すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ゆっくり捲る、間をもつ

2024年03月14日 | 読書
 天気が乱れていると感じるのは、やはり穏やかな冬を過ごしたからだろうか。
 周囲に振りまわされずに、と思っても、お天道様にはかなわない。ゆっくりページをめくろう。


 Re23『俳句的生活』(長谷川櫂 中公新書)。こうした書名の本を手に取りたくなるのは、憧れである。しかし読み進めると、その奥深さにとてもとてもと手の届かぬ未熟さを感じるのが常で、今回も全くその通り。ただ、今さらながらに得た知識もあり書棚に留めおきたい一冊となった。冒頭の「切れ」は納得だった。

 切れ字は強調を表わす程度は覚えていたが、「切る」という根本すらあまり深く考えを巡らせていなかった。「や」「けり」「かな」を使う、使わないに限らず、よい俳句には「切れ」があるという認識である。それが生み出す「間」こそ、想像力の出発点となる。たくさんの句を知らない初心者にも読む手がかりが出来た。

 メモ帳に書かれていた句も引用されていた。数年前の野口塾講座の教材だ。「灰汁桶の雫やみけり蟋蟀  凡兆」…蟋蟀(こおろぎ)はここでは「きりぎりす」と読む。発問は「蟋蟀の声はいつから聞こえているか。やむ前か、止んでからか」…「けり」という切れ字が作りだす間によって合理的推理と重なるのだ。


 2024.3.10 初めて県都の施設「ミルハス」へ。これが噂の…と思ってパチリ

 Re24『ことばの果実』(長田 弘  潮文庫)。「果実」と「花実」をモチーフにした小文集。ここ数年、折にふれ読み続けている、また絵本の読み聞かせでも取り上げている詩人が「ことばの魔術師」と称される訳が、わかる気がした。それは言葉の遣い方ではあるのだけれど、経験の重みなしに為し得ない表現なのだ。

 旅、読書の質量はもちろん、思い出や暮らしに対する目の付け処が違う。そこに生み出す詩的表現に憧れてしまう。TVの食レポの陳腐さに食傷気味の我々に、さわやかな果実を提供してくれるようだ。あんぽ柿、柿シャーベット曰く「柿の味の深さは、うつくしい秋のきれいな空気だけがつくることができるのだ


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