すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

例外探しは、動く人でなければやれない

2010年02月28日 | 雑記帳
 昨日は午後から名城大学の曽山先生の講演があった。

 「伝わる言葉のかけ方」と題された内容は、いつもながらのソフトな語り口で、子どもたち、また学校現場の実態に即したものだった。
 大学教官として数々の学校訪問を繰り返されているキャリアが加わり、重みを増しているなあと感じた。

 伝わる言葉のかけ方として、「いいところ探し」「対決のアイメッセージ」「リフレーミング」「?による言葉かけ」の四つが提示されたが、私にはその後、プラスαの言葉かけとして紹介された次のことが最も印象深かった。

 例外探し 

 つまり問題行動が多い子であってもそうでない場合があるはず、それに目をつけよう、ということである。
 曽山先生は本の執筆のために様々な事例を集めるなかで、「例外」を多くの先生が大事にされていることを感じたという。

 決めつけてはいけないと思いつつ、「だらしない子」「落ち着きのない子」という言葉で、ある子どもを括ってしまうことが多い。
 たぶんそうすることが指導する側としては安心する。もしかしたらその言葉で、自分の責任を弱めようという意識が働くのかもしれない。自分がこれだけ頑張っているのにと慰めているのかもしれない。

 そういう気持ちが湧いてしまうことを認めつつも、それでは仕事の本質を見失う。

 先日杉渕鉄良先生のメールマガジンを読んでいて、一つの言葉がぐっと目に入ってきた。その言葉がふと心に浮かぶ。

 子どものことをあれこれいう人は、動かない。
 動く人は、子どものことをいわない。
 
 例外探しは、動く人でなければやれないことだろう。

 「例外の責任追及」とは、いい意味で次に生かすためにその行動要因を探ることだ。

 なぜ、例外が起きたのかを心に貯めておくことで、声をかけられる
 
 これは、仕事の姿勢を表している言葉といえる。

基本はシャベクリ

2010年02月26日 | 雑記帳
 自ら「ウザくない?」を連発する芸人あべこうじが、見事にR-1グランプリをとった。
 今までのネタはあまり笑えなかったが、今回はなかなか冴えた出来だったと思う。

 翌日の新聞(地方紙)に、そのネタまで書いてあったことに、少し驚く。その部分を引用する。

 決勝であべは「ディズニーランドに行く」という言葉も、言い方一つで全然変わるというネタで、愛人役などを巧みに演じ、1回目の上位3人で争った最終決戦では「ドレミの歌」の歌詞にケチをつけ、すべて食べ物絡みの歌詞に変えるネタを緩急自在にしゃべりきり、会場を沸かせた。  
 
 芸能欄ではないのに、漫談の中味まで踏み込んだのは初めて見た気がする。

 ちょっと興味がわいて検索してみたら、R-1は「詩のボクシング」にヒントを得て始められたこと、Rは落語ということなど、考えてみなかったことなどもあって面白い。

 5年ほど前から見ているが、今までの中で自分が秀逸だと思ったのは、M-1に輝いた徳井が参戦してピン芸を見せたときだ。まさに時の勢いを感じた。独特の妄想ぶりは素晴らしいの一言だった。
 結局同点決勝で、なたぎがグランプリとなり、一つの時代が始まった?ことになるわけだが…。

 いずれフリップ芸にしろ、一人コントにしろ前とは比べものにならないほど、小道具が使われ、音楽化され、視覚化されてきている。教室で使えそうなヒントもたくさんあるように思う。

 しかし、結局もとになるのは、シャベクリである。

 言葉の表情をとらえる、言葉の繰り返しから連想させる、それらを緩急取り混ぜて聴かせる、聴衆を引きこむ…今回も手ぶらのあべこうじが、ひたすらシャベクル姿が評価されたのは、とても喜ばしいことだ。

科学の特質で見る

2010年02月24日 | 読書
 唐突だが、科学って何だろう。
 それは辞書的に「体系的」「実証可能」といったまとめ方はできるだろうが、では教育の場でどうだろうと考えると、ずいぶん生半可な知識しか持ち合わせていない自分に気づく。

 「教育科学」と名のつく雑誌を購読していたり、かつてはそういう名前の団体の会員だったりしたのに、一体どういうわけか。

 『頭がいい人の 早わかり現代の論点』(樋口裕一著 草思社)を読んだ。
 会話術の類の本はいろいろあるが、会話内容という点を取り上げるというのは、なかなか面白い。
 まあ、そうはいっても社会的知識が豊富な人はこの手の本は読む必要がない。新聞程度からちょっと突っ込みたいと考えれば、コンパクトにまとめられていて重宝する。もっとも2005年刊であり、いくつかは過去のことになっているが…。

 さて、この本の中の「⑲科学 科学を重視する考えは間違っているか」という章を興味深く読んだ。
 自分が知らなかっただけと言えばそれまでだが、「科学の特質は何か?」という箇所はへぇなるほどと思った。著者は二つの特質を挙げた。

 「還元主義」と「二項対立」
 
 小さい単位にまで入り込んで分析するという意味での還元主義。
 これはわかりやすい。授業研究を例にとっても、子どもの発言や動きなどをどこまでも細かく見ていくことで、表面的な事象の理由、原因にたどりつくことがある。
 また教師の発問や指示の仕方であっても、内容や使用語彙、音声、表情・・・と様々な観点で分析できていくわけだから。

 では、もう一つの二項対立はどうだろう。
 現象を二つの対立する観点から説明することだ。
 「主体・客体」「イエス・ノー」「内面・外面」…いくつかの観点が考えられるし、案外授業研究としてはそういう発言はしているのかもしれない。
 教師と児童、集団と個、正答に対する誤答これらも絞り込んで対象化すれば結構見えてくるものは多いだろうと納得する。

 自然科学の世界では、還元主義に対して動的な作用への対応の難しさ、二項対立では曖昧な部分の切り捨てが問題視されているらしいが、これはひょっとしたら教育の場でも言えることだろう。

 ただ、その前提となる科学的な目が徹底されていなければ、批判以前の問題ということではないか。

含羞。何を隠すか。

2010年02月22日 | 雑記帳
 土日は体調を崩し、ずっと居間で寝ていた。
 読書する気力もわかず、もっぱら録画しておいたままになっている映画やドキュメンタリーなどを見た。

 建国記念の日にBS-hiで放送した井上陽水の特集があった。なんと5時間モノである。

 今まで放送した2番組の再構成らしい。まだ全部見終わらないが興味深いことがいくつかあった。

 私の井上陽水体験は、高校時代がもっとも強く、その後はそれなりという感じだが、あまり興味を持てなかった時期(勤め始めた頃からしばらく)の陽水の「動き」がとても面白く感じた。
 つまり、後になって知ってはいたことだが、阿佐田哲也との交流である。そしてそれを取り巻く様々な、少し危うい?といっても良いような人たちとの交流である。黒鉄ヒロシがいて、沢木耕太郎がいて、伊集院静がいて…。

 伊集院静が、阿佐田哲也と井上陽水の共通点をこんなふうに語ったところが興味深かった。

 日本人にしかない含羞 

 含羞か。
 はじらう、はにかむ…近頃の日本人が失くしている心の一つだろうが、そう考えると含羞は地球上から消えかかっていることなのか。

 そんな心配はともかく、伊集院のこの解釈をどうとらえればいいか。
 私なりに考えてみると、「隠す文化」と言ってもいい日本社会の中で、何を隠すかはとても重要なことだ。二人が似ているというのは、隠す対象が似ているのではないかと想像する。

 自分、本心、いやそんな大きく漠然としたものでなく、細かく具体的なある意識に関して「明かさない」「隠す」「正体を遠ざける」…といったことのように思う。
 中味が同じならば、当然その仕草や立ち振る舞いは似てくるだろう。

 自分は何を隠しているか…とぼんやり毛布の中で考える。

 ああ、それにしても『傘がない』は、90年代の名曲『最後のニュース』と本質的に同じなんだなあ、そんな思いが浮かんでは消える。

「私」の上昇ということ

2010年02月20日 | 読書
 家本芳郎先生の著した『私語・おしゃべりの教育学』(学事出版)を読んだ。1990年の発刊である。
 著者が言いたいことは、あとがきに記された次のことと解してよいだろう。

 私語は、撲滅するのではなく、その私語を切口に、私語の「私性」を、子どもと教師ともどもに共有できる「共有語」に上昇させていくこと、すなわち、新しい「公語?」を創造する作業でなくてはならないのである。
 
 この文章を書き写してみると、主語省略になっているのだが、間違いなく「私たち教師の仕事は」とか「学校でなすべきことは」という言葉であろう。

 20年経った現在、そういう方向に向けた数多くの実践が出てきているように思う。
 私語の中に存在する子どもの興味や思いを顕在化させ、それを学習に結びつけようという動きは確実に現れている。

 それらの基になっているのが、この本の考えなのかどうか浅学の自分にはわからない。
 しかし少なくても、今でも驚くほど、子どもたちに対して詳細な見方、多様な関わりを提示している本であるのは確かだ。

 私語から授業をつくる
 「私」の上昇訓練
 
 言葉の強さを感じる。従って古くて新しい課題とも言える。

 「私語は止めなさい」と言われ従ってきた世代の一人として、そういう注意はそれなりの公私をわきまえる訓練にはなっていたのだと思う。
 今、その注意の言葉だけで通用しない時代ではあるし、それが訓練になる要素も減ってきているだろう。
 であればこそ、教える者の役割をもっと意識する必要がある。

 例えば、服装などの問題を指摘された某五輪選手は、「自分のスタイル」をずいぶんと強調した言葉遣いをしていたが、その「私」が上昇しているように私には見えなかった。
 周囲で反省するべき者は数多いのではないか。

24色のランドセルの時代

2010年02月19日 | 雑記帳
 一日入学の午後には説明会がある。
 ここでは当然保護者に対しての挨拶があるのだが、学校の概要説明なども含めてという話であった。
 あまり長く話したくないと思って、ここ3年は時間を切り詰めて話をしてきたが、今回は人数も増え、ある程度学校としての考えを明確にしておくべき必要があるだろう。

 そこでプロジェクターを使いながら10分程度の話を構想してみた。
 今の親の世代は20~30年前に小学生だった世代である。つまり私自身が担任だった頃、現にかつて受け持った子が保護者であったりする。

 そこで、30年ほど前と今との変化を切り口にしながら、それでも変らわない「児童期の発達課題」について強調したいと思った。
 変化を象徴できるものは様々あろうが、ふと思いついたのは某全国スーパーI(旧Jね)が展開した24色のランドセル。
 2001年だったと記憶する。
 個性重視といった言われ方が微妙に商業主義と結びついていくことは警戒しなければならない。

 その話の内容とは直接関係ないが、今我が県秋田で問題になっていることの一つに、県都である秋田市からの大規模商業施設の撤退がある。
 全国的スーパーDが数年前に撤退し、それが入っていたビルも取り壊されるようだ。
 某老舗デパートの支店がなくなり、そして今度は駅前の全国的スーパーIY(の撤退が間近に迫っている。
 他県の地方都市も似たような状況があるのかもしれない。

 そして考えてみれば、DもIYも秋田市にはおよそ30年前に進出してきたということ。
 当時からの隆盛は見事に衰退し消えていくというわけだ。
 当然、進出した当初にそれによって地元の小売がいくつも姿を消しているわけだ。

 そして、相変わらずのI(旧Jね)は健在である。
 交通手段や生活様式、そして人口減による購買層などの変化、いくらでもその要因はあるのだろうが、地方における小売業の展開の盛衰はわかりやすいものになっている。

 24色のランドセルがそれを象徴しているとは言わないが、多彩な色ではあるけれど内容は全部同じといった発想が似ていなくもないな、と勝手に思ってみたくなる。

「待っているよ」シュミレーション

2010年02月18日 | 教育ノート
 保育園児の一日入学がある。
 昨年まで務めていた学校では挨拶はなかったのだが、今回はあるという。
 入学式ならばそれなりの話の形はあるが、これはなかなか難しい。中途半端な時期とも言えるし、何を話せばいいか。

 …つまり「待っているよ」ということだな。時間は3分かな。
 プランを考えた。あくまでも机上である。

 大きなカレンダーを巻き込んだ形で持っていく。

『これ何だかわかるかな?』

 少しずつ広げていく…2月の2が見えると、「カレンダー」と言う子がいるのではないか。
 以下、子どもが反応してくれると期待しての働きかけを記す。

『へええ、よく知っているねえ。みんなで言ってみよう。カレンダー!はい!』

『今日は何日?』

『このカレンダーの、どこにあるのかなあ?』

『そう、よくわかったねえ。そして明日は19日、あさっては20日と続いていくんだね・・・・2月から3月になりました。』

(大きめのカレンダーをつなげてある。ポイントの日には何か印をつけておいて目立たせるといい。)

『3月3日はひなまつりだね。・・・・・ずっといくと、ここが27日。みんなが保育園とさよならする日だね。ちょっとさみしいねえ・・・そして、いよいよ4月だ。1,2,3,4,・・・7。そう、4月7日、三輪小学校の入学式の日です。ほら、ぴかぴかに光っています。みんなはその日からピカピカの一年生です。一緒にいってみよう。いい、「4月7日、入学式」はい。』

『みんながこの学校に入ってくるのがとても待ち遠しいです。今日は、やさしいお兄さんやお姉さんがいろいろと教えてくれたり、一緒に遊んでくれたりします。楽しい時間にしてください。』
 
 一年生が一緒に見ているかあ。それをどうするか、うまく使えるともっと楽しいはず。
 そのあたりは本番の微調整ですか。

絵踏みから下り坂へ

2010年02月17日 | 雑記帳
 そういえば、数年前に「『踏み絵』ではなく『絵踏み』というんだよ」と聞いたことはあった。
 自分の勉強不足を改めて露呈するようで恥ずかしいが、それが既定事実であることを今回の県学習状況調査の採点で思い知らされた。

 つまり「踏み絵」と答えれば×。
 「踏み絵」と「絵踏み」の違いは、まさしく国語的にも正しくて、対象と行為である。
 それを明確にするために厳しく?採点基準を示したのだろうか。全くもってその通りとしかいうしかないが、一度入った知識はなかなか抜けないものだから、私のような年配は困るなあ。
 こんな本もあるそうだ。

 そういえば、「聖徳太子」は「聖徳太子(厩戸皇子)」から「厩戸皇子(聖徳太子)」と表記されているらしいし、「1192作ろう鎌倉幕府」も通用せず、1185以降と書きかえられたりしているようだ。
 歴史上の発見があれば、むろんその時点で修正されるのが当然だろうし、そうした情報に敏感いや職務としてきっちり対応してこなかったことを反省するべきか。

 ちょっと調べてみたら、「四大工業地帯」も今は「三大工業地帯」となっている。
 「北九州工業地帯」の脱落だ。教科書によっては「工業地域」という表記に格下げ?されたものもあるらしい。
 そういえば我々の世代は(だけではないと思うが)、太平洋ベルトなの七大工業地域なのと様々に暗記されられたものだ。国の高度成長、工業振興の勢いがそのまま乗り移っているようなイメージもする。

 結局「三大□□」でも「五大○○」でも、覚えるため、覚えさせるための括り方であろうし、それ自体に意味があるわけではないだろう。
 ただ今回のような変化を知ると、「なぜ変わったか、その原因は」というふうに追究していくためのコンパクトな言い回しとして重宝になると感じた。

 今は中京が工業地帯として最も大きいとある。
 理由はもちろん某自動車メーカー関連だろうが、今その勢いがどうなるのか岐路といえるだろう。

 下り坂のようだけど、ブレーキはうまく治りますか。
(なんだか横道に逸れてしまったけれど、我ながら上手い)

平等神話を抱えたままか

2010年02月16日 | 読書
 採用されて三年目だったろうか、陸上競技大会への引率を断ったときがある。出場する子どもは去年と同じであり参加するメリットは低いし、それよりは学級で授業をするべきだと考えたからである。
 当時はそれが平等だと思い、そんなことばかりしていたように思う。
 
 次の学校にいって二年目だったろうか、組合青年部の活動がもとになりサークルらしきものを始めた。その最初に取り上げたテーマは「一人も残さずに後ろ回り(マット運動)ができるようにする」ことだったと記憶している。
 当然、向山実践「全員に跳び箱を跳ばせる技術」に大きな影響を受けての設定だった。

 ちょうどその頃、同年代の同僚がこんなことをつぶやいた。
「人間は生まれながらにして不平等だ。じゃあ、学校はその不平等を縮めようとするのか、広げようとするのか。」
 その時まで考えてこなかったことで、自身の不明さをずばりと言われたようで、深く心に刻まれた。

 北海道の堀先生がブログで絶賛した『教育と平等』(苅谷剛彦著 中公新書)を読み終えた。

 「平等」は自分が若かった頃の実践や行動を振り返ってみるときの重要なキーワードだ。
 そういう自分の考えが構築されてきた土壌、背景、歴史といったものが見事にあぶり出されていると感じた。
 我々は今どこに立っているのか、それを世紀レベル、国家レベルで見当をつけるには不可欠な著書だろう。もちろん10年レベル、県レベルのところはきちんと自ら探り出す必要のあることだ。

 自分はまだ「平等神話」を抱えたままなのではないか…という思いを持ってしまう。
 様々な施策についての自分の見方が硬直していると感ずることと無関係ではない。
 変化が激しい時流を言い訳にその意味を知ろうともせずに退けていないかと自問する。

 変化への無知は暗黙の支持を意味した。
 
 著者が書いたこの一言にドキリとする。

私にとっての「羽後なう」

2010年02月14日 | 雑記帳
 先週このブログのカテゴリーを見て、ふと「数」が気になった。
 もしかして1000ぐらいではないか…。
 案の定990を越していて、昨日の投稿で通算1000ということになった。

 知っている人は知っているだろうが、このブログ以前に別プロバイダーのときに始めたブログがあった。
 併行してこのブログを作ったのだが、当初はホームページで書きこんでいた「キニナルキ」ブログバージョンというイメージだった。しかし途中から雑多な感じになり、結局こちら一本に絞ったという経緯がある。

 以前のものも500程度は投稿したと思う。おふざけも結構あってそれなりに楽しかった。しかしまた、やはり「広告の裏にでも書いていろ」レベルであったことも否めない。
 いや、もっともこのブログであっても似たようなものだが。
 では、なぜ続けているのか…時々こう自問してみることは無駄ではないだろう。

 私の場合は単なる日記とはいえない。読書メモという形が大半である。読んで感じたこと、考えたことについて、多少他人を意識して文章化してみる、ということではないだろうか。
 書いた後に読み直して投稿するが、何度も推敲している文章ではないし、その程度であることはおわかりと思う。
 考えを深めて違う形にしてみたいという気持ちがないわけではないが、根性にかけるし力量も足りないようだ。
 ただ何かのときに、自分が書いていたことを読み直し参考にできるという点では重宝している。
 その意味で、ある程度習慣化している、できていることは貴重だと思う。

 10年前かなりリキを入れてホームページを作成した。これはプロバイダー変更によって廃し、若干をnextという形で残している。
 これもブログとリンクさせることでもっと活用ができるかなと考えている。

 ブログとホームページである程度、意図的・計画的な蓄積はできるのではないかという思いもある。
 ただそれがもはや時流にそぐわないものではないか、どうしてもストック重視ではないか、という考えも浮かび始めている。
 格好つけて「すべてはフローという覚悟」なんてことも書いたことがあるのに…。

 Twitterという存在が気になっているが手を出せない自分について考えていることもある。
 かの内田樹教授が昨日のブログにこんなことを書いている。

 「箱根なう」とか書くと、いろいろ楽しいことが起きるそうだが、私にはよく意味がわからない。
 「入試なう」と書いて、誰が面白がるのであろうか。
  
 私もまったく同様である。
 そこからすぐにアクションを起こせるかどうか、利用してコミュニケーションをとることが楽しい、刺激的だと感じられる精神がないんだなあ、と思ってしまう。

 まあテンポは一日一つ程度、少し長文?だろうけど、結局はこの更新が私にとっての「羽後なう」なのだろうと思う。
 これからも少しは面白がってもらえるよう投稿していきたい。