すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

参参参(三十二)自由か平等か

2023年09月29日 | 読書
 特に意図した訳ではないが、古本サイトでまとめ買いをするときに政治関係の新書を三冊入れた。いずれも2年前の発刊。当然状況は違うが、もうひと波乱起こしそうな(起こしてほしい?)人物ではある。


『日本を前に進める』(河野太郎 PHP新書)

 どこのクラスにもこんな奴いたな、というイメージを持ってしまう。集団でまかり通っている「常識」「空気」に目を向けてはいても、自分は違うと言い放つ。まあそれでも協力はするか…と何かしらの役割を担う。けれど他者からの見方はあまり変わらない。若き頃を書いた第一章、父との関わりの第二章が「読み物」として圧倒的に面白かった。


『枝野ビジョン 支え合う日本』(枝野幸男  文春新書)

 正直、枝野さんにはシンパシーを持つ。政治的信条と方向性について理解が及ばない面はあるにしても、大震災以降に彼が歩いてきた道を否定するものではない。現首相と政策的志向が似ているという言われ方をした時があったが、そうなのか。とすれば結局のところ、この国のリーダー像はどこまでも混沌としている。愚民への長い坂。





『悪の処世術』(佐藤 優  宝島社新書)

 プーチン、習近平、トランプ、金正恩…と11名の独裁者について語られていた。アサドやホッジャなど基礎知識がないと読み切れない部分もあった。それにしても、政治とは、国とは、そして庶民の暮らしとは「自由か平等か」という二択、及びどちらを重視するかの兼ね合いによって、成立していくものだと、今さらながら学生時代にかじった知識に戻っていくようだった。コロナ以降の混乱、混迷の時代に求められるリーダーに、私たちは何を求めているのか。独裁者たちが手練手管で伸し上がっていこうとする先に何が見えるのか…引っ張られているだけではむろん駄目、左右に上下に、そして斜めに振ってみることで遅々として進まない世の中も、案外「悪」を削ぎ取るかもしれない。そんな気にさせられた。所詮、100%の悪とは存在しない。

ハマる味わいからどつぼへ

2023年09月27日 | 雑記帳
 今年の夏をいつまでとするか。やはり最高気温が30℃をきった日か。それとも最低が20℃を下回った日とするか。それより体感的なことを重視するとれば、寝室にエアコンをつけなくても良くなった日。昼食に熱い麺類がいいなあと思った日。いろいろ挙げてみたが、まだ10日も経たないというのに、猛暑・酷暑があった記憶はだんだん薄れていく。ただ、これだけは記しておこう。この夏の夜、一番役立ったのは「冷えピタ」だった。そう、発熱時に額に貼るあれだ。ただし普通にドラッグストアなどで買えば高いので、百均で5枚入りを買う。一晩22円の幸せ…見かけはよくないがハマった。ようやくお別れだ。





 大相撲秋場所優勝力士を、大関貴景勝有力と事前に予想した専門家はいなかったと思う。ファンであっても、なんとかカド番脱出を目指して、早い勝ち越しを願っていたに違いない。初日の黒星に不安を覚えつつも、その後を凌ぎ最後の決定戦まで持ち込み、勝負に徹した相撲で賜杯を得るとは…。圧倒的な精神力としか言えない。自らの身体的弱点?は十分に把握しているだろうし、勝敗を決する取り口の幅が広くないことは、誰しも知っている。しかし結果はそれを乗り越えた。絶対王者と目される関取のいない現状で、ぶれずに自らのなすべきことを坦々と語った優勝インタビューは、一言一言を噛みしめれば、ハマる味わいが残る。男、かくあるべし。



 数年に一度はやってくるPCトラブル。今回はメールの不具合。実は数カ月前から送受信の反応が鈍かった。まああま、支障が出てくる程度でもないので我慢していたが、夏の暑さがピークの頃に、邪魔しているモノを探したくなり、Outlookに関するテータをいじってしまったのだ。それを触ったことで毎回パスワード要求が出てくる。パスワード探求もせず、連続キャンセルで乗り切っていた。その繰り返しに飽いてデータ削除に動き、結局アカウントの入れ直しという羽目に…休日(ほぼ6時間)を費やし、どうにか復旧までこぎつけたとはいえ、穴から這い上がれない自分がただただ苛立たしく、「どつぼ」とはこれなのだと最後に悟る。




長月十番勝負その九

2023年09月25日 | 絵本
 9月22日。午前は昨日書いた中学校でのビブリオ。12時半までかかり、図書館へ戻っておにぎりを食べ、すぐに三輪小学校へ向かう。5,6年生への読み聞かせがある。選書は結構悩んだのだが、結局、水曜日と同様にする。構成がいいと思うし何よりここ数日絶不調で新規練習ができない。ドリンク剤で凌いでいる。


 最近のお笑い『ねこ、いる!』、昔の?お笑い『ねこのさら』、そして実に絵本らしい絵本『なまえのないねこ』という流れは、20分弱としてはまとまっている気がする。落語が入っているのでどうしても上学年向きだろう。今回は、語ってからオチについて話したら、「あああっ」と反応してくれた子もいて嬉しい。





 さて、メインの名作『なまえのないねこ』。わずかに知っていた子はいたようだが、これは何度でも触れさせたい作品である。「名づけ」こそ存在証明であり、それは存在を認めてくれる他者がいることと結びつく。限られた文章の中で、世の中には知らず知らずのうちに疎外されている者がいることにも気づく。


 当然、落ち着いた調子で語りかけていく。他の猫の台詞もあるのだが、極端に声調を変えない方が全体のトーンを乱さない。クライマックスは、女の子との出会い。手でページをめくる時も今回のようにPPTで行う場合もここはゆっくりと進む。一語一語の重みが伝わるようにしたい。工夫のしどころがある作品だ。

長月十番勝負その八

2023年09月24日 | 雑記帳
 今回は「絵本」カテゴリーには入らない。地元の中学校でのビブリオバトル集会に参加し話をする。昨年も同時期に開催し招かれたが、感染拡大時だったので代表3名の発表を聞き、リモートで講評という貴重な体験をした。今年は無事に全校300名が一同に会し、11名の発表⇒投票という本来の形で行われた。





 各学級での予選を経て選ばれた本は、今どきの恋愛モノ、部活モノあり、斉藤孝あり、太宰治ありでバラエティに富んでいて、楽しめた。学級数の多い2年が5つ、他学年は3つで、計11が披露された。生徒が行う投票はchromebookを使って行われた。確かに効率的だ。多勢の場合の即時評価として役立つなあ。


 集会の時間が押すのは宿命的なものかなあ。講評は当初5分以上話せる予定だったが、既に終了時刻を過ぎたので2分に留めた。語ったのは、審査の二つの要素「本の魅力」「発表の魅力」。「発表」はスピーチの仕方以外に本の要約・引用・自己との比較にあること。その点で3年生のレベルが高かったことだ。


 しかし、実は話したいことは別にあった。紹介文コンクール応募作文に、率直に「読書嫌い」を綴った生徒がいて、それをネタ「本を好きになる(かもしれない)方法」を短く語るつもりでいた。その点に触れて「来月の図書館だよりで…」と締め括った。勝負という観点でみれば、「おぼえてやがれっ」で去った形か(笑)。

長月十番勝負その七

2023年09月22日 | 絵本
 9月20日。午前のこども園に続いて、午後は高瀬小学校へ。ここは小人数なので4年生から6年生までが一緒だ。多少学年差に気を遣う必要はあるのだが、そこは絵本の持つ強みがある。ストーリーだけでなく、絵の面白さ、何よりジャンルの広さが大きい。冒頭に「今日はいろいろなタイプの本を読みます」と語る。




 動物愛護週間でもあり、図書館で「犬・猫特集」をしていることを紹介しつつ、数多い「猫」の本を取り上げる。最初は、もはや定番ともなった『ねこ、いる!!』である。お笑い芸人が描いた絵本で、フリップ芸に近いと話し、それから昔の笑いということで「落語絵本」に移っていく。春に取り上げた『ねこのさら』だ。


 講談も含めこうした類の絵本は、内容的に難しい面があるかもしれない。だから感想で一人の子が「五七五の連続を聞いているようだった」と、話の調子に着目してくれたのは嬉しかった。語りを磨くというところまではいかないが、何度が読み込んでいるうちに、いくらか手慣れてきている。慢心せず練習したい。


 最後は『なまえのないねこ』。数年前発刊され、数々の賞に輝いた作品である。少しめくってはいたが、実は今回初めて読み聞かせに取り上げる。実にいい。町田尚子の絵のタッチは他の作品でも堪能しているが、竹下文子の展開させる物語性の深さに惹かれる。語り方も考えざるを得ない。22日にもう一度チャレンジ。


長月十番勝負その六

2023年09月21日 | 絵本
 秋めいてきた9月20日午前。来週の予定を繰り上げてのこども園読み聞かせがある。この頃は続けて紙芝居を最初に取り上げていたが、今回は大型絵本とする。図書館の棚を一通り漁ってみていて、これがいいかなと実のところ軽い気持ちでピックアップした一冊だ。名作『だるまちゃんとてんぐちゃん』である。





 40人ほどを相手に「前に読んだことがあると思うけど…」と通常版の本を出して訊くと、「あるう」と声を出した子は数名だった。確かにそうなのかもしれない。次々に新しい絵本が発刊されているし、大人が知っていても今どきの子の多くが読んでいるとは限らない。大型版を出すと、わあっととたんに見入ってくる。


 ストーリーは単純で、だるまちゃんがてんぐちゃんの持っているあれこれを欲しがり、だるまどんに用意してもらって見せに行くという形。読み聞かせ方を考えると、改めて絵の見せ方もポイントになるなあと気づいた。たくさん用意してくれたもののなかから、てんぐちゃんが選ぶものは…といった見せ方が有効だ。


 今どきの子どもたちの受け止め方はどうかやや心配もあったが、やはり名作は名作だ。子どもたちの目と耳が惹きつけられているのが伝わってきた。長く読み継がれる作品には、心をとらえる芯のようなものがある。それは達磨と天狗という対照的な造形と、筋の繰り返しの妙と変化、明朗さといった点が挙げられる。


 大相撲中継をしている今の時期ならと思い、力士が登場する絵本を一冊取り上げた。『たぷの里』という書名が、力士の体型とあいまって面白い。子どもたちの頭などに「たぷ」と胸部が乗っていく繰り返しがユーモラスだ。これなら乳児であっても笑えるかなと思う。そのあとに2冊短いものを取り上げ、終了

長月十番勝負その五

2023年09月16日 | 絵本
 昨日は、今月上旬に急に学級閉鎖になり読み聞かせを延期したこども園に向かった。一つの紙芝居と3つの絵本のラインナップは、今までと同様だった。わずか12人なので、非常に反応が拾いやすい。女の子が多くお転婆な雰囲気もあるので、今回のラインナップの締め(笑)として、ちょっとした工夫を入れてみた。

 

 ページのめくりのタメと台詞の繰り返しで、期待感を持たせ、盛り上げる手法だ。『わにくんのだめだめアイス』では、わにくんがぶたくんから預かったアイスを食べたくなってしまう場面…十分に間を取って、子どもたちの心を寄せさせる…一昨日、高校生の読み聞かせを聞きながら、自分ならと思いついたことだった。


 他人の読み聞かせを聞くことの大切さを、今さらながらに知った。そしてもう一つ、今回のラストに使っている『ぱれーど』の反応が良くて、少し驚くほどだった。この絵本はなかなか面白い、惹きつけられると考えて選書したのだが、今までの三館では集中してみているが、能動的な反応は今一つ感じられなかった。



 しかし、今回は「あれっ、〇〇がいる」「●●も」「すごい」などダイレクトに喜んでいた。集団の雰囲気と言えばそれまでだが、読み手としての声かけ…絵を見せるための勘所のようなことが不足していたかもしれない。本当にたくさんの生物・無生物の先頭に立つ「ぼく」への共感は、子どもなら誰しもあるはずだ。

長月十番勝負その四

2023年09月15日 | 雑記帳
 高校の授業二日目は3年生。今回は個人はおらず、5つあるグループが二人か三人で読む形である。授業冒頭に、読み聞かせの説明をしてから、紙芝居の実演を見せるのは前回と同じだ。しかし、題材を変えてみた。参加型の「おおきくおおきく~」ではなく、「おとうふさんとそらまめさん」というタイトルをつかった。



 グループの一つが「そらまめくんのベッド」という絵本を選んでいることもあるし、やはりストーリー性のある方が楽しく聴いてくれるようだ。松谷みよ子の脚本・長野ヒデ子の絵という名作。コツというほどのものはないが、ほのぼのと可愛らしくという雰囲気を出すためには、柔らかい声が必要と多少意識した。


 3年生は2年生よりずっと読み込まれている、工夫しているという印象を持った。これが一年分の進歩か?と感じた。絵本の見せ所、聞かせ所を意識した、読みの分担などが身についているということだろう。きっかけがあれば今後も絵本を手に取ってほしい。さて、一グループが『100万回生きたねこ』を取り上げた。


 幼児相手にどの程度通ずるか、正直わからないが、自分ならよほどの特殊条件でないと取り上げないだろうなあ。声質を生かして語るという点でもハードルの高い本だ。高校生もそれなりに頑張ったが、読み手によって差が出てしまう。細かい感想は避け、いかに名作かをオマージュ本を紹介することで印象づけようと、この本を紹介した。

 『100万分の1回のねこ』(江國香織、他 講談社文庫)


参参参(三十一)好きになる生き方

2023年09月14日 | 読書
 集中して時間をとった読書ができなかった。酷暑・残暑のせいにしてしまっても、今年は許されるか。


『いのちとユーモア 鎌田實と11人の対話』(集英社)

 2004,2005年のNHKラジオ公開放送の記録を対話集として再構成した一冊。村上信夫アナウンサーとともに、永六輔、西村由紀江、立松和平、坂田明などの11名のゲストと語っている。それぞれが個性豊かであり、様々な対象と向き合っている方々ゆえに面白い。エピソードも多彩である。書名にある二つのキーワードに添えば、「いかにいのちを愛でるか」、そして「ユーモアこそ生きのびるコツ」が大要と言っていいのではないか。特にユーモアは「ヒューモア・ヒューマニズム」だという永六輔の説、さらにユーモアの語源が「フモール(体液)」というラテン語にあることは通ずる。体液を喜ばせる生き方を自分はしているか。





『つまずきやすい日本語』(飯間浩明  NHK出版)

 再読。2019年に発刊された時に手に取っていた。辞典業界?では超有名人の飯間さんの文章は非常に明晰でわかりやすかった。言葉の使い方はもちろん正誤がはっきりしている事項もあるが、それ以上に変化していく事実が特性であることを再確認した。よく言われる「的を射る」と「的を得る」も設定や状況によってどちらもあり得る。決めつける者がいれば、それは知識の、いや思考の狭さと言っていいのだろう。この「頼りないコミュニケーションの道具」と付き合うためには、好きになる以外手はないだろう。


『雄勝風土記』(文学の村同人  秋田文化出版社)

 ふっと読みたくなって手に取った。裏表紙の見返しに氏名印と、(おそらく)購入月日が書かれてある。「80.9.22」。発行日から10日あまり後だ。採用2年目の自分が何を読もうとしていたのか。序は「地域と民衆の視点から」と題され、郡市文集「かっち道」の巻頭言が引用されていた。当時の興味の一つが「郷土」にあったことは間違いないようだ。四十数年経った今、よく目にしてきた盆踊りや佐藤信淵のことより、やはり「天保けかち物語」「帯屋久太郎」「草相撲の里」など読んではいたのだろうが忘れたことが新鮮だ。それはある意味で、書かれてある歴史を放ってきた自分の歴史とも言えるのか。

長月十番勝負その三

2023年09月13日 | 雑記帳
 昨日は久しぶりに地元の高校へ。2年生の「保育」学習の一環で読み聞かせを取り上げるので、毎年のように出向いている。読み聞かせの目的や意義、方法などを少し語り、実演した後に、それぞれの練習につきあって、発表では若干の感想を述べるという流れである。2時間続きの授業で、正味100分間である。


 分担して私は「紙芝居」を受け持った。保育分野なので幼児対象として、いわゆる「参加型」の紙芝居をやってみせる。「おおきく おおきく おおきくなあれ」である。聞いている幼児のつもりになって…とは言うけれど、そこは現役高校生。なかなか口や表情は動かない。しかしこちらのテンションは下げない。




 これは実演する前に説明したことの具現でもあるからだ。つまり「読み聞かせの目的」とは、「子どもと読み手が『絵本』は仲立ちとして、楽しい幸せな時間を過ごす」ことにある。どんなに聞き手が楽しさの表現に不慣れ?であっても、読み手はその状況に同化せずに、柔らかく笑顔を振り向かなくてはいけない。


 個別に語る子、2,3人のグループと様々であり、出来もそれぞれだった。実は講評を語る時、言いながら気づいたことがあった。いかにも幼児の読み聞かせに不向きな選書があったのだかが「選んだのはこの本が気に入ったからだよね」と念を押した。「この本が好き」が読み手としての何よりの条件だということだ。


  明日は続けて3年生の学習に向かう。