桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

平田富彦への質問

2012-10-11 | Weblog
東電OL事件の捜査指揮をした、もと警視庁捜査課長、平田富彦は、この事件が再審開始になったとき、テレビに出演して「ゴビンダは犯人」と、得々と語った。
「勘です、勘は大事なんです」などと言うのには「今でも警視庁の捜査の支えは勘かい」と本当に呆れた。
物的証拠は第三者の物でゴビンダさんは無関係だと判った今、果たして平田は、何んと言うのだろうか。聞いてみたい。
警視庁は、ゴビンダさんと一緒に住んでいたネパール人に、有利な就職などを餌に偽証を強いた。今日の讀賣にも「元被告の同居人に不適切な調べをした」と指摘されている。
きっと平田は、俺の有罪を書いた裁判官と同じように「もう関わりたくない」と言うのではないだろうか。
それとも警察官の面の厚さ、宮本武蔵の末裔を自慢する平田は、この期に及んでもゴビンダさんを犯人と語るのだろうか。
ゴビンダさんが逮捕状を示されて笑ったのは、取調官の「殺しを認めろ」という調べを受けて、苦しみ、示された逮捕状がオーバーステーだから、ホッとしただけ。判った?
唾の提出を拒んだのは、犯人だからではなくて、警察に何をされるか判らなかった不安からだよ。判った?
もし唾を提出していたらば、当時の捜査本部は、それを「犯人の物だった」とでっち上げなかったかなあ?
クワバラクワバラ!

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4 コメント

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平田冨峰 (gana)
2012-10-11 18:33:46
この人、現在は平田冨峰(ふほう)に改名し、「日本協会」なる右寄りの団体の会長に就任しています。
同協会のホームページでは、こんなことを謳っています。

日本協会は「凛とした誇りある国 日本」「世界から尊敬される国 日本」の実現のため、真に日本国を愛する人々の集いであり、その目的遂行のため様々な支援をする会です。

日本が「世界から尊敬される国」になるには平田さん、
貴方が無実の人間を15年も苦しめた責任を取って、
サムライらしく腹を切ることだ!!


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俺を馬鹿にしたと (名無しのごんべい)
2014-05-18 01:02:22
1999年2月の寒い日、国立市の小沢潔代議士の事務所に右翼が車両で体当たりをした。犯人は逮捕された。適切な警察官の指揮により事後の処理も適切になされた。しかしこの時、当時の警察署長だった平田富彦は現場に臨場しなかった。
後で聞いた話だが、現場指揮官から迎えの車が来ると聞かされ4時間もの間自宅で待たされたうえ、待ちぼうけを喰わされて本部員が帰った後に臨場したそうだ。?
平田は、この時、迎えの車が行くと伝えた警察官の言葉を信じて4時間もの間、寒い家の前で待っていたそうだ。4時間もの間、家の前で迎えの車が来るのを待っていたとは、律儀な男だ。
しかし、平田は、この警察官をこともあろうか処分した。何故。「この俺を4時間のの間、寒い中、待ちぼうけをさせるとは何事か。」当日、当直だった刑務課の係長に事実関係を聞いたそうだ。この刑務課の係長は「小沢潔代議士の事務所のことは何も聞かされていない。署長を迎えに行くことなんか聞いていない。」と答えたそうだ。平田は、生活安全課の当日当直だった少年係のミノムシとか何かにもこのことを尋ねたそうだ。このミノムシ、「何も聞いていない。知らなかった。」と答えたそうだ。
時間を遡って事件発生時間に戻そう。事件発生と同時に当番責任者は、事件の全体像をは把握したうえで、当直責任者に善後策を報告したうえ、副当直責任者に、休憩中だった刑務課の係長に、「直ぐに署長官舎に行き、署長を小沢方に臨場させるように伝えた。」当直副責任者(宮崎警部補)は直ぐに、このことを刑務課の某係長に伝えた。さらに休憩中の裏番勤務員には、緊急配備に従った処置をとるように指示した。
それから4時間が過ぎたとき。平田から「まだ迎えの車が来ない」との連絡があった。
当番責任者は、「唖然とした」そうだ。「そんな馬鹿な。」。直ぐに副当番責任者に聞いた。「署長を迎えに行く連絡はしたのか。」。副当番責任者は「刑務係長に話した。」と話したそうだ。
当番責任者は、「4時間もの間、刑務係長は何をしていたんだ。その間、一度も姿を見なかった。署長を迎えに行っているものとばかり思っていた。」そう思っていたと副責任者に話した。
当番責任者は、直ぐさま刑務係長に、「何んで署長を迎えに行かなかったんだ。」「何をしていたんだ。」と詰問した。
刑務係長から返ってきた言葉は、「何で俺が行かなきゃいけないんだ。」だった。当番責任者は返す言葉もなく、当日当番だった保安係の巡査部長に、刑務係に署長を迎えに行くように頼んだ。
ここまではあり得るミスであろう。
しかし平田は、事の次第をこともあろうか刑務係長から調査したそうだ。そして少年係長からその裏を取ったそうだ。
そして、この当直責任者「とんでもない奴だ。俺を馬鹿にしているのか。」と言って面白い人事をやったそうだ。
阿部総理が言っている。「日の丸の国旗を焼かれても、韓国の国旗を焼く様なことをしてはいけない。」これが日本人の考えだ。長い友から裏切られたからと言って、自分を裏切ってはいけない。
平田君、「君が日本を救う」などと、たわけたことを言わないでくれたまえ。
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たわけもの (名無しのごんべい)
2014-05-18 01:08:43
1999年2月の寒い日、国立市の小沢潔代議士の事務所に右翼が車両で体当たりをした。犯人は逮捕された。適切な警察官の指揮により事後の処理も適切になされた。しかしこの時、当時の警察署長だった平田富彦は現場に臨場しなかった。
後で聞いた話だが、現場指揮官から迎えの車が来ると聞かされ4時間もの間自宅で待たされたうえ、待ちぼうけを喰わされて本部員が帰った後に臨場したそうだ。?
平田は、この時、迎えの車が行くと伝えた警察官の言葉を信じて4時間もの間、寒い家の前で待っていたそうだ。4時間もの間、家の前で迎えの車が来るのを待っていたとは、律儀な男だ。
しかし、平田は、この警察官をこともあろうか処分した。何故。「この俺を4時間のの間、寒い中、待ちぼうけをさせるとは何事か。」当日、当直だった刑務課の係長に事実関係を聞いたそうだ。この刑務課の係長は「小沢潔代議士の事務所のことは何も聞かされていない。署長を迎えに行くことなんか聞いていない。」と答えたそうだ。平田は、生活安全課の当日当直だった少年係のミノムシとか何かにもこのことを尋ねたそうだ。このミノムシ、「何も聞いていない。知らなかった。」と答えたそうだ。
時間を遡って事件発生時間に戻そう。事件発生と同時に当番責任者は、事件の全体像をは把握したうえで、当直責任者に善後策を報告したうえ、副当直責任者に、休憩中だった刑務課の係長に、「直ぐに署長官舎に行き、署長を小沢方に臨場させるように伝えた。」当直副責任者(宮崎警部補)は直ぐに、このことを刑務課の某係長に伝えた。さらに休憩中の裏番勤務員には、緊急配備に従った処置をとるように指示した。
それから4時間が過ぎたとき。平田から「まだ迎えの車が来ない」との連絡があった。
当番責任者は、「唖然とした」そうだ。「そんな馬鹿な。」。直ぐに副当番責任者に聞いた。「署長を迎えに行く連絡はしたのか。」。副当番責任者は「刑務係長に話した。」と話したそうだ。
当番責任者は、「4時間もの間、刑務係長は何をしていたんだ。その間、一度も姿を見なかった。署長を迎えに行っているものとばかり思っていた。」そう思っていたと副責任者に話した。
当番責任者は、直ぐさま刑務係長に、「何んで署長を迎えに行かなかったんだ。」「何をしていたんだ。」と詰問した。
刑務係長から返ってきた言葉は、「何で俺が行かなきゃいけないんだ。」だった。当番責任者は返す言葉もなく、当日当番だった保安係の巡査部長に、署長を迎えに行くように頼んだ。
ここまではあり得るミスであろう。
しかし平田は、事の次第をこともあろうか刑務係長から調査したそうだ。そして少年係長からその裏を取ったそうだ。
そして、この当直責任者「とんでもない奴だ。俺を馬鹿にしているのか。」と言って面白い人事をやったそうだ。
阿部総理が言っている。「日の丸の国旗を焼かれても、韓国の国旗を焼く様なことをしてはいけない。」これが日本人の考えだ。長い友から裏切られたからと言って、自分を裏切ってはいけない。
平田君、「君が日本を救う」などと、たわけたことを言わないでくれたまえ。
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たわけたことを (名無しの権兵衛)
2014-05-18 02:00:56
1999年2月の寒い日、国立市の小沢潔代議士の事務所に右翼が車両で体当たりをした。犯人は逮捕された。適切な警察官の指揮により事後の処理も適切になされた。しかしこの時、当時の警察署長だった平田富彦は現場に臨場しなかった。
後で聞いた話だが、現場指揮官から迎えの車が来ると聞かされ4時間もの間自宅で待たされたうえ、待ちぼうけを喰わされて本部員が帰った後に臨場したそうだ。?
平田は、この時、迎えの車が行くと伝えた警察官の言葉を信じて4時間もの間、寒い家の前で待っていたそうだ。4時間もの間、家の前で迎えの車が来るのを待っていたとは、律儀な男だ。
しかし、平田は、この警察官をこともあろうか処分した。何故。「この俺を4時間のの間、寒い中、待ちぼうけをさせるとは何事か。」当日、当直だったケイム課の係長に事実関係を聞いたそうだ。このケイム課の係長は「小沢潔代議士の事務所のことは何も聞かされていない。署長を迎えに行くことなんか聞いていない。」と答えたそうだ。平田は、生活安全課の当日当直だった少年係のミノムシとか何かにもこのことを尋ねたそうだ。このミノムシ、「何も聞いていない。知らなかった。」と答えたそうだ。
時間を遡って話を事件発生時間に戻そう。事件発生と同時に当番責任者は、事件の全体像をは把握したうえで、当直責任者に善後策を報告し、副当直責任者に休憩中だったケイム課の係長に、「直ぐに署長官舎に行き、署長を小沢方に臨場させるように伝えた。」当直副責任者(宮崎警部補)は直ぐに、このことをケイム課の某係長に伝えた。さらに休憩中の裏番勤務員には、緊急配備に従った処置をとるように指示した。
それから4時間が過ぎたとき。平田から「まだ迎えの車が来ない」との連絡があった。
当番責任者は、「唖然とした」そうだ。「そんな馬鹿な。」。直ぐに副当番責任者に聞いた。「署長を迎えに行く連絡はしたのか。」。副当番責任者は「ケイム係長に話した。」と話したそうだ。
当番責任者は、「4時間もの間、刑務係長は何をしていたんだ。その間、一度も姿を見なかった。署長を迎えに行っているものとばかり思っていた。」そう思っていたと副責任者に話した。
当番責任者は、直ぐさまケイム係長に、「何んで署長を迎えに行かなかったんだ。」「何をしていたんだ。」と詰問した。
ケイム係長から返ってきた言葉は、「何で俺が行かなきゃいけないんだ。」だった。当番責任者は返す言葉もなく、当日当番だった保安係の巡査部長に、署長公舎に行き署長を小沢邸に送るように頼んだ。
ここまではあり得るミスであろう。
しかし平田は、事の次第をこともあろうかケイム係長から調査したそうだ。そして少年係長からその裏を取ったそうだ。
そして、この当直責任者「とんでもない奴だ。俺を馬鹿にしているのか。」と言って、当時副所長だった明利副所長の止めるのも聞かず面白い人事をやったそうだ。
安倍総理が言っている。「日の丸の国旗を焼かれても、韓国の国旗を焼く様なことをしてはいけない。」これが日本人の考えだ。裏切られたからと言って、相手を売ってはいけない。
平田君、「君が日本を救う」などと、たわけたことを言わないでくれたまえ。
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