忘れ草 わが紐に付く
香具山の故(ふ)りにし里を忘れむがため
万葉集 3-334
大伴旅人
忘れ草を私のベルトにつけておきましょう
香具山の私の故郷を思う気持ちを抑えるために
大伴旅人が九州の大宰府に赴任していたとき、望郷の念に苦しんで忘れ草を身につけていると憂いを忘れることができるときいて、ベルトにつけて、忘れようと詠った詩。
いいですね~ うらやましい。
私なんぞ、別に忘れ草を使わなくても、片っ端から忘れてしまって、忘れないでいることに努力しているのに。
ところでこの忘れ草、今で言う萱草のことです。
中国ではこれを身に付けていれば憂いを忘れるといわれていて、それが日本に伝わったのですね。
だから植物分類にも ユリ科ワスレグサ属 とワスレグサが入っています。
万葉集や、古今、新古今集にもたくさん出てきます。
みんな、花がどうとかというよりも、忘れ草としての役割のほうに気が行っているものばかりですね。
忘れ草 わが下紐に着けたれど
醜の醜草(しこのしこくさ)言にしありけり
万葉集 4-722
大伴家持
家持さんが坂上家之大嬢(さかのうえのいえのおおいらつめ=坂上大嬢)に贈った詩。
(恋しくて恋しくて、胸が苦しいので)忘れ草を下紐につけて憂いを忘れようとしたけど、この馬鹿草、名前だけでなにも効果がなかったってことです。
もう一つ、古今集から
忘草 たねとらましを あふことの
いとかくかたきものと しりせば
古今集 15-765
詠み人しらず
あの人に会うことがこんなにも難しいと知っていれば
忘れ草の種を取っておくのだった。(それを蒔いて忘れ草を咲かせれば、この気持ちから逃れられたのに)
物の本には、中国の忘れ草はヤブカンゾウだって書かれています。
上の写真はノカンゾウ。ヤブカンゾウの方は八重ですね。ノカンゾウは一重。
でも、万葉の詩人たちにそのへんどこまで区別されていたのかちょっと疑問です。
ということで、たまたま今日撮りましたノカンゾウで代用ですね。
ちなみに、ワスレグサ属の仲間; キスゲもアップしておきましょう。
そこに先日西洋ノコギリソウがつぼみをふくらませていたので開花を楽しみにしていたのですが、満開の花が消えていました。よくよくみたらスッパリと刃物で切り取られた痕が。管理している人が持って行ったならそれはそれで仕方ないとは思いましたが...。
その植え込み、改めてよーく見たらユリ科のものと思われる花がこれまた蕾をつけていたし、下生えの草もアップルミントが野生化していました。
ノコギリソウは道に面していましたけれど、こちらのほうは鬱蒼とした茂みの裏側。
なんとか、満開まで摘み取られないことを願うばかりです。
困ったしまう、なんて書こうとしてふと気がつきました。
隣家の溝に咲いていた白のシランを狙っていたのは誰? ピンクのホタルブクロを狙っていたのは誰?
まさか人の庭や、家に咲いているものを採ってはきませんけど、畦や野原の花は持って帰りたいと思うこと多々。
ただ、今の家の庭では日当たりも、手当てもまったくしていないので、採っていっても可哀想ってそれだけがブレーキになっています。
人のことは言えないや。
口を閉じましょう。
どっちがカンソウでどっちがキスゲか、この私に区別がつくはずないじゃないですか。な~んて威張ってちゃいけません。
仕事場でうちの部のお隣が花や食品を扱う部署なんですよ。今日はユリの香りが廊下の端から端までプンプン。「匂い」より「臭い」って感じ。やっぱり慎ましやかでほのかな香がいいですね。
一度覚えても、次には忘れている。
似た花同士、どうも違いを忘れてしまう、、、
もうあまりにも日常のこととなりました。
花をカメラに収めながら、自分がいかに老いぼれてきたかを否応なしに感じさせられています。
なんちゃって。