すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「かないくん」を読む

2023年07月31日 | 絵本
 「ほぼ日」ファンを自称していたので、絵本『かないくん』の存在はもちろん知っていた。ただ、発刊された当時も関連ページを読み込むことはなかったし、図書館に勤めてからも恥ずかしながら蔵書としてあることさえ認識していなかった。「一般芸術」に置かれている絵本は何冊か読んではいたけれど、見落としていた。




 今回、「大人のための読み聞かせ会」はどうかと思いついた5月の頃に、書架で見つけ、自分が読むならこれだとすぐに思った。こういう展開は「入れ子」構造と呼べるかどうかわからないが、それまで語られたことが「書きかけ」になっている物語と知るときに、すっと心に落ちる感覚、そしてそこから続く生の営み…


 全体的に淡く、色調としてはやや暗めの絵が続く。しかし、後半の二人の対話は、弱まっていく煌めきと、新しく強さを増していくような輝きとの対比も感じられる。ことさらに声色の変化を取り入れなくとも、読み方は自ずとその人物になりきっていくようだった。時間的な飛躍もあるので、間はたっぷり必要だ。


 さて、テーマは「死」で間違いない。死によって完結する物語はあくまで個人のものである。しかし「生」は個から個へ引き継がれていく。その歩みはけして止まらない。幼くして命を落とす子も大往生を全うする者もその価値に変わりはなく、結局は誰かの心の中にしまい込まれ、幾たびも出会える…と信じたい。

令和五年文月真夏日続き

2023年07月30日 | 雑記帳
7月25日(火)
 午前はにしもないこども園で読み聞かせ。年長組が対象だが水遊びできない年少組の数人も入ってきた。二人の孫が揃ってしまったので苦笑気味にやり終えた。午後からはブログアップ(小学生のための読書案内)をしてから週末イベント準備に集中する。夕刻、愛車のリコール点検で湯沢のディーラーへ。異状なし。



7月26日(水)
 今日は午前のみ勤務なので段取りよく、仕事を進める。月末恒例の掲示紹介をアップ。明日のフィルードワークの確認など。帰宅して冷やし中華の昼食後、録画していた『あまちゃん』再放送を見る。なかなか感慨深いシーンがある。じっくり思い起こしたい。夕方は帰宅した孫にオセロを使って?はさみ将棋を教える。


7月27日(木)
 自転車通勤2日目。準備していたブログをアップしてから小中生を引率して県立図書館へ。もう少し人数が多ければと思ったが、実際動きやすくて良かった。案内された閉架書庫はさすがの規模だ。個人的には半日ぐらい探索してみたい気になった。午後からは閲覧室で県の教育雑誌『風土』をめくってみた。懐かしい。


 帰路のバス。フロントガラスに1時間以上はりついた虫。頑張った。


7月28日(金)
 朝に血圧測定すると不整脈が出る。加齢との闘いは続く(笑)。昨日のフィールドワークのまとめをしてから、たしろこども園へ。山間部の気温も30℃超えだが下界より2℃は低い。読み聞かせはじっと聴きいってくれた。午後からは目一杯に仕事が続く。明日の準備をして、一般向けの図書館だより8月号の原版完成。


7月29日(土)
 館として初の企画「ウゴトショチャレンジ」を開催。これも人数は思ったほど集まらなかったが、実に楽しく活動できた。ほとんど一人で準備・運営をしたが、かつて特活に身を入れていた時期を思い出す。帰宅してから、撮ってもらった写真を中心にブログ記事を準備する。熱い一週間がどうにか終了という気分だ。


7月30日(日)
 朝、自転車で某コンビニへ向かう道すがら、久しぶりの元同僚と会う。お子さんの野球練習に向かう準備らしい。まさにアツい盛りの年齢だ。ある意味うらやましい。自分はというと個人ブログ更新がこんな滞る月になるとは…。余裕がないのか飽きているのかと思いつつ、日記ぐらい残しておこうと書き散らした。

風呂場で「ちゃぶ台」

2023年07月24日 | 雑記帳
 ここ半月以上、風呂場での読書はもっぱらこの「ミシマ社の雑誌」となっている。ミシマ社の単行本をいくつか読んでいたが、こんな雑誌があることは知らず、バックナンバーを数冊買い求めた。創刊は2015年10月となっていて、現在11号発刊されているので、年1~2回のペースで出版されている。面白い。


 「最初から最後まで読み通したくなる雑誌をめざしました。―編集部」と創刊号の冒頭ページにある。手元にある5号まで共通しているのは、目次が裏表紙にあるという点が大きな特徴だ。それは「台割」という編集上の航海図(計画表と言っていいか)なしに作る「常識への『挑戦』」を示す象徴的なレイアウトだ。



 創刊号は「移住×仕事」号と銘打たれ、時系列で載せられていく編集だ。しかし、途中参加の読者としては結局どの号もつまみ食い的な読み方しかできていない。それでもこの雑誌に見られる精神を心地よく思えるからこそ、読み続けているのだと思う。その意図がよくわかる一節が、編集後記にこう記されている。


「編集=整理」という時代から、「編集=発見」もしくは「編集=生命の注入」という新たな時代へ。


 ガツンとくる一節だ。かつて、例えば「情報編集力」といった語に共感し、受信も発信もある目的を持って進むことに疑いを抱いていなかった。しかし明らかに時代の流れに追いついていけない、いや全貌がよく見渡せない、そんな意識が強くなり、根本的に揺さぶられている感がある。齢のせいだけではあるまい。 


 この雑誌からの発見・気づきは多い。自分の来し方には恥ずべきことが多く、ふと昭和のオヤジのように「ちゃぶ台返し」をしたい気分にもなる。ただ、それは決して編集にはならない。出来るとすれば、ちゃぶ台に手持ちや仕舞ったモノをもう一度並べてみて、そこにある(とすれば)、煌めきを磨くことしかない。

雨の日、晴れ間に語った本

2023年07月20日 | 絵本
 先月末から今月にかけて読み語った絵本はどれも印象深い。忘れないうちにメモしておきたい。


「2ひきのカエル」



 時季的にぴったりと取り上げた。PPTとして取り込もうとスキャンしたが大判なので文章部分が切れるので、久しぶりに全文打ち込みした。それもあるのか一つ一つの会話が実にしっくりと入ってきた。落語のようなテンポもあり、また英国?らしさも随所に感じる。読んでいて楽しい一冊だった。新レパートリーとなった。



「ダンデライオン」



 閉架書架を調べていた時、手に取り気に入ってしまった。少し長めなので小学校低学年くらいからだなと判断した。最初はごくありきたりの話だが、途中であれあれとなる展開なので、聞いている子どもたちの目が集中してきて心地良かった。黄土色とこげ茶が主体の色構成も特徴ある。タンポポの英訳がダンデライオンと知ることも楽しい。



「つかまえた」



 なんといっても田島征三の独独のタッチが素晴らしい。単純明快なストーリーは、氏ならではの躍動感あふれるものだ。短いセリフだけれど、今の子どもたちがなかなか体験できない世界を端的に語るので、子どもたちはじっと見入って、聴き入ってくれる。小学生に向けて語ったが、このあと園児にもぶつけてみたい。



 そして大人のための読み聞かせ会で取り上げた「かないくん」。
 これは、もうちょっと心を落ち着けて語りたい。

令和五年捩花咲く頃

2023年07月17日 | 雑記帳



7月12日(水)
 原版を完成させた図書館だより小中学校版(夏休み号)を、出勤する前に印刷する。今日は半日勤務なので朝イチで、なかなか集まらない(笑)イベントへの参加者募集の電話依頼などしたり、図書館ブログアップしたりであっという間に過ぎた。取りあげた人物のおかげなのか、アクセスが久々の100超となり、驚いた。



7月13日(木)
 今日もシフトの関係で半日勤務。久々に雑誌・新聞コーナーのPRをする。個人的には最近、ある雑誌をまとめ買いして連日読んでいる。日曜日の「大人のための読み聞かせ会」の準備を進める。多くの集客は望めないとは思うが、開催の意義は大きいと考えている。帰宅してから自分の読書記録を久々にアップした。



7月14日(金)
 日曜日イベントのPRをブログアップする。午後からは小学校への読み聞かせ。一学期最後となった。今月初めにも某小1年生で読んだ『てんてんきょうだい』『ダンデライオン』の2冊。対照的な内容だが、どちらも非常に面白く子どもたちも聴き入ってくれた。いい締めとなった。梅雨前線が活発化し本県へ近づく。



7月15日(土)
 午前中に明日の準備をしに図書館へ。やはり予想していたことと違いがあり、前日に動いて良かった。帰宅してから自分が読む『かないくん』の練習もする。大人向きなので、いつもとは違い刺激的要素がある。好調な隣県出身力士の錦木が初黒星。県北や秋田市など中心に、豪雨被害が出そうな降り方となっている。



7月16日(日)
 初めての企画「大人のための読み聞かせ会」。参加者は少なかったが、中味は充実していた。語り手のそれぞれの思いが、大人向けを意識したことで露わになった気がする。県内の水害で死者が出た。遠い過去の時代と姿は違っていても、現代社会の暮らし方もまた、都市であれ過疎地であれ、危険と隣り合わせだろう。

参参参(二十七)額紫陽花の頃

2023年07月13日 | 読書
 買いだめした雑誌を読んでいて、単行本が捗らない。
 しばらくこんな調子か。晴れ間の花が美しい。




『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子  講談社)

 いわゆる時代小説は、何年振りかわからないくらいに久しぶりだ。春頃に著者と講談師神田伯山の対談が雑誌に載っていたので、興味をもった。読み始めたらこれがなかなか面白かった。一幕から五幕まで仇討の主人公を取り巻く人々が「顛末」を語り、終幕で当人が締める形だが一種のミステリ仕立てになっている。義に殉じることが時代劇では中心テーマの一つ。けれどこのストーリーは、ある意味現代的とも思わせる結末だ。まず何よりそれぞれの幕で語る人物の出自、個性が際立ち、語り口もすうっと入ってくる。この作家、なかなか巧みとみた。しかし正直、まだ時代小説のハードルが高いかな。



『俺に似たひと』(平川克美  朝日文庫)

 再読。母親が亡くなり一人残された父親の介護の日々を綴る。確執のあった父に対する著者の感情の揺れや混乱が、淡々と記されている。実際にそういう立場にない者が読んで想像するだけでも、何か漠然とした圧を感じさせる展開である。「誰もが、どこかの地点で親子の関係を逆転させなければならないという事実に遭遇する」…自分にもその時期が近づいているのか。この立場にしてみれば、そこから本当の大人になると言えるかもしれない。人の尊厳とはいったい何か。誰しもが背負っている時代という「故郷」…そこへ帰るなかで見つかる時もあるだろう。それは後ろ向きの考え方か。



『苦手から始める作文教室』(津村記久子  ちくまQブックス)

 「作文は苦手」。昔からそんなことを言う人は多かった。教員同士の会話でもあった。まして以前の中学生・高校生ならメンドクセェの一言だ。情報機器の飛躍的な進歩により多少の状況変化があるのかもしれない。しかし未だにこの手の本が出版されるのだから、やや永遠の課題めいている。ここで取り上げられているのは論文や説明文ではなく、感想や身辺雑記が主だから、SNS全盛の現代では言うなれば、多くの若い子が自己表現という素地は持っていると言えるのではないか。形をほんの少しスライドさせるだけで、「作文」という作業は出来るはずと思わせられた。書き出して、リズムさえつかんでしまえば、もうどこまでも行ける。その意味でリズムをつかむための一冊だ。

たわいない願いのシンソウ

2023年07月07日 | 雑記帳
 今年もエントランスで笹竹に願いを吊るす企画を実施した。公式の図書館ブログには礼を失する駄弁は語れないので、こちらで思い浮かんだことを書き散らかしたい。短冊に記す願い事に制限はないが、たわいなく書く中味にはやはり、人の真相が宿る。いや、もしかしたら本人も気づかない深層がみえることもある。





 子どもの記す「あしがはやくなりたい」「ばすけがうまくなりますように」「かまきりにあいたい」「まんが家にゼッタイなれますように」などという言葉は、素直に微笑ましく見ていられる。また、「受験が無事にうかりますように」「赤点回避!」などは少し切実さを匂わせながらも、ふむふむと励ましてやりたくなる。


 もちろん「好きな人とつきあえるように」「目黒蓮に会いたい」などの定番モノにも、ぼんやりとした彩りを感ずる。それに反して具体性を帯びる表現にあうとドキッとする。例えば、「おかしの雨がふりますように」 …この子の妄想力はいい。降ってきたらどうするか、というよりお菓子の雨を浴びたいのだろう。


 「労働環境の改善を!!」と書けば、上司や政治家が動くと思っている人はまずいない。それでもそこに記す願いを持ち続けたいという意志の表れか。共通した心持ちを感じるのは「安定が得られますように」と書いた短冊。具体的な内容はわからないが、芯となるのは心の安定であり、書き始めた時点で人は動いている。


 「何かいいことがありますように」の一枚。この気持ちはわからぬではないけれど、いいことの中味を描けないと難しい。極めつけは「たなばたが終わった次の日には100万ありますように」とタナボタを狙った安穏者。金銭を指していると分かるが、曖昧な表現では、100万の●●が貴方を覆う可能性も大いにあり。

参参参(二十六)その日暮らしの…

2023年07月03日 | 読書
 半月以上かけた新書、二日で読みきった小説、頷き、首を傾げて読んだ「哲学」本と、まあいろいろ。


『なつかしい時間』(長田弘  岩波新書)

 これほどゆっくりと新書を読んだのは久しぶりだ。しかも再読である。そしてこの後も繰り返し読む気がする。風呂で濡らしてしまい、すぐまた注文したほどだ。今まで同様保存用として書棚に置く。キーワードをランダムに挙げていくと、「風景」「本」「記憶」「一日」「習慣」「読書」「見つめる」…そのどれもが日常語だけれど、深く入り込めばそれらが新しい意味を持つことを知らされる、そんな一冊だ。だからこそ何度も読む。頭の出来の悪い自分は、これからも読まねばならない。まさに「本」といえる本。今回はこの一節を引用しておこう。
「じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭によくそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う」





『黒紙の魔術師と白銀の龍』(鳥美山貴子  講談社)

 新聞で見かけた気もしていたが、先日知り合いから教えられた作家。なんと隣市在住だという。児童文学新人賞に輝いた一作ということで手に取った。それにしてもこうした類は何年ぶりに読んだか。ファンタジー、スペクタクルと表現していいかどうかわからないが、いかにもアニメネイティブには魅力的な素材や展開のような気がする。自分の好みとは別ではあるにしても、勝手に親近感を抱きながら、今後を注目して見たい。



『21世紀の楕円幻想論』(平川克美  ミシマ社)

 読んでいてふっと心を安らがせてくれる一節に巡り合えると嬉しい。それはきっと、自分を縛っている縄を解き放つまではいかなくとも、緩めてくれる感覚だろう。これはまさしく、その典型だ。「わたしたちは、ある場合には自己利益のために働き、ある場合は他者のために、自己犠牲を強いているかのような行動をするのです。」この本の書名にある「楕円幻想論」とは、中心点を一つにせず二つ持ってみようという提言と自己解釈した。絶えず二者択一を迫る社会状況の中で生き延びるために、そんなふうにイメージすることが役立つに違いない。そもそもミドルネームに「about」を選んでいる自分(一体、いつ使っているんだ・笑)なのだから。



ナンシーに会いに行って

2023年07月01日 | 雑記帳
 一年前半期の終わりというのに、仕事上のあれこれでムシャクシャが募り予定が狂った。夕方から徐々に持ち直したが、いつものごとく夜中に覚醒した時、そこでまた思い出したからやっかいだ。しかし少し遅寝が出来たので、なんとなく鎮まってきた。目覚めのベッドで呟く。そうだ今日はナンシーに会いに行こう!


 隣市のまんが美術館で行われている「ナンシー関の消しゴム版画展」は明日が最終日。密かに信奉(そこまででもないが)している者としては、見ておきたい。存命であれば還暦は過ぎた年齢だ。今生きていればどんな感じなのだろうと数年前著書を読んだ時も感じた。TVウオッチャーである自分にはしっくり来る。


 さて10時開館に合わせて出かけてみたら…なんと、予想はしていたが入口前に長蛇の列。当然…といったら失礼だが、ナンシー目当てではない。本日スタートの企画があるのだ。全く興味なしではあるが、並ぶ世代や「エヴァヘラ・アイス」(笑)の様子が微笑ましく退屈しない。入場はおそらく百数十番台か。




 おずおずと「あのう、ナンシー展の方は…」と係の人に訊き、受付に行くと案の定トップだ。お馴染みの消しゴム版画が大きく貼りだされ、エッセイが何本も幕の形で垂れ下がったりしている。芸能人ネタは有名だが認識していなかったのは「ミュージックマガジン」表紙だ。80年代だと読者として離れた頃だろうか。




 版画よりやはり私は文章が好きだな。ごく普通に受け入れてしまう常套句や宣伝にそのまま乗らないで、そこにある深意・真意に思いめぐらす…そういう姿勢に共感する。例えば、「無人島に1枚だけレコードを持っていくとしたら」という問いに向けて、考えを広げていき「自己演出」と収める件などお見事である。


 まあ興味深く小一時間過ごして、一番感銘したのは次の言葉だった。「ちゃんとした生活、それはものを腐らせない暮らしだ」…まさに、まさに。都会生活の中で様々な食物を駄目にしてしまいがちな日常を語っているのだが、これは実に深い。いったい自分は何を腐らせているのか、じっと考え込んでしまった。