すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

こんなに長い如月は…

2022年02月28日 | 雑記帳
 メモ程度に書きつけている日記の2月1日を見返すと、「旧暦の元日」と最初に記してある。それから4週間しか経っていないが、ずいぶん長かった気がする。1月最終週から図書館の利用制限が始まり、昨日から完全閉館だ。その間、相変わらず続くコロナ感染拡大、降雪も昨冬並みとなり、北京五輪、ウクライナ…と。


 2/27  AM6:54の朝日

 県内感染者が200人台を記録したのは1月末、つまり高止まりはひと月続いた。しかし検査数との絡みがあり、検査制限を指示した国の思惑を考えると、これが実数かという不安はつきまとう。近隣館内の感染が増え、施設も混乱した。こども園や学校のことを想うと、長い閉塞感で浮足立っていないかと心配になる。


 中旬の出来事はブログに挙げてみた。北京五輪のこともいくつか書いてあるが、もう遠い昔のようだ。そう考えると去年の東京五輪もしかり。まだ覚えてはいるがあまりに印象が薄くなった。そもそも誘致反対の気持ちが強かったからだけではない。権力志向が渦巻く現状を見ると、五輪開催意義は確実に問われている。


 真面目に読書したわけではないが、結構な冊数をこなしたひと月だ。書くことに関しても公私ともに量は順調だし、継続した。ただ、読み聞かせが中止になり「語る」という面では物足りない。日常会話だけでは「声活」にはならないし、結構意識したい点なので工夫が必要だ。使っていないと劣る…紛れない真実。


 ひと月が長かった印象は、様々な出来事が併行して起きて、消化しきれない心持ちがそうさせるのかもしれない。ウクライナ問題しかり。どう向き合うのか。今読んでいる加藤典明の本に次のような一節があった。「人間は、非メタ性のうちに、その存在の本質を持っている」。自分が世界を見下ろしているわけではない。

「昭和」を読んでみた

2022年02月27日 | 読書
 先週読み終えた2冊の本。小説とエッセイ、共通点はないと思ったが、あっ、どちらも昭和なんだと気づいた。


『寮生 ~1971年、函館。~』(今野 敏  集英社)

 待ちかねていた『隠蔽捜査』の新作は未読だが、何かその前にと警察小説ではないこの本を手に取った。作家と同齢なのでこの年号を記しているということは、やや自伝的な要素もあるかなという興味もあった。モデルはあの函館有名進学校で、男子寮内に起きたある事件を中心に展開していく学園ミステリーものだ。



 語り手である「僕」と一緒に入学した1年生数人が、校内で起こった2年生徒の死亡を巡って動く。様々な環境で育ち性格も異なる16歳たちが「事件」について、多少堂々巡りしながら、最後には謎を解明していく形だが、ある意味そのもたつき具合が懐かしい。ネットもスマホもない時間にあった空気感だろうか。


 来る日も来る日も駄弁っていた十代後半は、まさに昭和の高校生だった自分と重なる。理屈と感情のどちらも安定していない時期、繰り返し語りあって、ほんの少しだけ成長する実感。さて、この話にも「竜崎伸也」を彷彿させる一人の高校生が登場し、皆に刺激を与える。こうしたキャラクターの普遍性を想った。



『人生の観察』(吉村 昭  河出書房新社)

 単行本未収録のエッセイを集約している一冊、新聞連載コラムが主なものだ。時期は70年代から90年代、昭和期の文章が非常に多い。淡々とした筆致で全体的にさらりとした印象だが「含蓄」があるなあと感じさせる。小説とは違って丹念に書き込まないから、ことさら余韻を残すのだろうか、と考えが浮かんだ。


 昭和という時代はやはり戦争を抜きに語れない。昭和2年生の著者の作品も多くを知るわけではないが、「戦時」が大きな核であることは確かなようだ。その意味で穏やかな身辺雑記にあっても、どうしてもその陰がつきまとったり、比較論になったりするのはやむを得ない。まさしく昭和を生きた作家だと思った。


 「人生の観察」とは大層な書名に思える。むろん編集者の名づけだろうが言い得て妙だ。喫煙を巡っての夫婦のやりとりが書かれてある文章で、著者は「理屈のウソ」と記し、「ことばの正しさは浮き世と縁のないもの」とした。こうした例は数多ある。昭和期は、正しさへのアプローチを人生と呼んでもよかったか。

お爺さん、手袋置いて…

2022年02月26日 | 雑記帳
 先週「確定申告」の文字を見ながら、これはもう少し後だな、天皇誕生日あたりか、と頭をよぎったのは偶然ではなかった。このブログをみると去年も一昨年も(その前年2月は平成だった)、苦闘(笑)メモを残してある。天皇へ税を納める時代ではないが、タイミングのいい休日になっているから、向かうのだと思う。


 去年は「天皇誕生日の472円」と題し、苦労したわりに還付が少ないことを嘆いた文章だった。その形で語れば今年は「天皇誕生日のマイナス1300円」なのである。時間はさほどはかからなかったが、追加徴税という結果に終わるとは…。何のためにやったのか!!とは思わず、きちんと国民の義務を果たしました。


 妻の分も取り掛かった。こちらは昨年までと違い孫の世話が忙しく「家内工業」が無くなったので実に簡単。最後には「確定申告の必要なし」と表示もされたのであっけなく終了した。自分は非常勤でも勤めているので正式に続けているが、案外大雑把なものと改めて思う。高額所得者でないからが理由なのだが…。


 


 さて、象徴天皇とは違い大統領とは強いものだと改めて思う昨今。TVで共和国承認を議会や閣僚に訊く場面が流されたが、そこだけ観ればまさに独裁者。それが頭に残っていてウクライナで思い出した絵本「てぶくろ」を、図書館のブログで紹介した。森に落ちていた一つの手袋に、様々な動物たちが入り込む話だ。


 有名なので多くの人が知っているはず。作家の想像力と表現力が魅力的な傑作である。穿った見方をすれば、手袋の落とし主である爺さんが帰ってきて動物たちは散り散りになる結末を今回の侵攻に重ねたくもなる。いや、そんな思考に陥るのは現実に汚され過ぎだ。…お爺さん、手ぶくろ置いてってくれないかなあ。

横綱は言い訳しない

2022年02月24日 | 雑記帳
 昨年末から図書館エントランスに「リサイクル資料」(自由に持ち帰り可)として、古い月刊誌、週刊誌の類を置いている。ずっと放置されているものも多く、数冊家に持ち帰った。その中に、3年ほど前のスポーツ誌Numberがあり特集が「横綱論」だった。おおこれは…なかなか興味深いぞとめくってみた。




 私が子どもの頃はいわゆる「巨人 大鵬 卵焼き」の時代。家庭娯楽の一つとして大相撲のTV観戦があった。大鵬は絶対的な存在であり、地元出身の大関清国とともに人気が高かった。今思い出せば、その取り口は四つになって寄り切って勝つことが多いタイプで…雑誌でも語られる「横綱相撲」の典型にも思える。


 あくまでも個人的な見方と断っておくが、もう一人いわばこうした「受け」の相撲で印象深いのは北の湖だ。全盛期にそれほど熱心に観ていたわけではない。しかし、よく語られる「いやらしいほどの強さ」は、どんな組手にも揺らがなかった事実を示している。「横綱相撲」は「受けとめる」ことが核のようだ。


 立ち合いの攻め方等に関して白鵬が批判されたりするが、一つ前の朝青龍はもっと破天荒なイメージがある。攻めて勝つのは当たり前だが、極端にいえば相手にダメージを与えるような先手を出さないのが横綱、という考えにはマッチしない印象がある。土俵上以外のことも含めて、様々な批判を浴びた力士だと思う。


 その朝青龍をよく慰め励ましてくれたのが大鵬と北の湖だったという記事があった。「お前はお前のままでいい」と力づけてくれたという。人の受け取り方は様々、自分の都合のいいようにそうした言葉だけが心に残る場合もある。その意味で「話半分」と受け取ったとしても、二人の大横綱が語った意味は大きい。


 角界、識者たちが「横綱」について自論を展開し、意義(価値)としての横綱と、地位として横綱がせめぎ合う。時代によって横綱に求められるものは異なるだろう。しかし「強さ」だけは間違いない。それは究極で語れば心の強さの象徴と見た。大鵬も北の湖も「お前はお前」と言い切れた強さがあった。

遊弋して構えてみる

2022年02月22日 | 読書
 遊弋(ゆうよく)という語を初めて知る。広辞苑には「艦船が海上を往復して待機すること」と載っている。今、自分の「海上」は図書館にあり、絵本の「島」などが見え隠れしているか。そんな想像ができる最近の読書から。


『コロナ後の世界』(内田樹 文藝春秋)

 「多様性を認めよう」「他者や異物を包摂しよう」という考え方は、現在の世界では多くの人が(捉え方に差はあるとしても)承知している。しかし、著者はそういった言い方を「すてきな目標」と評価しつつ、こんなふうに語る。「でも、これって、微妙に『上から目線』だと思いませんか。」その眼差しの行方は…


 「多様性と包摂」を否定するのではなく、その「上があってもいいんじゃないか」と。まえがきの時点でそう語り出すのである。そこでの提言キーワードは引用しないが、つまりは自己の日常性、周辺性、身体性にもっと気を配るということに尽きる。それは「コロナ後」だからこそ、より重要視しなくてはいけない。


 終盤、図書館について触れた部分がある。以前似た事を読んだが改めて共感する。「図書館の本質的機能は、書棚の間を遊弋する人たちが『自分が読んだことのない本、読むはずもない本』に圧倒されるという経験をもたらすことに存する」。地方の小さな館にも、世の中の「知」の集まりの凄さは確かに感じられる。


2011年の放春花より②


『心に緑の種をまく』(渡辺茂男  新潮文庫)

 絵本作家、訳者としても高名な方なのだが、正直あまり意識したことがなかった。知り合いのブログから興味をもって、この文庫版を手にした。冒頭の写真ページにある絵本の名作ラインナップにも圧倒された。門外漢だった自分が、ここ数年で見知った世界の発端は、あの「エルマー」にもあったことに今さら驚く。


 教員時代、唯一継続的に実践した読み聞かせは初めての一年生担任時だった。そのとき取り上げた『エルマー』のシリーズ。著者は、翻訳してこれほど「たのしく仕事ができた本は他にありません」と書いている。いわばトップランナーが語った次の文章は、子どもの「心に緑の種をまく」書物の条件なのだと思う。

「そこには、いわゆる道徳の押し付けもなければ、陳腐なお説教の安売りもありません。ためになるとか、役に立つとかという功利的な目的は、この『エルマー』には何もはいっていないのです。そのかわりに、おおらかな空想と、楽しい冒険、愉快なできごとが、たっぷりもりこまれています。」

続・如月中旬日記

2022年02月20日 | 雑記帳
2月16日(水)
 朝、教委と連絡をとり来週以降も制限つき開館となることを確認。何人かに連絡をする。昨日準備した「羽後の子ども」詩作品をブログアップ。それから、読み聞かせの予定がなくなった学校へ「絵本のススメ」と題した資料を届けにいく。Jアラートの一斉訓練放送があったが、室内ではどうにも聞こえないようだ。


2月17日(木)
 勤務のない一日。たまたま二人の孫も来ないのでフリーだ。何処かへ出かける状況にもないし、昼食にカレーがいいとレトルトを3種買いにスーパーへ。客の少ない時間帯はどこか恥しい。「新宿」「銀座」「神田」と選び、好みは神田だった。夕食は一昨日届いたセリでしゃぶ鍋を食する。久々のフランス鴨も美味しい。


 2011年の放春花より①

2月18日(金)
 昨日のスピードスケート高木の金メダルは嬉しい。やはり努力は報われてほしい。図書館蔵書点検も終わり、あとは開館準備。ブログには新しい展示のことをPRする。午後からは高校の総合発表会を参観した。いろいろと思うことあり。ブログに吐き出してみた(笑)。帰宅後、消雪用の水を止める。明日は「雨水」だ。


2月19日(土)
 珍しく食パンを購入。コンビニの「贅沢」の2文字に惹かれ1枚90円程度を食してみた。それなりの味。眠りが浅いのでTVで五輪を見てもうつらうつら。録画していたEテレ「100分で名著」の金子みすゞ特集を見終わる。初実践から三十有余年。今でもあの複眼的視点は見事だなと感じる。「童謡」の衰退を考える。


2月20日(日)
 朝のうちに図書館ブログをアップ。火曜が「ねこの日」なので事前PRをする。それにしても「ねこ本」の多さには驚きだ。さて今日で五輪閉幕、ウクライナ報道と併行して進み、今までとは少し違う雰囲気がある。混沌とした世界という言い方は常套句だが、今まで以上に足元に気を配らなければと思う。身体もね。

今さら「総合」を語っても…

2022年02月19日 | 教育ノート
 昨年秋から何度か出向いた高校の、いわゆる「総合」の発表会があった。町の歴史をレクチャーしたが、自分にとって勉強になった点は多い。まあ、それより高校生の学びがどの程度だったかが肝心だろう。しかし短い発表であり何とも評価し難い。ただ、他グループを含め中身を概観し考えさせられたことがある。



 それは「総合的な活動の時間」そのものについてだ。現在の流れを知らぬまま書き散らそうと思ったのは、「総合」が始まった時代をリアルに覚えているからだ。その時間の創設を当初は批判的に見ていた。教科学習でできるという考えを持っていたのだ。しかし、担任を外れた自分が面白く取り組めたことも事実だ。


 小規模校に教頭で勤務した時に総合が始まった。その折はストレートに、「実態に即し」「児童の興味・関心」に照らし合わせた異学年コース別活動を行ったのだ。私は、「秋田弁・昔話」を担当した。当時はまだ手探り状態で「内容を明確に示せ」「福祉や国際理解は必須だ」等々様々な議論があったと記憶している。


 学んでいたネットワーク活動の実践家の影響もうけ、個人的には小学校では「ミニ総合」の繰り返しが一番効果的と考えるようになっていた。「テーマを決め、調べて、表現する」というユニットを、様々なジャンルで取り組ませ積み重ねれば有効に働くはずだ。活動スキルを身につけさせつつ、レベルを上げていく。


 発達段階に沿って、テーマを広げたり深めたりできるのではないか。こうしたことを小学校3年生から継続的に行えば、まとまった能力形成は可能だと…。この個人的な「絵に描いた餅」は、現状とあまりにかけ離れた気がする。今、高校生の発表を垣間見ただけだが、明確に言えるのは「問い」の連続性の薄さである。


 結局、大本である教育行政も揺らいでいるし、現場で指導する側の「総合」の捉え方がまちまちで、形骸化したといっていいだろう。総合の理念は、盛んに言われている「探求」から始まっているのに…。もし今自分が高校生を相手にするなら「一点突破!」。ポイントを絞りに絞って…あっ、また見果てぬ夢でした(笑)。


脱出できない寝床読書

2022年02月18日 | 読書
 長編を読む忍耐力がますます衰えたので、短編にしているが、それで分かるのが嗜好というか性癖というか。そこから脱け出せない?脱け出さない?のだろうなあ。




『1日10分のぜいたく』(あさのあつこ、他  双葉文庫)

 「NHK国際放送が選んだ日本の名作」のシリーズ三つ目。8人の作家が書いているが、既読の記憶がある作品が二つ。小川糸「バーバのかき氷」と沢木耕太郎「ピアノのある場所」だ。自分の感覚からすると覚えているだけで名作だ(笑)。その以外に重松清「おまじない」と高田郁「ムシヤシナイ」が印象的だ。作家の構想力とは短編でもさすがだなと感じる。「鮮やかな(もしくはぐんと重みがある)言動」が作品のピークをつくるが、その布石となる展開や会話に無駄がない。筋の強弱をはっきりさせていると言うべきか。あっと気づいたのは、挙げた4篇はいずれも子どもが視点人物か重要な役どころを担っているんだなあ、これが。マイキャリアから脱け出せないね。


『短編復活』(赤川次郎、他 集英社文庫)

 勢いづいて、ほぼ20年前の類書も注文してしまった。こちらは16人の作家による全500ページ超のアンソロジー。浅田次郎『角筈にて』、宮部みゆき『さよなら、キリハラさん』は既読の記憶があった。たぶん伊集院静の『蛍ぶくろ』も読んでいるのでは…。いずれも高名な文学賞を受賞している作家であり、収録されるには評価の高い作品だろうが、さすが16篇となると自分の好みが強くでるなあ。印象が強いのは、綾辻行人『特別料理』、坂東眞砂子『盛夏の毒』、唯川恵『青の使者』…こう挙げてみると、この三つはかなり毒々しい展開の大人の作品ばかりだ。やや怪奇性があると言ってもよい。こういう分野の好みがあることに、久しぶりに気づいた。

『明日やろう』は馬鹿野郎…か

2022年02月17日 | 読書
 結局斜め読みになってしまった。駄文と分かりつつ書き続けている自分には必要感が薄かったか。ただ、先日読んだ『傘のさし方がわからない』(岸田奈美)もそうだが、文章を量産している者には、それなりの秘訣があり、それを確かめたい気持ちがあった。この著者のスタイルは「手を替え品を替え」だな。


『書く習慣』
 (いしかわゆき クロスメディア・パブリッシング)


 目次の前に「お悩み診断チャート」があり、「書けない…」と思っている人がどの章を読めばいいかおススメしている。以前から見かける形式の一つだ。この章立てが書き続けるための要素である。曰く「書く『勇気』」「書く『習慣』」「書く『ネタ』」「書く『思考』」「書く『技術』」「書く『気持ち』」…普通だが…。




 この並びは優先順位だと思う。やはり「勇気」が肝心なのだ。そして踏み出し、歩き始めて少し心地良さなど感じたら、その段階で勇気は見えなくなる。そんなふうに「習慣(づくり)」も「ネタ(拾い)」も、併行的だがクリアしていくと、あまり負担に感じなくなるはずだ。「思考」や「技術」は個人差もあろうが…。


 だから、この本で一番重要な提言と感じたのは、次のフレーズ。「『明日やろう』は馬鹿野郎なのです。」思いついたら書いてしまえ、すぐにペンを持て(キーボードやスマホに向かえ)ということ。「そんなこと、意味があるの?」と考えてしまうのは駄目。意味はあるものではなく、生み出すものですから…。


 巻末に「『書く習慣』1ヶ月チャレンジ」と題したテーマ一覧、さらに「『書く習慣』をつくる52のコツまとめ」が8ページにわたりキーワード化されている。このうち5,6個モノにしたら書き続けられるだろう。書くことの惚け防止効果は証明されている…実はこれが高齢者の本音。そろそろ手書き割合を増やそう。

如月中旬日記

2022年02月16日 | 雑記帳
2月10日(木)
 通常週であれば勤務日ではないが、明日が祝日であり出勤する。来週に予定している蔵書点検の説明を聞き、午後から閉架の資料で慣れる意味で作業をスタートさせる。今日の分は「絵本」だが、題名や内容に気をとられると作業が疎かになる。集中してしかも手首を痛めないように(笑)バーコード読み取りに専念。


2月11日(金)
 朝のうち図書館ブログへ「建国記念の日」のことをアップ。さて今日は天気もよく、車庫の屋根の雪下ろしを予定通り行う。先週、端の部分を1メートルほど降ろしたのだが、そこから降雪の日が続き、その後に晴れて雪が締まり非常に重い。わずか2時間ほどだがヘトヘトとなる。昼に飲むノンアルビールが旨い。


2月12日(土)
 北京の冬季五輪。実際はどうなのかわからないが、競技や審判判定などの問題情報が頻繁に流れてきて、落ち着かない。スピードスケートのフライングなどもそんな目で見てしまう。勝負事のどこかが歪んでいる現状。アスリートたちはその渦中にいるが、個人の物語にするのは浅はかだ。五輪の構造をもっと見よ!


2月13日(日)
 県内のコロナ・オミクロン株流行が顕在化して一カ月以上。図書館も閲覧等禁止を始めて3週間経とうとしている。管内感染者も一定人数が毎日発表されている。こう長くなると気をつけたいのは変な慣れだ。新しい習慣でリフレッシュしたいと始めたのが「紅茶うがい」。健康オタクは目先を変えて、マンネリを防ぐ。


2月14日(月)
 今週は蔵書点検があり月曜から出勤。金曜まで臨時休館にして取り掛かる。最初から読み取りミスなどをしてやはり高齢者だと感じる(淋)。作業中、今週の読み聞かせの中止連絡が入る。残念。高学年だったのでせめて用意した資料だけは届けようと思う。どうにも欲求不満が募る。家族や同僚からチョコ。有難し。


2月15日(火)
 点検は「郷土」コーナーを作業していて、改めてこんな本があったのかと感心する。初見の資料も多い。合間に「羽後の子ども」詩作品紹介の準備をする。16時、久々に孫を迎えにこども園へ。帰宅後、女子スケートパシュート決勝をTV観戦。転倒に思わず「あっ」と声が出た。CFで応援した三関セリセットが届く。


 CF(クラウドファンディング)のおまけ?