すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

令和五年葉月晦日に

2023年08月31日 | 雑記帳
 記録的な暑さという表現は少し弱い気がする。おそらく記録に残る暑さだ。しかし「記憶」に残るかと言えば、いささか心許ない。今なら「忘れないよ」と思うが、難儀した豪雪の時であっても喉元過ぎればナントカで「ああ、そうだっけ」と済ましてしまうことが多い。まあその頼りなさが一つの救いにもなるか。

今、書いている時に地元新聞のニュースサイトが伝える。「気象庁によると、31日午後1時49分に横手市で気温が39・2度に達し、1976年の統計開始以来、能代市の39・1度(78年)を更新し県内歴代1位の暑さとなった。」


 七月下旬から徐々にその暑さはやってきた。月初め、職場体験に来ていた中学生をこども園の読み聞かせに同行させ、1つ紙芝居を演じてもらった。いい汗をかいた経験だった。週末に30年ぶりぐらいに県都の竿灯祭を観に行った時も相当暑かった。それでも降雨に見舞われず幸運と喜んだのだから、余裕があった。


 高校野球はずいぶん様変わりした。歴史をもった甲子園大会はいわば季節の風物詩だが、現状開催でスポーツとして教育活動としてふさわしいのか、考えざるを得ない。指導方針の問題も取り上げられた。今後の舵取りは注視してみたい。それにしても児童期の顔を知っている子がマウンドに立ったのは嬉しかった。




 こども園の読み聞かせは少し選書で悩んだ。やはり「夏らしい」テーマがふさわしいし、途中から変更しつつ、四園全部やりきった。学校は休業中に放課後教室にお邪魔して、読み聞かせとゲーム等を行った。いずれも冷房のある場所だが動くとすぐ汗になることを感じた。いずれも35℃超が珍しくない日々が続いた。


 来週は、小学校2年生とこども園2つの読み聞かせ予定がある。まだ高温予報が続くので、愛読する『つかまえた』『お月さんのシャーベット』はどちらでも使おうと決めた。一瞬でも物語に浸らせることで想像の涼しさ?を体感してほしい…大層な願いだがこれも「季節を読む」ことの一つの醍醐味だ。楽しみだ。

参参参(三十)酷暑の読書は

2023年08月27日 | 読書
 ちょっと異常だな…と天気のことでいうのは珍しくないけれど、これだけ続くと「ちょっと異常だな」。そのレベルはあがっていく一方だ。
 想像力で凌げ!!


『ばにらさま』(山本文緒  文藝春秋)

 「無人島の二人」の中に記されていた発刊へ向けて編集していたのがこの著だと、読了後に後付けに目を留め想った。つまり、死を覚悟しながら編集に携わった最後の本だった。けして好んで読むタイプの作家ではないが、「自転しながら公転する」を読んでからちょっと気にかかり、「無人島~」にたどり着いた者としては、著者がある意味訥々と語る「生」の実感は、きっと首都圏(笑)に住む者にとってごく近いのではないかと想像できる。それは、かなりな田舎に居る自分でも想像できて、この国の病んでいる症状を的確に描いている。「自転~」のPRで知った「明日死んでも、百年生きても」が凄い捨て台詞のように迫ってくる。




『鳥肌が』(穗村 弘  PHP文芸文庫)

 単行本は講談社エッセイ賞を受賞している。文芸文庫に収められているから、文芸性が高い?のだろう。穗村のエッセイはお気に入りだが、つまりは、自らあとがきに記すように「私の人生を四文字で表わすならびくびく」が起点になっている。そして、その中心にあるのは「他人という存在」にある「眩しいほどの未知性」、さらにそれから想起される自分に潜む未知性ではないか。若い人たちが、最近「コワイコワイ」という語をよく発する。まだ園児である孫も口にするのを聞いたことがある。日常生活にある「怖さ」の深度を掘り下げていく探検家のような存在だろうか。進む足元の震え具合が面白いのである。



『野良猫を尊敬した日』(穗村弘  講談社文庫)

 2010年から16年頃まで北海道新聞に掲載されたエッセイが主となって編集されている。上の著よりこちらの方が物語性もあって、描写として面白かった。解説は雪舟えまという作家だが「二種類の幸福」というテーマを掲げていた。穗村が描く幸福は、いわゆる達成や向上などとは異質の、名づけてはいないが「没頭、忘我、陶酔」系の内容と結びつくと読んでいる。価値観と置き換えてもいいが、それが才能と相まって穗村ワールドを形づくるか。個人的に惹かれた表現がある。「『わけもわからず書いてしまったもの』が、未知の世界の扉を開くことがあるんじゃないか」。現役教員の頃、とにかく書き始めていた自分が懐かしく思い出される。

酷暑に凡庸さと和解する

2023年08月23日 | 雑記帳
 先月末に「令和五年文月真夏日続く」と題し雑文日記を載せた。その書き始めが7/25だったから、凡そひと月となるのか。さすがに厳しい。一週間ほど前に「電力量のお知らせ」をやや怖い気持ちで開いてみた。ところが昨年並みであり、なんと、と思った。これはおそらく冬場の高騰で学んだ節電意識の賜物(笑)か。




 人間、知らないことばかりでなく、知ってはいてもなかなか実行に移せないことが多々ある。例えば「充電」もそうだ。フル充電を続けるとバッテリー劣化が進むことはかなり昔から知識としてあったが、つなぎっぱなしにしておく便利さ(というより怠惰さ)が日常化してしまっている。反省しつつ改善の道を進む。


 気持ちの切り替えというごく普通に言われている心がけも、実はそんなに容易くないと先月不整脈が起きたので痛感した。そんなに楽観的性格ではないと自覚していたが、思い込みすぎるとついだらだらと…。そこで「〇〇のことは考えない」と言葉にしてみることによって断ち切る、そういう習慣づけが有効だった。


 些細なことを続ける、それがいつも心地良かったり、充実感がわいたりするとは限らないだろう。それでも、どこかに何かに反映してくると信じたい。ただ、その成果は他者と比べるものではない。比較が有効なのは、過去の自分とだけなのだ。どんな凡庸にもわずかに価値はある。小田嶋隆は『諦念後』にこう書く。

「老後で大切なのは、単純作業に身を投じることだ。なんとも凡庸な教訓だが、凡庸でない教訓など信じるには値しない。なんとなれば、男がトシを取るということは、自分が積み上げてきた凡庸さと和解することだからだ。」


暑い夏夜に甦る昭和

2023年08月17日 | 雑記帳
 こんな暑い夏は初めてと多くの人が言う。様々なデータがこの後だされるだろう。夜のエアコンのフル稼働がこれほど続くことはなかったのは確かだ。日本は亜熱帯になったと結構前から言われていた。大雨や台風が続けざまでこの国は災害列島であることをしっかり自覚しなければいけないと、ぼやっとした頭で思う。


 ガソリンが高くなったし、近距離の仕事場まで車を使わなくてもいいと自転車通勤をすることがある。15日は日勤を終えて一旦帰宅し、夜の閉館間際に再び館へ行き、明日からの盆踊り実行委員会が使いやすいように書籍管理などをした。その帰り道19時30分、まだ体感的には30℃はある空気が身体にまとわりつく。


 わずか数百メートルの道筋にエアコン設置していない家屋もある。とても夕涼みとは言えないが、外に出て長椅子に腰かけている親子もいる。角を曲がって自宅近くへいくと玄関が網戸になっている家で、室内までずっと見渡せ、TVの前で寝転んで団扇をしきりに動かす様子が目に入ってきた。一瞬、「昭和」が甦る。


 16日朝は風が時折強く吹いた。温度は確かに高いが若干心地よさもある。お盆期間こども園に行っていない孫が来たので、虫取り網を持って近所の公園へ出かける。蝶々やトンボもいたが、結局捕まえたのはバッタとコオロギだった。ふと堤の側をみるとススキが風に揺れている。こんな暑さの中でも確実に季節は進む。




 孫は母親と一緒に夕刻に大通りへ。お目当ては屋台だが寄せ太鼓は聞いたらしい。風は収まり我が家まで音頭の響きは届かない。踊りから遠ざかって久しいが、音に触れないと寂しい気がする。ふと思い出す、あれは高校1年生。8月1日にバイク事故で骨折し、病院の窓に凭れて囃子を聴いていた夏。風景が見えた。

参参参(二十九)朽ちるか否か

2023年08月15日 | 読書
 酷暑のお盆読書第一弾。小説やら健康本やらを、ベッドやら風呂場やらで読んだだけか…。


『虹の岬の喫茶店』(森沢明夫  幻冬舎)

 いまどき「ハートウォーミング」という形容は使わないかもしれないが、さらりと読めて、様々な人物の誰かに自分を投影できるような気にさせられる物語だ。一人一人の生き方には必ず背景があり、そこには何か欠落した暗闇のような部分がある。そこに落ちていくか、そこからまた光を見い出すか。良きめくり合いこそが、鍵になる。主人公の言葉がじいんと沁みる。「過去を懐かしむことが出来るってことは、あなたたち二人はきっと、いまの自分自身をちゃんと大事に思えるってことだと思うわ」




 
 『鎌田式43のいい習慣』(鎌田實  集英社)

 開いてみたのは「睡眠」のQ&Aが多かったからだ。この手の本は結構読んでいるから、新しい知識があったわけではない。しかし、常用していた数種類の睡眠導入剤を使わなくなったという事実はやはり説得力がある。何か一つでも二つでもやってみたいと思うが、結局生活全体の複合的な活動が大きいという結論になってしまうから、道のりは遠いか。「睡眠」「運動」「タンパク質」「ポジィティブ」「親切」「貢献」など、たくさんのキーワードが出てくる。この本からの学びを一つだけ書くと、いわば現実に即した心がけの大切さか。それはこんなAnswerとして書かれてあった。「99%は自分のため、1%は誰かのために生きる。自分の命は自分で決めよう」



『朽ちないサクラ』(柚月裕子  徳間書店)

 半月前に読んだ『月下のサクラ』がまずまず面白く、その「前日譚」となる作品にも興味を持った。結果ううーんちょっと消化不良というか、これはモチーフといえる「サクラ」(公安警察)という存在が常人では捉えにくく、どこかうやむやに終わった感が否めないからなのか。まあ、最近多い秘密組織系、ドラマの「VIVAN」「ダイマジン」などもそうだ。「知らなくていいんだよ」「手を出さない方が幸せだ」…そんな世界はあるだろう、情報化社会が拡大化して、そんな組織の横顔がちらっと見えたりするけれど、不気味さは益々募るばかり…みんな人間が作り上げたものだろうけどねえ。組織は朽ちずに人だけが朽ちていくのか…。



令和五年「立秋」だとさ日記

2023年08月11日 | 雑記帳
8月4日(金)
 朝「二十歳のつどい」用に図書館からのメッセージ(印刷物)を教委へ届ける。1%でも届けばと思う。午前勤務であり、来週の準備をし、ブログもアップ。午後からかかりつけ医へ不整脈の相談。心電図の検査もする。睡眠をいかに戻せるかだ。久しぶりに個人ブログアップしたら、アクセス300超。ありがたいことだ。


8月5日(土)
 午後から秋田市へ。三十数年ぶりに竿燈見物。意外とスムーズに駐車場へ入り、ホテルチェックイン。高温なのでなるべく体力を使わず駅前から巡回バスで大町周辺へ。ねぶり流し館で小さな竿燈に触ってから、ちょいと夕食をと思ったら結構ビールを飲んで…人混みの中へ。見事だけれど、案の定1時間ほどで疲れが…




8月6日(日)
 12月以来となる師匠の学習会へ。相変わらずご壮健である。久しぶりに『やまなし』の講座。「小川の深さを問う」は私にとって思い出深い発問だった。懐かしい。そして父親像を考えることはおそらく初めての問い。いつも刺激がある。懇親会も楽しく。大人数なので移動しやすいよう「秋田組」(笑)は二次会を離れる。


8月7日(月)
 昨夜の酒も残らず、国道13号線を通ってのんびり帰ることにする。途中、協和で道の駅へ。羽後町産の西瓜がごろごろある。帰宅し、そうめんの昼食。それにしても異常な暑さが続いている。本県鷹巣が全国一の暑さを記録するとは…。家人のスマホの調子が悪く、2時間ほど格闘。ようやく復旧して一日が終わった。


8月8日(火)
 「立秋」。ブログアップしてから、先週の訪問を延期したこども園へ。TVにつないで絵本を見せようとしたら接続端子の破損に気づく。急遽、普通型?の読み聞かせ。これもまた良し。午後から隣市某小学校へ。図書室レイアウト等の相談。懐かしい方々と会う。帰宅後、進めていた某交渉事が思わぬ展開で断念する羽目に…。難しい。


8月9日(水)
 暑いので、またガソリンも高いので、自転車通勤。今日から教員10年研修で職業体験がある。自分も二日間、図書館のことや絵本のことなど話をする。午前で担当時間を終え、あとはブログアップや明日の講座の準備など。ボランティアグループの方から連絡があり、9月に行う高校の保育の授業の手伝いも受ける。


8月10日(木)
 今日も自転車通勤。研修者の方を相手に2時間の絵本研修。その後は「避暑読書の薦め」と題してブログアップ。午後から、次のこども園、学校読み聞かせの選書作業に入る。次々に面白い本と出合う。夕方帰宅し、頼まれていた印刷仕事をする。この後一週間は勤務が2日間なので少しゆっくり。ほっと一息つける。

腐らせないは腐らない

2023年08月05日 | 雑記帳
 先月残したナンシー関の名言「ちゃんとした生活、それはものを腐らせない暮らしだ」から、いろいろ想いを巡らしていたら、『21世紀の楕円幻想論』(平川克美)の後半部で、あまりにフィットする考え方と出会ってしまった。実はこの本のキーワードの一つは「貨幣」なのだが、それは「腐らない」ことが特性だった。


 確かに人類の歴史において、貨幣の登場は「非同期的交換を可能にした」点で画期的だった。つまり「劣化しない価値の担い手」。その交換が人々の価値観を大きく転換させた。先日、図書館イベントでの「なぞなぞ」の定番にもあった。「新しくとも古くとも…」「キレイでも汚れていても値段の変わらないもの、なあに」





 と、ここまで書いて、「腐る」をキーワードに二つの方向が見えてくる。一つは、なんだかこの頃、現実として貨幣も腐ってきているのではないか…。まだ銀行などへの「預金」が利子を生み出していた時代とは明らかに違っている。これを比喩的に腐ると表現してもいいだろう。もう一つは物質の腐りに伴う人の腐りだ。


 それは死体でもない限りは、擬人的な用法だ。いわば精神が腐ること。この事態は身の回りと明らかに連動する。食べ物を腐らせてしまう生活を送ることは単に不注意もあるかもしれない。しかし突き詰めてみれば、どこか黒ずみが発生している。食糧以外でも、動かない活用されないモノがあれば要注意ではないか。


 人的環境もそうではないか。周囲を腐らせていないか。時々考える。知らずにそういう事態だとすると当事者は既に腐敗菌をまき散らしていると言えないか。人は冷凍保存も出来ないし、生き生きとした活動によって新鮮さが保たれる。…いや、腐敗でなく発酵にすれば…と声もするが、それには相応の技がいるだろう。

参参参(二十八)先入観への疑い

2023年08月03日 | 読書
 七月後半、ゴロンと寝転んで、しばしの本読みは…。


『逆ソクラテス』(伊坂幸太郎  集英社)

 文庫化されていたのを機に図書館から借りる(笑)。伊坂の魅力の一つは、セリフのきれのよさだと思うが、それは「断言」と呼んでもいいかもしれない。この頃、世間全体が断言を嫌う、まあそもそも国民性として曖昧さが持ち味なのだから、伊坂の使う言葉遣いは新鮮に思えるのだろう。「僕は、そうは、思わない」と言い切るためには、私たちが毒されている固定観念、先入観への疑う眼差しが求められる。そしてそれには常に大きな波に逆って進んだり、留まったりする体力・知力が必要だ。物語のなかで活躍する人物たちが元気をくれるような気がした。久しぶりに楽しく読めた伊坂本だった。



 アツいときこそ、アツいものを食らえ


『小田嶋隆のコラムの向こう側』(小田嶋隆  ミシマ社)

 昨年6月に亡くなったコラムニストの遺稿集と呼べる一冊。「ア・ピース・オブ・警句」と題されたweb連載で、死の二ヶ月前まで書き続けていた。この人の文章に接して数年しか経たないが、まあなんと切れ味(斬れ味というべきか)鋭さは天下一品と思う。正面に対し最初の一刀を軽く受け止めたのはいいが、次の一振りで「あれっ」と自分の弱く脆い姿に気づいてしまう…といったイメージを持つ。例えば「日本のジェンダー平等をさまたげているのは、日本人の『ユーモア』だ。」という一文。これに森元総理や武田鉄矢あたりの発言を当てはめてみると、笑っている自身の感覚に気づかされるのだ。



『月下のサクラ』(柚月裕子  徳間書店)

 人気作家だが、単行本を読むのはたぶん初めてだ。全体を通して心理描写は巧いが、設定・展開に少し突飛なものを感じてしまったのが正直な読後感。主人公が勤めることになった捜査支援分析センターは、TVの刑事モノにはよく登場するがあくまでサブ的な扱いが多いと思う。カメラ映像分析がカギとなる現在の捜査手法からすれば、当然取り上げられてよい仕事だが、ミステリーの中心になり得るか…うーん、時代はそうかもしれないが…と正直感じる。もちろん物語は人物の抱える矜持や葛藤、そして階級社会の現実や暗部をよく見せてくれていた。ただ、背景にある技術革新の波を読者が把握しイメージできなければ置いてけぼりをくう、そんな不安もある高齢者である。