簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

手原の古い建物 (東海道歩き旅・近江の国)

2024-03-27 | Weblog


 旧和中散本舗大角家住宅を背に市道(?県道)に出るとその合流地点
に、ポケットパークが有った。
この辺りは、信楽が近いせいか、タヌキの置物などが飾られている。

 園内に、栗東八景「積日の海道と城跡(新緑の日向山と和中散)」の
看板が立っている。



 和中散屋敷の「大角氏庭園」は、小堀遠州作の池泉式庭園で、国の指
定名勝となっている。日向山(222.9m)を借景とした庭の眺めは趣があ
り、平成の栗東八景の一つとされている。

 そこから少し行くと「東海道一里塚」の石碑が建ち、側には、「和中
散の町 六地蔵/東へ到石部の宿」等と彫られている。



 この先の名神高速道路へのアプローチ道を潜る当りから、街道は小野
村から手原村に入っていくが、その少し手前に「五葉の松」と書かれた
札が貼られていた。どの松のことか、良く分からなかった。



 その少し先の西巌寺の門前に一本の松が立ち、「肩かえの松」の石碑
が有った。「旅人足などがこの松の木の下で休憩し、荷物を担う肩をか
えた所である」と書かれている。 

 「手孕村、此辺草津・石部の中成」と言われたように長丁場の中間地
点である。嘗ては伊吹艾(もぶさ)を売る店が有り、家号は亀屋を名乗
る処が多かったと言うが、今日街道筋でその屋号を目にすることは無い。



 街道に面して国の登録有形文化財の指定を受けた、「里内呉服店」の
主屋の建物が残されていた。二階を低く抑え、雨除けの小庇を設ける等、
外観が明治初期建築の特徴を良く伝えているらしい。 



 西隣には創業が寛政2(1790)年と言う、手原醤油の「塩屋藤五郎」
の建物が建ち、前に「手原醤油顕彰碑」が見える。
美味しいと評判な事を讃える碑らしい。(続)



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