スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部定理四一&クロムウェル

2015-06-26 19:12:22 | 哲学
 第三部定理四〇と対になるのが次の第三部定理四一です。
                         
 「もしある人が他人から愛されると表象し,しかも自分は愛される何の原因も与えなかったと信ずる場合は(こうしたことはこの部の定理一五の系および定理一六によって可能である),彼はその人を愛し返すであろう」。
 憎しみの原因を与えなかったと確信する相手に憎まれたなら,その人はその相手を憎み返すことになります。であれば,愛する原因を与えなかったと確信する相手から愛されたなら,その人はその相手を愛し返すことになるでしょう。愛と憎しみは反対感情なので,憎しみの発生に関して妥当することは,愛の発生に関しても妥当しなければならないからです。ですから論理的にいえば,憎しみの連鎖が生じ得るように,愛の連鎖も生じ得ることになります。
 ただし,現実的には憎しみの連鎖というのはしばしば起こりますが,愛の連鎖が発生することは稀です。これは論理的にいえば,人間の現実的本性というものがそのようになっているからです。でも,経験的に考えても理解できるところではないでしょうか。というのは僕たちは,他人から愛を受けるであろうという事柄については,概ねそのことを自覚的になすのに対し,他人から憎しみを受けるであろうと明確に意識している事柄を他人になすことはあまりないからです。いい換えれば僕たちは,他者から愛されることは欲望しがちですが,憎まれることを欲望することはほとんどないからです。
 愛される原因を確かに与えたという場合,人は第三部諸感情の定義三〇の名誉を感じます。これは恥辱が滅多に起こらないのと逆にしばしば生じます。一方,愛する原因を与えていない場合の愛し返しについては,スピノザは感謝と定義し,これは滅多に起こりません。人間の現実的本性は,恥辱を感じるよりも名誉を求めることに,そして感謝することよりも復讐することに,大きく傾いているのです。

 メシアの再来が近付いていると考えていたメナセ・ベン・イスラエルは,ユダヤ人をイギリスに連れて行くという計画を立案していました。ルイはメナセがこの計画に夢中になっていると伝えています。
 ここでルイが質問します。イギリスは13世紀の末から,ユダヤ人が国内に入ることを禁じていました。それなのにどうやってそれを実現するのかという質問です。
 この頃イギリスでは,クロムウェルを中心とする清教徒革命が成就していました。クロムウェルが正式に護国卿になるのはこれより後のことですが,すでにイギリスの統治者は実質的にクロムウェルになっていた時代です。メナセは,クロムウェルはユダヤ人の宗教上の原理を尊敬しているから,イギリス入国が許されるようになるという主旨で答えています。この一連の問答は不条理なところがいっかなありません。つまり仮にルイがこの内容に興味を有していなかったとしても,ルイがメナセの話を大筋で正確に把握していたのは間違いないといえるでしょう。後の部分で,メナセはクロムウェルのことを第二のモーセといっています。こういう印象的なことばを聞き違えるとは思えず,確かにメナセがそう発言したと僕は解します。それくらいメナセはクロムウェルを評価していたと考えてよいでしょう。
 世界史的観点からはやや不思議にも思えます。これが1950年の会話であったとして,翌1951年にクロムウェルは航海条例を発布します。これによって最も打撃を受けたのは,輸出入が生業であったオランダの商人たちでした。まだ破門される前のスピノザと貿易に密接な関係があった時代で,スピノザも,あるいはスピノザ一家もこの条例の被害を蒙った可能性が大いにあります。そしてその次の年,1952年からオランダとイギリスで戦争が勃発します。つまり1950年代初頭,オランダとイギリスの関係は,少なくとも良好なものではなく,むしろ険悪だったと考える方が妥当だと思えます。
 もっとも,メナセ自身は国家としてオランダがイギリスとどういう関係かは,ほとんど関心がなかったかもしれません。関心の中心はクロムウェル個人にあったのでしょう。
コメント
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