すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「参」を叶えるために

2023年12月31日 | 雑記帳
 体調が今ひとつのまま、年の暮れを迎えることになった。しかも夫婦揃って…。もちろん酷い状態ではないが、健康体であることが普通とは言えなくなっているのも確かだ。何かを諦めたりする日常を強く意識しないにはしろ、徐々に実感しているのも確かだ。意外と線引きしたい性質なので見極めが肝心かもしれない。


 さて、年初めに決めたモットーの一字は「参」であった。くどくど書いていることを今さら読み返すと、「三つ目を手にする」ことが評価ポイント(笑)のようだ。つまりは何か新しいことに取り組めたろうか。仕事絡みでいえば、前年から準備した「子育て講演会」。それに新企画「大人のための読み聞かせ」が浮かぶ。


 また絵本ライブで講師の宮西達也氏と多くの時間を共にしたことも忘れられない、私的な動きとして、野口芳宏先生に要請された研修会を周りの協力を得ながら実施できたことも「参」と捉えていいだろう。先生から、要項の拙文を「格調高く、これを見本として今後の会を…」と褒めていただいた一言は忘れられない。





 頭の隅で思っていた些事があり、そのために今まで綴った様々な文章を見直した。しかしいつもの癖で「読み出す」と止まらない。記録が記憶を呼び戻すことは珍しくはない。ただ、今までじっくり時間をかけた経験はない。そんな時、たまたま昔の集録を所望された元同僚がいて、送ったら喜んでもらい嬉しかった。


 結局、何か「三つ目」は手にしたか。出来た、とも言え、叶わず、とも思う。コロナは沈静化したが世間は常に何かの感染を怖れているような風潮があり、心的疾患に罹っている人の話をあちこちで聞く。所詮小さく弱い存在と諦念できなければ、細やかな喜びや楽しみを明日の糧にすることは難しいと今さら知る。


 今年はかなり緩んだ書き方になってしまいました。
 それでも呆れず、いや呆れつつ訪問してくださった方々には感謝です。
 来る年が多くの方にとって良き年でありますように…


今年の絵本読みは…

2023年12月30日 | 絵本
 今年一年で印象的な絵本を挙げてみるとすれば、まず昨年末に見つけたこの一冊は入る。「まっくろいたちのレストラン」…「恋の絵本」と題されたシリーズだ。展開そのものはありがちだが、冒頭の入り方から細かい点がよく練られている気がした。読んでいて心地よく、そして少し切なく心が動くところが良い。


 次は5月に読んだ「てんてんきょうだい」。内容としては、ひらがなの濁点の学習にぴたりと当てはまる。しかし、それ以上の兄弟のやりとりの台詞を、濁点を効果的に使うことで楽しい作品になった。一年生は、これはもう吸い付けられるような雰囲気で向かえてくれた。シンプルな図柄、最後のオチも決まっていた。


 『2ひきのカエル』は楽しく読めた。PPT化する時に、大判なものだから全文を書き写して調整した。何より写実的な絵が迫力満点だし、双方のカエルの個性が語り口で際立っている。英国製(笑)だけれど、まさに落語調。日本的なオチとはまた違った、納得の収め方をする。新美南吉の同名書と一緒に読みたかった。


 田島征三の『つかまえた』も印象深い。独特のタッチが子どもたちに与えるインパクトは強いと感じた。名作『なまえのないねこ』ネコを扱った数々の作品のなかでも読み応えがあった。「名づけ」について再び思いを巡らせることもできた。こども園でいくつか読んだロングセラー本はみんなそれなりの「力」があった。





 12月に見つけた『ふゆのはなさいた』。こども園には合うだろうと選び、練習中だ。なかなか魅力的だったので、同じ作者をたどっていったら『星につたえて』という一冊を見つけた。久々に「読みたい」気持ちが高まってきた。「ことば」…伝えるべきことは何か、伝える本質とは何か。シンプルな響きが心地よい。



参参参(41)その先にある無私

2023年12月27日 | 読書
 ほんのちょっとだけだが、落ち着いて本と過ごせた時間を持てたかな。
 ぼやっと読んでいるときは、いい風が吹いている。


『獣の夜』(森絵都  朝日新聞出版)

 著者の短編集はハズレがない、と思っていた。ただこの一冊は少しキレがわるいような印象だ。鮮やかさのような感覚はやはり年齢とともに、変貌していくのかな。共通しているのは「自由」への意志のように見える。それはおそらく今までもそうだったか。誰しもが何かに縛られている日常を何かを手がかりに解き放ちたいと潜在的に考えているはずで、共感はそこへ向かう。『ポコ』という3ページの掌編は掴みきれない。『あした天気に』は「テルテル坊主」をこの時代に登場させたセンスに驚く。やはりさすがだ。





『木を植えた人』(ジャン・ジオノ 原みち子・訳 こぐま社)

 「木を植えるような営み」といったとき、それは息の長い、遠い将来の結実を目指すことに喩えられているだろう。世の中には、そんな仕事や活動に取り組む人が時々メディアで取り上げられたりもする。むろん、注目されないまま、いやそこから避けるがごとく密やかに働き続ける人も多いのではないか。「利他」という語はもはや流行り言葉の域に入っている気もするが、ここで思い浮かぶのは「無私」である。木を植えた先にある風景を思い描いてはいるが、そこにけして自分の姿はない、ひたすらに思う心のみによって身体が動く…行為レベルの最高峰か。


『僕の人生には事件が起きない』(岩井勇気  新潮社)

 話題になったのは最近かと思いきや、もう4年も前だった。芸人本としてはこの逆説的なタイトル、そしてほとんどそのままの中味は、ある意味確かにユニークだ。そもそも多くの人に「事件」は起きない。その事実を事件らしく語るネタ主義蔓延批判は納得できる。ただそれを前提にエッセイ作品に仕上げるには、正直そこまでの筆力はない気がする。それを編集者が面白いと取り上げるのは、レギュラーバラエティで時折見せる自分自身への関心・興味の薄さなのかな…つまりこだわりなく話題転換、変換ができる軽さのような感覚…これは「無私」に近いかもしれない(しかし限りなく遠いようにも思う)。

今年の暮れの一歩手前で

2023年12月26日 | 雑記帳
 水曜日、Goegleアプリの翻訳を何年振りかに使った。本格的に文書を作ったのは初めての気がする。イベントに招いた講師のお一人が米国から来た方で礼状をしたためた。もう一方は日本人であり、その方への文章をそのまま翻訳で操作したら、3回修正程度で結構納得できる文章になった。サクサク仕事を進めよう。


 少し体調が芳しくない。身体のアチコチにミニカイロを貼ってみた。血流を促進させるポイントの存在は健康オタクを自認する者として知っている。「風門」「大椎」「丹田」…こうした箇所は見逃せない。それで自浄作用が働くか、回復力が増すか。これはこの後時間が経たないと、定かではないだろう。じっと待つ。





 効果空しく水曜夕刻にはダウンした。孫二人の在宅日だが寄せ付けず、夕食も摂らずひたすら寝る。熱はないが喉の痛みがひどく寝付かれない。それでも翌朝は結構すっきりし、珈琲を飲み、食べられる正常に近い状態になった。ところが昼過ぎから急降下のような形でぶり返す。とにかく喉から水も入れられない。


 かかりつけ医は木曜午後閉院なので行けず、やむを得ず翌朝とする。そこからは喉痛に加え、咳と痰の波状攻撃、時折寒気。不思議に熱が上がらない。だらだら横になっているしかないが、夢うつつで正味睡眠時間は4時間ほどか。朝一で診てもらい、咽頭炎で薬4種。一日3回投薬の度に少しずつ回復の兆しあり。


 日曜日、どうにか年賀状デザイン作業ができるまでにはなった。数年続けて「孫」中心なので比較的苦労せず完成させた。今年はクリスマスイブの有馬記念。熟考する調子には戻ってないが、こうと決めていた一頭がいる。ドゥ・デュース(武豊騎乗)。力は抜けているはずだ。見事にグランプリとなったが、馬券はヒモ外れ(笑)。


 火曜日、年末を締め括るはずの読み聞かせは自重する。年内に仕上げたい事務的な仕事に専念できるように、喉を労わろう。関係団体でスケートへ行くイベントがあり、出発式の挨拶は少しトーン低めでこなした。そして5日ぶりの出勤。朝の挨拶もそこそこに掛けられた一言。「館長、事務室のエアコンが故障しました。」

参参参(38&39&40)乱読の極み

2023年12月16日 | 読書
 ひと月以上、メモを残せずに棚や机の上に寝かせられていた本たち。
 雑な読み方、粗末な扱い…「参」と名づけた意味を、年の大詰めになって思い起こせ。


『人口減少社会の未来学』(内田樹編  文春文庫)
 11名の論考。井上智洋という経済学者の「頭脳資本主義の到来」が心に残った。今はAIによる第四次産業革命が始まっているが、まだ自分は第三次の中であたふたしている。


『たいのおすそ分け』(林家たい平  主婦と生活社)
 再読。17年前の連載エッセイ。落語家の書く文章は軽妙洒脱というイメージがあるが、たい平のそれは真面目が強い気がする。いい声、技術をもっているから一皮むけてほしい。




『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎)
 再読。2000年代中盤から終盤の世相を漫画で描く。発刊は2011年。現代社会を見つめる彼女の眼はどこまでも俯瞰的であり、多重的であり、その展開には改めて恐れ入る。


『先達に学ぶ 野口芳宏第二著作集13巻』(明治図書)
 11月下旬の会で師匠と話したある事を確かめたくて開いた。徐々に姿を消す一徹な職人の聞き書きが貴重だ。さらに「立ち合い授業」の討論の記録など読み出すと止まらなかった。


『なれのはて』(加藤シゲアキ 講談社)
 秋田が舞台であり興味を持ちつつ読む。素材、展開はやはり面白い。直木賞候補になるのも頷ける。ただ、あまりに詳細な叙述をどうみるか。全て伏線になり得たのか、個人的には分かりづらかった。




『ご機嫌の法則100』(伊藤 守  ディスカバー21)
 90年代後半にはよくこの手の本が出版された。結局、言われ続けている内容とあまり変わるわけがない。何度繰り返されても、分からない人は分からない。残るものだけが残る。それで楽しめ!!


『脳にいいことだけをやりなさい!』(M・シャイモフ 茂木健一郎訳 三笠書房)
 上の著を、脳科学的知見で味付けすればこうなるかなあという一冊でしょう。持ってはいけない二つの「神話」があるという。「いつか神話」「もっと神話」。なるほどね。


『私の好きな孤独』(長田弘  潮文庫)
 ここ数年でぐっと沁みるようになった詩人。このエッセイは内容が外国篇が多いので少し捉えきれなかった。ただ、それでもメモしておきたい(せざるを得ない)文章が多かった。今年中に…


『氣の呼吸法』(藤平光一  幻冬舎文庫)
 一年に二度ほどは呼吸関係の本は読むようにしている。書かれている内容は同一でないことが多いが、根底にあるのは「ゆるやかな流れ」を意識することだ。意外に身につきつつある。

別れの予感のから騒ぎ

2023年12月14日 | 雑記帳
 目覚めた後、寝床の中で朝刊を開くのが習慣の一つだ。いつものようにめくりながら、一応「今日の運勢」もチェックする。良い場合もそうでない時もほとんど忘れて一日を過ごすのが常だが、今日の文言はちょっと響く。「別れの予感。それがいっときか永遠かは不明」…なんだこれは。3月生まれの読者よ、どうする。


 今日は雪予報もあるし出かける業務もないので、車を使わず徒歩通勤。途中、ご近所の方お二人と「降らないでええんしな」と朝の挨拶をする。この時間帯だと車も人もあまり通らず、事故に遭う可能性は少ないなと自らの「別れの予感」(笑)を若干気にする。職場に着き、今日の仕事を確認。明日以降の準備が主だ。


 TVで寺社のすす払いの話題が出ていたので、館内の「年末年始特集」展示をブログで紹介する。その後明日のPPT確認などをしていたら、読み聞かせグループの方が見えて、来年度計画の相談をされる。期日を聞き、会場の仮押さえをする。来年のカレンダーを準備しないと仕事が捗らない。今年とのお別れか。




 昼食後は、明日学校で配る絵本資料を作成。去年の分を手直しする。その後、館内に西木正明氏の本が展示されていることに気づく。今月5日に亡くなった本県出身の直木賞作家。新書でエッセイは読んだが作品には馴染みがない。しかし郷土の作家なので図書館としてはふれたい。別れが既に来ていたという話か。


 4時半に退勤。家に着くと注文した中古DVDが届いている。動画配信サービスには縁がなく、どうしても観たい映画だったので、久しぶりに購入した。DVDをプロジェクタにつなぎたいので、数か月ぶりにダイナブックPCに電源を入れる。しかしうまく作動せず、いよいよ寿命と思う。そうかこれが別れであったか。


 と、そんなことを夕食時に喋ったら、「夜の12時までわからない」と不気味なことを呟く同居人。確かにそうだ。食事を終え録画したドラマを観ていたら、珍しくいつの間にか寝落ちして目覚めたら一日が…。「ONE DAY 聖夜のから騒ぎ」という題だったな。まだ10日早いが「から騒ぎ」した一日と一人苦笑する。

師走上旬、なれのはて

2023年12月10日 | 雑記帳
12月4日(月)
 借りてきた小説『なれのはて』を少しずつ読み進める。秋田が舞台なので親近感はわく。どんな展開か。昼食は久しぶりのカップ焼きそば。保存食入れ替えデーを時々持たなくては…。午後から久しぶりの小学校読み聞かせ。5年生相手これも久しぶりの講談絵本『宮本武蔵』。噛んでしまった箇所が4つ。悔しい。


12月5日(火)
 午前はもとにしこども園へ。大型絵本をちょうど今読んでいる子がいて、若干集中をきらしている。『みんなのおすし』の食いつきが予想通りに良い。今年、まだ訪問していない小学校へ電話し、来週の読み聞かせに入れてもらう。考えて準備したい。ふと昔の研究紀要を読み出し、「当事者」としての歴史を思い出す。





12月6日(水)
 今日はみわこども園。年中組であり、やはり幼さを感じる。絵本はたいてい「4才以上」と記されているが、実際には1~2歳の差は大きいかもしれない。それでも芯は「声を届ける」だ。先週アップしてブログに期日間違いがあり、職員から知らされる。うっかりにご用心の年頃だ。こども園読み聞かせをまとめる。


12月7日(木)
 午前勤務。もう次回の読み聞かせの準備をするために、絵本を選びスキャンをかけたりする。「羽後の伝説」もこの頃ブログアップしていないので、準備を進める。忘年会シーズンに入ったので、久しぶりに孫と風呂、夕食…騒動である。これも傍からみれば「幸せ」ということ。目まぐるしさのはての静寂、平穏かな。


12月8日(金)
 今日も半日勤務。以前、クリスマスの時期用にと作っていたPPTを忘れ、もう一度手を付けた自分に後から気づき、再びの「うっかり」にがっかり。しかし気づいただけでもいいか。秋から進めていた電気温水器交換を業者と詰める。結構な金額になるものだ。滋賀から送られてきた「トンちゃん焼き」を夕食で頂く。


12月9日(土)
 土日連続イベントの初日。図書館でこんな企画も珍しいがそれなりに集まり好評だった。録画していたNHKクローズアップ現代を見る。「特活」が外国で注目されているという話題。かつての実践あれこれを思い出す。久しぶりにバスケの放送を見る。スターがいる華やかさ、それを食い止める作戦の妙が面白かった。


12月10日(日)
 朝の目覚めは大谷の移籍決定ニュースから…予想通りだ。やはり世界一を目指してほしい。午前中は今日も引き続きイベント。結構時間が伸びてお昼を越えた。午後からのんべんだらりと過ごす。そんなに動いたわけではないが、完全休養日なしの7日間は少し目まぐるしい。まだ『なれのはて』を読み終えていない。


初冬の絵本覚え書き

2023年12月07日 | 絵本
 先月はこども園だけの読み聞かせとなってしまった。
 いずれも良い本だったが、印象深い2冊をメモしておこう。


『おばあさんのすぷーん』

 この50年も昔に発刊された絵本を、平成最後の年に生まれた子たちもしっかり見いり、聴き入ってくれた。今の本にはあまりない独特の画風だし、リズミックな文体も子どもたちを引きつけると言ってよいだろう「でぶちん」や「やせっぽ」も今は使われない語だが、ニュアンスで理解できるので笑顔になっていく。



 ねずみたちがスプーンとともに遊びながら、持ち主のおばあさんの家へ飛び込んでいくストーリーは、禍転じて福となすという安定的な見方ができる。最終場面「カラスが見ている」ことに誰しも注目するが、その「部外者」をどう捉えるか。自分なりの解釈を考えてみるのも面白い。心理テストになるかもしれない。



『みんなのおすし』

  読み聞かせグループのお一人が絶賛していた。寿司屋のカウンターを舞台に展開するこの一冊は仕掛け絵本の良さを生かしている。食べる場面のインパクトをより強調される。登場してくるお客の順番は普通の会社員から始まり、実際と架空が入り混じり、聴き手のテンションはページをめくるごとに上がっていく




 そしておっと思わせる最終場面が面白い。職人がネコであり、最後の客がネズミたち。ネズミたちはネタを模した衣装をまとっている。さあ、どうなったか。それは最後の「返し」の部分の絵で想像できる。こども園相手であれば、ここは安心のオチでよかったと思う。「みんなのおすし」という平凡さは考えれば深いか。

読み返すべき人を悼む

2023年12月05日 | 雑記帳
 最近続く訃報に心が重い。作家、伊集院静。その著作はかなり読んでいる。小説、エッセイ共に文庫版が多かったが、7,8割程度は読了しているはずだ。その出自や経歴はドラマのようであるが、まさしく生き方そのもので体現されていた。「男が憧れる男」という形容が似合うのは、時代の流れだけではなかった。


 10年ほど前に、初めてのミステリ作品として書かれた『星月夜』を読んだメモは半端に分析じみでいるが、やはり魅力的で一昨年再読した時に妙に心に残った。グラスを持てば、名曲『愚か者』が胸をよぎる。やはりあの曲はやっぱり「ショーケンバージョン」の方が似合わないか、伊集院さんよう、と呟きたくなる。


 詩人三木卓。その名は学生の頃から知っていた。そして教科書にある『お手紙』の訳者として強くインプットされた。図書館に務め、印象深い一冊に出会う。読み聞かせる機会は少なかったが、結構この絵本は読み込んだ。意外な文章を新聞や雑誌等で目にした記憶がある。「新書をよく読む」を老境の支えにしたことだ。





 脚本家山田太一。ドラマのクレジットにその名を見つければ、忘れず観るようにしてきた一人だ。数々の名作がある。多くのヒット作はもちろん、あまり知られていないところで印象深い作品は、『ありふれた奇跡』という十数年前の連続ドラマだ。仲間由紀恵と加瀬亮の主演。調べたら2009年のフジTV放送である。


 今でも「山田太一脚本だなあ」と強く感じたポイントを覚えている。それは「言い淀み」や「間投詞」が多いことだ。スピード、パフォーマンス、コミュニケーション等々。世の中でもてはやされるスマートな語や姿からかけ離れていた演技が、実は人間の本性の一つではないか。ギクシャクする通じ合いこそ太くないか。

いろいろあってもユーモアか

2023年12月03日 | 雑記帳
 先週火曜日の朝刊に載った「いろいろあって道頓堀」という記事は面白かった。執筆者は地元大学の准教授で哲学・思想史が専門とあった。内容は阪神タイガースの優勝に絡む、道頓堀へのファンの飛び込みをめぐる今年の騒動?についてである。TVニュースで観た記憶がなく今頃知ったわけだが、確かに笑える話だ。




 危険行為と呼びかけられていたことは知っていた。今年は優勝の可能性が強くなった頃に大阪府知事も要請していたらしい。当日の警察の大量動員による厳重警戒も含めて、著者はそれらを「権力っぷり」と表現した。なかなか言い得て妙である。20世紀にはデモ規制などそれを感じることが多かったが、最近は稀だ。


 もちろん見た目だけではない。しかし今ネットでその様子を見ていると、やはりナンダカナアと思ってしまう。さらに著者が問題にしているのは、「真のファン」「偽のファン」論争である。どのようにして喜びを表現するかに関して言い合っているファンを俯瞰的に観て、「国家や資本」の手に嵌る危うさも指摘している。


 オチがまたいい。「最後にひとつ、どうしても看過できない」こととして、大阪府警をやり玉に挙げた。「止めにきた強面の警察官が、いろいろあってなぜか道頓堀に飛び込む」ことを「様式美」ではないかと言う。つまり「お前が飛び込むんかい!!」がない結末(あるわけないか)を反省してもらいたいと述べる。お見事だ。


 今や死語になりつつある「反骨」。右とか左とかは関係なく、自分の考えや思いを貫くことが困難になっている。はみ出しについて社会や周囲の許容度がぐんと落ちてしまい、相互監視のような状況に陥っているかもしれない。まずはユーモアか。自虐ネタで笑い飛ばすその目を、しっかり周囲へ、外へ向けてみたい。