すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ナエデガ、三連発

2021年07月31日 | 雑記帳
 「ナエデガ」という方言(訛り)は、「なんと言ったの?」と単純に訊くというより「なんということだ!」という驚きが強い場合に使っているようだ。昨日から「ナエデガ!」と思わず口から出てしまうことが相次いだ。その一つ一つ、微妙に感情が違うので、汎用性の高い語だと改めて納得した次第。声調なども違っている。


 昨日は久々に秋田市に泊りで用事があった。午前中に勤務して、午後出かける予定を組んだ。朝のうちに準備をして出勤した。職場に着き、降りる前車内でダッシュボードを開けたら、いつもあるはずの免許証がない。ナエデガ!そうだ、先々週、県民割を使って温泉に行った時に、車から出して提示したのだった。


 とすると、それからずっと免許不携帯…なんてことを!知らずにいるとは幸せなものだ。自宅に電話し、心当たりの場所を探してもらうように頼んだ。1時間後、無事に見つかり届けてもらう。まずは安心して、目的地へ。ホテルへチェックイン。今度も県民割適用になるが、今回はかなり慎重にしたので心配はない。


 町内で感染のことが取り沙汰されていることは知っていた。しかし、研修会に参加している途中で、職員から「まずい状況になっている」ことが電話で伝えられる。「役場からの指示で、今日の午後から休館」と聞き、ナエデガ!確か1月の時もそうだったが、あまりに早い展開にまたしても口をついて、出たその一言。


 会を途中で退席することにし、関係者に挨拶する。急ぎ車に乗り込み、高速を使って帰ることにした。最寄りのインターから入ると急に大粒の雨、これはナエデガ!と思わなかったが、数百メートル走った後に、左側に黒い犬のような姿を発見!エッ、エッ、ナエデガ!人生初の野生のクマを横目にして、道を急いだ。


 こちらは、3年前のフィクション

スナフキンは励ましになるか(笑)

2021年07月29日 | 教育ノート
 最近気にかかっていることの一つに教師志望者の減少がある。全国的な傾向のようだ。我が県も小学校は競争率2倍を切っていた。職を退いた者があれこれ口を出すのは少し憚られるのだが…。端的にいえば「魅力ある仕事」に見えないのが原因だろうか。学校に通い、教師という仕事をずっと見てきているのだから。


 昔、こんな話を聞いた。ある児童が「大きくなったら、先生になる」と志望を口にしたので理由を聞いたら、「だって職員室に行けば、いつも先生たちが楽しそうだから」と答えたそうだ。それを第一に挙げることの意味は大きい。教室で個々の教師が見せる構えは様々だが、集っている場の姿が物語ることは大きい。


 学校を訪問する指導主事が「職員室の雰囲気でその学校のレベルが分かる」と語ることも少なくない。それは多くの教員も納得できるのではないか。もちろん単なる仲良しグループを指しているわけではない。いくつかの視点があるが、しいて一つ挙げれば「こども個人の話題が行き交う場」になっているかどうかだ。


 先週、図書館を訪れた児童たちの引率として、かつて勤めた学校の子(今は立派な女性)がいた。講師勤務していて、今夏採用試験を受けたと話してくれた。当時からの頑張りは出色であり、ぜひ教員になってほしいと強く願った。今はもう廃校になっている小規模校だったが、あの優しくも逞しい雰囲気は忘れられない。


  こんなことまでしてもらつて…幸せなときでした

 個性的で優秀な教員が複数居た。束ねる私は新米だったが、楽しく過ごせた印象は強い。そうした姿が足を進ませたとすれば嬉しい。彼女に何か励ましになるものをと思って机の中を漁り、使っていない新品のしおりを「合格祈願」と渡した。しかし図柄は「スナフキン」。これって自由人、副業のススメになるのか(笑)。


世界一の酒を飲ませてくれた人

2021年07月27日 | 雑記帳
 Mr.Childrenの「1999年夏、沖縄」という曲のなかに、こんな一節がある。

♪酒の味を覚え始めてからは いろんなモノを飲み歩きもしました。そして世界一のお酒を見つけました。それは必死で働いた後の酒です♪

 この詞に共感する者は多いはずだ。そういう出逢いは本当に嬉しい。
 齢とともに残念ながらその機会は減ってくる気もするが、忘れられない酒をいくつか思い出せることも幸せだ。

 あれは30歳のとき、教師になり三校目の学校へ転勤した春。
 山間部の小規模校の狭いグラウンドはまだ雪に埋もれていた。5年生13人を受け持つことになり、始業式当日から子どもと一緒にスコップを持って、雪を一メートルほど掘り出して、いくつも穴を掘った。
 連休前に運動会を行うための除雪作業である。3.4日ぐらいは続けただろうか。

 整備される前の小さなグラウンドで、直線100メートルが取れず、狭い円を白線で描き、そこで徒競走が行われたことを覚えている。
 一人何役もこなしながら、いっぱい動き回った一日となった。

 会以上に記憶に残っているのは、終了後のことである。
 協力してくれたPTA保護者の方々と一緒に「反省会」をすることになった。
 小学校の春の運動会といえば、山間地域にとってはお祭り同然である。しかし当時はすでに学校内での酒宴等は禁止されていた時代である。ただ、体育館は微妙に管轄が重なる施設だったようで、抜け穴的に宴ができるのではないかと考えた人がいた。

 しかし、着任したばかりのN校長はのらりくらりと渋った。
 それを「それなら、俺が責任を持つ」と一喝したのがPTA会長のMさんだった。

 この時のビールの味が忘れられない。
 体育館の軒にはまだ雪が残っていて、その雪をバケツに詰め込んでビール瓶をそこに突っ込んだ。
 体育館の真ん中に大きな車座が出来上がり、陽気な宴会が始まった。火照った体に沁みこむようにビールが入っていった。
 
 その宴の細かな記憶ははっきりしていないが、間違いなくあの時のビールは世界一の味だった。

 結局、この学校には六年も勤めることになった。
 そしてPTA会長であったMさんの四つ違いの姉妹を、続けて2年間、4年間受け持ち、卒業させることにもなった。

 Mさんとは学校行事の度に顔を合わせ、また飲み会も多くした。
 自営業らしい独立心に富む親方気質だったので、話もよく合った。同時に教師には言いにくいと思われることも直言していただいた。
 諸事情から一つの学年をなんと4年間持ち上がりすることになった私に、「それは嬉しいし、有難いけれど、娘は他の先生との出会いを逃すことにもなった」と忌憚なく、真っ当な考えを述べてくれたことも思い出す。

 上の娘さんの卒業式後の懇親会で、ある約束をした。
 受け持った娘の気立てのよさを話題にしていたら、いつの間にか「では結婚式のときの仲人をする」という話になった。
 二人とも酔いに任せて楽しく盛り上がり、遠い将来に想いを馳せていた。

 ところが十数年後、Mさんから「先生、覚えているよな」ということで本当に頼まれるという事態が…。
 断る理由もなく、人生初のそしておそらく最後であろう仲人の席に立つことになった。人の縁の滋味ということを感じさせてくれた恩人と呼んでもよい。

 下の娘さんを卒業させた時の懇親会では、おそらく自分でも異動することも分かっていたからだろうか、私は4年間の到らなさが情けなく思えてきて急に涙を見せたときがある。その傍に寄り添ってくれたのもMさんだった。



 そのMさんの訃報が新聞に載った。

 ここしばらくお目にかかることがなかったが、頑強な方だったし、まさかと思った。病魔に侵されたのだろうか。

 MさんがPTA会長の時にちょうど学校百周年となり、記念碑に刻む言葉を私が考えることになった。それは地名からインスピレーションを得て、つくりあげた一節だ。

 「山は人を抱き、人は道をつくり

 製材を生業にしたMさんは山に生きて、周囲の多くの人に道をつくる人生を歩んだように思う。
 そしてまさしく、山に抱かれるように逝ったのだと信じたい。

 あの笑顔と口調が今もよみがえってくる。
 もう一度一緒に飲みたかったなあ。

 合掌。

蚊帳に蛍を放す

2021年07月26日 | 雑記帳
 こんな題をつけてみたが、何のことかわかるのはこの辺りでも60代以上ではなかろうか。数年前の夏が近くなった頃、家人と思い出話をしたこともあった。先日、視聴した『木皿泉DVDブック』のドキュメンタリー内ドラマの題が「世の中を忘れたやうな蚊帳の中」であり、一緒に見たので、その時代の話がまた出た。


 蚊取り線香が普及する前だろう。夜は窓という窓を開け放って、寝床に蚊帳を開いた。親にはいつも「早ぐ入れよ」と蚊の進入がないように注意を受けていた。時折、蛍を捕まえてきて蚊帳の中に放し、その光を楽しんだのは、今想うと映画のようだ。もっともこうした遊びは、季節に一度や二度くらいだったと思う。



 さて、ドラマは「木皿泉」こと夫婦ユニット脚本家が書き下ろした。自宅を主たる撮影場所に、同じ会社に勤める二人暮らしの夫婦の話だった。薬師丸ひろ子と田中哲司、二人だけの出演で、物語の最後の方で「蚊帳」が登場する。通販で枕を注文したのに間違って送られてきた蚊帳を開き、その中で二人が会話する


 もちろんロマンチックなことではなく、上司である妻が夫に対してリストラを言い渡す場面になるのである。どうして、それが「蚊帳の中」なのか。これがポイントなのだろう。一面では、慣用句としての「蚊帳の外」に対応させているのかもしれない。つまり、情報共有する仲間同士という点も場の設定と見なせる。


 また、蚊帳は外の空気を通し、声や音は常に開放される。では今「世の中」はどうなのか。皆閉め切った空間を作り息を詰めて暮らしている。蛍を放した頃には戻れないけれど、人との関係は蚊帳の中のように築ければ幸せだ。つまり誰もが「ワタシはワタシ」と語り合えること。ドラマの二人の関係性は崩れなかった

大暑も処々で読書

2021年07月25日 | 読書
 一応、五輪競技にも目を通したいし、こういう時は薄めの本を手にとって…


『秋田学入門』(あんばいこう  無明舎出版)

 筆者は県内出版社社長。「秋田学」と題してどんな事を語っているのだろうと興味があった。新聞連載のエッセイをまとめた内容だ。目次には「久保田藩か佐竹藩か秋田藩か」を初めに興味深い話題が並んでいる。しかし正直「学」と呼べるほど深く突っ込まず、「入門」を促すトリビア的な中身だ。「ええふりごぎ」と「せやみこぎ」の項では、2つの県人を象徴する方言を挙げ、他県との比較から「根拠のない『県民の負の性向』ステレオタイプ」と言いきったことに共感した。



『読み聞かせは心の脳に届く』(泰羅雅登  くもん出版) 

 来週からインターンシップなどの計画もあり、図書に関する知識点検の意味合いも込めて読んでみた。100ページ足らずの本だが収穫があった。読み聞かせが聞き手に与える影響は脳科学的にどうか、その検査過程と結果が記される。キーワードは紛れもなく「心の脳」。前頭連合野が活性化するという仮説を立てて検証したが実は違っていて…。この結果には納得がいった。とすれば…と考えも浮かび、実に参考になった。そして語り手(笑)は、確実に前頭連合野が活性化するそうだ。



『木皿泉DVDブック スペシャルブック』(河出書房新社)

 DVD化されたドキュメンタリーの監督との対談を中心に、その番組内に入れ込まれたドラマの脚本などで構成されている。「無敵感」の漂う夫婦の話は実に面白い。番組作りの直接的な裏話より、二人が繰り出してくるエピソードが興味深いのだ。特にアマゾンの奥地にいるピダハン族の言語のこと、恐怖について子供を使ったある実験など、つい人に言ってみたい衝動にかられる。「しあわせのカタチ」と訊ねられた時、即座にいくつポンと差し出せるか、そんなことも考えた。

脱・おいるショック

2021年07月23日 | 雑記帳
 時々興味のある回をちらっと観てはいたが、全部通したのは初めてかもしれない。『100分de名著「老い」~ボーヴォワール~』は、作家への関心ではなくやはりテーマに惹かれたのだろう。その中でも、おっそうかと考えてしまう点が多かった。特に、この齢になるまで疑いもしなかった、一つの思い込みがあった。


 「若い!」…齢をとっても活動的な人をそう呼ぶことがある。それは身体面、精神面のどちらにも適用するようだ。そして、そう言われた人は多くの場合、それを誉め言葉として受け取る。自分が仮にそう声をかけられたら「いやいや」などと口にしながら、まんざらでもなく、きっと嬉しい気持ちになるにちがいない。


 その事実そのものが、「老い」が価値の低いことを指している。その意識は結局のところ、この私たちの社会、文明が作り出している。定義づけとしても「生産年齢」は15歳以上65歳未満とされている。「老い」とは生産者としての位置づけが下がることを示している。それを当然の論理とする世の中が作られてきた。


 教職にあった頃、相応のベテランになり「教師にとって若さは、それだけで魅力だ」というような事を言ったものだ。否定できない経験則は、主として外見や覇気のような部分を示していた。しかし考えれば「老い」がもたらす指導上の優位さが全くなかったわけでもない。それを上手く体現している教師も見てきた。



 身体の老いに比べ、成熟できない自分に苛立つことも少なくない。このままで「老いの現実をさらしていく」ことが出来るか、甚だ不安である。しかし私には一つの理想像がある。4年前に南独で観た「ヴィース教会前のバス停にいた一人の老人」の姿。あの笑顔は写真に収めていない分、まだ瞼に焼き付いている。

たった一度の夏休み

2021年07月22日 | 雑記帳
 昨日は午後からコロナの予防接種2回目。最初のときに、勤務体制に合わせ翌日から休めるよう期日指定していたので、今回は、「こいっ、副反応」という万全の心構えでいたが、朝起きたら特に変わりない。軽い頭痛なら毎度のことだし、腕の痛みは若干あるが、それは前回も同じ。娘から預けられた頭痛薬も出番なしだ。


 一日のんびりと決めていたし、いい気になって身体を動かして調子を崩すのも変だし…と、マイブームで思わず買ってしまった『木皿泉 ~しあわせのカタチ』というDVDブックや録画していた『100分de名著「老い」~ボーヴォワール~』をまとめて視聴したりした。ややお疲れモードで観るにはいい内容だった。


 そういえば、町内の学校は今日から夏休み。昨年も同じような制限のある中での長期休業だったなあ…図書館では今年も職員が面白い企画を立ててくれたし、入りはどうだろうかと頭をよぎる。午後から、雷が鳴り出し一時凄い雨が降った。ふと先日PC内のデータを整理していて見つけた懐かしい画像を思い出した。



 ちょうど10年前である。夏休み前の終業式で生徒指導担当が話したことを、学校のブログにアップしていた。(学校名はモザイクかけたけど、知っている人にはすぐわかってしまうか)。この思いは学校に勤める者なら共通することだろう。私は現役中に当事者としてそうした悲しい事故に遭遇しなかった。幸運だった。


 今は安全安心が行き届いているから大丈夫か。しかし、危険な事を奨励するわけではないが、冒険や挑戦を忘れたら人間の活力はだんだんと衰えていくのではないか。いつだったか、学級通信に書いた。「夏休みは毎年やってくるけど、小学○年生の夏休みは人生にたった一度しかないのです」…それは65歳も同じだな。

些細なゴキブリ噺

2021年07月21日 | 雑記帳
18日日曜朝。図書館事務室。

同僚が「あっ、あれってもしかして…」と口を開く。
入口ドア下の床に黒く動くものが…
「ゴギブリ?」

自席でPCを開いたばかりの私は「えっ」と腰を上げ、近づいてみると、確かに黒い独特の形状の物体が、せわしく動き廻っている。

「ゴキブリだ。おおう、なんか久しぶりだな」と思わず言ってしまう。
この職場では初めて見たし、自宅内でも幸せなことにここしばらく遭遇していない。



感慨に浸っているわけではないが、しばらくその姿…どこにも潜り込める所がなく、あたふた同じ場所を巡っている様子を見つつ、ロッカー横にかかっている蠅叩きを手にし、一撃した。

あお向けになり弱々しく脚を動かしているが、もはや、その名の通り「虫の息」に近いだろう。
蠅叩きを元の場所に戻し、今日の新聞折り込み広告を手に取る。

きちんと包んで成仏させねば…
何気なくとった広告紙は、なんと「葬儀社K」のチラシ。
いやあ朝から殺生してしまったけど安らかにね、と軽く言いながら片手で柔らかく包み、ゴミ箱へ放る。

「えっ、凄い。さすが男ですね」
と妙な褒められ方をした。

それにしても、核戦争が起こり人類や他の動物が消滅しても、最後にゴキブリだけは残るなどと言われたことがあった。
その生命力がホントかどうか知識はないが、現実に一匹のゴキブリはかくも運命に左右されるものだ。
ゴキブリにはコロナ禍も何もないんだろうなと思って見ると、所詮人間だってどうなるものか…刹那主義に浸りたいような気分で手を洗う。


と、そんな話をその夜に食卓でしていたら、今朝になって家人がわざわざ「珍しい!玄関のところで、ゴキブリが仰向けで干からびていたよ」と知らせに来た。

「えっ」と思う。
ゴキブリ情報のなかった家に、とたんにブームがやってきたか。
もしかして、そのゴキブリとは昨日の奴で、息を吹き返し動いてここまで来て死んだということ?それはないでしょ。
近くのゴミ集積所の中から動いてきたはず…


ゴキブリの名は、「御器齧り(ごきかぶり)」の転とされている。
つまり、「器」をかじるのだ。
些細な始末に人間の器が出るとすれば、少し齧られてしまったか。

五輪直前身辺雑記

2021年07月20日 | 雑記帳
7月14日(水)
 梅雨明け宣言は近いか。スカッとした青空が広がっている。夏休みワークショップの参加者がまとまったので、今日は午前中に一回目の講師打ち合わせ。工作はミニ凧つくり。楽しみである。午後からは教育行政評価会議。3時間以上のハードな会だったが、いろいろと考えさせられることあり。時代の進行を感じる。


7月15日(木)
 午前出勤、月末からのイベントや研修内容の計画を練る。昼までの勤務、昼食は自宅で初冷麦を食す。その後、隣市の靴屋に行きバーゲン品を2足購入した。その後、県民割を使える温泉宿に向かう。個室夕食を希望したら、年配者グループと仕切られた形となった。元気で活動的なシニアたちはよく喋り、よく笑う。


7月16日(金)
 久しぶりの朝露天風呂。ここのお湯は本当にきれいだと改めて感じる。昨夜の隣客に話しかけられ、昔の宿の火事のことなどを聞く。帰宅後、二人で4000円分のクーポンをもらえたので、道の駅などで酒類を購入する。午後からは休養。昼寝から目覚めた孫と戯れつつ、終盤の大相撲をじっくり見る。優勝させたいのは…。


7月17日(土)
 今日は午前出勤して二回目のワークショップ講師打ち合わせ。科学実験は「空気」がテーマで、披露する一部を見せてもらい興味深かった。講師は若き時代の同志であり、今も非常に活動的であり感心するしかない。午後からはのんびりと大相撲をみる。結びの一番、白鵬の衝撃、これは忘れられない仕切りとなった。



7月18日(日)
 今日も午前は図書館へ。絵本グループの打ち合わせと研修会。わずか5人だったが、他の方の語りを聞くいい機会であり貴重だった。特に昨年手にして読みたいけれど難しいと感じていた一冊を聞き手として捉えたら、自分のある間違いに気づいたのは収穫だった。午後、千秋楽の結びを見て、また考え込んでしまう。


7月19日(月)
 休館日。下の孫は風呂場でミニプール遊び。キャッキャッという声が続く。午前中に少し買い物をしていたら、久しぶりに同期の知人にバッタリ。少し四方山話をする。お互いそこそこ健康でやれていることを、軒先の日陰で喜ぶ。午後、こども園から帰ってきた上の孫へ絵本を読んだ後、「相撲あそび」が暑苦しい(笑)。


7月20日(火)
 午前中は町内2小学校が本を借りる活動で図書館を訪れ、いつもより少し慌ただしい。午後から山間部の小学校へ出向いて読み聞かせをする。峠道も34℃あった。上学年を対象に『おろしてください』と『大岡越前』、つまり怪談と講談。大岡越前の名を子供は誰も知らず、でもまあそれなりに聴き入ってくれたようだ。

悲しい七月場所だった

2021年07月19日 | 雑記帳
 ここまでくると自分勝手に「悲しさ」を感じてしまう。白鵬である。白鵬を支えているのは「勝ちに対する執念」と言って差し支えないだろう。今まで散々に指摘されてきた張りや肘の使い方という「手」だけでなく、行司の挙げた軍配に対してみせた不服の反応などが、象徴的だった。その度に反省の弁はあったようだが…。



 14日目の立ち合いには大相撲ファンの一人として、度肝を抜かれた。アナウンサーや解説者が語ったように「前代未聞」。この位置から始めることの意図は明白だろう。それは、彼が今まで再三周囲から言われてきたことが全然響いていない、いや理解できていないことの証左といえる。「見たい横綱像」は届かなかった。


 舞の海は「それが許されるなら、今までの横綱像が崩れる」と千秋楽で前日の取組を語った。仕切り線を目安に立ち合い、体をぶつけ合うという基本を繰り返して精進を重ね、その最高位についた横綱が、それを逸脱してみせたことは重い。ボクサーでも、異種格闘技戦のファイターであっても通用する型ではなかったか。


 力士の誰もなし得なかった数々の業績を挙げた白鵬が、どんな辛苦に耐えて今があるのか、凡人の想像をはるかに超えるはずだ。しかしだからこそ、相撲を単なる格闘技と考えない日本人の多くの共感を得られないだろうことは悲しい。結果より価値がある「正対する魂」とも言うべき観念を心底から理解できないからだ。


 とは言え、個人的に思い入れある力士たちの休場や不振さが目立ち、結局モンゴル勢のしなり強さだけがこの場所を支えた。大復活の照ノ富士を初め、それぞれの力士が持ち味をみせ好成績を残した。日本人という枠での身贔屓はもはや古いとはいえ、一体何が足りないのか以前から繰り返された問いがまた大きくなる。