すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

睦月、湿った雪が降りました

2019年01月31日 | 雑記帳
 昨年後半から連呼される「平成最後の」という響きは、誰も体験したことがないはずなのに(それゆえか)商戦に利用されたり、自己アピールを強めたり輩がいるので、何だか胸やけがするようだ。あと三ヶ月、そんなことが益々色濃くなるのだろうか。改元を大事と思うなら、どんな括り方をするか真剣に考えよ。


 暖冬の予想は外れたと言っていいのか、積雪量は昨年並みだが他地区に比べるとずいぶん高い気がする。今冬の特徴は湿雪だ。周期的に雨も繰り返すし重い雪のせいで、今まで耐えてきた花水木の枝が何本か折れてしまった。予報を見ながらこまめに雪下ろし、排雪もしたが、やはり負担となって痛みを呼びおこした。


 身体の痛みであればその都度対処するが、心痛む出来事が多すぎる。インフルエンザ感染や火災による死亡事故、児童虐待、そして辺野古問題、厚生省統計不正等…通常国会でかの御仁が原稿を見ずに演説できたのは、「皆さん、共に~~しようではありませんか」の繰り返しだったという空虚さ。真剣に向き合えない。


 橋本治が亡くなった。著書は数冊しか読んでいないし、いい読者とは言えなかったが、連載コラムの刺激的な言葉にはずいぶんと刺激を受けた。何度もここで書いている。最近で印象深いのは「平成の三十年は不思議な時間だ。多くの人があまり年を取らない」という一言。大人にならないようにさせられた時代か。


 それが消費経済を支える秘訣なのか。いつまでも若く健康的に過ごすことは文句ないように見えるが、疑うべき裏面もある。「文化的雪かき」という名言は村上春樹だったか。本物の雪かきも単純ではない。湿雪の重さは人間を疲れさせる。しかし自然・文化を問わず、無駄に見えても今出来ることはやらねばならない。

図書館にいつも居ること

2019年01月30日 | 読書
 先日、懐かしい映画『Love Letter』をBSで放送していたので観た。この頃の中山美穂は魅力的だなあ、岩井俊二の作品らしいなあと思いつつ鑑賞した。図書室のシーンが印象深く中学生役の酒井美紀、柏原崇がハマっていた。図書室、図書館という場所が放つ空気感は、人間を成長させるにふさわしい。


2019読了11
 『図書館の神様』(瀬尾まいこ ちくま文庫)


 初めて読む作家。さらりとしていて読みやすかった。描写や人物の言葉が自然であり、劇的な展開とは言えないけれど読み手の心にすうっと入る印象。だから、読み終わった後に心に残る場面はそれぞれ違うのではないか。ただ、高校教師の主人公が顧問をする文芸部の、唯一の部員垣内君の格好良さは皆頷くだろう。


 体育系でバレー部の顧問をしたかった主人公は、垣内君へ文芸部のつまらなさを嘆く。しかし彼はきっぱりこう言う。「バレー部のほうが、毎日同じことの繰り返しじゃないですか。文芸部は何一つ同じことをしていない。僕は毎日違う言葉をはぐくんでいる」…唯一の部員が持つ矜持とも言うべきか。内省する男だ。


 垣内君のクライマックスは、全校生徒を前にした発表だ。用意された原稿を壇上で仕舞い、文学の素晴らしさを堂々と語る。三年間、図書室で幸せに過ごした時間をこんなふうに結ぶ。「マゼランは船で、ライト兄弟は飛行機で新しい世界に飛んでいく。僕は本を開いてそれをする」…こんな表現を培ったのは図書館だ。


 他に短編が一つ収められている。表題作と共通するのは主人公女性が「頭痛もち」で、対役として少し風変わりな男性が登場すること。その二つの要素で広がる風景はなんとなく浮かぶ。映画に出来そうな話と検索したら、かつて石原さとみ主演で映画化が進み、途中で頓挫したという情報が載っていた。観てみたい。

この玄笑に耐えられるか

2019年01月29日 | 読書
 「〇笑」という熟語は「微笑」「爆笑」「苦笑」等よく使う。それ以外にも「嘲笑」「失笑」「談笑」あたりは時々か。「憫笑」「朗笑」「哄笑」など意味は想像できるがあまり見かけない。そしてこの本の題名「玄笑」となると…実は辞書にもないので、作家の造語と思われる。でも意味はわかるなあ。「くろい」ってことだ。


2019読了10
 『玄笑地帯』(筒井康隆 新潮社)


 作家の全集発行に合わせた「月報」として書かれたエッセイを集約した一冊。80年代出版である。しかし検索すると結構多くの人が取り上げている。十代の頃の少ない読書遍歴で、かなり大きな位置を占めるこの作家に、自分が影響を受けてきた理由がなんとなく分った。つまり支離滅裂のようだがシニカルであり…。


 このエッセイ集は「分量一定、改行なし」の全24編。帯に推薦文を寄せた山下洋輔は「ぶっちぎりの即興演奏」と表現するようにJAZZのイメージがある。メロディラインは複雑でリズムが激しく刻まれる…それでいて、時々はっとする美しさも垣間見える。また、引用中心だが「尾川君からの手紙」の2編は秀逸だ。


 「今、部屋の中へ白衣を着た男たちが入」でずばっと終わる章に、JAZZの醍醐味(笑)を感じた。途中からそれぞれの章の書き出しに接続詞(的な文も含む)が使われていて、これもまたパフォーマンスが効いている。「とはいうものの」「さりながら」「あるいはまた」「なにはともあれ」…もちろん同じ書き出しは一つもない。


 中身より筒井康隆の語り口を読む一冊。従って今読めば80年代の熟成された味がする。さし絵の山藤章二は、時代の時めく条件の一つとして「衆愚に対する強烈な差別意識と毒性」を挙げ、筒井を評価している。表面上の「悪や毒や闇」を排除してきたこの国で「健康的」になった人間たちは、この玄笑に耐えられるか。

初場所に知る明暗の教え

2019年01月28日 | 雑記帳
 ずばり一言で言い表せば「明暗が分かれた、明暗がはっきりした」初場所だった。力士同士の勝敗や活躍の比較なら、それは毎場所そう言えるわけだが、今場所は力士個々を見ても、それが15日間でくっきり見えるような気がした。全体を通しての「明」が玉鷲であったことは誰の目にも明らかで、個人的にも嬉しい。


 大相撲ファンなら周知のように、玉鷲は朗らかにインタビューを受ける。その快活な姿が印象的で、逆に優勝時のたどたどしさが新鮮だった。大きな故障をせず連続出場をしていることは本当に素晴らしく、その功績が幕内最高優勝として実った。そしてその「明」を取り巻くようにあった、他の力士個々の「明暗」


 「暗」のみとも言える横綱、大関は当然、前半連勝を続けた碧山、魁聖、阿武桜などの中盤からの失速、そして千代の国の休場は「明→暗」グループだった。朝乃山・大栄翔などは「暗→明」ということになるか。明暗目まぐるしかったのは御嶽海。そして、明で括りたい場所の千秋楽に、暗を呼び込んだのが貴景勝だ。


 相撲というのは一瞬の手足が勝敗を決め、行く手(未来という大きな意味でも)に大きな影響を与える。貴景勝が豪栄道に敗れた取組だけでなく、物言いがついた白鵬×錦木戦なども軍配通りであれば、様々な明暗が違ってきただろうと予測する。ところで「明暗」で唐突に思い出すのが虚無僧。昔の時代劇でよく見た。


 あの明暗とは何か。調べると京都東福寺の明暗協会の所属を表しているらしい。ただ、明暗の基になるその教えが意味深い。「明頭来也明頭打 暗頭来也暗頭打」(賢い頭が来たならば、賢い頭を打ってやれ 愚かな頭が来たならば、愚かな頭を打ってやれ)。つまり「いい時も悪い時も」という平常心か。まさに人生を知る。

命をことほぐもので…

2019年01月27日 | 雑記帳
 一週間前に県知事の話を聞く機会があった。少し明るい?話題として「自殺率」の全国ワーストが改善されたことを挙げられた。前日に新聞報道された件である。こうした相対的データは大喜びできる類ではないが、関係各位の尽力が報われた面は確かにあり、その意味で評価できよう。継続的に考えていくべき課題だ。


 さて、新聞記事を見た時何気なく、では全国ワーストはどこなのと表で探してみたら、山梨県ということがわかった。山梨というとこんな記事があるほど、地理的に目立たない?場所であり、秋田に似てなくもないかなと思った。ただ、以前読んだ記事で山梨は「健康寿命」で話題になっていたような…と思い出した。


 検索したら「山梨はなぜ健康寿命が長いか」というサイトもあるし、様々なメディアで取り上げられていることがわかった。それなのに自殺率ワーストとは…と、揶揄するつもりで書いているわけではない。そこにもし因果関係があるとすれば、健康寿命を伸ばそうと頑張る本県や町の施策に配慮も必要かと思うからだ。


 正月過ぎだったが、妙に頭に残ったブログ記事があった。それは、さくら社の横山社長が日経新聞記事を元に書かれた「30年後の死亡原因1位に驚きました」である。なんと「自殺」。自分はその頃は逝っているのだろうが、娘や孫、若い知り合いが暮らす世の中はそうなっているのかなと少し考えざるを得なかった。


 穿った見方をすれば、健康寿命を持つ人間だから、自らの生死の選択ができるとも言える。そう言えば昨年著名な評論家が自殺し、後に知人が自殺幇助の手助けをした罪を問われ話題になった。その例をどう考えるべきか、悩みはつきない。ただ「寿命」とは運命であっても「命をことほぐ」ものでありたいとは思う。

鈍らせてはいけない「遅いシステム」

2019年01月26日 | 読書
 常套句のように「スピード感を持って」という言葉が使われ出してもうかなり経つような気がする。

 ネットの普及とともに早い・速いの価値はごく普通になってしまったが、少し立ち止まって考えれば、誰しもがその危うさに怯えを感じるのではないか。

 今朝画面で見た情報を、自分はどんなふうに受け入れているのだろうか。


Volume.140
 「私たちの脳は二つのシステムでできていて、ひとつが論理的に考える『遅いシステム』、もうひとつは論理的に考えず、感情で動く『速いシステム』です。前者は使っていないと鈍りやすい上に、すごくエネルギーも使うので、普段はあまり使いません。」


 「人はなぜ嘘をつくのか」をテーマにノンフィクションライター福田ますみと対談した、脳科学者中野信子の言葉。


 教育現場に起こったセンセーショナルな事件等を書いてきた福田は、取材者たちの語る嘘や現実に驚きながら、脳科学や精神科学からの見方を中野に対して訊いている。

 未読であるが『サイコパス』というロングセラーの新書の著書である中野は、それを本人の心理状況、そして巻き込まれやすい周囲の分析など絡めながら、脳の特性を語っている。

 例えばと出されたのが、米国のトランプ大統領。「言っていることは滅茶苦茶ですが『速いシステム』に訴えるのが上手なんですね」という。
 そして、結果的にその支持層が労働者階級以外まで拡がったことに対して、実際の判断が「速いシステム」なのに、後付けとして「遅いシステム」を使うことに危機感を募らせている。

 自分は理性で判断していると思い込みがちなのはインテリ層に多いらしい。
 心の中にあるモチベーションや使命感に対して、感情的に働きかけられて取り込まれる危険性が少なくない。


 目の前の事象に対して「ちょっと待てよ」と遅いシステムを起動させる習慣もつけておく必要がある。
 鈍らせていけないのは、そちらの方なのだ。


 「サイコパス」(反社会性人格障害)に関するデータ、特に生存戦略などは実に興味深いがこれは新書を手に取ってから再び考えよう。

三つぐらいは語れることを

2019年01月25日 | 読書
 「誰にも『それさえあれば』というもののひとつやふたつはあるような気がする

 作家は「あとがき」に海音寺潮五郎の時代小説『酒と女と槍と』を少年時代に読んだと記し、その記憶をコラム集の書名に結びつけた。話の主人公だけでなく誰しもが持てる三つの言葉、いやテーマ。自分にはあるか。…ここで明かして平凡さを披露しなくともよい。ただ、三つぐらいはいつも語れるようでありたい。


2019読了9
 『シネマと書店とスタジアム』(沢木耕太郎 新潮文庫)



 パッとわかる題名だ。90年代から00年代にかけて新聞に連載された映画評論書評そしてスポーツコラムがまとめられている。その筆力は十分に感じつつも、やはり観ていない映画評はキツイなあと思っていたら、スポーツに移ったとたんにぐいぐいと惹かれてしまった。最近あまり目にしていないからか刺激的だった。


 懐かしい長野冬季五輪。沢木はその一日目の開会式を鋭く突いた。選手の入場行進に対する拍手の少なさを「観客の抵抗だったのではないか」と批判する。TV映像のための演出に終始した担当者たちに対して示した拒否感が、無反応・無感動を生んだと断じた。自分も含めてTV視聴者はそれには気づかなかった。


 伝説とも言えるあの男子スキージャンプも、間近で捉えた競技の独特さに焦点をあてつつ、原田雅彦へのインタビューの洞察など読みどころがあった。ドラマを見返すように蘇ってくるようだった。沢木の次の見解は、最近の横綱引退と重ねても深く頷ける。「日本人は、原田のような、弱さを含んだ強さを好むのだ。


 2002サッカーWカップ。日韓共催だったよなあ、と感慨深い。そこで渦巻いた日韓双方の結果に対する温度差を思い返す時、それはサッカーに限らず「負けることによって失う経験」の落差が大きいのだと知る。スポーツならいいが、現実の外交問題ではどんなふうに駆け引きするかを、もっと冷静に判断しなければ。

こんなはずじゃなかったと思う貴方へ

2019年01月24日 | 雑記帳
 「こんなはずじゃなかった」の「はず」って何だろう。

 また、どうでもいい事を思い浮かべてしまった。
 最近、録画していた『海よりもまだ深く』を観たので、そのなかで情けない男を演じた阿部寛の台詞だったのだろうか。

 「はず」は、相撲で言えば「はず押し」というように、手を開いて胸や脇などを押すときに使われるが、他にはあったかなあと電子辞書を見る。


 最初に出てくるのは「弓の両端にあって弦をかける部分(弓筈)」。
 次に矢の方で「矢の末端で弓の弦につがえる部分(矢筈)」だ。遠い昔、弓道部員だったがそう言えば使っていたような…。

 そして「弓の弦と矢筈が合うのは当然であることから」、ふだん私たちが口にする用法になったという。電子辞書には詳しい順に「精選日本国語大辞典」「広辞苑」「明鏡国語辞典」が入っているのだが、今回は明鏡が一番詳しかった。


 「~~はずだ」「~~のはずだ」の形で、と示されて次の分類がある。

(ア)ある道理や事情などから必然的に結論が導きだされる意を表す。また、その結論がそれらに基づく根拠ある推定である意を表す。例「飛行機なら二時間で着くはずだ」等

(イ)現実が必然的結論と食い違っていることに対する不審の念を表す。例「いつもだと連絡してくるはずだが」等

(ウ)事の真相を知って、現実が当然の季節として成立していることを納得する意を表す。例「それもそのはず。彼はもう60ですからね」等


 また、「~~はずがない」の形で、と示されたのは
 ・その理由や根拠がない意から、ある事柄を強く否定する。例「彼がそんなことを言うはずがない」等

 そして、「~~はずではなかった」の形で、と示されたのは
 ・予想に反した事柄が起こったことを表す。例「こんなはずではなかった」

 ずいぶんと詳しい。「はず」の意味というより、運用に近い。

 しかし「はず、とは何か」を訊かれて、すばっと答えられる記述ではないなあ。こんなはずではなかった(笑)。


 では、と書棚から三省堂のコンパクトな二つ「新明解」と「現代新国語」を取り出して、引いてみる。

 新明解は明鏡に近い書き方をしている。

 現代新国語が分かりやすい。

 ①当然そうなるわけ・道理であること
 ②そうなることについての確信をあらわす
 ③そうなるべき予定をあらわす


 不審や否定の感情を伴う言い回しは、運用上に生じてくることであり、ここではずばりと言い切れることが書いてある。


 「はず」とは「道理・確信・予定」のことである。

 生きていくうえで大事なことと改めて思う。


 ところで、なぜ「筈」なのか。
 「竹」かんむりは弓との関係でわかる。
 「舌」は「くぼみ」を表している。

 何事もくぼみにしっかりはめることが大切である、と教訓的?に結んでみました。

コトバアンテナ全開すれば

2019年01月23日 | 読書
 「木の上に鳥がいる。さて鳥はどこに?

 文章から考えられる鳥の位置は「①木の上空 ②木のてっぺん ③木の枝」だが、そう質問された人は十人が十人「③木の枝」と答えるらしい。
 普通の感覚からすれば、まったくその通りだ。

 考えられる状況は多いのに、一般的にはほぼ間違いなく特定の状況に限定される。それは慣習や刷り込まれたイメージが影響しているのか。

 つくづく日本語は難しい。
 笑っている場合ではないよ、とこの本を読んで思った(わけではない)。


2019読了8
 『もっと声に出して笑える日本語』(立川談四楼 光文社知恵の森文庫)


 既読感はあったが、もう手元にないので古本屋で求めた。改めて検索したら9年前に読んでいた。その時は、いわば「ネタ満載」の内容という紹介だった。今回も改めて笑らわせてもらったが、上に挙げたような日本語の不思議や著名人の名言など他の章も心に残った。コトバアンテナを全開している落語家だと思う。


 ほぼ日で出している『言いまつがい』と共通している部分も多い。同音の言葉を使った言い換え(変換ミスなども)は、くすっと笑えて面白い。「だいたいコツがつかめると思います →大腿骨がつかめると思います」「地区陸上大会→チクリ苦情大会」「うちの子は耳下腺炎でした →うちの子は時価千円でした」などね。


 10年ほど前の本なので、こんな記述も…「涙がでるほどつらくて、厳しくて、うれしい――三浦雄一郎。 75歳で二度目のエベレスト登頂を成し遂げました」。矛盾する感情表現も、極限で戦う男の声なら心に響く。86歳の今回は無念のドクターストップ。つらい時には「落語を聞く」という冒険家、今は何を耳にするか。

豪風、土俵を去る

2019年01月22日 | 雑記帳
 正直、やはり駄目か…と思った。

 大相撲力士豪風の引退が発表された。
 先々場所あたりからの取組を見ていると、正直限界かもしれないという思いが強かった。
 地元新聞へのコメントには、連日弱音を吐かず、自分を奮い立たせようとしている様子が読み取れた。
 残念だけれど、本当に心から「お疲れ様」と声をかけてあげたい。

 何度かここにも書いたように、本県出身という点だけでなく、面白み・ユニークさのある関取だったと思う。

 
 しかし何はともあれ、肩を並べて一緒に歩いたという記憶が大きい。
 2010年9月29日だった。

 →「力士、来校する」
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/fe243cd0fc12f5585e7ed2ff01a77817


 二度の国技館見学でも注目した。その人気の高さも実感できたいい機会だった。
 コミュニケーション能力の高さが、民放などでユニークなコーナーを持つことにも通じたと思う。

 →「豪さん、散歩おわりましたよ」
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/ffd8b6a47114d4bc111fc9e316736242


 長く関取を勤められた理由を、端的な形で示した一冊の本に出合ったことも印象深い。
 そこで語られていることは、最近読んだ棋士羽生善治の言葉に似ていると気づいた。

 →「何度も仕切って進化する」
 https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/9f3f7c8bbe0c144f838852f3d01d3ad5


 今後、大相撲中継で解説などする機会もあるのではないか。
 一味違う相撲の見方など語ってくれることを期待したい。