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桑名城 -1-

2024-05-12 07:30:33 | 取材・旅行

2024年5月11日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る東海の古城史跡」(2024年4~6月)「伊勢桑名城と城下町散策」へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、7回にわたって紹介します。

第1回 海蔵寺・寺町通り です。

集合は桑名駅。写真のAです。近鉄とJRが共存しています。ただし、改札は別々。運賃がかなり違います。

さっそく、桑名蛤天丼を食べました。税込み1,738円でした。

しちりさんです。

スタートすると、交差点で「有楽町」を発見。

東京の有楽町は 織田有楽斎 に関係しています。信長の弟です。この城巡りの、大野城・大草城-1 で登場しましたね。

桑名とどんな関係?

しかし、ネットで調べると、「有楽町」は、秋田県秋田市有楽町、栃木県足利市有楽町、埼玉県所沢市有楽町、岐阜県高山市有楽町、福井県福井市有楽町、愛知県豊橋市有楽町、愛知県半田市有楽町、三重県桑名市有楽町、山口県周南市有楽町 の9箇所ありました。すべてが「織田有楽斎」が関係しているとは思えません。

日本中に「〇〇銀座」があるように、そんな感覚なのでしょうか?

調べている人がいました。そのサイトをご覧ください。https://www5e.biglobe.ne.jp/~elnino/Folder_DiscoverJPN/Folder_WholeCt/JPN_Chimei_Yurakucho.htm

つぎに「八間通」の交差点が! 

堀川七橋めぐり で「四間道(しけみち)」を取りあげたばかりです。確かに、八間(約14.4m)はありそうです。

宝暦治水の碑が目につきました。

小学校社会科では、木曽三川下流の地域は、4年生の郷土の偉人、特色あるくらし、5年生の低地でクラス人々 のどれでも、扱われる可能性があります。

東京書籍の5年生上から紹介します。

この関係で、薩摩義士の話題は必ず登場します。

ブログでも、大黒寺 法要(京都散策) で紹介しました。


(前略)他に、薩摩義士、伏見義民も加えた。
幕末に、縁もない土地で労力を使った。予算は超過し、難題続出の治水工事であった。宝暦四年、平田靱負はすべてを見届けて自刃した。多くの藩士も共にした。
その遺体を棺桶に入れ、塩漬けにして、川舟で、伊勢湾-潮岬-大阪湾-淀川-大黒寺へと運んだ。そして墓を建てた。
(以下略)


尾張地区の多の学校が、遠足でも訪れ、学芸会では劇にして演じてきました。

平田靱負 の墓がある海蔵寺です。

説明です。

説明部分を文字起こししてみましょう。


宝暦年間、木曽、長良、揖斐三大川治水工事に際し御手伝請(おてつだいぶしん)に当たった薩摩藩士が工事の難関に処してよくこれを克服したがその間悪疫に紛争にまた重大な工事費の超過など責任を負って殉難した二十四名の墓所である。

この二十四名は凡て割腹した藩士ばかりで中央は総奉行平田靫(ゆきえ) 正輔 (戒名 髙元院殿節岑了操大居士 宝曆五年五月二十五日版 行年五十二才)の墓碑である。


曹洞宗なのですね。

千本松原の松の木です。

起こしてみます。


ここに展示してあります輪切りは宝暦治水工事(一七五四~五五年)の際に薩摩藩士が植えたとされる千本松原(岐阜県海津市)に生えていた松の木です。松くい虫被害などにより枯れたため平成十八年十月に伐採され この度 国土交通省 木曽川下流河川事務所のご厚意により寄贈されたものです。
この松の木は現存する中で最も幹が太いものであり千本松原を守る活動を続けてきた人々の間で「守り松」と呼ばれていたものでした。
(参考) 生きていた時の大きさ 幹廻り約三、五二 m 樹高 約二十九 m


お墓です。

平田靱負 の墓です。

24名の名前です。

動画です。【鹿児島】薩摩の偉人平田靭負と宝暦治水〜前編〜

石鶏祭のチラシです。

マンホール。この折り鶴の意味は? 後日紹介します。

七里の渡しでしょうか・・・・


寺町通りです。

なぜ寺町?

航空写真をご覧ください。

ここだけで、6つの寺院があります。

最も大きい、本統寺の説明です。

当時の様子です。

航空写真と,当時の図を比較してみましょう。

伊勢桑名城中之絵図(いせくわなじょうちゅうのえず)

出典 https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000443

正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。各藩は幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから紅葉山文庫に収蔵しました。幕末の同文庫の蔵書目録『増補御書籍目録』には131鋪の所蔵が記録されていますが、現在、当館では63鋪の正保城絵図を所蔵しています。昭和61年(1986)国の重要文化財に指定されました。
原図サイズ:東西255cm×南北281cm

国立公文書館デジタルアーカイブ

 

この部分です。

  

そうなのです。かつての掘り跡に、家が建っています。

そして、かつての掘りの跡が残っているのです。

次の写真の右側が、航空写真上部の黄色い線に当たります。

反対から見た写真です。

この左側の石垣が、黄色い線に当たります。

そして、この堀が、

明日に続きます。

桑名城 -1- -2- -3- -4- -5- -6- -7-


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