夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

起きていて見る 夢 望み

2005年08月15日 21時12分12秒 | 私も作ってみました
DATE: 08/15/2005 17:14:09

本当に小さいときから夢がありました。
死ぬということを人と同じように遠いものとして感じられ、死に怯えないで毎日を送れるとこ。
8月5日の日誌でもちょっと触れたけど、原爆直後に中心地に入りました。
だから子供心にも、いつ原爆病を発症するか、そして何年も病院で苦しんで死んでいくのかと、怯えながらの生活でした。(って、いいながら、もうずいぶんと生きてきてますけど)
自分は宗教者のように悟りを開いて、死の怖さを克服できるようなタイプではないっていうのが最初に気が付いたこと。
そして結局行き着いたのが、誰でも死ぬんだってこと。遅い、早いの区別だけ、いずれは土に帰る。私だけが特別ではないって思うこと。

ただ、死ぬときに後悔だけはしたくないと決心しました。自分の思うことを精一杯やること。
祖母もそのような私の考えを理解してくれていたようです。小学生の頃、けんかをして帰っても、男は自分の考えを通すためにはけんかもできなければ、っていうのが祖母の答えでした。自分の気持がわかってもらえているという安心感は当時の私の財産でした。
でも我儘に生きることではない。おそらく私が単なる我儘を通すのであったら、祖母は、一番きつく私を叱る家族だったと思います。留学のチャンスをお祖母さんが悲しむのが解って二度つぶしました。自分の夢は留学だったけど、それ以上にお祖母さんが好きだし、彼女を悲しませたくなかった。やりたいことはやれなかったけど、その悲しみが大きければ大きいほど、それを大切な人のために犠牲にした自分の決断に誇りを感じてきました。というより、留学を取り止めることをむしろ当たり前として考えてきました。

自己犠牲、そしてその自分への誇りを感じることはむしろまだ足りない。
愛する人のために自分を犠牲にすることを犠牲と思わない、好きな人のために何かしてあげることが嬉しい、最初からそのような気持になれる、それほど深い愛情もあるのですよね。
親が子供のために自分の命を犠牲にする、そのような場合、親は自分の自己犠牲って感じるでしょうか。ただひたすら子供を助けたい、親の気持にあるのはそれだけだと思います。

そうして生きていけば、死ぬときにも自分に後悔しないで死ねるのではないかっていうのが、子供の私が出した結論でした。

ただ、死に至るとき、自分の一生に満足していても、苦しみながら死ぬのは嫌ですよね。今の願い、夢は、苦しまないで大往生を遂げられること。

でもなんてへんてこな夢なんだろうね。

トラックバックの練習の第3段目。今週の御題は夢でしたけど、ちょっと話題がずれたし、重すぎるよね、大丈夫かな?



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