すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

最後に一杯、お注ぎします

2022年12月31日 | 雑記帳
 今年の書初めに選んだ一字は「」だった。「撚る(よる)」を取り上げた訳は、1月3日に「新しいシフォン主義とは何か」と題した拙文に書いてある。今、改めて読み直し、「ねじり合わせる」という意から「禍福は糾える縄の如し」という句が浮かぶ。ここ数年のうちで最も「禍」が多かった年であったからだろう。

 
 その一部をこの場に記した時もあり、日記的叙述が増えた。私的な事柄を露出するのは趣味がよくないが、少し吐き出したい気分にもなった。年頭に「平凡な『なんでもない日々』が、ただ流されるままの『なんにもない日々』にならぬよう努めたい」と書き、結果「なんでもない日々」の貴重さを知ったことになる。


 さて、滞りが目立った当ブログだが、いつものごとく勝手に締め括りたい。自分自身ずいぶん医者にお世話になった一年だ。数えたら6つの医療機関。齢相応といっても多い部類だろう。ぐっすり眠れなくなりしばらく経つ。それゆえ長く眠られた日の爽快さは格別だ。今年一番の買い物は春に買い替えた枕となるか。





 読書は正確な記録をとらなくなった。しかし、書き散らしてきた書名をみて印象深いのは、次の二冊だ。『どうにもとまらない歌謡曲』『映画を早送りで観る人たち』…巷に溢れている社会文化現象によって、人間は見事に分析できるものだということを改めて思う。繰り返し再放送ドラマを見ている自分は進歩がない。


 仕事面はコロナ禍が混迷しているなか、順調とは言えなかった。しかし、懸案のこども園読み聞かせを開始し、最も子どもたちの前で語った一年となった。個人的読書より、選書のためにめくってみた絵本に心を掴まれることも多く、いくつかの本は続けて読んでいきたいと思うし、新しい一冊との出会いも楽しみだ。


 昨年は一度も県外に出ていなかった。今年は観光で一度、研修会参加で一度、隣県に出向くことができた。しかし正直まだ都会へ行く気分にはならない。「羽後の食べ人」を自認した者として、衰えていない飲食への興味関心を広く解放したい気持ちはあるが…。もちろん自宅では諸々手を出して、これも飲みました。




 本年も訪問いただいた皆様に感謝いたします。
 気持ちだけ、一杯注がせてください。
 このままじゃ、濃いですけど…(笑)
 よいお年をお迎えください。

うさぎを探して館内を歩く

2022年12月29日 | 絵本
 今年の読み聞かせが終わり、ゆっくりする暇なく来年のことが浮かんだ。館内の読書案内展示がすでに「うさぎモード」に入っていることもあるからだろう。今はこども園の方が回数が多いので、紙芝居で何かないかと探してみたら、『うさぎなぜなぜみみながい』というタイトルがあった。ちょっと絵が気に入らず却下。


 では、絵本へ。まず浮かんだのがレオ・レオニのコーナーだった。面白いと記憶している一冊が『うさぎをつくろう ほんものになったうさぎのはなし』がある。はさみと紙で作られた「うさぎ」が、本物の人参を食べて、本物のうさぎになってしまう愉快な話だ。短いがなんとなく味があるなあと感じる。候補だ。

 


 レオ・レオニが並んでいるなかで、『うさぎたちのにわ』という一冊があった。冒頭「人参は幾ら食べてもいいが、木の上のりんごに手を出すな。狼にやられるぞ」と年寄りうさぎが二匹の子うさぎに言う件はパターンとしてよくある。しかし、その後の展開にヘビが絡んできてなかなか楽しい。2年生でどうだろうか。


 ちょっと素敵な絵本を見つけた。「恋の絵本」シリーズで作家の島本理生が書いている『まっくろいたちのレストラン』。うさぎのお嬢さんが登場するのだが、なかなかキュンとするストーリー。語ってみたいが、オッサンいやオジイサンが読むには少しキツイかな。いやいや、森本レオだって十分年寄りだろう。えっ(笑)


 絵本コーナー展示にあった『うさぎになったゆめがみたいの』。うさぎの夢を見たいために前歯を出して寝る「みーちゃん」。それだけで可愛らしい。もう一冊『ウィルとふゆのおきゃくさん』。これは森の一軒家に住むウィルの部屋に次々に訪ねてくる動物たち。ウクライナ民話「てぶくろ」の現代版のよう…魅力がある。

師走っぽい諸事日記も了

2022年12月28日 | 雑記帳
12月22日(木)
 冬至。こども園読み聞かせの今年最終日となる。山間部にある園へ向かう。道路に雪はほとんどないが、倒木で通れなくなっている箇所があった。雪の重さを感じる冬だ。帰館してから「一陽来復」を題にして、関連本や読み聞かせ絵本を紹介したブログアップ。帰宅し、ゆず(バブですが)の香りをする風呂につかる。


12月23日(金)
 高校生の職業体験学習が今日から三日間。最初に館の歴史や心構えなどを少し話す。はきはきして良い子たちだ。「わが家のおすすめブック」の2回目作品紹介をブログアップする。親子読書もこのままだと廃れていくのか、少し不安になる。私用があり1時半前に退勤。用事を済ませてから、賀状デザインに没頭する。


12月24日(土)
 勤務予定はないが、自宅から明日イベントPRをアップする。その後、一気に賀状を完成させた。昨日まで考えていた語と全く正反対の語に決めた(この劇的な切換も面白い)。湿雪の日が続く。娘宅よりピザやケーキをいただき、老夫婦二人のクリスマスイブ。天気が荒れないでなによりだ。サンタは順調に来ているか。


12月25日(日)
 今日も湿雪。出勤すると既に多くのイベント参加者が…。あっという間に定員になった。子どもたちは十分楽しんでくれたようだ。昼に帰宅。午後から有馬記念。本命馬は狙い通りだが、結局「トリガミ」となる。年賀状の裏面印刷を終了。昨日ようやく図書館ブログアクセス計が2万超を記録。いいプレゼントだった。



12月26日(月)
 8時に青少年育成会議事業のスケート教室の見送り。30名ほどの親子参加があった。車庫前の除雪をしていると救急車が来てびっくり。ご近所で体調を崩された方がいた。高齢化町内である。賀状の宛名印刷をし一言添えて完成。投函のため郵便局へ徒歩で向かう。久しぶりに近所を歩く。これも「風流」の一つか。



12月27日(火)
 雪は落ち着いている。開館日も残り2日だ。正月準備が仕事になる。図書館だよりは点検してもらい、仕上げた。エントランスも揃った。後は決めかねている読み聞かせだが、候補本をいくつか見つけた。うさぎ本は結構あるものだ。退勤後に理髪店へ。帰宅して孫とじゃれ合う。言語を習得していく時期、興味深い。

あったら面白いに寄せていく

2022年12月27日 | 読書
 つまり「独り視聴者委員会」『鎌倉殿』編である。三谷脚本のファンでありごく普通に楽しめた一年間だった。当然『新選組』や『真田丸』と共通したテイストがあったが、改めて「味が濃くなった」印象をうけた。描いた時代が前の二作に比べ、少しだけ馴染みが薄い分、思い切った味付けをしたというところだろう。



 その味付けで、あまりに印象的であった場面が二つある。一つは義経の本格的な登場シーンである。平泉から鎌倉へ駆けつける回、山中で猟師に弓矢へ遠く飛ばす勝負を持ちかけ、あっさり裏切って殺してしまう件だ。悲劇のヒーローとして名高い義経をこんなふうに描くとは…。義経像をぐらぐら揺さぶってみせた。


 もう一つは、三代将軍源実朝が北条泰時に思いを寄せていたという展開。泰時が贈られた歌の意味を解せず返した後、実朝が代わりに詠んだのが、かの「大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも」という筋には、恐れ入る。思わず「そりゃないでしょ」と言いたくなるが、確かに「あったら面白い」


 結局、三谷は「あったら面白い」をどれだけ史実にすり寄せていくかに腐心したのだろう。主人公の一人の人物が、物語当初から徐々にダークになっていく様をこれほど描いた大河ドラマはなかった。もちろん視聴者が共感を寄せる要素を織り込んでいるはずだが、それは群像劇ということもあり、拡散的に作用する。


 最終回もあっと驚く演出があった。冒頭の家康登場シーンである。クレジットに「脚本協力」として古沢良太の名が出たので、すぐ納得した。古沢も魅力的な脚本家だ。印象としてキャラ立ちさせる名手だと思う。安土桃山から江戸へ。大河を見て育った一人として、主人公以外誰を際立たせてくれるか、楽しみである。

自分を引っ張る文庫たち

2022年12月25日 | 読書
 今月はずいぶんと再読モードだ。何か、引っ張られるように読んでいる。

『月の満ち欠け』 (佐藤正午 岩波書店)

 ちょうど3年前に文庫本で読了した小説だ。再読であっても引き込まれるような感じがあり、改めて名作だと思った。
 映画化された話題を知ったことがきっかけになったわけだが、さて、見たい欲求とイメージが壊されるかもしれない不安がせめぎあっている気分だ。不可思議な「命」「魂」の存在へ憧れを持ち続けている自分を認識する。そうあってほしい願いとともに、あるはずはないのだという諦念が拮抗する
 それにしてもこの一冊、無人島行きの小説ベスト5(笑)には必ず入るなあ。



『現実入門』 (穂村弘  光文社文庫)

 13年前に読んでいる。その時の感想メモと似たことを思いつつ、今回も読了した。
 それ以後、数々エッセイ集を中心に穂村を読んできたが、ああこの一冊はまさに妄想力全開だったなあ。独身の著者が、その現実と向き合ってクライマックス?を迎える過程を書いてあるから…と後付けの理由も十分つけられる。
 最近、少し妄想する力が弱体?劣化?している自分に気づく。いや、妄想への意欲が沈滞しているのか。言うなれば「妄想破門」。もう一度、もう一度、その門前に立たてねば…時間切れか。


『大人のいない国』 (鷲田清一・内田樹  文春文庫)

 2013年の発刊当時、それから2019年にも読んでいる。三度目だけれど、古さを全く感じないのは「本質」が語られているからだ。
 そして何度も繰り返し読む自分は、つまり相変わらず本質が身に付いていないから…つまり、まだ「大人」になれないのか
 プロローグで引用されている17世紀フランスの思想家パスカルの言葉は、今もって「異様なほどリアル」なことに驚いた。「絶壁」に近づいている感覚なのか。
われわれは絶壁を見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている

また師走っぽい諸事日記

2022年12月22日 | 雑記帳
12月15日(木)
 師走も半分が過ぎた。朝刊で高校同期のHの訃報を目にする。地域は違っているのだが、小学校の修学旅行時に列車内で喧嘩し合った仲だ。懐かしい時代が蘇る。合掌。いよいよ雪が降り出す。久しぶりに除雪後の出勤。年末残務を確認し、段取りづくり。帰宅後久しぶりに泊まる孫相手に奮闘。ペースを乱される。


12月16日(金)
 天気予報通りに結構な雪が降った。出勤し実務的事項をこなした後、1月講演会のPRを進める。学校現場の方々を中心に頼もしい知人がいるので心強い。午後から、今年最後の学校読み聞かせ。1年生を相手に大好きな「おそろしいよる」を語る。喜んでくれた。退勤時に、財布を見えなくして焦る。結局車中に…。




12月17日(土)
 一週繰り上げての「絵本とあそぼ」の会。担当者が一人足りず、飛び入りで「おそろしいよる」を読んだ。午後は休養。夕刻から家族で近くの温泉施設に行き小宴をもつ。大人6名だが広間半分が割り当てられ、孫たちは大はしゃぎ。誰も体調を崩さずに開けて嬉しい。ダイソー提供(笑)の景品で遊びながら楽しむ。



12月18日(日)
 丸々休養日にしたいが、雪が降り続き、時々除雪をしつつという一日になる。一昨年も12月はこんな調子だったか。いつもはBS録画で観ている『鎌倉殿の13人』だが、アンテナに雪がつき受信できない。地上波で最終回1時間を見終えた。小ネタ満載。独り視聴者委員会として書き残しておきたいシーンを思い出す。


12月19日(月)
 雪が降り続く。除雪、冬対策用品を買いに量販店へ。初めて今風のキャンジキを購入した。最初、手順がわからず20分もかかってしまう。こども園で感染者が増え、孫の学級が閉鎖とのこと。人数は先週より増えていないが「高止まり」状態には違いない。『ルポ誰が国語力を殺すのか』を読んでいる。事態は深刻だ。


12月20日(火)
 全校児童で冬休み中の本を借りにきてくれた学校があり、本探しのお手伝いをする。「トマトが食べられるようになる絵本」と訊かれ、迷う。トマトへの興味付けと思い4冊紹介したが実は課題図書の一冊ではないかと知り合いに指摘され納得した。昼前、地元のこども園へ読み聞かせ。年長組は通常なので3冊を語る。


12月21日(水)
 午前、役場へ出向き図書の贈呈をうける。「おすすめブック」優秀作品紹介も個人の部から家読の部へ。短い文章だが継続することは大切だと思う。図書館だより作成にも取りかかる。帰宅後、消雪用の地下水が止まっていることに気付き慌てる。2時間ほどで復旧。肝を冷やした。この時期の心配事はいつもこれだ。





歳末大読み聞かせ

2022年12月18日 | 絵本
 天気予報通りに雪が降り続いて、結構な量となった。湿り気が強いのか、玄関前の木々の枝がずいぶんと垂れ下がる。いよいよ、本格的な冬。そして歳末だなあと気がしてくる。今年はずいぶんと読み聞かせの回数が多かった。その振り返りはいずれしたいが、あと3回残しているので、丁寧に締め括りたいと思う。


 今日金曜は某小学校の一年生。上旬に他校の一年生で選書した本を使おうと考えていたが、思い直して次の2冊を選んだ。一つは「おそろしいよる」、3年前に見つけた時に気に入って何度か読んだ本だ。PPTを使っていなかった頃で、今回は大きな画面でやったら栄えるのではないか。画面変換も付けられるし、楽しみだ。


 もう一冊は「ちいさなもみのき」。クリスマスネタであり、この時期にはふさわしい。昨年のブックフェスタで「絵本クイズ」で取り上げたが、自分で読んではいない。1年ぶりに取り上げようと読んでみたら、意外に朗読として難しい部分もあることに気付く。間を置く、ゆっくり読む部分の生かし方…基本ですね。


 来週はこども園二か所の予定。モニターを使うPPTの初めに「とんかつのぼうけん」という新しい絵本を使い、次にクリスマス週なので「あのね、サンタの国ではね…」を扱う。サンタクロース国?の一年を描く話で、興味を持って聞いてくれるだろう。残る一つは、最初に扱う大型絵本か紙芝居だ。さて、どうする。
 
  
  作: 嘉納 純子  絵: 黒井 健  出版社: 偕成社

 と、思いついたのがあの「てぶくろ」。時期的にぴったりだろうし、今年をある意味象徴するウクライナ民話である。大型絵本も借りている。現職時代にどこかで読んだ気もするが、少なくとも十年以上前だ。一つの手袋に同居していく動物たちの心持ちをどんな声で表現したらいいのか。今年一番の大勝負となるか(笑)。

赤い目の見えない敵

2022年12月14日 | 雑記帳
 週4,5回のペースで更新している図書館ブログのPRとして発信しているFBに、昨日はこんなことを書きつけた。

 今年の漢字は「戦」。前に選ばれたのは2001年で、その時のコメントが「すべての出来事に、『戦いの世』を実感。見えない明日、見えない敵、自分自身とも戦った年」というものでした。個人的には今年にぴったり。同感の方も多いかな?では、この21年間何していたかってことか!

 21年間はともかく、今年は様々なアクシデントも多く、「戦」は実感する。「病三昧」のことは先日も書いたばかりだ。このブログ更新も沈滞している。やはり様々な「敵」が多くなったということなのか。



 正直な実感はその日の朝もあった。3時台に目覚めなかなか眠りに戻れず、あきらめて再読している小説『月の満ち欠け』を読み出した。5時半過ぎにようやく眠気が出て10分ほどうとうと。さて、と洗面所で鏡をみると左目が異様に赤い。もともと充血しやすいのだが、それとは違うようで出血した跡が残っている。


 視力や他の異常はないので、そのまま出勤する。「戦」に関わった書籍紹介ブログ、読書紹介文データ化や今後の読み聞かせ選書など、予定した仕事をこなした。しかし赤みはなかなか取れず、職員や来館者からも何かとしきりに訊ねられる。外圧的な心当たりはなく、疲れ?加齢?それとも何かの前兆かと不安が募る。


 今日は水曜だがシフトの都合で勤務なし。荒れ模様の予報だし読み聞かせ準備をすませたら赤い目を休ませるか…と言っても実際何ができるのか。数日前からOutlookの受信状態がよくないので検索して原因を調べ復旧させたいけれど、目を酷使しそうで躊躇…ってこれも「戦」か。いや、ただ「見えない敵」とは言えそうだ。

仕合わせはつくりごと

2022年12月12日 | 読書
 著者が小説家で、ずいぶん長生きをしたことぐらいは知っていたが、作品は読んだことがない。古本屋の文庫コーナーで何気なくカゴに入れてしまったのは「幸福論」的な書名が引っ掛かったのだと思う。「色が黒い」と家族に言われ続けた幼少期、そして化粧への目覚め、作家たちとの交流…なかなか変化に富んでいた。


『幸福を知る才能』(宇野千代  集英社文庫)




 しかし、この本が貴重だったのは次の一節を見つけたことに尽きる。小説やエッセイでは、そんなに頻繁にはめぐり逢えない、まるで詩のような響きを持つフレーズがあった。「神さまはいるか」と題された短い文章の中で、人に愛される善良な人であっても、不幸が続いたりして嘆くことがあるけれど…といった話だ。

すぐ身近なところに、
気ぜわしく、神さまを探したりしてはいけない。
もし、一かけらでも仕合わせになりたかったら、
今日は日が照って気持ちが好いなァ、とか、
今日はあの人がハガキをくれてうれしいなァ、とか、
仕合わせを自分で作って、自分で探すのである。
それはただの作りごとでも好い。
神さまは雲の中にいるのだから。



 なんだか、拝みたくなるような文章である。四度も離婚したという著者は、その別れに対しても非常にストレートな受けとめ方をし、淡々と足を前に進めている印象が残った。達観というのかもしれないが、何より「心」の働きを信じ、物事に強く対している。人の見方にも確固とした信念がある。次の文章も唸った。

人が人に対したとき、多少とも、その相手に対して抱く願望の通りに、まず、先立って、言葉で表現する


 「あなたは嘘つき」と題されたその文章は、「よく嘘をつく人に『あなたは噓つきねえ』とは、決して言わないようにしよう」と始まる。いわば現状認識をそのままに口にするのではなく、反対の言葉かけによって自分の願いを伝え、両極端の「段階」を縮めていくという考えである。これも仕合わせづくりではないか。

先生が「あのね」と語ること

2022年12月10日 | 読書
 コロナの予防接種5回目で会場の待ち時間に読もうかなと思い、館の新着書架で目についたこの一冊を、表紙だけ見て借りてみた。受付て早速椅子に腰かけ開いては見たものの、あまり内容が頭に入ってこず(書いていることは理解できるのだが)、ついこんな思考に…。いったいどんな人がこれを読もうとするのか?


『先生のあのね』 (ほたろう  ワニブックス)

 


 その①として「本の体裁に惹かれる者」というのはあるかもしれない。第一、自分がそうだもの。もちろん書名が語る「教師の本音」部分と相乗効果を出している。ノートを意識したデザイン、青罫線を引いた紙面にはイラストと直筆文字。活字は目次やタイトルやポイント部分で登場する。教育書とみれば斬新だ。


 その②として「同業者や保護者」が、仕事や子ども理解の参考にしたいという真っ当な理由で手にする場合もあるだろう。③として「Instagramで大反響」と帯にあるので、その関わりからページをめくる者、おそらくそれは②と重なる層だ。教員の本音を知りたい、何か子育て上の共感や具体的なヒントがないか…。


 正直、少し教職キャリアを積んだ者なら書けるのでは…というレベルに見える。しかし、在りがちにも思えるイラストと正直な心情吐露のミックス具合が編集者の目に留まり書籍という形を成したから、価値はあるのだ。著者なりの表現を継続して身に付いた感覚は、ありきたりに見えても強靭だ。


 イメージとしてはスローボールで日々を乗り切る。自分には正直ぴんとないが、こうしたテンポに合う読者がいるように、学校現場で波長のあう子どもも少なくないだろう。スピード優先が持て囃される今の環境で、ある意味その存在は貴重にも思えてくる。そうか、それが「あのね」という語に昇華しているのかもしれない。