知人が巣立ちの後のツバメの給餌のほほえましい写真をブログに載せられておりました。
特に下から二枚目の写真。私、好きだな~
本文のコラムの幅が小さいので写真が全部は入りきれませんが、下のレバーを右に動かすと親子の様がばっちりと出てきますよ。
家の近くのスポーツ用品店の入り口に巣を作っているツバメも今、雛が巣立ったばかりです。
巣立ちの直前には、親が餌を運んできても巣に入らないのですね。
巣の直前まで来て、雛たちに運んできた餌を見せびらかせて、近くの電線に止まる。ここまで食べにおいでって言っているのですね。
それを何度かやっているうちに雛たちは、意を決して、一羽、また一羽と巣を飛び出していく。
最初からそれは見事に、すばやく飛んでいくんですね。
こうして飛ぶ練習、餌を捕る練習と、親は子供たちにしつけをしていくのです。
見ていて、自然の素晴らしさ、そして親子のほほえましさに心が温まる情景です。
以前に紹介した市原のサンコウチョウ。
私が最後に見たときは、雛の一部が孵ったころでしたが、親鳥が育児を放棄したそうです。
私が撮りに行ったときには、カメラマンの数は多かったですけど、鳥を驚かせるような行動をする人はいなかった。でも、聞きますと、フラッシュを焚いて鳥を撮ったり、鳥を驚かせて平気だったりした人がいたのだそうです。
ここではカラスや蛇に卵を食べられたというようなことも聞いたことがありますが、それは残念と思っても、自然のなかでのこと仕方のないことだと思います。
東南アジアの越冬地での森林伐採で、数が減ってきているサンコウチョウ。
繁殖地の日本でも繁殖できなくなれば、ほんとうに生きていけなくなってきますよね。
以前にもいすみ市のトンボの沼でコハクチョウが来てたときに、フラッシュを焚いて写真を撮っていた人がいて、普段は、あまり怒らないのですけど、思わず、「フラッシュは使わないでください」って声をだしてしまいましたけど、、、、
珍しい花が咲いたというと、その辺を踏み荒らしてしまう人たちとか、
こんな無神経な人がいるので、珍しい鳥が来たり、花が咲いたりして、皆にも教えたいと思っても、だれも場所を固定できるような情報は出せなくなるのですよね。
抱卵から育児にかけて、ただでさえ親鳥は過敏になっています。周りを取り囲むカメラマンを見るだけでもかなり負担になっているはずなのに、フラッシュや、鳥を驚かせるような行為をすれば、鳥が育児を放棄してしまうのは分かりきったこと。
誰かに教わらなくても、自分がサンコウチョウの親だとして考えれば、すぐに分かることじゃありませんか。
実は、カメラを撮るってことも、ファインダーの中に相手の気持ち、自分の気持ち、見る人の気持ちを混ぜているのですよね。撮られる相手がどう思い、どう反応するかが分からなければ、いい写真なんか撮れない。
カメラマン失格!
というより、これは人間の普通の行動なのだから、人間失格なんじゃないか!
私は少し怒っています。
写真は以前使いました、市原のサンコウチョウです。
山すそを歩き回って野草の撮影あいますが
撮りたい花しか見えないのか?絵になら無そうな同じ花は踏み潰しても平気
正直この人は本当に野草が好きなんだろうかと
思います。
くじゅう方面パトロールされていても
年々数が減ってきているそうです
命は地球上重さは同じと思う私。
そうですね、特に写真を撮る人なら、被写体がどう思っているのかなんて気になって当然だと思うのです。自分の目しかない写真はたんなる自己満足だけのものですね。
(もっともそれ以上のものが私に撮れているかっていわれれば、下を向くしかないですけど)
カメラマン同士でポジションを見つけていがみ合い、ののしりあうなんて光景は探鳥スポットに行くともう当たり前みたいになっていて、なかなか行く気になれません。
でもそれによって、小さな命がなくなってしまう。それはもっと大変ですよね。
仕方のないものもありますし、それを否定はしません。ニコルが言っていました、獲物をとるときには獲物と神様に感謝して、自分が食べるぶんしか捕ってはいけない。食べるときには感謝してって。彼も子供のときから狩猟をならい、捕鯨に反対で、監視員になって、日本の捕鯨船に乗ったけど、けっきょく、自分は鯨を食べるようになってしまった。
でも、生きるために仕方がなく、感謝しながらって気持ちを持つのか、他の命にただ無関心なのか、ずいぶん違うと思います。
だから、とてもよい勉強をさせていただくことが出来ています。
そりゃ、珍しく、出会ったことのない鳥や花を写したいです。でも、それは自分が決める事じゃない。時期をみて、折をみて、天が写させてくれるもの。
だからね写せた時、とてもとても嬉しいのです。
“お許しが出たんだ”って。
デジイチが普及してそれはそれで嬉しいけれど、ルール無用のマナー違反平気、自分が正義、という人たちの心無い所業を見るにつけ、聞くにつけ、鳥の神様、花の神様が結界張ってくれたらなってつくづく哀しくなります。
自分たちだけの世界じゃない。
生きているんじゃなくて、生かされてもいるということ、忘れちゃいけないですよね。
もう少し書いていたんですけど、ちょっと重すぎて、書けなくなりましたんで、、、ごめんなさい。
やっぱり人間は自分勝手で傲慢な生き物です。
来年はもうこの場所に巣をつくることはないんでしょうね。
でも、どの鳥にどれだけの期間、どのような保護を加えていくのか、そしてそれが受け入れられるのか、、、、難しい問題を含んでいますね。
絶滅危惧種とか、数が極端に減っていけば、それが訴えの基盤になるでしょうけど、
たとえば鶴や白鳥なども、江戸時代の記録と比べてみれば激減しているのですよね、、、
それに、鶴や白鳥の保護、ラムサール条約の下で作られている施設でも、餌を与えたり、必ずしも自然ではない形での保護がされていたりすると、その保護の仕方もまた、問題かなと思います。
でも、渡り鳥だけでなく、この危機は留鳥にも起こっていることですよね。
もっとも、自然を大切にということは、言うは易しいけど、実際はさまざまな問題を派生させてくる問題でもあります。
制度も大切でしょうけど、結局は一人一人の気持ちに行き着くのでしょうね。
あそこは巣までフィルムカメラで言うと1000ミリくらいでちょうどいいくらいの距離、ストロボを使いこと自体がおかしいのですけど、それをやる人たちがその1%にいるのですよ。
注意しても分からない人もいますしね。