営や市営の団地を通るもの。
再び合流するのは、終点の「西部サービスセンター(正式には西部市民サービスセンター)」。1つ手前はどちらも「日吉神社前」だが、バス停の位置は別。

前者のルートは特に呼び名がなく、後者は「新屋県営住宅経由」と呼ぶのが一般的か。※この記事では、前者を「栗田神社前経由」、後者を「県営住宅経由」と表記します。
県営住宅経由ができたのは、30年ほど前で、それ以前は新屋西線=栗田神社前経由(臨海経由は別として)。その名残りで、呼び名がないのかもしれない。

県営住宅経由が具体的に何年からできたかは不明だが、1988年かその少し前だと思う。
【2021年3月5日追記】1987年4月の市営バス系統図(路線図)では、後の県営住宅と思われる「新屋団地」という所で終わる、新屋西線の派生系統が記されていた。詳しい運行形態は不明。そのルート上に「浜街道」も記されていたので、1987年には後年と運行形態は異なるが、浜街道バス停が存在した。(以上追記)
1988年の時刻表によれば、県営住宅経由はわずか1日3往復の運行。
その後、徐々に本数が増え、中央交通移管後の近年は、新屋西線全体が減便されたこともあり、両経由がほぼ半々に近くなった。昼間は両経由が1時間に1本ずつ。

市営バス時代~移管後しばらくは、新屋県営住宅経由を「栗田県営住宅経由」と呼んでいたが、そのようなものは存在しない。また、ごく初期は「栗田団地経由」とされていたようだ。
市営バス時代は「栗田県住」と表示された(2002年撮影。220号車)
中央交通移管後は、一部で県営住宅経由を「栗田町経由」と表記していたものがあったが、これは紛らわしい。
たしかに、県営住宅経由には「栗田町」というバス停があるのだが、両経由とも地名としては新屋栗田町を通るし、「栗田神社前」もあるし、よそ者には不親切な呼び方だと思っていたら、やはり浸透しなかった。


今回取り上げたいのは、県営住宅経由のとあるバス停なのだけど、もうちょっとルートをたどる。
駅から来て、雄物新橋を渡って右折すると、長い坂。車道は広く、川と反対側に歩道付き。坂の下に「雄物新橋」バス停がある。
2014年のNHKBS「にっぽん縦断こころ旅」では、この坂を上から下って、雄物新橋を渡った。
坂の上。右の塔みたいなのは津波警報サイレン
坂を上りつめると、道は若干カーブしながら雄物川放水路沿いに河口の雄物大橋の上(立体交差で国道へ下りられる)、さらに海岸のももさだカエル方面へつながる。
坂の途中も坂の先も、道ばたにニセアカシアなどの木が多く、川や海が見えるわけではない。
坂の下を振り返る。雄物新橋は見えず、さらに上流の秋田大橋が見える
バスは坂の上で脇道(上の写真右の狭い道)へ入る。
川と逆側に左折する形だが、角度にして315度くらいありそうな後方への鋭角なカーブ。さらにその直後に右折がある(ここを直進すると、栗田神社の前を通って「栗田神社前」バス停付近へ出る)。
大型バスも運用される系統だが、ここがいちばんの難所かもしれない。(栗田神社前経由では狭くて曲がった道が続くのも大変そう)

この鋭角カーブと次の角の間に、バス停がある。
脇道から坂を振り返る。右が坂の下・雄物新橋

電柱の先・民家の手前を右折

そのバス停の名は、
「浜街道」
ほぼ真向かいに立つ上下両側とも、だるま型ポール。表示板は市営バス時代に設置されたローマ字入りカッティングシール文字。
表示板は両側同じ程度に色あせているが、棒の部分は上り側だけ妙に錆びていた。上の写真は下り側。

なお、雄物新橋も浜街道も、昭和末期頃は棒バス停が設置されていた。上記の通り1日3本だから、それで充分だったようだ。
浜街道から先の各バス停は記憶にないが、やはり棒だったのかもしれない。ただし、運行開始当初は現在と一部違うルートで、後で追加設置されたバス停もあったそうだ。


「浜街道」なんて、どこかロマンチックな響きのバス停。由来は何なのか昔から気になっていた。命名時にふさわしい名前がなくて悩んだのはうかがわれるけど。

「羽州浜街道」というものがある。山形県鶴岡市の鼠ヶ関と秋田市(久保田城下)を結ぶ旧街道。酒田市以北では「酒田街道」とも呼ばれる。
大ざっぱには現在の国道7号線のルートだが、本来の羽州浜街道は、この近辺では栗田神社前経由新屋西線のルートがまさにそれ。
ただし、昔は雄物川放水路がなかったから雄物新橋もなかった。両経由が分かれる橋のたもとの突き当りの崖の上に、行き止まりの道があるのだが、それがかつては街道だったそうだ。

ということで、羽州浜街道が由来だとすれば、こちら経由に「浜街道」があるのは適切とは言いにくい。
旧・秋田市交通局では、「旭北前」「勝平二丁目」「古城苑二丁目」のように、意味が分からないというか、テキトーにつけたんじゃないかと思えてしまうバス停がちらほらあるから、「浜街道」もそう(交通局の“創作”)なのかな…なんて思っていた。

その後、新事実が判明。
川と平行な坂道の道路の名称が「秋田市道 浜街道2号線」なのだそう。遅くとも1978年には存在している。
浜街道2号線の区間は、秋田大橋のたもとから雄物大橋の上(~国道に合流するまで?)までらしい。ただし、雄物新橋たもとでは、一瞬だけ県道が間に入る。
ということで、近くの道路の正式名をバス停名にしたのが真相ではないだろうか。

【18日追記】前にも書いたけれど、「大町通り」のように「点」であるバス停に対して、バスの経路と重なる「線」である通り(道路)の名称をつけるのは、場所を特定しにくくて、あまり好きじゃない。「浜街道」もその1つということにはなるが、道路名称自体が一般に浸透していないだろうし、「バス停だけで使われる名称」として認知されてしまっているのだとすれば、それはそれでいいのかな。

それから、栗田神社そのものへ行く場合、栗田神社前経由の「栗田神社前」よりも、県営住宅経由の「浜街道」で降りたほうが、少し近い。ただし、浜街道からだと鳥居・参道でなく脇から入る形になるのと、運賃が1区間高くなる。
(以上追記)

地理院地図に加筆。緑が栗田神社前経由、赤が県営住宅経由、続く左右両側がずっと浜街道2号線
↑地形図で見ると、高低差や鋭角カーブの鋭さはあんまり分からない。

バス停名としてはいいとして、道路の(愛称でなく)正式名称として「浜街道」なのも、珍しいかもしれない。たいてい地名を使うのに。バス停同様、道路にも適切な地名がなくて、苦肉の策で浜街道になったのかも。
そして、2号線なのに「浜街道1号線」はおそらく存在しないのも、不思議(計画倒れに終わったとかだろうか)。

あと、浜街道2号線の坂は、平坦な秋田市において、なかなかダイナミックな坂。
名前があってもいいのにね。「あかしあ坂(正しくはニセアカシア、ハリエンジュですが)」などいかがでしょう。

※この坂道の川側の崖下について
コメント (2)
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