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「ノー」に向き合う自分を

2024年01月29日 | 読書
 なんといってもこの刺激的な書名。書棚から取り出して再読してみる。Re11『仕事なんか生きがいにするな』(泉谷閑示 幻冬舎新書)。風呂場読書の一冊だったし、かなりふやけている。2年前に2回に分けて感想メモを記していたが、今回も心にフィットする箇所は同様だ。そして改めて響くのは、第一章のこの一節。

 人間は、まず「好き/嫌い」を表明することから、自我の表現を始めるものです。ただし「好き/嫌い」といっても、初めから「好き」が出てくるわけではなくて、「嫌い」、つまり「ノー」を表明することから始まるようになっているのです。P22


 これは二人の孫の様子を観察すると興味深い。個々に差があるのはもちろんだが、「いや」という反抗の意味が明確になってくる。それを著者は「自分というフィールドを確保する独立運動」だという。自我の素地ができなければ、何がしたいか、何を好きか、まして将来の希望などは、非常に薄っぺらいものになる。




 十分に「ノー」が言える状況を与えてやること。それが発達段階に即した時期に行われなかった場合に、どこかで「ノー」が形を変え、歪な現象となって現れることを、私たちはもう知り尽くしている。学齢における非社会化、反社会化現象はもちろん、悲惨な事件や事故につながった例は、連日の報道を観るまでもない。


 ただ、反抗期の語や意味を分かったとしても、実際に目の当たりにすると困惑することは多い。そこで「寄り添う」のか「壁になる」のか…単なる技術論で解決はできない。対する自分の生き様を見つめる必要がある。世の中には葛藤なくそこに向かう人もいる。しかし大方の者はそこで「共に育つ」のではないか。


 大人は、その子にとって良かれと思い指示などするが、かなりの割合で実はこちらの都合優先だ。もちろん、それが周囲と折り合う機会であると刷り込んでいくわけだが、今でなければ駄目かという検討は置き去りだ。「イエスマン」こそ、周囲に縛られている現実を俯瞰し解決の折り合いを工夫するべきと念頭に置け。


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